Anglicans Ablaze: The Challenges Facing the Anglican Church in North America
Fr. Dwight Longenecker, ACNA, Newman and Unity, 2009(拙訳)
北米聖公会(ACNA)は、「一致と忠実さ」にコミットしている新しいアングリカン・グループです*1。私の知る限り、2009年現在、約120のアングリカン分離グループが存在しています*2。そして、いずれのグループもそれぞれ皆、自分たちが「一致と忠実さ」にコミットしていると言っているのです。
ここで為される重大な問いは以下のものです。ーーそれは、「誰との」一致であり、「何に対しての」忠実さであるのか、と。そして冒頭の新しいグループが一体誰と一致しているのかを突き止めることは非常に困難です。
彼らの大部分は、福音主義の元エピスコパリアンだろうと思われます。それでは、彼らは誰と一致しているのでしょうか。おそらく、自分たち自身の間での一致でしょうが、150余り存在するその他のアングリカン離脱グループとの間の一致はないのでしょうか。
勿論、東方正教会やカトリック教会との一致は持っていないでしょう。ということは、彼らはその他のプロテスタント諸グループがそれぞれ内輪で互に「一致している」と言っているのと同じ意味合いで「一致」しているということになるかと思います。つまり、彼らは自分たち自身の教派内で一致している、ということです。
それから二番目の問いは、「何に対しての忠実さか?」です。それはまず、‟使徒たちから伝えられている” カトリック信仰に対する忠実さではありません。それではアングリカン主義に対して忠実であるということでしょうか?ーーそれとて当該グループ自身によって定義されたところのものとしてのみ、での忠実さです。
では聖書に忠実でしょうか?ーーこれも彼ら自身によって解釈されたところのものとしてのみ、での忠実さです。"Mere Christianity"に対する忠実さはどうでしょうか。ーーしかし、そもそも"Mere Christianity"が何であるかを誰が定義するのでしょうか。
ニューマン枢機卿は、教会の一致に関し次のように言っています。すなわち、不可謬の権威なしには、どんなグループであれ、「形における一致(unity of form)」を保つために「教義における一致」を犠牲にするか、もしくは、「教義における一致」を救出すべく「形における一致」を犠牲にするか、そのどちらかであると。
このようにして彼らは、広教主義的誤謬(latitudinarian error)か、セクト主義的誤謬(sectarian error)か、いずれかの誤りに落ち込みます。
これが意味するのはつまり、どんな非カトリック・グループであれ、彼らは、
①教義的に同じ考えを保持すべく、「形による一致」を失う(→この場合、彼らは一分派を形成すべく分離します)、もしくは、
②形や構造における一致を保持すべく、「教義における一致」を犠牲にするか、
そのどちらかに陥るということです。
古典的アングリカンの立場は、「何でも好きなことを信じてよろしい。ーー但し、シスマ(分裂)を起こすことだけはやってはいけない。」というものです。難解な言葉の好きな人にとっては、こういう立場はlatitudinarianism(広教主義)と呼ばれています。
ですから現在私たちが目の当たりにしているのは、聖公会における古典的広教主義の崩壊です。というのも今やアングリカン信者たちは、「教義における一致」のために「形における一致」を犠牲にしてももはややむを得ないという決断を下すに至っているからです。
もちろん、新しい分派が形成されるや、あなたはたちまちの内に、別の問題に直面するようになり、その状況はあなた(およびあなたの分離グループ)をして、「形における一致」か「教義における一致」か、そのどちらの保持を望むかの問いを再び問わしめることになるでしょう。
こうしてその分派の人々は、(「形による一致」を保持するために)自分たちの信条を骨抜きにするか、もしくは、離脱し、新たなる別のセクトを作るか、その二択を迫られることになるでしょう。*3
ー終わりー
執筆者
ドワイト・ロングネッカー神父。ペンシルベニア州の福音主義家庭に生まれる。ボブ・ジョーンズ大学を卒業後、オックスフォード大学で神学を研究。その後、聖公会司祭として叙階され、ケンブリッジ大学の助任司祭、及びワイト島の教区司祭として司牧活動に専念。1995年、ローマ・カトリックに改宗。ロングネッカー神父の改宗に至る信仰道程は、Patrick Madrid ed., Surprised By Truth: 11 Converts Give the Biblical and Historical Reasons for Becoming Catholic, 2016の中に収録されている。女性が司祭になることが不可能である根拠について(byドワイト・ロングネッカー神父)も参照。*4