巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

B神父様へのお手紙

f:id:Kinuko:20190610193057p:plain

 

親愛なるB神父様、

 

お気遣いのお便り、本当にありがとうございました。現在、私の精神は苦悶の内にあり、それゆえに教会に足を運ぶことができなくなっています。

 

理論的にいって、カトリック教会は真の教会であるに違いないと考えています。そしてそのように信じることができたらと心から願っています。しかし、自分が真なるものとして見い出した「カトリシズム」と、現行カトリック教会の実際的方向性(特に教皇フランシスコ体制下)との間に調和を設けることに非常な困難を覚えています。

 

古典的カトリシズムと、現代カトリシズムの間に深刻なる断絶・ギャップがあるように思われてなりません。時として、両者がほとんど別の宗教であるように思えることもしばしあります。教皇ベネディクト十六世は両者の間に依然として連続性があるとおっしゃっていたように記憶しております。

 

しかしながら現在、このギャップはますます深く亀裂化していっているように思われ、不安を感じずにはいられません。それに加え、マキャリックを巡る一連の犯罪/隠蔽/不祥事、バチカン・中国の暫定合意等いろいろあります。

 

それで悲しみの内に私はこう思ったのです。両者の断絶に調和をもたらす一つの方法は、教皇座空位論(Sedevacantism)を受け入れることではないだろうかと。でも今のところ、この立場を受容するには至っておりません。立証にしても反証にしてもそれぞれに難点があるようで途方に暮れています。

 

くり返しになりますが、カトリック教会が真の教会であったらとほんとうに願ってやみません。また教会の神父様方を始めとするみなさまに出会うことができ、感謝しております。大斎(四旬節、Η Μεγάλη Τεσσαρακοστή)に参加することができたのも大きな恵みでした。

 

不安定きわまりない状態にあっても、一つのことだけは確実です。ーーそれは、カトリック教会のことは、ーー自分が教会の〈内〉にいようが〈外〉にいようがーー、生涯に渡り私の心から離れないだろうということです。それはいつも私と共にあり、これからもあり続けるでしょう。

 

B神父様、どうか私のためにお祈りください。私は主の恵みと憐れみを必要としています。もう一度申し上げますが、私はカトリック教会を愛しています。今後尚、家なき子のようにさまよわなければならない事態になったとしても、真理が自分の内に示されるなら、私は、たといそれが生涯の最後の瞬間であったとしても、カトリックに帰正する覚悟でいます。

 

2019年6月10日 

愛と感謝のうちに、

Kinuko

 

ーーーーーーーーーー