巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

LGBTを巡る決戦の場、ついに正教へ。正教会司祭たち、最後の砦として頑張れ!(by ロッド・ドレアー)

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要塞(出典

 

 

Rod Dreher, LGBT Fight Comes To Orthodoxy, 2018(抄訳)

  

先週末、私は正教クリスチャン神学校で開催された会議に出席し、そこで全米から集まってきた数多くの神父、信徒たちに出会いました。そして、その中の多くが、米国正教会内で最近起こっている、同性愛受容および是認に向けての動きを大変憂慮していました。

 

「『First Things誌』に掲載されていたルーテル派教会に関するあの記事をお読みになりましたか?」とある方が私に訊ねてきました。まだ読んだことがなかったので、会議後に読みました。記事の執筆者であるロバート・ベーン師は、ルーテル派分派の方です。このグループは、母教会である米国福音ルーテル教会が同性婚を公式に祝福する決断を下したことを巡り、2010年に分離しました。〔中略〕

 

会場には、改宗者の方々がたくさんおられましたが、彼らは、ーーセクシュアリティーに関する正統的キリスト教教理を放棄し、以後、倫理的・神学的混乱と無秩序という傾斜に陥り始めた各種教団教派を逃れーー正教会に避難して来ていました。

 

元カトリック教徒として私も、カトリシズムがメインライン・プロテスタンティズムに倣い、いかにして急速にこの傾斜の道を下降しつつあるかについて語りました。この傾向は教皇フランシスコの体制下において特に顕著です。あるカトリックの友人にその事を語り、今やその戦いが正教にもやって来たということを話すと、彼女は言いました。「どうか降参しないでください。残された最後の砦はもう正教しかないのですから。」

 

今週、米国正教会の主教たちは、会合を開きます。プロ・ゲイのグループである Orthodoxy In Dialogueが、主教たちに向け挑戦を突き付けているのです*1。このグループは、以下の事を司教たちに要求しています。

 

1)中絶に対する非難をやめること。〔プロ・ライフの運動である〕March for Lifeへの参加をやめること。合法的、使用可な中絶撤廃に対する是認をやめること。

2)同性愛志向に対する批判をやめること。

3)過去のあらゆる同性愛志向批判内容文を、管轄区、個々の教区のウェブサイトから削除すること。 

4)トランスジェンダーのアイデンティティに関する非難を中止するよう、司祭たちに教示すること。

5)公的にして永続的な教会の働きとして、LGBTQIスペクトルの中のどこかに相当する正教クリスチャンのための国際支援組織に権限を与え、是認し、援助すること。

 

ローレンス・ファーレー正教神父*2が、今年初めに、こういった種類のグループに関する実像に関し、次のように述べていました。以下、引用します。

 

 「『対話』という語は、ーー‟会話”、‟ディスカッション”、‟取り組み” などという同義語と共にーー触れてはならない神聖なものとして、『母性』、『アップル・パイ』、『国旗』といった日常語と肩を並べようとしている風に見受けられます。一般人は、アメリカ的価値観の三大真髄であるこの三語(母性、アップル・パイ、国旗)に言い逆えないという前提を持っていますが、今や、新しい神聖語である『対話』に疑いを差し挟むことは完全御法度となりつつあります。

 『対話』に対するコミットメントは、文明の不可欠要素、その人の寛容、合理性、オープンマインド性の印とみなされています。そしてそういった現代の新しい美徳に対する十分なコミットメントに欠けている人は、告発、糾弾、侮辱の恰好の対象者になります。(←もしもこの文が強烈すぎるとお思いになるのでしたら、あなたはおそらくコンピューターやオンラインの世界にほとんど縁がない方なのだと想像します。)

 Dで始まる語やその類語を包有するサイトはまず間違いなく同上の基本的アジェンダを推し進めていると言っても過言ではないでしょう。例えば、(Dで始まる語がわんさか立ち並ぶ)“Orthodoxy in Dialogue”とか、(‟正教キリスト教に関連する現代諸問題に関するさまざまな諸見解のためのフォーラムを提供することにより会話を促進することに努めている”という)“Public Orthodoxy”などがその実例です。*3

 その他のリベラル派サイトと同様、こういったサイトは伝統的正教信条や実践の破壊をその主目的としています。しかし彼らはそのアジェンダや目的をあからさまには宣伝しません。あらゆる脱構築主義的諸運動と同様、彼らもより‟ソフト”な用語を用いようとします。ーーそう、通常、多音節の単語を彼らは好んで用います。そしてそれはほとんど常に不吉な徴候を示唆しています。」

 

為されるべき「対話」というのは存在しませんし、対決からの逃げ口もありません。正教主教たちは対決や衝突を嫌い、できることならそれを避けようとしますが、今や彼らは堅固なる明確な一線を引かなくてはなりません。もしそうしないのなら、米国における正教諸教会の今後の行先は目に見えています。さあメインラインのプロテスタント諸教会を見てください*4。現在多くのカトリック教区や諸団体で一体何が起こっているのか*5、目を凝らしてよく見てください。

 

このまがい物の「対話」に入り込んだが最後、あなたは降伏への一歩を踏み出すことになります。しかし降伏はあり得ません。降伏するようなことがあってはならないのです。ですが、仮にあなたが司祭や輔祭であり、はっきりした立場を採ることを自分は回避できるだろうと思っているのなら、あなたは真実を知るべきです。プロ・ゲイのプロテスタント神学者デイビッド・グシェー氏は次のように述べています。

 

「結局、あなたは、①LGBTの人々の完全にして無条件的な社会的・法的平等に賛同しているか、あるいは、②それに反対しているか、そのどちらかであり、ある時点において、あなたの回答および立場は公に明らかにされます。これは個々人にも、諸団体にも当てはまります。中立(neutrality)という選択肢はありません。それは、丁重な半受容(polite half-acceptance)ではなく、主題回避の手段にもなり得ません。あなたが回答を渋り逃げ回ったところで、いずれ、この問題自体があなたに追いつき、あなたに回答を迫ってくることでしょう。」*6

 

デイビッド・グシェー氏は実に正しい事を言っています。立場的には彼と私は対極にありますが、ここで言っている彼の主旨は妥当なものです。正教主教たちは、正教内におけるキリスト教正統性を死守しなければなりません。中立性や回避ーーつまり、事なかれ主義ーーは、降伏を意味しています。

 

ー終わりー

 

ジョサイア・トレンハム長司祭による講義

 

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*1:訳注:Orthodoxy in Dialogueのこの公開文書に対するアンドリュー・ステファン・ダミック神父による反論。 

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*2:訳注:

*3:訳注:“Public Orthodoxy”は、イエズス会系列フォーダム大学の正教研究所から発刊されている機関紙です。下のビデオを見ますと、カトリック教会内で現在精力的にLGBTアジェンダを推進しているジェームス・マーティン神父(イエズス会)と、"Public Orthodoxy"に関わる正教神学者たちとの相互関係をみることができます。

ジェームス・マーティン神父の神学的背景について

その他、"Public Orthodoxy"に関連する記事

*4:訳注:

*5:訳注:

*6:pro-gay Protestant theologian David Gushee wrote in 2016.