巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

懺悔の涙

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出典

 

中東圏クリスチャンたちのネット・フォーラムを観覧していましたところ、次のような話が交わされていました。

 

宗教・政治対立が激しい中東圏に生きるキリスト者として彼らはーー東方正教徒であれ、東方カトリック教徒であれーーできる限り、互いに平和の内に共存しようと努めています。

 

しかしながら近年、福音主義から正教に改宗した人々がネットを通し、カトリック憎悪/アンチ西洋メンタリティーのスピリットを拡散しており、それによって、ただでさえ政情不安定な中東にさらなる不穏と対立の種が蒔かれている、とのことでした。

 

福音主義者が(意識的あるいは潜在的に抱いている)「アンチ・カトリック精神」が、彼らの改宗を通して、正教会ワールドにそのまま持ち越されているだけにとどまらず、彼らの文筆活動により、正教会内の一角に存在する「アンチ西洋メンタリティー*1*2」というガソリンにさらなる敵対の火が灯火されているということです。

 

印象的だったのが、彼らが「元福音主義者たち(former evangelicals)」と、問題を引き起こしている張本人たちをはっきり特定化していたことでした。

 

その他の多くの福音主義クリスチャンと同様、私の場合も、「アンチ・カトリック」というよりは、「プロ・プロテスタント」というプロテスタンティズム原則への忠誠からこれまでプロテスタント教義擁護、カトリシズム教義批評を行なってきたように思います。

 

ですが、中東圏クリスチャンたちの嘆きの声は、そんな自分の過去のあり方に痛切なる悔悛の念を引き起こさせました。そして、(無知や誤解が主たる要因であり、悪意はなかったとはいえ)私もまた、ーー彼らが特定化しているところのいわゆる「元福音主義者たち(former evangelicals)」ーーの持つ典型的スピリットを共有していたことは疑う余地がなく、その事実を刺され、懺悔の涙が流れました。

 

告解の機会が与えられたら、私は主の前に、そして司祭の前に、この事を懺悔しようと思っています。

 

そして主よ、「聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです」(ヨハネ17:11)と祈られたあなたのみこころ*3を損い、御体の分裂をさらに悪化させる者ではなく、愛と公正の精神の内になされるディスカッション及び弁証・反証を通し、離れ離れになっている私たちが一歩一歩と再会の歩みに向け、前進していくことができるよう、祈り実践していく者へと私を変えてください。アーメン。

 

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関連記事

*1:訳注:「私はモダニティーからのこぎれいで整然とした脱出劇を求めてもいません。そういうこぎれいで整然とした脱出というのは存在しません。また私は、インターネット上に溢れている正教の弁証家たちの書き物や、多数の20世紀正教神学者たち、アトス山の苦行僧たちの書物の内にみられるデマゴーグ的アンチ西洋主義のがやがやに関わるつもりも一切ありません。アンチ西洋主義はきわめて西洋的です(Anti-Westernism is so very Western.)。ただ単に教父の著述を引用するだけで自己満足し、モダニティーによって提示されている数多くの困難な諸問題に対する必要不可欠な取り組みを避けているような種類の正教神学は、「神学」という語を授与されるに値しないと思います。ーーそういうのは単なるゲットー的イデオロギーに過ぎません。」by Fr. Aidan Kimel、東方正教会神父、ドグマ、懐疑、モダニティー、そしてゲットー神学

*2:「今世紀における正教の動きの中で最も損害多きものは、、、激しさを増しつつある東方神学によるアンチ西洋的論述の増加です。より正確に言うなら、こういった戦闘的論述に伴う自信の肥大化現象です。これは諸教会の一致を妨げる問題となっているだけにとどまりません。ロスキーや彼の追随者たちのアンチ西洋熱(or 偏執病)により、時として、東方神学が深刻に歪められています。さらにこういった描かれ方により、西方キリスト教神学の賢明にして非常に重宝すべき諸解釈は、正教思想家たちの目にほぼ受け入れ不可能なものとされてしまっています。ネオ教父学における正教学界は往々にして、西方神学者たちに関する耐えがたいほど不正確な取り扱いと並行しているため、ーーそれらの論述が正教クリスチャンたちの集合的鋭敏さにもたらしている有害さはもちろんのことーー正教学者たちの不正確な言説が、西洋の有識的学者たちの目にされされた際の恥辱は相当なものになります。人が、現代の正教会文献にあたると、必ずと言っていいほど毎回、一人か二人かの西洋著述家に関するワイルドに誤りある表記に出くわします。そしてその中でも特に、正教論戦術におけるとっておきのターゲットと言えば、ーー①アウグスティヌス、②アンセルムス、③トマス・アクィナス、④十字架のヨハネーー、この4人です。」デイビッド・B・ハート、東方正教会神学者、東方キリスト教世界で激しさを増しつつある〈アンチ西洋メンタリティー〉とそのレトリックについて

-Vasilios N. Makrides, Dirk Uffelmann, Studying Eastern Orthodox Anti-Westernism: The Need for a Comparative Research Agenda (PDF)

-Nathaniel Wood, Orthodoxy, Capitalism, and "The West"(article).

*3:訳注:「太陽の光線を、光の本体から分離することはできません。なぜなら、その一致と統一性は、光の流れが遮断されることを許さないからです。木から枝をへし折ってみなさい。折られた枝からはもはや芽が出てこれなくなります。泉から小川をせき止めてごらんなさい。せき止められたその小川はじきに干上がってしまうでしょう。それと同じように、主の光に彩られたキリスト教会もまた、その光線を全世界いたるところに放っているのです。にもかかわらず、各地で輝いているのはただ一つの光です。そうです、みからだの一致というのは分け隔てられることがないのです。」カルタゴ教会の指導者キプリアヌス, On the Lord's Prayer, 3世紀