巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

嗚呼、ビザンティン・カトリック教会!

前記事〕からの続きです。

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出典

 

目次

 

御父のモナルキア

 

ペルガモン府主教であるジョン・ズィズィウーラスのPersonhood理解について調べていた際に、私は思いがけずそこにフィリオクェ問題に関した言及をみかけ、はっと息を飲みました。そこには次のような事が書かれてありました。

 

 「仮にズィズィウーラスの分析が正しいとするのなら、神的モナルキア*1に関する決定的重要性に関しなぜ正教がかくまで力点を置いているのかをよりよく理解できると思います。 

 

 それは、自然の必然(necessities)の上に存在する神の自由を保証し、無限にして永遠なる愛のうちにおける三位一体の一致を確立します。それゆえ、正教は、フィリオクェ問題に関し断固として妥協することを拒んでいるのです。

 

 神格には単一原因(one cause)しか存在し得ません。ーーそれは父なる神です。『御父は御子および御霊の源である』と単に是認するだけでは十分ではなく、『御父は単一にして唯一の始原因(initiating cause)である』と宣言することもまた必要です。

 

 『原因という語が、御父に適用されるとき、それは自由にして、自発的、そして人格的主体を指し示しています。一方、源とか原則とかいった言語は、より自然的、ゆえに非人格的心象を伝えていると言えます。*2』 

 

 三位一体神に関する教会の形成過程をいかに発展させるにしても、私たちは、御父のモナルキアを破棄したり、それに妥協を加えたり、あるいは軽視したりすることはできません。」*3

 

ズィズィウーラス府主教の三位一体論における人格(Person)と本質(Essence)理解は複雑で論争を呼んでいることも多少知っていますが、その部分を差し引いたにしても、それでもやはりキメル神父が解説しておられるように、御父のモナルキアという真理をないがしろにすることはできず、それゆえ、その部分に深く関係している御霊の発出源(フィリオクェ問題)をアディアフォラな事項として軽視することはできないーー、そう思いました。*4

 

またそれと同時に、フィリオクェをどう捉えるかという事と、ビザンティン・カトリシズムをどう捉えるかという二つの事項が不可分なものとして自分の中で認識されていくようになりました。

 

ある神学生の苦悶の告白

 

そんな折、米国の神学生の方からメッセージをいただきました。アメリカ東海岸の州に住むこの方は、20年以上前にプロテスタンティズムを離れ、しばらくの期間、東方正教会で求道生活を送った後、東方典礼カトリックに改宗されたそうです。

 

そして現在、司祭になる準備過程としてカトリック神学校に在籍しておられるとのことでしたが、彼は次のように苦悶の情を打ち明けてこられました。

 

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 「もしローマ・カトリシズムが真であるとお考えなら、ビザンティン・カトリックに改宗なさってください。なぜこういう表現をしたかと言いますと、ビザンティン・カトリックというのは、『ローマとコミュニオンにあるオーソドックス("Orthodox in Communion with Rome")』だからです。

 

 さてそれでは『ローマとコミュニオンにあるオーソドックス』とは厳密に言って何を意味しているのでしょうか。『コミュニオンにある』というのは、教義の諸教説(例えば、無原罪の御宿り、煉獄、贖宥状、功績の宝庫など)に対する完全なる合意を意味しています。それゆえに、私たちは、『コミュニオン』(すなわちエウカリスチア)をプロテスタント教徒の方々には提供していないのです。なぜなら私たちは教義的に、プロテスタント教徒と一致(合意)の関係にはないからです。*5

 

 米国では、この『一致』というのは瞬く間に、『ビザンティン・カトリック教徒はローマ・カトリック教徒のように振る舞い、信じるべきである』という要求を意味するものとなっていきました。イコノスタシスが取り除かれ、Divine Liturgyの前に大きなスピーカー音でロザリオの祈りが放送されていたりしている諸教区を私は目の当たりにしてきました。

 

 会衆席には未だにフィリオクェ条項つきの信条文が掲載された本が置いてあったりもします。またつい最近まで米国では司祭が妻帯することは禁じられていました。そして今日に至るまで、『ローマとコミュニオンにあるオーソドックス』として私が本来保持して差し支えないとされている正教神学の諸立場を言明する際、ローマ・カトリックの友人たちは『あなたはローマ・カテキズムが教えている教義内容を信じなければならない』と非難してきます。

 

 他方、もしあなたがーーかなり異なる二つのものに同時にならんとするーー信仰の〈精神的ゲーム〉をしたくないのなら、私はむしろあなたに正教に向かうようお勧めします。

 

 神学校に入ってから私はこういった諸事実を知るようになりました。そして現在、ビザンティン・カトリック教徒としてとどまり続けることに非常に非常に困難を覚え、苦しんでいます。返す返すも、私が改宗の可能性を考えていたプロテスタント教徒だった20年前のあの時、正教司祭D神父が3時間ほど自分のために時間を割いてくれていたら、、そして今になって知るに至ったこれらの内容をあの時自分にしっかり伝えてくれていたら、、と悔やまれてなりません。

 

 もしD神父があの時私に真実をまっすぐ語ってくれていたら、現在私が通らされている悲嘆から免れられていたかもしれません。しかし誤解しないでください。どの教派にも本当に数多くの敬虔ですばらしい信仰者の方々がおられ、それらの方々の多くは私などよりもはるかに深くイエスのことを愛しています。ですから私が申し上げていることは個々人に対する非難ではないのです。そうではなく、これは、私の個人的良心の葛藤、そして過去20年に渡り東方典礼カトリック教会で私が見聞し学んできた事柄に関する葛藤の告白なのです。」

 

ーーーーーー

「異なる二つのものに同時にならんとするーー信仰の〈精神的ゲーム〉をしたくないのなら、、」彼のこの言葉は私の心を刺しました。この半年、自分の中にくすぶり続けてきた、なにか腑に落ちない、漠然としたもやもや感が、この神学生の告白文を通し、明確に文字化された気がしました。

 

同時にその時、私の洗礼の教母(ゴッドマザー)になってくださる予定であった東方典礼カトリック教会のシスター・Sの慈愛に満ちたお顔が浮かびました。年老いたシスターは目に涙を浮かべ、カトリック教会にまさに参入しようとしていた私を抱きしめてくださったのです。

 

うずくまり、私はすすり泣きました。

 

友に電話し打ち明ける。

 

その後、私はスイスにいる姉妹に電話をし、次のように打ち明けました。

 

 「当初、自分のように西か東か決めかねている人にとっては、ビザンティン・カトリックという中間地帯は、探求と信仰生活の場として最もふさわしいホームなのではないかと思ったの。この地帯にはL姉*6を初めとし多くの思慮深く敬虔な信仰者がいることも分かった。

 

 私にはビザンティン・カトリシズムの是非を云々できるような知識も経験も権威もない。ただ何というか、ここのセクターは一種の『応用編』なのかもしれないって思うの。つまり、東西の教義両方を十分に熟知した上であえてその微妙な中間地帯にとどまる、というスタンスの人にはもしかしたらここは良い場所なのかもしれない。でも私のような新参者にはむしろハードルが高い。

 

 『包括的』という表現がその人の中で可能であるためには、まずは包括されている個々のAやBの本質が何かをよく知らなければならないと思う。でも制度としてのビザンティン・カトリシズムにおいては、‟A & B”という回答及びその保持が先にあるので、むしろ自由な探求がしにくいことに気が付いた。

 

 だから、他の方々はまた違うのかもしれないけれど、少なくともあの神学生や私のようなタイプの探求者には、ビザンティン・カトリシズムではなく、むしろ、伝統的ローマ・カトリシズムか、あるいは東方正教か、そのどちらかに向かう方が精神衛生上、そして信仰の成長のためにも良いのかもしれない。」

 

おわりに

 

本来、「包括的」に受容可能なはずの諸立場を、人間の狭量さや誤解や分派・派閥意識により「包括的ではあり得ない」と独断することが御心に外れた行為であるのと同様、本来「包括的」ではあり得ない和解不可能な諸立場を表層的寛容精神により、無理に「包括化」させようとすることもまた、御心に外れた行為だと思います。でもその見極めはなんと難しいことでしょうか。

 

キリストにある愛と一致を求める心は「包括性」への欣求を放棄し能わず、同時に、真理へのコミットメントと探求は人をして、表層的一致の欺瞞を拒絶せしめます。果てしなきその相剋ゆえに、個人は、そして教会は今日に至るまで産みの苦しみをしているのかもしれません。

 

御心がなりますように。

 

ー終わりー

*1:monarchyの訳語の例:独一性、単一根源、単独支配、独元、源泉の一性、専制君主制、唯一源初、唯一原因性

*2:Zizioulas, “One Single Source”

*3:Fr. Aidan Kimel, The Importance of the Monarchy of the Father according to John Zizioulas

*4:

A. Edward Siecienski, The Filioque: History of a Doctrinal Controversy (Oxford Studies in Historical Theology), 2010

 

*5:関連記事

*6: