巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

用語のひとり歩きに注意しようーー誤用・乱用されがちなニューマンの「キリスト教教義の発展」というコンセプトについて

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発展(development)とは?

 

かつて誰かによって提唱された言葉が、時代を経るにつれて、作者の元来の意図や限定的文脈を超え、さまざまに解釈されつつ、「言葉のひとり歩き」を始める事例は歴史上、後を絶たないと思います。

 

元聖公会司祭で後にカトリック教会の枢機卿になったジョン・ヘンリー・ニューマンの生み出した「キリスト教教義の発展」の中の ‟発展(development)” という語もまた、そんな一語なのではないかと思います。

 

今回、マイケル・ロフトン、ティモシー・ゴードン、エリック・イバラ、ティモシー・フランダースという4人のカトリック思想家たちがこの点に関し、慎重にして思慮深く、実直な考察ディスカッションをしてくれたことに私は大変感謝しています。

 

 

彼らは、‟発展(development)”というこのニューマン用語が、往々にしてカトリック・リベラル派アジェンダ推進を正当化するキー・ワードとして乱用されている事実を取り上げ、それが1986年のアッシジ世界宗教会議*、2回にわたるシノドス(世界代表司教会議)、使徒的勧告「Amoris Laetitia(家庭における)愛の喜び***」(2016)、今年10月開催予定のアマゾン・シノドス*の各内容に反映されていることを解説しています。

 

しかしそれと同時に、「推論論法(inferential reasoning)を基にした ‟発展” 概念と、(リベラル派の用いている意味における)ヘーゲル哲学主義的 ‟発展” 概念を区別することが重要である」と、彼らはーー特に正教論者に向けてーー注意喚起をしています。

 

なぜなら、この区別をし損なった正教論者たちの間でしばし起こるのがいわゆる過剰反応であり、彼らはそこから「正教の教理は2000年間全く不動であり、そこに‟発展”なるローマ的イノベーションは存在しない」という、これまた別の意味で現実にそぐわない自己・他者認識に自らを持っていってしまう危険性があるからである、という旨を彼らは述べています。

 

そうした上で、エリック・イバラ師は、ブルガーコフの『ヴァチカン・ドグマ』や、ホミヤーコフの論を取り上げ、ローマの ‟発展” に対する正教側の過剰反応が今度は、教会論的主観主義(ecclesial subjectivism)の逆の極端を正教陣営に生み出してしまいかねない危険性を指摘しています。

 

2007年のカトリック・正教合同の「ラヴェンナ文書」及び、教皇優位性(papal primacy)の教会論的行使をめぐるコンスタンティノープル総主教庁とモスクワ総主教庁の亀裂も、この文脈の中でみる時、いろいろな気づきが与えられるように思います。

 

それからヨハネ・パウロ二世の唱えた「倫理教義およびその ‟発展”」に関し、ゴードン師が批判的考察を行なっています。また番組の中で、ゴードン師は、クリスチャン・フェミニズム批評を行ないつつ、かしら性、家父長制を擁護し、「相互恭順説(mutual submission)」の虚偽性を説いていますが、この部分に関してはゴードン師も認めているように、福音主義の相補主義論者たちがすでに強靭な論証をしています。*1

 

ちなみに、カトリック・リベラルがニューマンの ‟発展” 概念を乱用している事と、福音主義フェミニスト神学者たちが、女性牧師制や相互恭順説というイノベーションを正当化すべく、「軌道(trajectory)*2」という解釈概念を導入しているこの両者には、パラレル関係があるように思われます。ですが、アクィナスの道徳神学及び自然法を基にした古典的カトリシズムによるフェミニズム批判は、やはり論の深さと礎石の堅固さにおいて他を凌駕しているなあというのが私の正直な感想です。*3

 

おわりに

 

グローバルな諸問題に直面している現在、私たちはキリスト教界のどのセクターにいようと、ローマ教会の危機を対岸の火事として突き放して考えることはできないように思われます。

 

これらのディスカッションに耳を傾けながら私が感じたのは、私たちキリスト者はやはり皆、有機的につながっており、それゆえ、良いものであれ悪いものであれ、一つのセクターで発生したものは遅かれ早かれ、隣接する他の諸セクターにも浸透し、影響を及ぼしていくということです。

 

その意味でも、「発展」という語のひとり歩きは、カトリック教会の範疇をはるかに超え波紋を広げている全キリスト教会的問題であり、課題なのではないかと思います。

 

ー終わりー