巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

至福者の苦しみ(ライサ・マリタンの回想録より)

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「イエス・キリストに仕えることを表明しつつ、内心では自分自身を崇めている者達よ、震え慄きなさい。神はお前達をその敵に委ねようとされているからです。諸々の聖なる場所は腐敗の内にあり、多くの修道院は最早神の家ではなく、悪魔の王とその仲間達の牧場となっているからです。」ラ・サレットでの聖母マリアの警告出典

 

ライサ・マリタン*1の回想録より一部抜粋

 

『泣く者』とは、レオン・ブロワが、ラ・サレットの事件について書いた本の標題である。

 

それは、1846年9月19日に、ドフィネ村の二人の牧童に聖母が出現されたという事件である。この子供たちは、聖母の御姿を見た。聖母ははじめは坐って、泣きながら、それから立って、大きな災いを預言し、「もし私の民が服従しようとしないなら、私は、わが子の腕の赴くがままにするほかありません。この腕は、私がもうとどめることができないほど重いのです」と言って、それから天に昇り、光のうちに見えなくなった。*2

 

レオン・ブロワは、1879年に、ラ・サレットに行ったことがある。そのことについて『貧しき女』の中で語っている。

 

「預言者の元后の御足がふれたもうたこの栄えある山、そこでマグニフィカート以来、人の聞き得しもっとも畏るべき賛歌を、聖霊が口ずから歌いたもうたこの山をーー、私は見たいと思った。ある嵐の日、篠突く雨の中を、猛り狂う風を冒して、この光の淵を目指して私は登っていった。希望はあわ立ち騒ぎ、思考は渦となり、滝の音は耳を聾(ろう)さんばかりであった。その時、私の念頭にうかんだのは、数年前に亡くなった、一人の聖なる司祭のかつての助言ーー『神が自分を見捨てたもうたと思われる時には、この山の上の聖母に憐れみを乞いに行きなさい』という言葉であった。」

 

 「頂に達し、聖母が、御目から流れ出たようにみえるあの小さな泉のほとりで石に坐し、御顔をおおうて泣き給うのを見た時、私は柵の下に打ちたおれ、満ち足れる全能者と呼ばれる御者に恵みを乞いつつ、ひたすらに号泣した。こうして、ひれ伏し、コレットの川(黄泉の国の川)に浸っていた状態がどれくらいの間続いただろう。少しも分からない。ここに着いたときには、夕闇がわずかに迫り始めていた。だが、病気が治りかけた百歳の老人のように力衰えて立ち上がった時には、夜はとっぷりと暮れていた。涙という涙が空の闇の中で輝いているように思われ、わが存在の根が天に向きを変えたように思われた。

 

 ああ、この感覚はなんと聖(きよ)らかなものであったことか。あたりに人の気配はなかった。音といえば、この山のせせらぎがつくりなすあの天国の音楽の調べに合わせた奇跡の泉の響きと、時として遥か彼方からきこえる羊の群れの住んだ鈴の音しか聞こえなかった。どのように言い表したらいいだろう。私は、今しがた死んだ罪なき人に似ていた。そう思えるほどもはや苦しみを感じなかった。」

 

、、1907年には、私たちはラ・サレットについてまだ決定的な態度で判断を下してはいなかったけれども、代父を信頼していたために、語られている事実の現実性を信ずる方に向かっていた。

 

しかし、これをどうあっても信じなければならないということはないこと、一切の「幻視」や「啓示」のように宗教的生活におけるこうした現象は、検証されるべき歴史的事件同様、もっとも厳密な批判に委ねられねばならないということ、善意をもってする究明を経た後に、こうした現象が神学的になんらの欠陥をもたない場合でも捨て去られることがある、ということを私たちは知っていた。

 

神は好んで奇跡をその御言葉の支えとされたこと、奇跡を頭から拒否することは、賢明なことでもまた慎重なことでもないということを。

 

ラ・サレットの事件は、ある偉大さと特殊な美しさをもって行われた。前代未聞の苦難を予告しつつ涙を流された聖母は、牧童のメラニーとマキシマムの口を通じて、私たちにお話になった。「ずっと以前から、あなたたちのために、私たちは苦しんでいます」と。こうして、至福者の苦しみという問題が提起されたのである。

 

「ラ・サレットで泣きたもう、すべての者が至福なる女性と呼ぶべき御者は。聖母はおのれのみが泣き得るかのように泣きたもう。秘密のお告げの中で数え上げられたあの不正のすべてとその各々の上に、無限の涙を注いで泣きたもう。そうして、聖母は、至福のただ中に至りたもう。理性はそこでは停止される。苦しみそして泣く至福。これは理解することができるだろうか?十全で絶対的なキリスト教をその輝きのうちにわれわれに告げる働きは、一人の羊飼いの娘にーー人間的な知識はなにももたず、教養としては天使の小学校で受けることができるもの以外には持たない一人の子供に予定されていたのである」*3

 

至福のうちにおける苦しみ、神ご自身の苦しみというこの問題は、ブロワによって、『ユダヤ人による救い』の中ですでに提出されていた。神学もアリストテレスも、この苦しみと至福との結合を認めてはいない。至福とは絶対的な充満であり、苦しみとは傷つけられたものの嘆きである。

 

しかし、私たちの神は、十字架につけられた神である。奪われ得ぬ至福は、恐れ、うめき、言い難き苦悩の血の汗を流し、十字架上で嘆き、自分を見捨てられたものと感じることを、神に禁じなかった。「理性と呼ばれるにふさわしいものに対する想像し得る一切の強姦を、苦しむ神はお受けになることができる」と、レオン・ブロワは『救い』の中で言っている。

 

一個の被造物にとって、苦しむことができるということは、ある現実的な完全性である。それは、人生と精神の特性であり、また人間の偉大さである。

 

「人は神にかたどって創られたと教えられているのだから、測り得ぬ本質〔神〕の中には罪なきわれわれ人間に応ずるなにかが存在するはずである。また、人間の苦しみの悲しむべき一覧表は、光〔神〕のいいがたい騒乱の暗い反射に他ならないとあっさり推定することは、それほど困難なことだろうか?」*4

 

苦しみは、その概念自体のうちに、ある不完全さを含んでいるから、それは、「測り得ぬ本質」に付与され得ないものである。けれども、どんな人間的な名も与えることができない形のもので、苦しみの中には、創造主の苦しみのうちの一切の神秘的な完全性が存在する、としてはならないだろうか。

 

あの「光のいいがたい騒乱」、この種の苦しみの栄光、これこそ、おそらくは、地上においては罪なきものの苦しみ、幼子の涙、過度な辱めや悲惨などに対応するものなのである。「人が神について愛をこめて語るとき、人間のいっさいの言葉は、砂漠の中で泉を求める、盲目の獅子に似る」*5

 

6月24日、私たちはラ・サレットへの途についた。車は、二頭の馬と二頭の牝らばにつながれていた。私たちは、急な、そしてたいへん危険だという道を登っていった。この道はそのころはまだ嶮しかった。たしかにこの道は天国の門のように狭かった。左手には無限の絶壁、右手には深淵。あたたかく快かった。大気はすばらしく澄んでいた。自分たちが天にほど近い、高みに隠された地上の天国の巡礼者であるような気がした。

 

26日の夕方7時、ついに到着。おおなんという孤独。なんという静寂さ。子供たちが泣きたもう聖母を、立ってかれらに語りかけたもう聖母を、そして天に引き上げられてゆく聖母を見たその場所に、三つのブロンズ彫像が置かれている。

 

この深い静修のうちで、私たちは、グルノーブルで受けることになっている堅信の秘蹟の準備をした。ラ・サレットをくだり、私たちは、ヴァルセスにあるテルミエ家で数日を過ごした。7月6日、私たちは堅信を受け、8日にパリに帰ってきた。

 

ー終わりー

 

*1:

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Raïssa Oumansoff Maritain (1883-1960). ロシア生まれのユダヤ人カトリック女性思想家。十歳の時、家族と共にフランスに移住。ソルボンヌ大卒。哲学者ジャック・マリタンの妻。

*2:管理人注:

*3:『メラニーの自伝』レオン・ブロワの序文

*4:『ユダヤ人による救い』

*5:『ユダヤ人による救い』