巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

倦まずたゆまず

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丸山眞男文庫の資料群(出典

 

ETV特集で丸山眞男(1914-1996)の生涯を追ったドキュメンタリーを観ました。丸山眞男は戦後日本を代表する政治思想学者の一人です。*1

 

「無限に国家権力が精神の内面に土足で入ってくる」

 

敗戦直後の1946年、丸山の論文「超国家主義の論理と心理」が『世界』5月号の巻頭に掲載されました。日本のファシズムを分析した32歳若手学者のこの論文は大きな反響を呼びます。

 

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出典

 

上からの抑圧を下の者を抑圧することで順次移譲し、組織全体のバランスを維持していく「抑圧の移譲」。この抑圧移譲の構造は、軍隊だけでなく、国家秩序の至る所にあった、と丸山は指摘しています。

 

「誰も主体的な責任意識のないまま戦争をしていた。我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでのところ、何処にも見当たらない。」何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するのかーー。丸山は、こうした戦時中の体制を「無責任の体系」とよび、分析することで、これを乗り越える道を切り開こうとしました。*2*3

 

新聞記者丸山幹治の次男として生まれた丸山眞男。一高時代に、父と交流のあったジャーナリスト長谷川如是閑(1875-1969)の講演に参加した際、「おい、一高、ちょっとここへ来い。」と、その場で特高に検挙されます。

 

警察署に連行され、特高の取り調べを受けるのですが、自分が左翼運動家ではないということを弁明する間もないまま、いきなり「馬鹿野郎」と殴打されます。そしてこう言われたのです。「長谷川如是閑なんていうのはな、戦争になったらすぐ殺される人間だ」と。裁判手続きもあったもんじゃない。つまり非国民、治安維持法の嫌疑をかけられたら極端に言えば、殺してもいいーー。「無限に国家権力が精神の内面に土足で入り込んでくる」と彼は表現しています。

 

丸山は写真と指紋をとられ、留置場に拘留されます。まもなく釈放されますが、その後も引き続き特高の監視を受け続けることになります。これは、丸山に「国家による思想統制」を身をもって体験させる出来事となりました。

 

昭和19年、30歳の東大助教授丸山にも召集令状が届きます。陸軍二等兵として平壌へ。教育訓練のために配属された内務班で、殴られる蹴られるの、それまでにない体験をします。入隊後2か月後、栄養失調で脚気となり入院し招集解除となりましたが、その後、再招集。

 

昭和20年3月、広島県の軍港宇品にある部隊に着任し、国際情報の収集に当たります。当時、日本人のほとんどが知りえなかった生々しい国際情報を丸山は備忘録につぶさに記録していました。そして傍受した情報から、ポツダム宣言の全文を知るに至ります。ポツダム宣言にあった「基本的人権の尊重は確立さるべし」という言葉を見た瞬間、「からだ中がジーンと熱くなった。」と彼は述懐しています。

 

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出典*4

 

ドキュメンタリーの中で、丸山眞男の書斎風景が映し出されていたのですが、私が感動したのは、机のすぐ右側の書棚に所狭しと並んでいた彼の講義用ノートでした〔3:16~〕。後から何度も書き直しながら内容を改めていった形跡がそこに映っていました。*5

 

倦まずたゆまず、真理を追い求めるーー。丸山の壮大な草稿群を目にしながら私が思い出したのは、丸山が一高時代に薫陶を受けた三谷隆正先生の精神でした。*6

 

 「人生に於いて一番貴い事は、正直である事、誠実真摯、真理を追うて倦まないこと、自己一個に屈託しない事である。道の為めの勇猛心、それにも勝って立派な力強い堂々たる偉観があらうか。

 『もはや我活けるに非ず。キリスト我に在りて活けるなり。』さう謂うことのできたパウロの総身にはどんなにか力が溢れ勇気が漲った事であらう。自己に死なんとの野心の胸中に高鳴りするを覚える時、なんだか飛び出して天下に絶叫したいやうな勇奮を余も感じる。余の野心は是以外にない、あらしめたくない。

 己を完き献物として神の聖壇に上すこと、真理の為めに一切の私を投じ尽くして了ふ事、余は是以上の偉業を考へ得ない。余は是以上の野心を持ち得ない。又持ち得たくない。」(三谷隆正『感想と祈念と』)*7

 

丸山眞男は戦中・戦後の動乱の中で、日本の政治思想という窓から、人間の本質、政治の本質、文化と思想の本質についてひたすら真理を追い求め、探求し続けました。そしてその原点には、戦前日本をファシズム体制へとつき動かしていったものは一体何であったのかという根源的問いがあったと言われています。

 

彼が生涯をかけて追及したその問いはまた、現代に生きる私たち一人一人にとっての問いではないかと思います。過去の失敗を繰り返さないためにも、私たちは先人たちの歩みから多くを学ぶことができると思います。

 

ー終わりー

*1:ETV特集 丸山眞男と戦後日本 第二回 1996.11.19 - YouTube.

*2:参照。それから丸山眞男著『軍国支配者の精神形態』も参照。(丸山眞男セレクション〔平凡社ライブラリー〕)

*3:「日本精神史という範疇は、やがて日本《精神史》から《日本精神》史へと変容し、おそろしく独断的に狂信的な方向を辿ったことは周知のとおりである。・・日本思想論や日本精神論が江戸時代の国学から今日まであらゆるヴァリエーションで現れたにもかかわらず、日本思想史の包括的な研究が日本史いな日本文化史の研究に比べてさえ、いちじるしく貧弱であるという、まさにそのことに日本の「思想」が歴史的に占めてきた地位とあり方が象徴されているように思われる。・・・つまりこれはあらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係でーー否定を通じてでもーー自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった、ということだ。」丸山眞男『日本の思想』より

*4:社会とか人類とかいったって、つきつめて行けば具体的感覚的な人間の集まりなので、その具体的人間以上の超越的価値を認めない立場からは、エゴイズムを徹底的に否定する事は困難である。言語に絶する窮乏と迫害をくぐりながら、その苦しみが同時代の人によって全く評価されず、一生を革命の捨石として無名のうちに終わらなければならぬというような場合、一切の安易な道をふりきって、それに飛び込むような精神というものは、決して単なる科学精神や歴史的必然性の意識ではなく、もはや「絶対」に直面した精神であり、その意味で当人が意識すると否とを問わず、それ自体レリジャスな精神だと思います。よく昔、社会運動をやろうとする息子に対して親父が、「なにもお前がやらなくてもいいだろう」といったものですが、はたして単なるヒューマニズムが、こうした考えを徹底的に克服出来るかどうか。マテリアリズムが科学的な方法論を越えて、全人間的価値を包括する世界観たる事を要求するとき、やはりここに問題があると思うのです。ーー丸山眞男ほか、座談会「新学問論」、『潮流』吉田書房、昭和22年1月。引用元

*5:丸山眞男文庫草稿類デジタルアーカイブにて、それらの手書き草稿類を観覧することができます。

*6:「座談会 三谷隆正先生の人と思想ーー全集刊行に際してーー」(出席者 南原繁、前田陽一、丸山眞男、武田清子)参照。

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