巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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中世キリスト教世界観とその変遷(by ロッド・ドレアー)

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目次

 

Rod Dreher, The Benedict Option, Chapter 2, The Roots of the Crisis, 2017(抄訳)

 

中世キリスト教の世界観

 

中世の人々は、(哲学者チャールズ・テーラーが「幻想的世界("enchanted world")」と呼んでいる)世界に住んでいました。一方、現代西洋社会に住む私たちはそこからはるか遠く離れた岸におり、中世の先人たちの世界観は私たちのそれとはかけ離れています。

 

中世キリスト教世界の精神の中では、霊の世界と物質的世界は、互に浸透し合っていました。その二世界を隔てるものは薄く多孔的なものでした。換言しますと、中世人は世界における全てをサクラメント的に経験していたのです。

 

その当時、人々は存在する全ての事象ーー時間でさえもーーある意味においてサクラメント的なものと捉えていたのです。つまり、神は遍在しておられ、人々、場所、事物を通し神はご自身を私たちに啓示され、それを通し、主の御力が溢れ出るのです。

 

もっとも、中世ヨーロッパはキリスト教ユートピアではありませんでした。教会はひどく腐敗し、権力の暴力的行使ーー時に教会自身による行使ーーがあたかも世界を制覇しているかのようでした。

 

しかしこういったラディカルな壊れにも拘らず、中世人は自らの想像力の中に統合性ある力強い幻(vision)を有していたのでした。中世のコンセンサスにおいて、人は、全てを概念的に調和させ、混沌の中にあって意味を見い出すことができるよう彼らに力を与えるやり方の内にリアリティーを捉えていました。

 

リアリティーに関する中世概念は古の思想であり、それはキリスト教の歴史に先行します。C・S・ルイス最後の書である『廃棄された宇宙像ーー中世・ルネッサンスへのプロレゴーメナ』の中で、中世学者であった彼は、「二つの事物は、第三の事物を通してのみ互いにつながり得るとプラトンは信じていた」と説明しています。

 

 

中世の「モデル(model)」とルイスが呼んでいるものの中にあって、およそ存在する全てのものは、神に対するそれらの共有された関係を通し、その他のものとつながっていました。私たちと世界との関係は、神を通して仲介され、私たちと神との関係は、世界を通して仲介されています。

 

人間は、冷え冷えして、無意味な宇宙ではなく、コスモスの中に宿っていました。そこでは全てが意味を帯びていました。なぜならそれは創造主なる神のいのちの内に参与していたからです。「中世人にとって」とルイスは言います。ーーコスモスとはあたかも、‟荘厳なる大建造物を見ているようなもの”であり、‟その偉大さは圧倒的であると同時に、その調和はまた人心を満たすものであった”と。

 

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出典

 

中世のモデルは、全被造物をあらゆる時空を網羅する複雑な一致の内に綴じ込んでいます。そしてこの型は、スコラ学として知られている高度に複雑かつ合理主義的な神学の中でその絶頂に達しました。その中でも、13世紀の秀才ドミニコ会士トーマス・アクィナス(1225-1274)はスコラ学の最も偉大なる解説者でしょう。

 

形而上学的実在論(metaphysical realism)

 

スコラ学の根幹教理には、「全てのものは存在しており、人間の思考とは独立したところにおいて、神与の本質的性質を有している」という原則が含まれます。この立場は「形而上学的実在論(metaphysical realism)」と呼ばれています。

 

そしてこの原則から、「中世キリスト教の想像("imaginary")を支える三つの基本的防波堤」とチャールズ・テーラーが特定しているものーーすなわち、初代教会時代から中世盛期にかけ全ての正統キリスト者たちにより受容されていたリアリティーの像が引き出されているのです。

 

ー世界およびその中にある全ては、神によって聖定された調和ある全体の一部であり、意味に溢れている。そして全てのものは神を指し示す徴である。

ー社会はそういったより高次のリアリティーに根差している。

ー世界は霊的勢力で満ちている。

 

「これらの三つの柱は、現代世界が瓦礫から立ち上がる前に、崩壊しなければならなかった」とテーラーは言っています。そして実際、三柱は崩壊したのです。その崩壊は一夜にして生じたわけではなく、真直ぐに起こったわけでもありませんでしたが、ともかくそれは起こったのです。

 

神学者デイビッド・ベントリー・ハートはこの変遷を次のように描写しています。「それはプレ・モダンとモダン世界の間の想像上の裂け目の始りとなった。今や人間は、ある意味、彼らの先祖たちの住んでいた世界とは異なる世界に住むようになったのである。」*1

 

オッカムと唯名論(nominalism)

 

中世モデルであったオークの大樹ーーすなわち、キリスト教形而上学的実在論ーーを伐採するに当たって最も強力だった神学者は、イギリス諸島出身のフランシスコ会士ウィリアム・オッカム(1285-1347)でした。そしてオッカムおよび彼の神学的同盟者たちが仕事を成し遂げる上で使用した斧は、唯名論(nominalism)として後に知られるようになった一大思想でした。

 

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ウィリアム・オッカム(1285-1347)

 

実在論は、「事物の本質は、神によってその存在に内蔵されており、その究極的意味は超越的秩序へのこのつながりによって保証されている」と奉じています。つまり、「創造(Creation)は理解し得る、なぜなら、それは神および神の啓示によって合理的に聖定されているから」ということです。

 

詩篇記者は「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩19:1)と言っています。物質世界が超越的秩序における働きを開示しているという感覚は、古代哲学や多くの世界諸宗教の内にもみられます。(非有神論的な道教の内にさえも。)

 

形而上学的実在論は、ーー大自然の中で、そして圧倒的な美、善をまのあたりにしてーー、私たちが感じるあの畏敬の念(=自分の諸感覚で経験することのできる以上のなにかがここにはある、という感情)は、合理的な直観であると私たちに伝えます。

 

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出典

 

確かに、それだけでは具体的に神が誰であるのかは分からないでしょう。しかし少なくとも、それが単なる想像の産物ではないということをその直観は私たちに告げているのです。そう、なにかーーもしくは誰かがーーそこに在ると。

 

祈りと黙想を通し、私たちはその直観をさらに建て上げてゆき、私たちが感知している御方のアイデンティティーを知るに至るでしょう。例えば、全ての人間が共通に持っている、‟意味と真理に対する飢え渇きの念” は、「あらゆるリアリティーの形而上学的構造の顕現であるに他ならない」とデイビッド・ベントリー・ハートは言っています。

 

しかし、仮に無限なる神が有限な事物を通しご自身を啓示するのだとしたら、「〔神には〕制限がある」ということを意味してしまわないでしょうか?オッカムはそう考えました。彼は、神の主権性(sovereignty)を擁護しようとの熱意から、形而上学的実在論を否定しました。

 

オッカムが憂慮していたのは、実在論により、行為における神の自由がもしや制限されてしまうのではないか、という点でした。彼にとり、何かが善であるのは、神がそれを善ならしむべく望まれたからなのです。

 

あらゆる事物の意味は、神の主権的意志に因るのです。ーーつまり、それは神の属性ゆえではなく、また彼らの存在への神の参与ゆえでもなくーー、神がお命じになっていることゆえなのです。ですから仮に神が今日、あるものを善と呼び、明日、同じものを悪と呼んでも、それは神の道理(right)によるものです。

 

この思想が含意しているのは、物(objects)には内在的意味はなく、意味はそれらの物体に付与されているに過ぎない、それゆえ、精神の外側には意味を帯びた(meaningful)存在はない、ということです。

 

机というのは、ある種の方法で整えられた木材と釘にすぎず、その物体に「机」と名前を付けることによって初めて私たちはそれに意味を付与した、ということになるのです。(Nomenというのはラテン語で「名」を意味しています。そこから、nominalism(唯名論)という語が来ています。)

 

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オッカムの思想の中では、神というのは、完全に被造物から隔たっている全能なる実体です。「神はそうであらなければならない。」とオッカムは説きました。「そうでなければ、行為する上での神の自由は、ご自身がお造りになった法により縛られてしまうことになる。」

 

彼の見解によると、真に全能なる神は、何によっても制限され得ないのです。従って、なにかが善である場合、それは神がそうおっしゃったからこそ善なのです。ゆえに、神の意志は、神の知性よりも重要であるとされます。

 

これは「針の上で天使は何人踊れるか」的な言い分に聞こえるかもしれませんが、その重要性は強調してもし切れません。中世の形而上学者たちは、「自然は神を指し示している」と信じていました。一方の唯名論者たちはそれを否定していました。

 

唯名論者たちは、「自然内部には、客観的に存在し、理性によって発見可能な内的意味は存在していない」と考えていました。つまり、意味というのは、付帯的(extrinsic)なものであり、神により、外側から課せられたものなのです。そしてこういった付帯的な意味は、神に対する信仰および主の啓示によってのみ人間にアクセス可能なものとされています。

 

もしこの説明があなたにとってほとんど常識的なことのように聞こえたのでしたら、その時、あなたは、唯名論がいかに革命的なものであったかを理解し始めるはずです。

 

かつてあれほどラディカルだった理論が、時の経過と共に、大半の人々が神と被造物の関係を理解する常識的基盤となっていったのです。それにより現代世界が可能とされました。しかしこれからみていくように、それはまた、神に代わって人間自身が王座にのしあがる基をも作ることになったのです。*2

 

漸進的変化

 

しかしこういった諸思想は真空の中に生じたわけではありません。唯名論は、休むことなく落ち着かない文明から生じてきました。中世は、強固な信仰および霊性の時代でしたが、14世紀の美術や詩が指し示しているように、人類は次第に天上的な事がらからこの世へと焦点を移していくようになりました。

 

オッカムの後、自然哲学者たちーー自然を研究する思想家たち。科学者の先駆けーーが、アリストテレスおよび彼の中世キリスト教後継者たちによって伝えられた形而上学的手荷物を取り除くようになっていきました。彼らは、「自然現象を経験的に調べ、諸結論を導きだすべく自然現象に関する哲学的理論は必ずしも必要とされているわけではないのだ」ということを見い出しました。

 

その間、美術や文学の世界では、自然主義や個人主義に新しい強調をおく動きが興ってきていました。形而上学的確実性、形式ヒエラルキー、霊的力点などを伴っていた旧世界は、もはや西洋人の想像力を捉えることができなくなりつつありました。美術はますます象徴的、理想主義的ではなくなり、宗教的諸テーマにフォーカスを置くことも少なくなり、その代りに人間生活により没頭していくようになりました。

 

このモデルは、哲学的襲撃にさらされ、激しく震動しましたが、美術や思想世界の外側で起こった数々の恐ろしい出来事もまた、それを芯まで揺さぶることになります。戦争(特に英仏間の百年戦争)は西ヨーロッパを荒廃させ、14世紀には壊滅的飢饉にも見舞われました。さらに黒死病により、全ヨーロッパ人口の実に30-50%が命を落としました。

 

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黒死病の蔓延(出典

 

こういった全ての要因により、中世のモデルはバラバラになりました。形而上学的実在論は打ち負かされたのです。そこから新しく勃興してきたのは新しい個人主義、世俗志向(this-worldliness)であり、そこからルネッサンスと呼ばれる歴史期が始まっていくことになります。形而上学的実在論の敗北により、西洋史における新しく動学的な局面が開かれーーそれは、やがて宗教革命という極みに達していきます。

 

ー終わりー

*1:David Bentley Hart, The Experience Of God: Being, Consciousness, Bliss (New Haven, CT: Yale University Press, 2013), Kindle ed., 62.

*2:訳注:こういった一連の見解に対する反論の一例