巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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フランシスコ教皇「パチャママ像はテヴェレ川から取り戻された」と声明。〔トランスクリプト全訳〕

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出典

 

フランシスコ教皇は10月25日、パチャママ偶像がテヴェレ川から「取り戻され(retrieved)」、現在、イタリア国家治安警察隊の保護下にあると告知されました。以下、「パチャママ」像に関する教皇声明のトランスクリプトです。英訳文

 

〔トランスクリプト〕

こんにちは。トランスポンティーナ教会から撤去されたパチャママ像について一言述べたいと思います。パチャママ像は偶像礼拝的な意図なくそこに設置されていましたが、その後、テヴェレ川に廃棄されてしまいました。

 

まず最初に、これはローマで起こった出来事であり、ローマ教区の司教として、私は、〔パチャママ像を廃棄したという彼らの〕行為により感情を害された人々に許しを乞いたく思います。

 

次に、皆さんにお知らせしたいのは、あれだけメディアで騒がれた〔パチャママ〕像がテヴェレ川で発見されたということです。像は破損しておりません。カラビニエリ(イタリア国家治安警察隊)の司令官は、ニュースが公になる前に、像が救出されたことを私たちに知らせたいと望んでいました。今現在、このニュースは公になっておらず、像は、カラビニエリ警察隊の司令官のオフィスに安置されています。

 

カラビニエリのトップは、ニュースを公にする方法に関し、いかなる指示に従うことも良しとしており、その他のイニシアチブに関しても、例えば、司令官は、「アマゾン・シノドス閉会ミサにおいて〔パチャママ〕像を展示する」旨を語っています。さあどうなるか考慮してみましょう。

 

これに対する応答を、国務長官に委託します。

 

これは喜ばしき知らせです。ありがとうございます。

 

ー以上ー

 

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ゲルハルト・ミュラー元教理省長官は、パチャママを「偶像」と呼んだ上で、次のようにコメントしています。

 

 「甚大なる過ちはそもそも教会の中に偶像を持ち込んだことにあります。それを外に運び出したことではありません。なぜなら、神ご自身の法——第一戒——に従えば、偶像礼拝は大罪(grave sin)であり、それらはキリスト教典礼と混合されてはならないからです。

 それを外に出すこと、廃棄することは場合によっては人間の法に反するかもしれません。しかし教会内に偶像を持ち込むことは大罪であり、神の法に対する犯罪です。両者の間には深遠なる違いがあります。」

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「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。」イザヤ5章20節

 

「ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。」1コリント10章14節。

 

「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」1ヨハネ5章21節

 

「ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。」1コリント12章2節

 

「彫刻師の刻んだ彫像や鋳像、偽りを教える者が、何の役に立とう。物言わぬ偽りの神々を造って、これを造った者が、それにたよったところで、何の役に立とう。ああ。木に向かって目をさませと言い、黙っている石に向かって起きろと言う者よ。それは像だ。それは金や銀をかぶせたもの。その中には何の息もない。しかし主は、その聖なる宮におられる。全地よ。その御前に静まれ。」ハバクク書2章18-20節

 

「彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。」(詩篇115篇4-8節)

 

「主はこう仰せられる。『異邦人の道を見習うな。天のしるしにおののくな。異邦人がそれらにおののいていても。国々の民のならわしはむなしいからだ。それは、林から切り出された木、木工が、なたで造った物にすぎない。それは銀と金で飾られ、釘や、槌で、動かないように打ちつけられる。それは、きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けないので、いちいち運んでやらなければならない。そんな物を恐れるな。わざわいも幸いも下せないからだ。』」エレミヤ書10章2-5節

 

神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。『わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。』

愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。」(Ⅱコリント6章16-7章1節)