杜若(かきつばた)の花が一面に咲いている。
ーー葛飾北斎、三河の八ツ橋の古図(出典)
現在の自分の信仰的立ち位置をどのように言い表せばよいのだろうと考えていて、ふいに「脱藩浪人」ならぬ「脱藩浪女(dappan wanderer)」という言葉を思いつき、心なしかホッとした気持ちになりました。
昔からさまざまな事情で、自分の属していた藩を離脱しなければならなくなり他国をあてどもなく流浪する「浪人たち」がいたそうですが、幕末にはこういった脱藩者たちは「志士」とも呼ばれていたようです。調べてみると、坂本龍馬、吉田松陰、中岡慎太郎なども脱藩者だったと書いてありました。なんでも高杉晋作にいたっては、長州藩の処罰が甘かったこともあり、5回も6回も脱藩したそうです。
「でも高杉晋作が脱藩して浪人になったからって、それがあなたの教派問題と何の関係があるの?」と言われればたしかにそれまでなのですが、なんとはなしに、彼らの流浪状態と自分のそれとが重なって、それで親近感を覚えているのかもしれません。
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しかし私の脱藩は、‟自由なステータス”を求めての積極的離脱ではなく、むしろ探求の結果として引き起こされた苦渋の決断によるものでした。
ですから「尊王攘夷運動が高揚し、自由に行動するため他家への仕官を前提としない脱藩を行なった」幕末の浪人(志士)たちとは異なり、私の場合は、脱藩後、一日も早くどこか他家に落ち着き、そこで仕官したいという強い願いを持っていました。つまり、私の中に ‟浪人志向” はこれっぽっちもなかったということです。
ジレンマに遭遇する
しかし他家に一日も早く落ち着こうとあがけばあがくほど、事態はより一層混沌としたものになるというジレンマに私は直面しました。つまり、こういうことです。
「脱藩する」という行為も、「浪女(wanderer)である」という状態も共に、〈非日常なるもの〉です。さて、その人が他藩帰属を求め全国を行脚する中で気づくのは、各藩には(一種閉じられた形での)大いなる〈日常〉が拡がっている、ということです。実際、〈日常〉の持つ有意義性や閉鎖性は、〈日常〉を失ってみて初めてよりよく実感できるのかもしれません。
各藩は、通常、藩主を中心にまとまっており、その中で民は特に疑問を抱かず信仰生活を営んでいます。そして藩の泰平は、〈日常性〉の維持と深く結びついています。おそらくですが、浪人が浪人でなくなるのは、浪人の〈非日常性〉が、藩の泰平の〈日常性〉の中にすっぽり包み込まれ、〈日常性〉の海の中に溶解するとき生じるのだと思います。
しかしながら、社会学者チャールズ・テーラーのいういわゆる〈交差圧力〉により、現代社会においては、浪人たちの〈日常性〉への溶解プロセスが以前より困難になってきていると思います。
私は諸藩を行脚し、求道しながら、それぞれの藩主にこう尋ねたのです。「あなたの治める〇〇藩はどういう意味で合法的なのでしょうか。△△藩は〇〇藩のことを非合法的と言っています。ですから、〇〇藩に帰属することがほんとうに御心であるという確信は、それの持つ正統性および合法性の有無の問題と切っても切れない関係にあると思います。」
しかしまもなく私は、「この種の問いはもしかしたら各藩の藩主たちにするべきものではないのかもしれない」と反省し始めました。というのも、そこに藩主が「いる」という事自体が、その藩の合法性および正統性を前提としない限りあり得ないからです。
「いやぁ~、うちの藩の合法性はちょっと微妙でねぇ~。」と言っているようでは藩主の役目は到底務まりません。「体制維持」という言葉はしばし否定的なニュアンスで用いられますが、良い藩主、良い牧者の一つの役目は、まさしくこの「体制維持」ーー〈日常性〉の保持ーーにあるのではないかと思います。
(*循環的になりますが、彼が保持しようとしているその「体制」が合法的であるか否かはまた別の問題です。)
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「それじゃあ、誰に自分の悩みを打ち明ければいいのだろう?」道中、ぽつんとつっ立っていた私の眼の先に、しだいに新しい光景がみえてきました。
今までよく気づかなかったのですが、周りを見渡してみると、意外に ‟浪人がかった”人たちが、ここそこに蠢(うごめ)いているのです。そういう人は、藩の中にきちんとおさまっている場合もあれば、路傍やボーダーラインにいる場合もあります。群れとして存在している場合もあれば、一人でいる場合もあります。戸籍上はある藩に登録されているけれども、精神的にはすでに「脱藩」してしまっている人もいました。
類は友を呼ぶといいますが、いつしか私の中で、‟浪人がかった” 同志をかぎわける不思議な勘が育っていきました。
兄エサウの報復を避けるべく家を経ち、旅びととなったヤコブはある夜、石を取り、それを枕にして横になりました。そしてその夜、彼は神の使いたちが天にまで届くはしごを上り下りしている夢をみ、主の御声をききました(創28章)。
息子アブシャロムの謀反にあい、逃行するダビデはオリーブ山の坂を登りました。「彼は泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った」(2サム15:30a)と記されてあります。安定とはほど遠い、〈非日常性〉の極みがそこにあります。
後に神は再び彼らに安定と日常性を賜わります。ですが彼らは泣きながら路傍を彷徨った浪人の日々を決して忘れなかっただろうと思います。ダビデは特に、苦境にあったこの時期に自分と共にいてくれた仲間たちに後々まで感謝の意を表しています。
今、この記事を共感をもって読んでくださっている読者の方がおられるのでしたら、あなたと私の間にはすでに目に見えない紐帯、そして一種の同志愛のようなものが生じているのかもしれません。もしそうだったら、その一事実のゆえだけでも、私は自分がこの時期、脱藩浪女の境遇になったことを神に感謝したく思います。
ー終わりー