巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「制御」がもたらす人生の幸いについて

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出典

 

私は短距離走はそれなりに得意で、いざ走るとなると、わき目もふらずダッシュでひたすら直行します。そしてこの猪突猛進ぶりは自分の信仰行程にも大いに反映されていると思います。だからこそ尚更だと思いますが、そんな自分にとって、かしら性の真理と、そこから生まれてくる「制御」機能についての発見は、大きな喜びでした。

 

創造の秩序を通した「制御」は、「よし、すぐにでもこの林の中に直進していこう!」と勇み立つ自分に、「ちょっと待った。」とブレーキをかけてきます。

 

「君はなぜ、この林を選んだのか。それについて十分に祈ったのか。」

「この林の中には猛禽が結構たくさんいる。君が一人で行くには安全な場所ではないと思うのだが。もう一度再考した方がいい。」

「だめだ。君はそこに行ってはいけない。断じていけない。」

 

当時、女性教職の道を猪突猛進していた私に、「あなたのやっていることは聖書に反している。」とブレーキをかけてきたあの男性による「制御*」とガッツがなかったらその後の私の人生は全く違ったものになっていたと思います。*1

 

また最初のブログのあり方に関し、私にブレーキをかけてきたあの長老の「制御*」とガッツがなかったら、(翻訳記事を中心とした)現ブログの誕生はまずあり得なかったでしょう。

 

実際、その後も、かしら性を通した、大小さまざまな種類の「制御」を受け入れてきたことで、その都度、私の人生に思いがけない肯定的転換と改革と幸いがもたらされてきました。目には見えないけれども、きっとそれらの「制御」を通し、潜在的危険や攻撃からも守られてきたのだと思います。*2

 

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ちびイノシシは以前と変わらず元気いっぱいに野を駆け回っています。しかし今や彼女の周りには、頼もしい護衛たちがいて、彼女が崖の方向に間違って突進しないように、山火事に巻き込まれないように、ちゃんと教え諭してくれるからです。だから彼女は前よりももっと安心できるようになりました。

 

ちびイノシシは賢いリスのように敏捷に状況判断ができず、今後もできないのかもしれません。でも彼女は「制御」の声に耳を傾けることで危険を回避することを学びました。そしてその学びは現在に至るまでつづいています。

 

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制御され、ととのえられた力には 

心を落ち着かせるなにかがある。

 

海岸線に打ちよせる波。

暖炉のなかでパチパチと燃える薪。

 

これが柔和さというものだろうか。

制御され、ととのえられたところに存在する力。

自制。御霊の中にある慎み。

 

この美しさを

私はいまだ知らないのかもしれない。

  ーMaribeth. B(私訳)

 

*1:あの男性⇒現:私の主人

*2:主の牧場には「囲い」があります。囲いは、牧者が智慧と愛をもって定めた「制御」ラインです。また、川にも陸との「境」があります。その「境」が破られるとき、それは恐ろしい洪水となって木々をなぎ倒し、全てを押し流していきます。創造の秩序の中で聖定されているいにしへの境を「撹乱行為(サブヴァージョン)」によって変化させ、それにより男 / 女という「抑圧的な二項対立」を脱構築していこうとする人間の「義」*は、やがて死の洪水と化し、神と被造物に対する最大規模の「不正義」を執行する他滅・自滅の道具として用いられていくことだろうと思います。無制限な「自由」は、抑圧からの解放感をもたらさず、逆に、人はそこからもたらされる無制限の不安と孤独に耐えかね、ついには自ら、権威体制を渇望するに至るのかもしれません。