巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

元教皇座空位論者(ex-Sedevacantist)の探求と人生を駈けた問い【教会の非変節性についての考察】(シリーズ1)

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教会の非変節性(indefectibility of the Church)の教義と現在の厳しいリアリティーをどのように調和させることができるだろうか。「承認し抵抗する Recognize & Resist」という立場と第一バチカン公会議の間に矛盾はあるのか。(写真

 

目次

  

John C. Pontrello, The Sedevacantist Delusion: Why Vatican II's Clash with Sedevacantism Supports Eastern Orthodoxy, 2015, Preface(拙訳)

 

元セデヴァカンティスト、ジョン・C・ポントレーロ氏の回想記

 

教皇座空位論者(Sedevacantists)とは?

第二バチカン公会議は無効な公会議であり、教皇フランシスコは真の/合法的教皇ではないと信じる伝統的カトリック諸グループに属する人々の総称。大部分の教皇座空位論者はまた、教皇ヨハネ二十三世(1958)以降のすべての教皇たちは非合法であると信じています。この運動の基本的諸信条はセデヴァカンティズムとして言及されます。(以上、本書はしがき部分より翻訳抜粋)

  

八年前に私は教皇座空位論者(Sedevacantist)になりました。教皇座空位論への私の回心は、歴史修正主義の探求および9.11テロ事件に関する懐疑的問いに続きました。

 

この重要な時期に私の展望は拡がり、それまでの世界観的パラダイムに再形成がなされました。それゆえ、一連の教皇詐称者たちがローマの聖ペテロ座を占拠し、カトリック教会に革命をもたらそうとしているという見方を受容することは当時の私にとってそう困難なことではなかったのです。

 

第二バチカン公会議に伴うローマ革命は自明のものでした。ただ未だ不明瞭だったのは、イエス・キリストの建てられた唯一の真なる教会内においていかにしてそのような大技が為され得たのかに関する説得力をもった説明でした。

 

第二バチカン公会議を巡る論争にたいする私の探求は、カトリック教会に関するいくつかの諸前提からスタートしていました。それゆえ、自然の流れとして、私はそれらの諸前提に最も良く適合するような理論と自分を提携させようと試みました。

 

教皇座空位論者の主張に対する私の当初の反応は、「これは擁護がむずかしいだろう」というものでした。というのも、教皇座空位論は、——仮にそれが正しいとするなら——、教会においてある種の「変節(defection)」が生じたということを認めているように思われてならなかったからです。

 

しかしながら、その当時、私は教会の非変節性・不朽性・永久性(indefectibility of the Church)の教義に十分に精通していなかったため、教皇座空位論者の方々の諸主張にどう反応してよいのか分かりませんでした。

 

とはいえ、教皇座空位論者たちはこの数十年に渡り、相当の諸事実を集積した上で、第二バチカン公会議後の教会に対し、実に感銘的な戦いを繰り広げていました。そして公会議後の教会が実質上、カトリック信仰の根幹諸信条から変節しているということをパワフルに論じていました。

 

カトリック教会の可謬性(fallibility)というのは忠実なカトリック信者にとって受容不可能な立場でしたので、そこから導き出されるロジカルな前提は、二つのグループの内どちらか一方が真のカトリック教会を代表している、というものでした。

 

そして私の目に、教皇座空位論者たちはもっとも説得力のある弁証を為しているように映りました。こうして私は、その他あらゆるものを犠牲にしてでも、かけがえのない高価なこの一つの真珠を得るべく、人生を駈けることにしました。その当時予見できていなかったのが、今や私が乗り出さんとしていたワイルドな教会競技レースが、こともあろうにその競技が始まった最初の出発点である「ローマ」に帰結するに至ったということでした。

 

教皇座空位論者の間で一般に見受けられる思考は、「積年にわたる諸預言が第二バチカン公会議において成就した」というものです。それによると、およそこの時期に闇の諸勢力が教会の支配権を獲得し、牧者を打ち、羊の群れを追い散らしました。ですから、もはや残された者としての忠実な信者(=教皇座空位論者)しか残されていないのです。

 

それゆえ、教皇座空位論者は、自らがイエス・キリストによって建てられた唯一の真なる教会および魂の救いのために壮大なる戦いを繰り広げていると信じています。

 

第二バチカン公会議後の教会に降りかかり続けている荒廃および、地球諸社会の急速なる脱キリスト教化という事態を前に、教皇座空位論者たちのビジョンは、「キリストのために闘う戦士になりたい、その闘いのためなら殉教死をも厭わない」と切望する理想主義的カトリック信者たちの心に強く訴えました。かくいう私もその中の一人でした。

 

こうしてその後五年以上に渡り私は教皇座空位論運動に全力投球しました。その過程で、将来が約束されていた自分のキャリアも放棄し、献身して司祭になるべく神学校に入学しました。が、いくつかの神学的諸理由により私は再び第二バチカン教会に引き返すことにしました。(その理由の多くは本書の中に収められています。)

 

ですが教皇座空位論を出、地域の一教区と再統合したものの、そこでの教区生活は短命で、九カ月と続きませんでした。その時期、私は教区公認のラテン語ミサ・コミュニティーの人々に同情を禁じ得ませんでした。そこでは第二バチカン(ノヴス・オルド)参加を拒む最後の要塞人たちが日曜朝、集っていました。

 

彼らは実質上、教区の一番片隅に追放された身となっており、私たちの「伝統派ばい菌」が現代カトリック信者の皆さんに感染しないよう隔離政策がなされているかのようでした。教区内における私たちラテン語ミサ・コミュニティーはかろうじてその存在が許されていたものの、いずれそれが消滅することが期待されていることは火を見るより明らかでした。

 

また、このラテン語伝統ミサ・コミュニティーが直面していた諸問題は、全世界のカトリック教区において他の人々が直面している諸問題の縮図であるということも次第に分かってきました。実に現代教会ヒエラルキーは、対第二バチカン抵抗諸グループが教会の現代構造に徐々に、そして完全に同化していき、残された要塞人たちもまたいずれ死に絶えていくことを辛抱強く見守っていたのでした。

 

伝統的カトリシズム内を探求する私の旅はある夜、突如として終焉を迎えました。その晩私は、教皇座空位論者と、第二バチカン擁護派のカトリック信者との間のディベート記事を注意深く読んでいました。

 

そしてどうしてか理由はよく分かりませんが、その時突如として私にとってのエピファニーが訪れたのです。そうです、両サイド共に間違っており、且つ両サイド共に正しいのだということを。さらに重要なことに、その瞬間、なぜ「真の」カトリック教会が互に相矛盾する諸要理を発布してきたのか、その理由に理解が及んだのです。

 

カトリック教会が実際に矛盾し得、且つ、依然としてカトリック教会としてとどまり続けることができるということに理解が及ぶまで私は、第二バチカン公会議を妥当な文脈においてみることができずにいました。

 

そしてこの理解から次第に私は、以下の可能性を推測し始めました。すなわち、第二バチカン公会議における幾つかの諸変更は、——少なくとも当初——一千年期を経る過程における教会の正統性からの漸進的逸脱(特に教皇制および、鈍重でやっかいな諸法令や教義的定式の数々により教会を複雑化させていくローマの傾向)に対する一種の是正処置として意図されていたのではないだろうかと。

 

さらに、カトリック教会が矛盾し得るということを理解した後、第二バチカン公会議以前のその他の諸論争に関しても自分の中でつじつまが合うようになっていきました。

 

本書の内容は、教皇座空位論運動に関わっている仲間たちに宛てた一連の書簡として始まりました。この時期、私はこの運動の耐久可能性・防御可能性について公に疑問を投げかけるようになっていました。

 

一番冒頭の書簡では、なぜ自分が教皇座空位論運動を離れ、再びローマの公会議教会に回帰することにしたのか(「教会は依然として教会である」というテーマ)について同志たちに説明しています。この書簡には彼らからの激烈な批判が集まりました。反論1の項では、教会の非変節性およびペテロの帆船(Barque of Peter)の類比について取り扱っています。

 

また本書を執筆するに当たり、私を突き動かしていた幾つかの要素についても述べたいと思います。まず第一に、私は自分自身の問いかけに対し回答を出したいと望んでいました。

ー何が原因で私は自分が生育してきた第二バチカン教会から離れ、伝統的カトリシズムの裏街道につき進むようになったのか、

ーなぜ再びローマの現代教会に戻る決意をしたのか、

ーなぜ今日私はこの立ち位置にいるのか。*1

 

かつて確信を持って宣言し、且つ、その信条を遵守するためなら多くの重要な諸事項を犠牲にしてもやむを得ないと考えるほど自分にとって死活問題であった事柄に対し、なぜ見解を変更するに至ったのかという点に関し、私は説明をする必要性を感じたのです。

 

私が読者の皆さんにお伝えしたいのは、分断の両サイドにおいて私は正しく、且つ同時に間違っていた、ということです。「分断のそれぞれの側において私は正しく、且つ間違っていたというのは一体どういう意味ですか?」とあなたはお尋ねになるかもしれません。

 

それはつまりこういう事です。教皇座空位論者の見地からみて、第二バチカン公会議以後の教会は自らを異端として破門したという理由ゆえに真のカトリック教会ではないと論じている点で正しいのですが、それはカトリック教会ではないと論じている点で大いに誤っています。第二バチカン公会議以後の教会はそれ以外のなにものでもあり得ないからです。

 

実際、第二バチカン論争は、一方の側が明白に「自分の側は矛盾していない」と立証するという具合に満足のゆくような形では決して解決をみないでしょう。なぜなら各々の側がそれぞれ矛盾を抱えており、それゆえ、両者共に論敵の論駁や反論に対し弱みを持っているからです。

 

それゆえ、自分自身の問い(=第二バチカンを巡る論争ディベートにおいてなぜ自分が一つ以上の立場を採るようになったのか)に対する回答として申し上げたいのは、無謬にして非変節なるカトリック教会に対する真摯なる探求の末に、私はいずれの側にも諸矛盾を見い出すようになったということです。なぜならそのような「教会」はそもそも存在していなかったからなのです。*2

 

かつて擁護していた教皇座空位論の主張とは対照的に、「教皇フランシスコによって率いられている現代教会は実際にリアルなローマ・カトリック教会である」というのが現在の私の確信です。

 

「現在ローマ聖座を統治している‟偽りの”ローマ・カトリック教会およびそれに関連する全世界の諸教区」とは区別されたところの「第二バチカン公会議以前の‟真の”ローマ・カトリック教会」なるものは存在しません。

 

しかしそうだからといって、異端や背教にかんする教皇座空位論者たちの糾弾から、第二バチカン教会を擁護することは私の意図するところではありません。私は、教皇座空位論者を擁護する弁証家ではなく、それと同時にローマにおける現教権を擁護する弁証家でもありません。私は両者に対する批評家なのです。

 

本書執筆の第二の動機は、諸結論に至る上で私が辿ってきたロード・マップを溯り、調べることです。これにより、批評家たちは私の諸思想に対し挑戦を与えるができ、また、私と同じような考えを持つ人々はこれを踏み台にさらに諸思想を発展させることができるかもしれません。私の下した諸結論を論駁することができると考える両サイドの支持者たちはご自由にそうなさってください。

 

この過程の中で顕現してくるのは先程私が述べたことです。すなわち、両サイド共に効果的に相手側の誤りを暴くことができる、ということです。ですが勿論、(私が批判している教会と同様)私自身の諸結論も無謬ではありませんので、対立する諸見解に対し今後も私は心を開き続けなければなりません。さらにここから私たちは皆、失う以上にさらに多くの収穫物を得ることができると信じています。

 

ー続くー

 

【補足資料】

教皇座空位論を支持する立場の見解

 

アンソニー・チェカダ神父著『教皇に抵抗するという事、セデヴァカンティズムとフランケン教会』2005 年(PDF)

 

hodiesedespetrivacansest.blog.jp

hodiesedespetrivacansest.blog.jp

 

↓マルセル・ ルフェーブル大司教に関するアンソニー・チェカダ神父の見解

www.youtube.com

 

↓ アンソニー・チェカダ神父へのインタビュー(どういった経緯で保守シトー修道会士から教皇座空位論者になったのかについての証等)

www.youtube.com

 

↓ 「閉塞的行き詰り—ベルゴリオ時代における反セデヴァカンティズム」(by アンソニー・チェカダ神父)

www.youtube.com

 

↓ R&R派(聖ペテロ司祭兄弟会)テイラー・マーシャル師の教皇座空位論批判に対するセデヴァカンティストの論駁

www.youtube.com

 

novusordowatch.org

 

教皇座空位論に反対する諸立場の見解

 

↓ 東方正教弁証家ジェイ・ダイアー氏による教皇座空位論反証ビデオ

(ジェイ・ダイアー氏は、バプテスト→改革長老派(カルヴァン主義)→ノヴス・オルド現代カトリック教会→聖ピオ十世会(SSPX)→教皇座空位論→懐疑主義を経て、昨年東方正教会に改宗しました。)

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

↓ ローマ・カトリック弁証家ジョン・サルザ氏による教皇座空位論反証インタビュー

(ジョン・サルザ氏はカトリック弁護士。1996年にフリーメイソンに入会したものの数年後に脱会。著書に『Why Catholics Cannot Be Masons』、『The Mystery of Predestination, Masonry Unmasked』等があります。)

reasonandtheology.com

 

↓ 聖ピオ十世会(SSPX)による教皇座空位論の説明

archives.sspx.org

*1:本書執筆から約三年後、著者は最終的に東方正教に改宗しました。

*2:管理人注:関連資料

reasonandtheology.com