巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーローレンス・ファインゴールド師の信仰行程

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出典

 

目次

 

Dr. Lawrence Feingold, Journey Home, April, 2019

 

無神論者の家庭に生まれる

 

私は無神論家庭で生育しました。父はユダヤ人ですが、13歳の時にバル・ミツバの儀式(ユダヤ教の成人式*1.)を経た後、もうそれっきり宗教とは縁が切れてしまいました。そして父はその後、物理学者になりました。

 

母もまた棄教プロテスタント家庭で育ち、信仰は持っていませんでした。幼少の時に、数回、ユニタリアン教会の日曜学校で天文学の話を聞いたことがありましたが、宗教との関わりはそれ位しかありませんでした。

 

美術史の教授との出会い

 

信仰への第一歩は大学入学後に訪れました。セント・ルイスにあるワシントン大学に進学したのですが、そこで受講した「美術史」のクラスが私の人生に大きな転換をもたらすきっかけとなったのです。

 

教授はおそらく長老派の方だったと思いますが非常に敬虔なキリスト者でした。授業の最初に、彼は二つの絵をスライドに映しました。一つは、抽象表現主義者ウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning)の混沌とした「第四の女*」、そしてもう一つはレンブラントのヤン・シックスの肖像*でした。

 

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ウィレム・デ・クーニングの「第四の女」

 

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レンブラント、ヤン・シックスの肖像

 

教授は私たちに問いかけました。「死床にあって、あなたは二つの内、どちらの肖像を壁にかけ、黙想したいですか?」

 

当時私は、抽象表現主義に興味を持っており、クーニングの「第四の女」のような絵を描いていました。しかし教授の問いかけを聞いた時、心の内に思ったのです。「死を目の前にした時、私はレンブラントの絵の方を選ぶだろう」と。

 

ヤン・シックスの肖像自体は宗教画ではありませんでしたが、学生の私の目にも、そこには人間人格の尊厳が映し出されているように思えました。そしてその後も、教授は授業の中で、さまざまな絵画を提示し、それらを比較対照しながら、私たち学生に問いかけました。

 

そこから私が学んでいったのは、アートというのはただ単にビジュアルな楽しみや審美的快楽を与えたり、同時代の精神を表現したりするものではなく、世界観を表現するものであるということでした。おそらく教授はフランシス・シェーファーの世界観論から洞察を得ていたのではないかと思います。

 

それで私たちは、彼と共に、古代ギリシアの彫刻家ポリュクレイトス*や、ローマのパンテオン*、ローマの勝利アーチなどを観賞しながら、外形(form)が、いかにしてそれよりも大域的であるところのーー神、人、社会に関するvisionーーを示しているのかについて考察していきました。

 

実際、芸術家のアート・ワークは孤島的なものではなく、それは彼・彼女の息づく社会の世界観を共有したものです。ですから、例えば、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ*は模範的カトリックではなかったかもしれませんが、それでも、彼の作品からカトリック世界の深遠を見ることができると思います。

 

また教授は反ヘーゲル的立場から、「芸術家の作品は、ただ単にその時代の反映であってはならない。なぜならそれは奴隷的であるから。芸術家は真の世界観を表現し、(神、人、社会に関する)真理への預言的証言者とならなければならない」と論じていました。

 

その根柢には、「美と真理は調和しつつ、同行する」という思想がありました。ですから、深遠なる美というものは、真理に関するなにかを指し示しているのです。被造物世界の中に書き込まれている「美」については無神論者であった父もその事を語っていました。

 

キリスト教美術の世界

 

さて、このコースが終了する頃までに私はキリスト教美術のファンになっていました。なぜなら、キリスト教美術の中には深遠性があるように思えたからです。例えば、ローマ人の描くアポローン像があり、そこにはプラトンのイデアが反映されています。またルネッサンス美術はギリシャ・ローマ古典から引き出されていますが、キリスト教美術はなにかが違うように思われました。

 

何が違うかというと、キリスト教美術作品の中には、キリストの血によって贖われ、神の似姿(創1:27参)に造られた、私やあなたという個性(individuality;人格)が在るのです。そして一人一人のその人格個性が神に愛おしまれています。

 

大学三年の時、私(と将来の妻)マーシャは、ドイツのチュービンゲン大学に留学しました。そして夏季休暇を利用してヨーロッパ中を巡り、美術作品を見て回りました。マーシャもユダヤ人家庭で育ち、私と同様、無神論者でした。

 

クリスマスの日に私たちは、フランスのシャルトル大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Chartres)に足を運びました。正午過ぎだったので、聖堂はガラガラでした。そして静けさの中、修道士たちがグレゴリオ聖歌を歌っていました。その光景はまさに地上にある天国でした。

 

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シャルトル大聖堂(出典

 

大学を卒業後、私たちは結婚し、私はコロンビア大学で歴史学(美術史)を学んでいました。しかしながら大学は当時、アンチ伝統、アンチ具象(anti-representational)的態度が支配的であり、超写実主義者でもない限り、この中で「キリスト教世界観」の古典的見地から物事をみていき研究していくのは困難であるように思われました。

 

石像の研究でイタリアへ

 

選択科目で石像のコースを取ったことがきっかけで私は石像に魅了され、NYのスタジオで制作に関わったりしていたのですが、周囲の人々が私に、「一度、イタリアのカッラーラ(Carrara)近郊にある石像の町に行って、実地研究をしたらいい」と勧めてくれたので、私と妻はイタリアに移り、3年間その町で、研究と制作に携わりました。その期間中も彫刻作品を観るためにあちこち教会を訪問していました。(そしてミサが始まると外に出ました。)

 

そんなある日、私はシスティーナ礼拝堂*の中で、ミケランジェロの描いた祭壇画『最後の審判』(Giudizio Universale)を観ていました。

 

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ミケランジェロ「最後の審判」(出典

 

そしてふと思ったのです。「今、自分はこの作品に見惚れ、なんと美しい画だろうと感嘆している。でも、『最後の審判なるものは存在するのか?そしてその時、私はどこに立つことになるのか?』と問うことはしていない。それはなぜだろう?」

 

それだけでなく、ミケランジェロ自身は自分のこういった心の態度についてどう思うだろう、と考えたのです。彼が『最後の審判』を描いた理由は紛れもなく、彼が描写しているところの真理を人々に知らしめるためではなかったのでしょうか。

 

しかし自分はといえば、作品を、真理への問いから離別させていました。前述しましたように、真理と美は調和しつつ、同行しています。それなら、その美を称賛しながら、それが指し示している真理を認めたがらない自分のあり方は果して正当化されるのだろうか。

 

この時期、妻は子を身ごもっていました。まもなく父親になろうとしている自分は、子供に伝え、受け継がせるものをなんら持っていないことに気づかされました。私には確固とした世界観もなければ、何かに対する信念もありませんでした。

 

大学一年の時に出会った美術史のあの教授の言葉が思い出されました。彼は言いました。「私はprofessor(=教授)です。そしてprofessorというのはprofess(=公言、明言、宣言、告白)することが求められています。ですから、もしも私が信念をprofessし損なっているのなら、その時、私はプロフェッサーとして失格だということになります。」

 

同じことが「父親であること」に対しても当てはまるように思われました。

 

「生きていくのがしんどい。もう生きたくない。」

 

妊娠6カ月目に入り、妻は重度の不安神経症を患いました。そしてある日、彼女をモデルにデッサンしていた時、妻がぼそりと「生きていくのがしんどい。もう生きたくない。」と言ったのです。

 

その一言は私の心を貫きました。それまで私はナイーブにも、「自分たちは互いを満たし合っている。自分たちは倫理的なものであれ芸術的なものであれ、価値をそこに打ち出している」と思い込んでいたのです。しかし、自分は彼女を満たしてあげることができないーー。その現実に打ちのめされました。

 

彼女は愛を必要としていました。しかし彼女が求めている種類の愛を自分は提供できなかったのです。それだけでなく、私はそれら一切の問題から逃げ出したい衝動にさえ駆られていたのです。彼女は無限の愛で愛されたいと願っていました。

 

もしも彼女をそのような仕方で愛することのおできになる父なる神が存在しないのなら、人生は意味を成さないということになってしまうーー。そうすると結局、クーリングの「第四の女」が真であるということになってしまわないだろうか。でもそれはあり得ない。

 

この時初めて私は自分が神に祈らなければならないことを感じました。神に祈り、どのようにして彼女を愛することができるのかをどうか教示したまえと。そこで私はフィレンツェのドゥオモに行き、そこで祈ることにしました。自宅からドゥオモまでは汽車で約1時間の距離でした。

 

一人で列車に乗り込んだ私は途中、「祈りたい」という強い思いに駆られました。「神よ。妻を愛することができるよう私に教示してください。そして他の人にとっても光であることができますように。」なぜこういう言葉が口をついて出てきたのかは分かりませんでしたが、とにかくこれが私にとっての生まれて初めての祈りでした。

 

車窓から外を見ると、4月のイタリアは至る所でつぼみが開き、春が溢れていました。何か自分の内側で再生が起ったかのような気がしました。

 

私はキリスト者ではありませんでしたが、ルネッサンス美術史を専攻する者として新約聖書の内容は知っていました。そしてその時、詩篇2章7節の「主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』」という言葉と、マタイ3章17節「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」という言葉が思い出されました。

 

その時まで私は父なる神について考えたことはあっても、御子であるイエス・キリストについては何かを考えたことはありませんでした。しかし思い出したその二つの聖句を通し、御父が御子を愛し、そして御子がご自身の中で私たちを愛しておられることに気づかされたのです。

 

ドゥオモから家に戻って妻にそのことを話すと、彼女は神に信仰を持った私の告白を喜んで聞き、できることなら自分も信じたいと言いました。結局、彼女の苦しんでいた不安症の根元は、‟自分は宇宙にただ独りである”という無神論的実存主義にあったのです。

 

初めてのミサ

 

そこでその週の日曜日の朝、私は妻と連れ立って、近くの古い教会(9世紀に建てられたロマネスク様式)に足を運びました。ミサが始まりそうになったので外に出ようとすると、入り口で大家のおばさんと鉢合わせになりました。「おおファインゴールドかい、こんな所で会うなんて。さあ、中に入って入って!」それで私たちは再び教会の中に戻り、初めてミサに参加する運びになりました。

 

隣には80代後半にみえる非常に年老いた女性が座っていました。聖体拝領の時となり、その老婦人が前に進み出て行った時に不思議なことが起こりました。言葉で表現するのは難しいのですが、その時、私(の霊)もまた彼女と共に前に進み出て、彼女の信仰の中で共に御体を拝領したかのような状況を経験したのです。

 

こうして私たちはキリストの方へどんどん惹きつけられていっていました。(しかしキリスト教内に存在するカトリックやプロテスタント、そのどちらに向かえばいいのかといった事項は当時まだ私たちの中で大きなものとはなっていませんでした。後に悪戦苦闘することになりました。)

 

また私は当初、心を中心にキリストに近づいていき、知的に近づいたわけではありませんでした。それゆえ、この分野においても信仰を持った後、深く考察していくようになりました。

 

その過程で私はパスカルの言明に出会いました。パスカルは心には道理(reasons)があると言っています。「心情は理性の知らないところの、それ自身の道理を持っている。」

 

よく「愛は盲目である」と人は言います。しかし実際には、愛しているからこそ物事の芯奥が、全体像が見えてきます*2。無神論的不可知論者は「生は無意味であり、死が万事の終わりである」と言いますが、私たちが誰かを愛している時、そのような事は言えなくなります。

 

心には直観(intuition)があり、それはデカルト的理性よりも賢いのです。これは非理性的な議論ではありません。実際、愛する時、その人には相手の全体が見えてくるのです。

 

カトリックか、プロテスタントか

 

さて、夏になり、私はいよいよ「カトリックか、プロテスタントか」で精神的に絶え間なく両者の間を行ったり来たりしていました。フィレンツェには当時聖公会が二つあり、私はそこの司祭の元を訪問することにしました。

 

すると司祭は「おお、無神論から神の元に立ち帰ったのか。ようこそ、ようこそ。」と大歓迎してくださり、私にたくさんの著書をくださったのですが、彼が最初に贈ってくれた本が、18世紀のフランス人イエズス会士Jean-Pierre de Caussadeの書いた『Abandonment to Divine Providence(「み旨のままに」)*3』でした。

 

そして文字通り、この本は私の人生を変えたのです。事象に対する神の摂理の存在、そしてその摂理が、特別な場合だけでなく日常のあらゆる事柄の上にも存在しており、私たちはそれらをサクラメンタルなものとして見ることができるということを知り、世界を見る私のものの見方が変えられました。

 

しかしながら、無神論者としてアンチ・カトリック的精神土壌の強い米国で育っていく中で、私もまた無意識の内に、非キリスト者やプロテスタント教徒の多くが持っている典型的カトリック偏見を身につけていました。

 

また私たちユダヤ人の多くは、ホロコーストの悲劇後、「神は一体どこに在るのか。神の摂理など存在しない。」と苦悩の内に問うています。しかしホロコーストや、精神の病、そういったものに直面していった先に、十字架がありました。なぜなら十字架に架けられた罪なきキリストを前に人はそれらの究極的問いを問わざるを得ないからです。

 

さて、カトリックかプロテスタントか、の話に戻りますが、葛藤の末、私はやはり自分はカトリックになるべきではないだろうかと考えるようになりました。その理由を申し上げますと、私は元々、美を通して信仰の真理に導かれていったわけですが、そこにはカトリック文化の全体性がありました。

 

それゆえ、自分がプロテスタントに向かうとしたら、神がそのような方法で働かれてこられたという事実がどこかで欠落してしまうような気がし、それは悲劇的ではないかと思ったのです。一連の過程を通し、私は美術文化を通したcatholicity(普遍性、公同性、カトリック性)というものを愛するようになっていました。

 

その間、私たち夫婦と3カ月になる息子は、フィレンツェにある聖公会で洗礼を受けていました。そしてそれと同時に私は、芸術の道を放棄し、神への奉仕のために神学を学ぼうと決意するに至っていました。

 

ジョン・ヘンリー・ニューマン

 

ある日、フィレンツェにある英国図書館で調べものをしていたところ、『ニューマン・リーダー』の本が目に飛び込んできました。そこでその本を書棚から取り出し、読み始めたのですが、私は瞬く間にジョン・ヘンリー・ニューマンの著述に魅了されました。

 

文面を通し彼はあたかも私に直接語りかけているように思われました。当時私は宗教改革のことをどのように考えればいいのか悩んでいたのですが、ニューマンもまた同じような問題意識と懸念を持っていたことを知りました。

 

彼は、自分たちが ‟作り出すもの” としてではなく ‟受け取るもの” としての教義原則(dogmatic principle)について語っていました。彼の自叙伝『アポロギア・プロ・ヴィータ・スア』(1866年)、『キリスト教教理の発展』(1845年)も読了しました。

 

その時、妻と息子は里帰りをしていて家にいなかったので、私は彼女に電話し、「おそらく僕たちはカトリックになるべきだと思う。」と打ち明けました。するとしばらくの沈黙後、妻はルツ記のルツのように「あなたの行く所に私も信頼してついて行きます」と言ってくれました。

 

カトリシズムのユダヤ的ルーツーー連続性の解釈学

 

カトリック教会に入って6カ月後、私はヘブライ人カトリック協会(Association of Hebrew Catholics)の存在を知り、協会のデイビッド・モス氏*に電話をしてみました。

 

私は無神論ユダヤ人として自分のユダヤ教ルーツに関しそれまでほとんど関心を持っていなかったのですが、不思議なことに、カトリック教徒になるや否や、キリストを通した信仰のユダヤ的ルーツに突如として大いなる魅力を感じ始めたのです!

 

こうしてヘブライ語の勉強を始め、一年間、イスラエルに留学もしました。また石像研究時代にイタリア語を習得していたこともあり、ローマの聖十字架大学で8年間、神学研究をしました。

 

私たちは往々にして「あれかこれか」の二者択一的な考え方をしがちですが、それは残念なことだと思います。なぜならカトリックになることで旧約聖書の世界もまた開かれるからです。実際、カトリシズムのあらゆるものはユダヤ的ルーツを持っており、そこには連続性の解釈学(hermeneutics of continuity, ベネディクト十六世)があります*4

 

神は完璧な芸術家であり、全きものを完成させるべく、完璧な仕方でその備えもなされました。その全きものとは、神が私たち人間を愛するがゆえに人となって受肉され、贖いの血潮を流されたということです。そして神は私たちのために適切なる人間的方法でその備えをされ、あらゆる個別性(particularity)を持つ具体的民を集められたのでした。そうすることによって、主が彼らの間ーー彼らというファミリーの中ーーにあって人となることが可能になりました。

 

実際、連続性はあらゆる次元に見い出されます。コスモス(宇宙)の中に書き込まれている美、人の心の中に書き込まれている美、そして救済史における美ーー、これらもまた連続性の内にある神の御計画です。そしてその連続性を亀裂させようとしたのがグノーシス主義の異端でした。

 

こういった観点から、カトリシズムとプロテスタンティズム、そしてカトリシズムとユダヤ教の関係を考察していくと、さまざまな事が見えてきます。(例えば、ユダヤ教の「口承律法」と「成文律法」、カトリシズムの「聖伝」と「聖書」の調和的対照等。)*5

 

また「伝統」や「連続性の解釈学」の重要性という観点から、現代アートの諸問題に光が当てられるかもしれません。多くの現代アーティストには「生きた伝統」の中に息づく連続性の感覚が欠如しているように思われます。前述しましたように私たちは孤島ではあり得ません。私たちは社会的存在であり、垂直的次元(神→人)においても、歴史を通した水平的次元(人→人)においても他者から受容し、受け取っていきます。

 

東方キリスト世界にはイコノグラフィーという強靭なる伝統があります。神が人となって受肉されたゆえに、神はイコン(聖画像)として具象化されます。しかもそれらはやみくもに具象化されるのではなく、教会の生きた伝統の中で表されなければならないのです。

 

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イコン(出典

 

東方キリスト教世界のイコンは美しい伝統であり、しかもそれは究極的に言って本当にキリスト論的です。ただこの点である人々は「西方キリスト教はそれらの伝統を失ってしまった」と論じていますが、それは違うのではないかと思います。

 

カトリック伝統の美しいところは、相補性(complementality)の余地が豊富にあるということではないかと思います。東方正教会の立場からみると、聖画像はイコンというあり方で表象されなければならず、西方キリスト教世界のより自然主義的宗教画の発達はデカダンス、逸脱であるという見方が優勢ではないかと思います。

 

しかし繰り返しますが、カトリシティーの美しさは、その相補性の余地にあり、キリストはいかなる文化そして文化的表象よりも広大なる御方です。預言者イザヤは、国々の富がエルサレムに流れて来、アラビアやその他の国々が贈り物を携えてくると言っていますが、一つの読みとしては、世界に存在するさまざまな文化圏の人々がそれぞれの表現でキリストに栄光を帰すようになるということではないかと思われます。

 

ユーカリストの神秘

 

私は、神学校で神学および哲学を教えており、昨年、『The Eucharist: Mystery of Presence, Sacrifice, and Communion(ユーカリストーー現存、犠牲、コミュニオンの神秘)』という本を出版しました。

 

 

私が学生たちに語っているのは、神学の学びというのはただ単にアカデミックなものであってはならない、ということです。ですから、本書も神学書でありますが、それは読者の方々を祈りに導くものでなければならず、もしもそれができていないのなら、その時、私は神学者としても、また信仰者としても、本来の使命に生き損っているのだと思います。

 

ユーカリストの主題ほど私たちの霊的生活を深化させるものはありません。また美という観点でも、ユーカリストはこの世におよそ存在する事象の中でもっとも美しいものです。なぜなら、そこにイエス・キリストの現存があるからです。

 

しかしその美はまた、隠され秘められた美でもあります。それは人に啓示された公の美でありながら、それと同時に主は、隠された方法でご自身をヴェールで覆っておられます。つまり、ユーカリストはキリストの現存という美の神秘であり、覆われているのです。

 

先ほども申し上げましたように、もっとも美しいものは人の心の美であり、それゆえ、もっとも美しいものは自らを対象に捧げ切っている、愛の内にある人の心です。ですからユーカリストの重要性は、キリストの犠牲の神秘にあります。*6

 

これほど美しいものはこの世に存在しません。実にこの方は私たちのためにご自身を犠牲にされ、御父にご自身を捧げ、私たちのためにも捧げてくださいました。そしてその秘められた美を可視的なものに表現するーー。それがキリスト教美術の聖使命です。

 

ー終わりー

 

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*1:ユダヤ教の成人式は男子がバル・ミツバとよばれ13歳、女子がバット・ミツバとよばれ12歳である。ミツバとはユダヤ教の戒律のことであり、戒律を守ることが出来る年齢が成人だとされる。

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バル・ミツバ(出典

ここでの「成人」という言葉は、結婚可能なとか、生計を立てられるとか、選挙権があるという意味では使われていない。神の前に戒律を守る、すなわち、自分の行為で許されることと許されないことを認識し、自分の行動に責任を持てる年齢に達したという意味での「成人」と考えられるのだ。ユダヤ教の儀式としては13歳になった男子はシナゴーグ(ユダヤ教会)において初めて聖書を朗読する。ユダヤ教では毎週読まねばならない聖書の箇所が決められているが、自分の生まれたその週に読まれた聖書の箇所を、正式な読み方をラビに個人的に教わり、暗誦するのである。会衆の前に一人前の信者として初めて登場する晴の舞台。ユダヤ教徒としての数に加えられる日である。出典

*2:訳注:「愛のあるところ、そこに眼がある(Ubi amor, ibi oculus)」。これはトマス・アクィナス(1225頃ー74)の著作のなかに見出される有名な格言である。この格言は、「恋は盲目」の正反対の意味と考えると分かりやすい。愛しているからこそ見えてくる物事の深層というものがある。私だけが知っているあの人の本当の姿、長く聴き続けてきたからこそ見えてくるようになった好きな音楽の本当の魅力。この世を生きている限り、誰であれ、そうした仕方で深く愛する何かを有しているだろう。」山本芳久著『トマス・アクィナスーー理性と神秘』序より。

*3:訳注:

*4:訳注:①私にローマを指し示した一人のラビ、②深みに漕ぎ出すーーユダヤ的キリスト教との出会い

*5:訳注:「カトリシズム」と「メシアニック・ジュダイズム」

*6:訳注:ローレンス・ファインゴールド師の論考