巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ひだまりの随想

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出典

先日、お友だちが、バスルームにいた大きなクモをクモ掴みでつかまえ、きゃっきゃ乙女らしい笑い声をたてながら庭にかけこみ、クモを外に放ってあげるシーンを撮ったショートビデオを送ってくれました。明るく愛らしい彼女の内面の世界がきらきら輝き日向の庭の光に溶合しているかのようでした。

 

私は彼女の国籍や年齢、職歴、家族環境を知っています。彼女の思想や教義的変遷も知っています。でも、、家に迷いこんだクモさんを(こわがりながらも)なんとか殺さずに外の世界に再び戻してあげようとする彼女の「心」にふれた私は今日、彼女という一人の人間を昨日よりもより深く、より親しく「知った」気がします。

 

人を知ってゆく営みはなんと驚きに満ちたものでしょう。それは不可視的なものではありながらもたえず引き合い相手の元に近づかんとする磁石のように動的で躍としてはいないでしょうか。

 

私たちの創造主である神を知ってゆく営みもあるいはそのようなものなのかもしれません。そこにおいては「知」と「愛」が御霊の調律によってハーモナイズされ、両者はたがいに手を携えながら相手のペルソナの深みへとすすんでいきます。

 

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読者のみなさんへ

 

伝道者の書の記者は、「黙すのに時があり、話すのに時がある」(3:7)と言っています。皆さんは今、どのような「時」の中におられますか。

 

これまで多くを読み、考え、書いてきました。それもこれも主の憐れみの中でゆるされ起こったことです。ですが仮にみずからの誤解や誤信、誤読により生じてしまったかもしれない教義・神学・信仰上のあやまりがあるのでしたら、主とみなさんの前にゆるしを乞いたいです。

 

時の経過とともに、そして人格・信仰・主を知る知識における成長とともに、私がそれらのあやまりに気づき、自らのあり方や向きを修正してゆくことができますよう、お祈りに覚えていただければ幸いです。

 

「時」が変わると、外面的にはたしかに変化が訪れます。かつてあったもの、活動していたものがもはやその動きを止めるかもしれませんし、静止の状態が一定期間つづくのかもわかりません。

 

しかし人が神に渇き、神を愛し求めるその心の軌跡は、たとい外面上の態や名称に変化や断絶が起されようと、片時も止まることなく連続性のうちに深化してゆくのだろうと思います。そこにはたえまない変化と恒常性が併存しています。

 

そして私の願いは、ブログという文章の空間を通し、これまで精神的なお交わりをしてきました読者のみなさんとの間にもそのような人格における関係性が主キリストの中で保たれることです。

 

ありがとうございます。