巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

聖ウルスラの血の声(♪ Cum vox sanguinis Ursulae)【グレゴリオ聖歌、ビンゲンの聖ヒルデガルト】

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出典

「十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。」

ヨハネの黙示録21章21-26節

 

目次

 

聖ウルスラの血の声(♪ Cum vox sanguinis Ursulae)【グレゴリオ聖歌、ビンゲンの聖ヒルデガルト作曲】

 


〔ラテン語、日本語拙訳の順〕

Cum vox sanguinis Ursulae et innocentis turbae eius ante thronum dei sonuit, antiqua prophetia venit per radicem Mambre in vera ostensione trinitatis et dixit:

聖ウルスラの血の声、そして彼女の無垢な群れの血の声が神の御座の前に鳴り渡った時、古の預言がマムレの木の根元を通過し、三位一体の神の啓示された真理の中で語った。

 

Iste sanguis nos tangit, nunc omnes gaudeamus.

「この血はわれわれに触れている。みな喜ぼう。」

 

Et postea venit congregatio agni, per arietem in spinis pendentem, et dixit: Laus sit in Ierusalem per ruborem huius sanguinis.

その後、神の小羊の会衆がやって来、角のひっかかった雄羊を通し、言った。「この血の紅さゆえに、エルサレムにあって賛美がなされるように。」

 

Deinde venit sacrificium vituli quod vetus lex ostendebat, sacrificium laudis circumamicta varietate, et que faciem dei Moysi obnubilabat, dorsum illi ostendens.

その後、旧約の律法が指し示していた子牛のいけにえが来た。賛美のいけにえ。多くの色彩に身を包んだ賛美。神の御顔をモーセから隠した賛美。モーセは神の背しか見ることが許されなかった。 

 

Hoc sunt sacerdotes qui per linguas suas deum ostendunt et perfecte eum videre non possunt, et dixerunt:

これは口でもって神のことを開示するが、完全には神をみることのできない司祭たちを表している。彼らは言った。

 

O nobilissima turba, virgo ista que in terris Ursula vocatur in summis Columba nominatur, quia innocentem turbam ad se collegit.

「おおいとも崇高な群れ。ウルスラと呼ばれる乙女は天においてコロンバ〔鳩〕と呼ばれている。なぜなら、彼女は自らの周りに多数の無垢な聖徒たちを集めたからである。」

 

O Ecclesia, tu es laudabilis in ista turba:

おおエクレシア。あなたはその群れの中にあって賛美を受けるにふさわしい。

 

Turba magna, quam incombustus rubus quem Moyses viderat significat, et quam deus in prima radice plantaverat in homine quem de limo formaverat, ut sine commixtione viri viveret, cum clarissima voce clamavit in purissimo auro, thopazio, et saphiro circumamicta in auro.

モーセの見た燃え尽きない柴によって表されている大勢の群れ。そして神は、土から造られた人間の中に初めての根を植えられた。そうすることにより、それは人と混合することなく命を持つことができるためである。その群れは、金に据えられたいとも純粋なるゴールド、トパーズ、サファイアにあって、燦然とした声で叫んだ。

 

Nunc gaudeant omnes celi, et omnes populi cum illis ornentur. Amen.

天よ、喜べ。そして全ての民が天空と共に敬われるように。アーメン。

 

ビンゲンの聖ヒルデガルト(by 教皇ベネディクト十六世)

 

この記事この記事より一部抜粋

 

普通「中世」と呼ばれる歴史の時代においても、生活の聖性と豊かな教えにおいて際立った幾人かの女性がいます。今日はそのうちの一人の紹介を始めたいと思います。すなわち、12世紀のドイツで生きた、ビンゲンの聖ヒルデガルト(Hildegard von Bingen; Hildegardis Bingensis 1098-1179年)です。

 

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ビンゲンの聖ヒルデガルト(1098-1179)

 

ヒルデガルトは1098年、ラインラントのアルツァイ近郊のベルマースハイムで生まれました。そして、生涯を通して虚弱だったにもかかわらず、1179年に81歳で亡くなりました。ヒルデガルトは貴族の大家族に生まれました。両親はヒルデガルトを生まれたときから神への奉仕のためにささげました。

 

8歳のとき、適切な人文教育とキリスト教教育を受けるために、シュパーンハイムのユッタ(Jutta 1084-1136年)のもとにゆだねられました。このユッタはベネディクト会ディジボーデンベルク修道院で隠世修道生活を始めていました。当時、聖ベネディクトゥス(Benedictus de Nursia 480頃-547/560年頃)の『戒律』(Regula)に従って禁域で生活する小さな女子修道院が形成されつつあったのです。

 

ヒルデガルトはバンベルクの司教オットー(Otto 1065頃-1139年、在位1102-没年)のもとで誓願を立てました。そして、1136年に共同体の長上となっていた修母ユッタが亡くなると、姉妹たちはヒルデガルトが後継者となるよう願いました。この任務を果たす際、ヒルデガルトは、教養ある女性としてのたまものから実りを生み、霊的に高められ、隠世修道生活の管理上の問題に権威をもって対応できました。

 

数年後、修道院に入会しようと望む若い女性の数がますます増えたため、ヒルデガルトはビンゲンの聖ルーペルト(Rupert von Bingen 9世紀中葉)ゆかりの地ルーペルツベルクに新たな共同体を設立しました。ヒルデガルトはこの共同体で余生を過ごします。

 

ヒルデガルトが権威をもって職務を果たしたやり方は、あらゆる修道共同体の模範となるものです。ヒルデガルトは善行において聖なる競争を行うよう促しました。そのため、当時の証言から分かるとおり、修母と修道女は互いに尊敬し奉仕し合うことにおいて競ったのです。

 

ヒルデガルトは、すでにディジボーデンベルク修道院の長上だったときから、自分がときどき受けた神秘的な幻視を、霊的指導者の修道士フォルマル(Volmar von Disibodenberg 1173年没)と、自分の秘書で、彼女が深い愛情を注いだ修道女のシュトラーデのリヒャルディス(Richardis 1152年没)に語り始めました。

 

真の神秘家の生涯につねに見られるとおり、ヒルデガルトも、自分の幻視の起源を識別するために知識のある人の権威に従おうと望みました。それは、幻視が幻想の産物で、神から出たものでないことを恐れたためです。

 

そこでヒルデガルトは、当時教会内で最高の名声を得ていた人物であるクレルヴォーの聖ベルナルドゥス(Bernardus Claraevallensis 1090-1153年)に書簡を送りました。聖ベルナルドゥスについてはすでに何度か講話の中でお話ししました。聖ベルナルドゥスはヒルデガルトを安心させ、また励ましました。

 

しかし、1147年、彼女はもう一つのきわめて重要な承認を得ました。トリーア教会会議(1147-1148年)を主宰していた教皇エウゲニウス3世(Eugenius III 在位1145-1153年)は、マインツ大司教ハインリヒ(Heinrich I 1090頃-1153年、在位1142-没年)が提出した、ヒルデガルトの口述テキストを読みました。

 

そして教皇は、神秘家ヒルデガルトに対して、自分の幻視を書きとめ、公に語ることを認可したのです。このときからヒルデガルトの霊的名声はますます高まり、同時代の人々が彼女を「ドイツの女預言者(professa teutonica)」という称号で呼ぶまでになりました。

 

親愛なる友人の皆様。あらゆるカリスマの源である聖霊による真の経験のしるしはこれです。超自然的なたまものを与えられた人は、決して誇らず、自慢せず、むしろ教会の権威に対する完全な従順を示します。実際、聖霊によって与えられるあらゆるたまものは、教会を築くことを目指します。また教会は、その司牧者を通して、これらのたまものの真正性を承認します。

 

この「預言者」はわたしたち現代人にも深く今日的な意味をもって語りかけます。すなわち、時のしるしを読み取る勇気ある力をもって。その被造物への愛、医学、詩、現代において再現された音楽をもって。キリストと教会への愛をもって。

 

教会は当時も苦しんでいました。当時も教会は、司祭と信徒の罪によって傷つけられていましたが、ヒルデガルトはなおさらいっそう教会をキリストのからだとして愛したのです。このように聖ヒルデガルトはわたしたちに語りかけます。この中世の重要な女性は、霊的な知恵と聖なる生活において際立っていたからです。

 

ヒルデガルトの神秘的幻視は、旧約の預言者の幻視に似通っています。ヒルデガルトは、当時の文化的・宗教的概念で自らを表現しながら、神の光のうちに聖書を解釈して、生涯のさまざまな状況に聖書を当てはめました。そのため、ヒルデガルトのことばを聞いた人々は皆、一貫した献身的なしかたでキリスト教的生活を実践するよう促されました。

 

聖ベルナルドゥスにあてた手紙の中で、このラインラントの神秘家はいいます。「幻視はわたしの全存在を引きつけました。わたしは肉体の目で見るのではなく、もろもろの神秘がわたしの精神に現れたのです。・・・・わたしは詩編、福音書、そしてその他のさまざまな書に示された深い意味を知っています。それが幻視のうちにわたしに示されたからです。この幻視はわたしの心と魂の中で炎のように燃え上がります。そして、わたしがテキストの深い意味を悟るよう教えてくれるのです。」*1

 

ヒルデガルトの神秘的幻視は豊かな神学的内容をもっています。それは救いの歴史の中のおもな出来事を参照し、主要な詩的・象徴的言語を用います。たとえば『スキヴィアス(道を知れ)』(Scivias)という有名な著作の中で、ヒルデガルトは、35の幻視によって、世界の創造から世の終わりに至るまでの救いの歴史のさまざまな出来事を要約します。

 

ヒルデガルトは、特徴的な女性的感性をもって、とくに著作の中心部分で、受肉によって実現された神と人類の神秘的婚姻というテーマを展開します。十字架の木の上で、神の子と、花嫁である教会の婚姻が行われます。花嫁である教会は、聖霊の愛のうちに、新しい子らを神にささげることのできる恵みで満たされます。*2

 

わたしたちはすでにこの短い引用から、神学が女性からも特別な貢献を受けることができることを目の当たりにします。なぜなら、女性はその特別な知性と感性をもって神と信仰の神秘について語ることができるからです。

 

そのためわたしは、神学に奉仕するすべての女性の皆様を励まします。深い教会的な精神をもって神学に奉仕してください。祈りによって自らの考察を深めてください。とくにビンゲンのヒルデガルトのような輝かしい模範に代表される、きわめて豊かな中世の神秘的伝統(そのあるものは今なお探究されていません)に目を向けてください。

 

ラインラントの神秘家ヒルデガルトは他の著作も著しました。そのうちの二つはとくに重要です。なぜならそれらは、『スキヴィアス』と同じように、ヒルデガルトの神秘的幻視を報告しているからです。すなわち、『生活の功徳』(Liber vitae meritorum)と、『神の御業*3』です。

 

『生活の功徳』では神についての独特の力強い幻視が語られます。すなわち、神はその力と光をもって宇宙を生かすのです。ヒルデガルトは人間と神の深い関係を強調します。そして、人間を頂点とする全被造物が三位一体からいのちを与えられることをわたしたちに思い起こさせます。

 

『生活の功徳』という著作の中心は、美徳と悪徳の関係です。人間は日々、神への歩みを妨げる悪徳のいざないと、自分を助ける美徳に出会うからです。本書は、人が悪から離れるように招きます。それは、神に栄光を帰し、有徳な生涯を送った後に「喜びに満たされた」いのちに入るためです。

 

多くの人がヒルデガルトの傑作と考える『神の御業』では、神との関係において、そして人間を中心としながら、創造についてあらためて述べます。そこでは聖書的・教父的な、キリストを中心とした力強い思想が示されます。

 

聖ヒルデガルトは、聖ヨハネによる福音書の序文から着想を受けた5つの幻視を示します。そして、御父に向けた御子のことばを語ります。「あなたがお望みになり、わたしにゆだねてくださったすべてのわざを、わたしはよい到達点へと導きました。そしてご覧ください。わたしはあなたのうちにおり、あなたはわたしのうちにおられます。だからわたしたちは一つです。」*4

 

最後に、ヒルデガルトは他の著作の中で、中世の女子修道院の多様な関心と生き生きとした文化を示します。それは今でも人々が中世について抱いている偏見とは異なるものです。ヒルデガルトは医学と自然科学、また音楽にも携わりました。

 

芸術的才能に恵まれていたためです。彼女は賛歌、アンティフォナ、聖歌も作曲しました。これらは『天の啓示の調和の交響楽』(Symphonia Harmoniae Caelestium Revelationum)という標題でまとめられています。この音楽はヒルデガルトの修道院で喜びをもって演奏され、落ち着いた雰囲気を広めました。この音楽は現代にまで伝わっています。ヒルデガルトにとって、全被造物は聖霊の交響楽です。聖霊ご自身が、喜びと歓喜の歌声だからです。

 

ヒルデガルトの名声により、多くの人が彼女の助言を求めました。そのため、彼女の書いた多くの書簡が伝わっています。男子と女子の修道共同体、司教や大司教がヒルデガルトに手紙を送りました。ヒルデガルトのこたえの多くは現代のわたしたちにとっても意味をもっています。

 

たとえば、ある女子修道共同体にヒルデガルトはこう書き送りました。「深い熱心さをもって霊的生活を大切にしなければなりません。最初、この労苦は辛いものです。なぜなら、空想や、肉の喜び、その他これに類することがらを放棄しなければならないからです。しかし、聖性に心を捕らえられるなら、聖なる魂は世を軽蔑することを甘美で好ましいことだと思うようになります。霊魂が枯れないように、ただひたすら知性をもって注意することが必要です。」*5

 

皇帝フリードリヒ・バルバロッサ(Friedrich I, Barbarossa 1121以降頃-1190年、神聖ローマ皇帝在位1152-没年)が正統な教皇アレクサンデル3世(Alexander III 在位1159-1181年)に対して3人の対立教皇を立てて教会分裂を引き起こしたとき、ヒルデガルトは幻視から霊感を受け、ためらうことなく皇帝にこう述べました。

 

皇帝も神の裁きに服さなければなりません。あらゆる預言者の特徴である大胆さをもって、ヒルデガルトは皇帝に対して、これは神のことばだとしてこう書き送りました。「災いだ、災いだ。わたしを無視する邪悪な者のよこしまな行いは。ああ王よ。お前が生きていたいと思うならば、耳を傾けよ。もしそうしなければ、わたしの剣はお前を貫くだろう。」*6

 

生涯の晩年、高齢と移動に際しての悪条件にもかかわらず、ヒルデガルトは自分に与えられた霊的権威をもって、旅行を行います。それは、人々に神について語るためでした。厳しい口調で語るときにも、すべての人が彼女のことばに熱心に耳を傾けました。人々はヒルデガルトが神が遣わした使者だと考えたからです。

 

ヒルデガルトは何よりも修道共同体と聖職者が自分の召命と一致した生活を送るよう求めました。とくにヒルデガルトはドイツのカタリ派運動に反対しました。「カタリ派」とは文字どおりの意味では「純粋な人々」を意味します。彼らはとくに聖職者の腐敗と戦うために、教会の徹底的な改革を行うことを主張しました。

 

ヒルデガルトは、カタリ派が教会の本性そのものを覆そうとしていることを厳しく非難しました。そして、真の教会共同体の刷新は、構造改革によってではなく、むしろ真剣な悔い改めの精神と、労苦して回心の道を歩むことによって成し遂げられることを彼らに告げました。

 

これはわたしたちが決して忘れてはならないメッセージです。いつも聖霊に願い求めたいと思います。ビンゲンの聖ヒルデガルトのような勇気ある聖なる女性を教会の中で立ち上がらせてください。彼女たちが神から与えられたたまものを大事に用いながら、現代の共同体と教会の霊的成長のために特別に貴い貢献を果たすことができますように。

 

ー終わりー

*1:『書簡集』:Epistolarium pars prima I-XC, CCCM 91

*2:『スキヴィアス』:Scivias, Visio tertia, PL 197, 453C参照

*3:Liber divinorum operum. 本書はDe operatione Deiとも呼ばれます

*4:『神の御業』:Liber divinorum operum, Pars III, Visio X, PL 197, 1025A

*5:E. Gronau, Hildegard. Vita di una donna profetica alle origini dell’età moderna, Milano 1996, p. 402

*6:ibid., p. 412