巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

主よ、よるべない幼子たちの命を守り、この子たち一人一人を憐れんでください。

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出典

 

昨日、公立の子供病院の病棟で4才になるアフガン難民の男の子と話をしました。母親はすでに父親とこの子の元を去ってどこかに消え、病院にこの子を連れてきた父親も4-5日前に姿を消してしまったとのことでした。つまり、この子は捨て子になったのです。

 

二日前の夕方、病室に入った時、この子は土足のまま、枕の方に足を投げ出し、うつぶせになって死んだように寝ていました。テレビのアニメ番組もつけっぱなしになっていました。

 

もしも母親がいたら、靴をぬがせ、抱きかかえて体の向きを変えてあげ、冷えないようにシーツをかけてあげていたことでしょう。そして脇に座って、体温計で熱を計ったり、汗をふいてあげたり、食べ物を食べさせてあげたりしていたことでしょう。

 

テレビの雑音、枕の上に投げ出された靴足、蒸し暑く薄暗い病室ーーそれらすべてが、捨てられた子供の悲劇を物語っているかのようでした。

 

この子は幼いながらも、両親が自分を置き去りにしてどこかに行ってしまったという事実を彼なりに把握していました。4才にして、祖国を失い、家を失い、親に捨てられ、天涯孤独の身となったAくんの小さな胸の中で、いったい今何が起こっているのかと思うと、哀れで可哀想でどうしようもありませんでした。

 

さまざまな事情や環境の下、今日も世界中でAくんの悲劇が起こっています。弱く、他者に完全依存しなければ生きてゆくことのできない小さな命が、胎の中で殺され、家庭内で虐待され、路上に捨てられています。ドストエフスキーは、イワン・カラマーゾフの口を通し、そういった子供たちの苦しみと人間の罪を次のように語っています。

 

「五つになる小っちゃな女の子が両親に憎まれた話というのがある。その両親は『名誉ある官吏で、教養ある紳士淑女』なんだよ。僕はいま一度はっきり断言するが、多くの人間には一種特別な性質がある。それは子供の虐待だ。しかも、子供に限るのだ。

 

他の有象無象に対するときは、最も冷酷な虐待者も、博愛心に富み、教養の豊かなヨーロッパ人でございといった顔をして、いやに慇懃で謙遜な態度を示すけれど、そのくせ、子供をいじめることが大好きなんだ。この意味において子供そのものまでが好きなのだ。

 

つまり、子供のがんぜなさが、この種の虐待者の心をそそるのだ。どことして行く所のない、誰ひとり頼る者もない小さい子供の、天使のような信じやすい心ーーこれが虐待者の忌まわしい血潮を沸かすのだ。

 

あらゆる人間の中には野獣が潜んでいる。それは怒りっぽい野獣、責めさいなまれる犠牲者の泣き声に情欲的な血潮をたぎらす野獣、鎖を放たれて抑制を知らない野獣、淫蕩のためにいろいろな病気ーー足痛病だとか、肝臓病だとかに取っつかれた野獣なのだ。

 

で、その五つになる女の子を教養ある両親がありとあらゆる拷問にかけるのだ。自分でも何のためやらわからないで、ただむしょうに打つ、たたく、蹴る、しまいには、いたいけな子供の体が一面、紫色になってしまった。しかるに、やがてそれにもいや気がさしてきて、もっとひどい技巧を弄(ろう)するようになった。

 

というのは、実に寒々とした厳寒の季節に、その子を一晩じゅう便所の中へ閉じこめるのだ。それもただ、その子が夜中に用便を教えなかったというだけの理由にすぎないのだ(いったい天使のような、無邪気にぐっすり寝入っている、五つやそこいらの子供が、そんなことを知らせる知恵があるとでも思っているのか)、そうして、もらしたきたない物をその子の顔に塗りつけたり、むりやりに食べさせたりするのだ。しかも、これが現在の生みの母親のしわざなんだからね!

 

この親は夜中にきたないところへ閉じこめられた哀れな子供のうめき声を聞きながらも、平気で寝ていられるというんだからな!おまえにわかるかい、まだ自分がどんな目に会わされているかも理解することができない、小っちゃな子供が、暗い寒い便所の中でいたいけな拳を固めながら、痙攣(けいれん)に引きむしられたような胸をたたいたり、邪気のないすなおな涙を流しながら、『神ちゃま』に助けを祈ったりするんだよーーえ、アリョーシャ、おまえはこの不合理な話が説明できるかい。

 

僕の弟で、親友で、神聖な新発意(しんぽち)のおまえは、いったい何の必要があってこんな不合理が創られたものか、説明できるかい!この不合理がなくては人間は地上に生きて行かれない、なぜなら、善悪を認識することができないからーーなどと、人はよく言うけれど、そんな代価を払ってまで、ろくでもない善悪を認識する必要がどこにあるんだ?

 

認識の世界全体をあげても、この子供が『神ちゃま』に流した涙だけの価もないではないか。僕は大人の苦悩のことは言わない。大人は禁断の木の実を食ったんだから、どうとも勝手にするがいい。みんな悪魔の餌食になってしまったってかまいはしない、僕がいうのはただ子供だけのことだ、子供だけのことだ!」*1

 

「主は寄留の他国人を守り、みなしごと、やもめとをささえられる。」(詩篇146:9)

 

主よ、世界中にいるみなしご、胎児、捨てられ見放され孤独に苦しむすべての人々に目を注いでくださり、彼らの命をお守りください。そして彼らをいたわり愛し慈しむ助け手を彼らの元に遣わしてください。イエス・キリストの御名によって、アーメン。

 

ー終わりー

 

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*1:ドストエフスキー/ 中山省三郎訳『カラマーゾフの兄弟』第五編Pro et contra, 四、謀叛