巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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フリーメーソン宗教無差別主義とエキュメニズム宗教間対話精神の親和性について【教皇フランシスコと世界統一宗教】

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出典

 

Patrick Coffin, The Truth About the Masonic Lodge, May, 2019(抄訳)

 

フリーメーソンは相対主義および宗教無差別主義(religious indifferentism)を説いています。この点に関し、教皇レオ13世回勅『フマヌム・ジェヌス』を再び見てみる事にしましょう。

 

「まず第一に、こうすることによって彼ら〔=フリーメーソン〕は単純な人、注意力に欠く人たちを容易に欺き、こうして、ずっと大きな数の人を引き入れることができるのです。また、入会志願者は、どんな宗教を信じていようと[関係なく]受け入れられるため、これによりフリーメーソンは、この時代の大きな誤謬、すなわち、[ある人の]宗教に対する態度はどうでもよいこととしてみなされるべきであり、また全ての宗教はみな似通ったものであるという考え方です。“the great modern error of religious indifferentism and of the equality of all religions"*1

 

さて教皇フランシスコが、「私たちはイスラム教徒を〔キリスト教に〕改宗させるようなことをしてはならない」と言っていますが、これなどはどうでしょう。教皇は「神は、宗教の多様性を意志(wills)されているからです。」と言っているのです。

 

ー終わりー

 

「2019年2月4日にアブダビで教皇フランシスコが署名した『人類の兄弟愛に関する文書』はフリーメーソン的宗教無差別主義の表明です。『人類の兄弟愛に関する文書』は次のように述べています。『諸宗教、皮膚の色、性別、人種、言語の多元性と多様性は、神がそれによって人間を創造した知恵の中で神によって意志されたものである。』」*2

 

「われわれは現在教会がそれによって苦しめられているもう一つの多大な諸悪の源泉について考察する。それは宗教無差別主義である。この逸脱した意見は、道徳性が維持される限りはいかなる種類の宗教によっても永遠の救いを得ることが出来ると主張する邪悪な者達の欺瞞によって至る所に広められている。」

教皇グレゴリオ十六世回勅『ミラリ・ヴォス 自由主義と宗教無差別主義について』(1832年8月25日、DS2730)*3

 

 「教会と市民社会の両方を混乱させ悩ませる多くの嘆かわしい諸悪のうち、二つのものがわれわれの時代に際立っており、他の諸悪の原因であると正当に考えられている。事実、あなた方は宗教無差別主義の甚だしい誤謬がキリスト教社会および市民社会に引き起こす無数の致命的な害を知っている。

 この無関心の忌まわしい形態と、異なる宗教間の無差別主義の悪魔的体系との間には、ほとんど違いはない。この信念は、真理から逸脱した者達、真の信仰の敵であり、自らの救いを忘れた者達、そして堅固な教義なしに矛盾する信念を教える者達を包囲している。

 彼らは異なる信条を区別せず、あらゆる者に同意し、そして永遠の救済の港はいかなる宗教の宗徒にも開かれていると主張する。彼らの教えの多様性は、それのみが真理であるものに対して彼らが戦うことに同意する限り、彼らの関心事ではない。愛する息子達、そして尊敬すべき兄弟達よ、この恐るべき悪の病があなた方の群れに感染し群れを殺すのを防ぐためにどれほどの警戒が必要であるか、あなたがたは分かるであろう。」

福者教皇ピウス九世回勅『シングラーリ・クイデム』(1856年) *4

 

レイモンド・バーク枢機卿(教会法学者)は、諸宗教の多元性が神によって意志されたものであるという『人類の兄弟愛に関する文書』の中の一文について『この合意文書から除去されなければならない。なぜならそれは正しくないからである。』と述べており、シュナイダー司教もまた、「キリスト教は神によって意志された唯一の宗教である。それゆえそれは他の諸宗教と相補的に並置されることは断じてできない。諸宗教の多様性は神の意志であると主張する者は、十戒の第一戒によって明白に断言された神的啓示の真理を侵害することになろう。」と批判しています。*5

 

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