巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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ジョージ・オーウェルと『1984年』ーーいかにして自由は死に絶えていくのか

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《刑務所の中庭(囚人の運動:ドレを模して)》。画家のフィンセント・ファン・ゴッホ によって制作された作品。制作年は1890年から1890年。出典

 

目次

 

George Orwell and 1984: How Freedom Dies, Academy of Ideas, 2017(全訳)

 

ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』

 

ジョージ・オーウェルの著作集の人気はここ数十年、急激に高まってきていますが、その理由は簡単です。現代社会が、オーウェルの代表作『1984年』の中で描かれているようなディストピア(反ユートピア)と化してきているからです。

 

それが監視社会であろうと、絶え間ないプロパガンダ使用であろうと、永続的戦争であろうと、政治指導者たちのパーソナリティー崇拝であろうとーー、多くの人がオーウェルの小説を予見的なものとみなしていることは驚くに値しません。

 

とはいえ、西洋は依然として、『1984年』的ディストピア社会よりもずっと自由です。しかし、自由社会を望む者にとり、現行の風潮は不吉なものです。実際、オーウェルは、彼が小説の中で風刺していた型の全体主義体制が西洋の将来であり、それが起こることはもはや避けられないだろうとまで言っていたのです。*1

 

「ほぼ確実にわれわれは全体主義的独裁の時代へと突入しつつある。」*2

 

本稿において私たちは、オーウェルを悲観させていた諸原因ーー特に、「集産主義(collectivism)」への動きおよび、「快楽主義(hedonism)」の勃興ーーこの二つの潮流を詳しくみていきたいと思います。

 

集産主義(collectivism)

 

集産主義というのは、一つのドグマ、もしくは一式のイデオロギー群です。この体系の中にあっては、集産ーー例えば、国家や社会ーーの目標が、個々人の目標に優先されます。社会主義、共産主義、ナショナリズム、ファシズムは皆、集産主義的イデオロギーです。

 

全体主義勃興の前条件は、集産主義的社会構造の出現であるとオーウェルは考えていました。なぜなら、これにより、全的社会統制を執行する際に必要とされる権力集中化が可能とされるからです。

 

しかしながら「全体主義」と「集産主義」を関連づけるオーウェルの見解は不可思議なものに映るかもしれません。というのも、彼は頑強なる左翼人、資本主義批判者、社会主義者だったからです。

 

社会主義、集産主義的イデオロギーを好んでいた人が、一体なぜに、集産主義的社会をあれほど酷評するような反ユートピア小説を書き得たのでしょう。彼のこの立場を理解するために、まずオーウェルが、資本主義のことを ‟実行不能な体系” だと捉えていたという点を押さえる必要があります。

 

「社会主義があらゆる面に渡り資本主義に優っているかといえばそれは確かではない。だが、資本主義と違い、社会主義は生産および消費に関する諸問題を解決することができるという点は確実だろう。」*3

 

オーウェルの頭の中では資本主義というのは相当に不適切な体系であったために、当時の左翼人の多くと同様、彼もまた、「資本主義は今や臨終にあり、まもなくそれはある種の集産主義に取って代わられるであろう」と考えていました。それは彼の中では避けられないことと映っていました。ですからオーウェルにとっての焦眉問題は、いかなる種類の集産主義が実施されるようになるのかという点にあったわけです。

 

「ここで問われるべき真の問いは、、、今や確実に終焉に近づきつつある資本主義が、少数独裁制〔全体主義〕に道を譲るのか、それとも、真のデモクラシー〔民主的社会主義〕に道を譲るのか、という点にある。」*4

 

民主社会主義(democratic socialism)

 

すぐにも資本主義が消滅すると推測していたオーウェルは、民主社会主義(democratic socialism)が西洋で採用されることを望んでいました。オーウェルを始めとする民主社会主義者たちは、中央集権的計画経済、あらゆる主要産業の国営化、富の不均衡における抜本的平均化を主張していました。彼らはまた、言論の自由集会の自由などの市民的自由の積極的支持者たちでもあり、それらの自由が、経済的自由を大部分剥奪された社会においても維持されることを望んでいたのです。

 

しかしながら、オーウェルやその他の社会主義者たちが直面せざるを得なかった問題は、模範事例の欠如でした。過去においても現在においても、民主社会主義を成功裏に採用できた国はこれまでありませんでした。

 

さらに悪いことに、ーーナチツ・ドイツやソビエト・ロシアといったーー20世紀前半に集産主義に転じた諸国家はますます全体主義化しつつありました。彼らは民主社会主義ではなく、オーウェルが少数独裁制集産主義(oligarchical collectivism)と呼ぶところの主義を採用していました。*5

 

Painting by Mikhail Chepik (1872 - 1920). Flowers to Stalin. 1951. Oil on canvas. Thank you comrade Stalin for our happy childhood

ソビエト連邦、スターリン(出典*6

 

少数独裁制集産主義(oligarchical collectivism)

 

少数独裁制集産主義とは、ある種の集産主義的イデオロギーの名の下に、少数のエリートが武力と策略を用い、権力を中央集権化させる体系のことをいいます。*7

 

ひとたび権力を掌握するや、少数独裁者たちは市民の経済的自由を粉砕するだけにとどまらず(この部分にはオーウェルのような社会主義者たちも賛同していました)、市民的自由をも抹殺していくようになります。

 

オーウェルは、資本主義崩壊後、西洋世界全体がおそらく少数独裁制集産主義に屈するようになってしまうのではないかと懸念していました。そしてこの懸念はある部分において、快楽主義(ヘドニズム)が西洋社会で興隆しつつあるという彼の洞察より生じてきていたのです。

 

快楽主義(hedonism)

 

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快楽主義(hedonism)は、「人生の究極的目的は、快楽の最大化および、苦痛・不快感の最小化であるべきだ」という倫理的立場のことを指します。年毎に都市化し、消費者主義化する西洋において、多くの人は自らの人生を快楽主義的様式のうちに構築しているとオーウェルをみていました。そしてこの傾向は西洋文明の自由を脅かすものであると。

 

快楽主義的ライフスタイルは人を弱体化させる、とオーウェルは論じています。それは、人々を貧弱にさせ、社会を支配せんとする狂信的イデオロギーに抵抗する力を人々から抜き取っていきます。

 

しかしオーウェルのこの憂慮は現在までのところ、現実のものとはなっておらず正当化もされていません。確かに1950年の彼の死後、西洋は多くの点で、より一層快楽主義的になってきていますが、それによって、全体主義独裁者たちが支配権を掌握するには至っていません。

 

むしろ、20世紀のもう一つ別の有名な反ユートピア小説『すばらしい新世界(Brave New World)』(オルダス・ハクスリー著)の方が、20世紀後半、21世紀前半における西洋社会の隷属状態の様をより良く捉えているといっていいかもしれません。

 

ハクスリーは、オーウェルと同様、アンチ快楽主義者でしたが、ヘドニズムに対する彼の嫌悪は、オーウェルのそれとは異なっていました。ハクスリーの主たる懸念は、「快楽主義が、社会抑圧のための効果的道具として悪用され得る」ということにありました。なぜなら、ここにおいてついに人は、‟官能的快楽や絶え間なき消費”を得るためなら自由を断念することも厭わなくなるからです。

 

人々が大部分の時間を快楽追究、物質的欠乏の満たし、現実逃避としての薬物漬け状態に投資することが可能となるべく社会が構築され得るのなら、肉体的強制よりはむしろ説得や条件付けの方が、社会に対する過激統制を執行する十全な手段であるということになるでしょう。

 

愉しみながら死んでいく』という著書の中でニール・ポストマンは、オーウェルとハクスリーそれぞれの懸念を次のように見事に対照させています。*8

 

Amusing Ourselves to Death(出典

 

 「オーウェルが恐れていたのは、本を発禁にする人々であったのに対し、ハクスリーの恐れは、禁書にする理由がどこにもなくなることにあった。なぜなら、そういった本を読もうとする人自体がもういなくなるだろうからと。

 オーウェルは、真理が私たちから隠されるようになることを恐れた。それに対しハクスリーは真理が無関心という海の中で溺死するようになることを恐れていた。

 オーウェルは私たちの社会が監禁文化になることを恐れた。一方ハクスリーは浅薄文化になることを恐れた。『一九八四年』の中で人々は苦痛を課されることにより統制されている。他方、『すばらしい新世界』の中において人々は、快楽を課されることにより統制されている。

 要するに、オーウェルは、私たちが恐れているものがやがて自分たちを滅ぼすようになることを恐れていたのに対し、ハクスリーは私たちが欲望しているものがやがて自分たちを滅ぼすようになることを恐れていたのである。」*9

 

西洋は、どちらかといえば、ハクスリーが恐れていたものに類似した状況になっているのかもしれません。だんだんと沸騰してゆく水の中に気づかずにいるカエルの如く、西洋にいる市民たちも、ますます加速化する自由への締め付けを目の当たりにしながらもほどんと抵抗らしき抵抗をすることなく、状況に飲まれていっています。

 

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出典

 

社会を隷属化せしめるべくオーウェルが必然視していた物質的強制は今までのところ不必要なものでした。しかしながらオーウェルの懸念を完全に棄却してしまう前に申しあげておきたいのは、オーウェルもまたハクスリーの見解をよく知っており、(ハクスリーが恐れていたところの)快楽主義的社会の可能性をオーウェルは否定していたわけではなかった、ということです。

 

しかし彼はそれを、ーーより残虐な政権が権力を掌握し、社会に強制させるための理想的諸状況を作り出す上での暫定的段階ーーとして捉えていました。最終的にオーウェルのその予見が立証されるのか否かは未だ分かりません。

 

ですが、前述しましたように、(オーウェルが予見していたところの)全体主義は、それがまず初めに集産主義化して初めて社会の中に出現し得るのだと彼は考えていました。ですからおそらく、彼の懸念内容の現実化を防いでいるのは、彼が信じていたようには資本主義は死滅しておらず、西洋において集産主義は未だ完成された形では出現していないからだろうと考えられます。

 

ー終わりー

*1:訳注:

*2:George Orwell, Complete Works – Volume XII

*3:George Orwell, Complete Works – Volume XII

*4:George Orwell, Complete Works – Volume XVIII

*5:訳注:

*6:Painting by Mikhail Chepik (1872 – 1920). Flowers to Stalin. 1951. Oil on canvas. Thank you comrade Stalin for our happy childhood

*7:訳注:

*8:ニール・ポストマン著『愉しみながら死んでいく』(Amusing Ourselves to Death)

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〔アマゾン、内容紹介欄より〕 

「では・・・次に。」深刻なニュースも、ゴシップネタも同列に「愉しい」ものにしてしまうTVは視聴者の思考力をどう変えたか!?わたしたちは一九八四年に注目してきた。その年が来ても、予言は実現しなかったので、思案していたアメリカ人は自分たちをたたえた。自由民主主義の根は伸びなくなっていた。脅威が存在していた場所には、オーウェルの描いた悪夢は訪れていなかった。しかし、オーウェルの暗い予言とならんで、わずかに年代が古く、わずかに知名度が低いが、同じように恐ろしい別の予言があった。ハクスリーの『すばらしい新世界』。ハクスリーの予言には、人間の自立や成長や歴史を奪うビッグ・ブラザーはいない。人間は抑圧を愛するようになり、人間の考える能力を取り戻させることのない科学技術をあがめるようになる。『一九八四年』に登場する人間は苦しみによって制御されているが、『すばらしい新世界』に登場する人間は愉しみによって制御されている。本書は、オーウェルではなくハクスリーが正しかった可能性についての本である。N・ポストマン。

出典

*9:Neil Postman, Amusing Ourselves to Death: Public Discourse in the Age of Show Business