巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

迷い子仲間を見つけた。

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迷い子たち

 

目次

 

ロフトン師の遍歴

 

マイケル・ロフトン師(1984~)が、ローマ・カトリック教徒であり、同時に東方正教徒であることを最近知りました。

 

彼は、International Christian Embassy Jerusalemの役員である両親の元に生まれ、2歳の時に家族で米国からエルサレムに移ります。

 

4歳の時に両親が離婚し、幼い彼は母親と共に米国に引揚げました。7歳の時、母親がキリスト教からユダヤ教に改宗し、ユダヤ教の男性と再婚します。そしてマイケルは母親と継父と共に再びエルサレムに移り、今度はユダヤ教徒の子として育てられます。イエスに対する憎悪心というものもこの時期、教えられました。

 

12歳の時、家庭の事情で今度は実の父親と暮らすことになり、米国に再び戻ります。当時、父親は無教派のカリスマ派信者になっており、米国到着後、彼は再びキリスト教徒として父親と一緒にカリスマ派の教会に通い始めます。

 

高校卒業後、NYに行き、やくざな放蕩生活を始めますが、22歳になり、自殺願望に苦しむ中、ある無教派の路傍伝道者(かつて二人の人を殺し獄中で回心した元服役囚)の説教を聞き、劇的な新生体験をしました。

 

その後、結婚し、南部バプテスト教会に通いつつ、熱心に信仰生活を送り、教義や神学、教会史の学びに専念します。南部バプテスト時代にカルヴィニズム五教理を受容します。

 

それと同時に娘の誕生を機に洗礼の教理について調べ始め、幼児洗礼の正当性を確信し、バプテスト教派を去り、改革派長老教会に移ります。その後、信仰義認論、正典の研究から、次第にカトリック・東方正教の立場の方にシフトしていきます。*1

 

2012年、多くのプロセスを経た後、ロフトン師は秘跡的にアングリカンOrdinariateを介し、ローマ・カトリック教会に受け入れられ、それと同時に、米国ギリシャ正教管轄区を介し、東方正教会にも受け入れられました(!)。

 

現在の時点で彼は、土曜夜、ローマ・カトリック教区のミサに与り、日曜の朝は東方正教教区のDivine Liturgyに与っているそうです。どのような経緯で二つのコミュニオンに同時に受け入れられるに至ったのかについては後日、証のビデオを作成するとのことでした。

 

私はこの広い世界の中に、自分と同じように一生懸命努力しても、教派の規定スペースにどうしてもきちんと収まることができないでいる不格好な仲間がいることを知り、胸がじーんとなりました。そしてそういう人にも神の御配慮により、ある種の〈特製ホーム〉が提供され得るのだということを知り、希望が与えられました。

 

東西の亀裂についてロフトン師は言っています。「結局、大シスマは決して起こるべきではなかったと思いますし、カトリックと正教徒は本来ならすでに互いの間にコミュニオンがあって然るべきであり、それが遅滞している理由は、真の本質的相違というよりはむしろ、両陣営のヒエラルキー側の罪ゆえだと思います。(オリエンタル正教と東方正教の間の相違点のように。)でも、私は全ての方々が自分に同意することは期待していませんし、これはただ私の私見なので、同意されなかったとしても全然かまいません。」

 

そしてロフトン師は、東か西かを是が非でも「選択」しなければならない信徒たちの状況を、不幸な家庭に譬え、次のように表現しておられます。

 

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出典

 

「信徒たちは、両親の仲がうまくいっていないので苦しんでいます。それは譬えていうなら、互いにいがみ合い、仲たがいしている父親と母親が自分の子供たちに、『さあ、パパかママかの、どちらかを選びなさい』と強要しているようなものだと思います。拙見では、信徒たちは本来、どちらかを選ばなければならないという状況を強制されるべきではないと思います。だから私は、西に改宗した人に対しても、東に改宗した人に対しても非難・攻撃をしていないのです。」

 

あの方は『J 牧師』ではなく『J 神父』なのです!

 

この前、ある東方正教会のDivine Liturgyに参加しました。一番後ろの席に座り、隣に座っていた年配のご婦人に、「祭壇の前に立っておられるのは J 神父ですか?」と訊ねました。

 

しかし、初めての場所に不慣れで緊張していたので「J 神父」と言うべきだったのに間違って「J 牧師」と言ってしまいました。(*カトリック教会/正教会では「~~神父」という名称が使われ、プロテスタント教会では「~~牧師」という名称が使われます。)

 

Divine Liturgy後、J 神父とお話しようと思って一番前の席に座り順番を待っていた所、先程の年配のご婦人が一番後ろの席から私の所までわざわざ来られ、ぴしゃりと次のようにおっしゃいました。

 

「先程、あなたは『J 牧師』と言いましたね?いいですか?ここはカトリック教会ではなく、正教会です。ですから、あの方は『J 牧師』ではなく『J 神父』なのです。」

 

これを聞いた瞬間、どっと疲れが押し寄せてきました。Enough is enough、もうこういうの本当にこりごり、どうか勘弁してほしいと泣きたくなりました。

 

教義研究の難しさもさることながら、西と東の間で私を最も疲労困憊させたのが、いわゆる「敬虔」な人々の間の肉的派閥意識といがみ合いでした。

 

私たち人間は、不確かな二次情報でもって、いかに確信に満ち、他者を裁断する存在であるかと愕然とさせられます。自分も決してその例外ではないと思います。この老婦人はおそらく生涯で一度も生身のカトリック教徒と交わったことはなく、カトリックというのは一種の「仮想敵」として彼女の心の中に深く植えられてきたのかもしれません。

 

だからこそこの方は、「J 牧師」という(プロテスタント用語を)聞いて、とっさに「カトリックだ」と(間違って)連想し、西方的・異端的言葉遣いをした私を、彼女なりの正義感と善意の内に、矯正しなければならないとお思いになったのかもしれません。

 

Nones(ノンズ)

 

最近、「Nones(ノンズ)」と呼ばれるいかなる既成宗教にも属さない宗教フリーター的な若者たちが増えていると聞きますが、これらの悲しい経験を通し、なぜ無教派(non-denominational)やイマージングやノンズといった信心のあり方が若い人々の間で受け入れられているのかということが実感としてなんとなく分かるようにもなりました。

 

「ねえ、細かい教義のことでがみがみ互いにいがみ合うの、もういいかげんやめようよ。」といったげんなり感があるのかもしれません。

 

また、無神論者のサム・ハリスが指摘し、ロバート・バロン司教も認めているように、確かにクリティカルな自己批判のない独断的信心から生み出される頑迷さ(「批判的理性を脇にやり、権威主義を受容する宗教志向」)に反省が加えられるために、私たちは「啓蒙主義の光明のいくつかを必要としていた*2」のかもしれません。その部分を私自身も率直に認めたいと思います。

 

non-polemicalに、且つ、相手と向き合ってとことんディスカッションする

 

その意味でも、三十代のマイケル・ロフトン師が始めたReason and Theologyというチャンネルは、そういったポスト近代の新しい時代局面に敏感に対応し、「交差圧力」の中で彷徨うミレニアルズ世代の求道者たちの知的・霊的葛藤に共にタックルしていこうという積極的取り組みだと私は高く評価しています。感謝します。

 

reasonandtheology.com

 

ー終わりー

 

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