イエズス会のジェームス・マーティン氏は先日、ツイッター上で公に聖書の正当性に疑問を投げかけました。
「〔同性間の性的〕行為について言及している聖書箇所はいずれも、同性間の性的行為を明確に糾弾しています。私は率直にそれを認めます。しかしながらここで問われている問題はまさしく『果たして聖書の判断は正しいか否か』という点にあるのです。聖書は奴隷制も認めていますし、聖書のどこにも奴隷制を不法なものとして攻撃している箇所はありません。」 *1
聖ピオ十世教皇は、回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス——近代主義の誤謬について』(1907)の中で、やがて教会内に蔓延してくるであろうマーティン氏のようなモダニスト聖書観を批判し、次のように述べておられます。
「なぜなら、もし聖書を不可知論の基準にしたがって、つまり人々によって人々のためにつくられた人間の所作として、、見なすならば、一体、天主的霊感の余地はどこにあるでしょうか。近代主義者たちは聖書に一般的なかたちで及ぶ霊感が存在するとは言うのですが、カトリック的な意味での天主的霊感は一切認めないのです。」*2
聖書の神的霊感(天主的霊感)を否定する動きは、19世紀にリベラル・プロテスタンティズムとしてドイツに発祥し、その後、カトリック神学者たちにも影響を与えてきました。(*現在、英国・北米の正教神学者たちの一部もこの影響下にあります)。フェニックス神学校のウェイン・グルーデム教授は、「福音主義フェミニズムの漸進的7段階」として次のようなチャートを書いています。*3
段階1) 聖書が誤りのない神の言葉であることを否定する。
↓
段階2) 女性を牧師として是認する。
↓
段階3) 結婚における男性のリーダーシップ(headship)に関する聖書の教えを破棄する。
↓
段階4) 女性の牧師叙任に反対の声を挙げる牧会者たちを教団から締め出す。
↓
段階5) 「あるケースにおいては、同性愛行為は、倫理的に妥当なものである」とする。
↓
段階6) 同性愛実践者を牧師として是認する。
↓
段階7) 同性愛実践者の牧会者を、教団内のトップ(high leadership)に任命する。
メインラインのプロテスタント諸教団の大勢は現在、段階1)から始まり、徐々に、そして加速度的に段階7)に向け、リベラル街道を走行中です*4。メインラインの聖公会においてはすでにこの段階は全うされ、次なるステップ(「母なる神」)へと歩みを進めています。*5
ここから分かるのが、ジェームス・マーティン氏のようなモダニスト聖書観がカトリック教会 / 正教会内に浸透する時、「カトリック / 正教・フェミニズムの漸進的7段階」もまた徐々に、そして加速度的に進行していくということではないかと思います。この点において私たちは一般のプロテスタント諸教団およびメインライン聖公会の、半世紀にわたる教義変遷史から多くの重要な教訓を学ぶことができるのではないかと思います。
尚、マーティン氏は、聖書の中の「奴隷制」を引き合いに、自身の対等主義見解を正当化しようとしていますが、この点に関する応答は以下の記事をご参照ください。
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ー終わりー
*1:引用元。それからドワイト・ロングネッカー神父による関連記事
*3:Wayne Grudem, Is Evangelical Feminism the New Path to Liberalism?
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*4:
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*5:
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