巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

アイデンティティ・ポリティクスと文化的マルクス主義(by ジョーダン・ピーターソン、トロント大学)

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ジョーダン・ピーターソン(Jordan Peterson, 1962-)

 

目次

 

Jordan Peterson, Postmodernism and Cultural Marxism, Jordan Peterson, 12 Rules for Life, pp.187-9, "Postmodernism and the Long Arm of Marx"(抄訳)

 

はじめに

 

今日の潮流は、ポストモダニズムに対する理解なしには把握することが困難です。なぜなら多くの点においてーー特にそれが政治的行動に打ちだされる時ーー、ポストモダニズムは、かつてのマルクス主義の新しい表皮となっている場合が多いからです。

 

ポストモダン哲学は1970年に入って本格的に流行し始めましたが、それは古典的マルクス主義(特に経済面における古典的マルクス主義)が完全に信用をなくし、大逸れた無頼漢くらいしかもはや公にそれを支持することができなくなった後の現象です。

 

フランス知識人たちでさえ、1960年代後半までにはコミュニズムの悪弊と失敗を認めていたほどです。そこで何が起こったかというと彼らは巧妙なる曲芸をし、ポストモダンの装いをもって商標変更したのです。アイデンティティ・ポリティクスもここにおいて誕生をみました。それはフランスを震源にし、またたく間に野火のように広がり、特にイェール大学英文科経由で米国になだれ込みました。

 

マルクス主義は、経済地勢を闘争と捉えました。労働者階級である「プロレタリアート」と、「ブルジョアジー」との間の闘争です。それによると現行の経済システムは、‟エクィティ(equity)” を基盤としたラディカルな経済的変革がない限り、今後も民衆を隷属状態にせしめ、彼らは貧困と抑圧の中に置かれ続けます。換言しますと、マルクスは歴史と社会を経済学に還元し、文化を「富者による貧者への抑圧」と捉えたわけです。

 

そしてソビエト連邦、中国、ベトナム、カンボジア等、、どの地域であれマルクシズムが実践された場所においては経済資源が残忍に再配分され、私有財産が削減され、地方の人々は強制的に集産化させられました。

 

その結果、何が起こったのでしょう?ーー筆舌に尽くし難い流血の大惨事でした。マルクス主義は、おそらく人類史上最も破壊的な経済的、政治的ドグマであり、それには国家社会主義(National Socialism;ナチズム)も含まれます。なぜならコミュニスト体系によって引き起こされた大惨事の圧倒的規模は、ヒットラーによって引き起こされたそれを凌ぐからです。それは実に壊滅的体系です。*1

 

にも拘らず、現在の大学機関は大惨事の実態を学生にしっかりと教説していません。例えば、私はトロント大学で教鞭を取っていますが、学生たちの大半は、20世紀のソビエト(スターリンおよびレーニン政権下、1919-1959年)で、何が起こったのかについてほとんど知りません。そして、(毛沢東政権は言うまでもなく)これらの政権下、何千万という人々が殺戮され、拷問を受け、むごたらしい殺され方をしてきたということについて学生たちは無知です。*2

 

マルクス主義思想が実行に移された時、何が起こったのか

 

マルクス主義思想はユートピア主義知識人たちの目に非常に魅力的なものに映っていました。クメール・ルージュによる大虐殺の主要立案者の一人であるキュー・サムファン(Khieu Samphan、1931-*3.)は、1970年中盤に彼がカンボジアの名目上の頭首になる前に、ソルボンヌ大学で博士号を取得しました。

 

1959年に書かれた博士論文の中でサムファンは、カンボジア諸都市の非農民たちによって為されている労働は非生産的であると論じています。それによると、銀行家、官僚、ビジネスマンは社会に何ら貢献していないばかりか、彼らは農業、中小企業、手工業を通し生産される純価値にただ寄生しているだけなのです。

 

サムファンの思想は当時のフランス知識人たちに好意的に受け入れられ、彼らはサムファンにPh.D.を授与しました。カンボジアに帰国後、彼は自らの諸思想を実行に移す機会を得ました。

 

クメール・ルージュはカンボジアの諸都市を文字通り空(から)にし、市民たちを根こそぎ地方に強制移動させた上で、銀行を閉鎖し、通貨使用を禁止し、市場(しじょう)を破壊しました。こうしてカンボジア人口の実に4分の1に当たる人々が地方で、戦場で、死ぬまで働かされ、命を落としたのです。*4

 

1930年代、世界大恐慌の時期に、スターリン政権下のソビエトは200万のクラーク(富農)をシベリアに強制移動させました。(何頭かの牛、数人の雇い人、数エーカーの土地を持っていた農民たちが典型的クラークでした。)

 

コミュニストの観点でいくと、こういったクラークたちは周りにいる人々からの略奪により富を蓄積してきたので、罰せられるに値するのです。富は抑圧の表象であり、私有財産は盗みです。ですから今こそ‟平等”と公正処置がなされなければなりません。

 

3万人のクラークがその場で即銃殺されました。そしてそれ以上の数のクラークたちが、嫉妬深く、憤怒に満ち、非生産的な隣人たちの手によって残虐死を遂げました。こういった隣人たちは、血に飢え渇いた自らの殺人的意図を覆い隠すべく、コミュニスト集産化という高い理想を利用したのです。

 

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ソビエト、プロパガンダポスター。"♪ We Want Peace!" (出典

 

クラークたちは「人民の敵」、猿、人間のくず、害虫、汚物、豚野郎でした。「我々はクラークから石鹸を作るぞ。」党およびソビエト執行委員会によって動員された特に残忍なる幹部組織が叫び、地方に派遣されていきました。クラークたちは家から引きずり出され、通りで裸にされ、殴る蹴るの暴行を受けた挙句、自分の墓穴を掘らさせられました。女性たちは強姦され、彼らの持ち物は何から何まで「没収 “expropriated”」されました。

 

生き残ったクラークはシベリアに追放されました。(多くの場合、真夜中に。)移送列車はロシアの極寒の中、2月に出立しました。多くの者ーー特に子供たちーーが、腸チフス、麻疹、猩紅熱で命を落としていきました。

 

「寄生虫的」クラークたちは一般に、最も技術があり勤勉なる農夫たちでした。〔彼らを抹殺したことにより〕農業生産量が激減しました。残ったわずかばかりの収穫物は強制的に地方から取り上げられ、諸都市へと送られていきました。飢えた家族の腹を少しでも満たしてやろうと収穫後残った麦粒を拾いに来る田舎の人々は見つかり次第死刑に処せられました。

 

こうして、1930年代、ソビエト連邦のパン籠であったウクライナで600万人もの人々が飢餓により命を失いました。当時のソビエト政権ポスターには「わが子を食べるのは野蛮行為である」との警告文が載っていました。

 

単なる噂以上であるこういった残虐行為の報にも拘らず、多くの西洋知識人たちの間ではコミュニズムに対する態度は相変わらず肯定的であり続けました。

 

アレクサンドル・ソルジェニーツィンの記録文学である『収容所群島*5*6』が出版されるにおよんで(1973年から75年にフランスで発売)、コミュニズムの倫理的信頼性は完全に失墜しました。ーー最初は西洋において、そしてついにはソビエト体制それ自身の中において。

 

この本は地下出版物(samizdat)として流通しました。ロシア人たちは24時間以内にこの貴重な複写本を読み終えるや、それを待ち構えている次の読者に手渡していきました。そしてロシア語での本書朗読は、リバティーラジオ局によりソビエト連邦内に向け放送されました。

 

ソルジェニーツィンは「ソビエト体制は独裁制および強制労働なしには決して生存できない。」と論じていました。ーー曰く、その極悪なる過剰の種子はレーニン時代に確実に蒔かれ(当時、西洋コミュニストたちは依然としてレーニン擁護の弁証家として奉公)、それは個人レベル、公的レベルその両方における絶え間なき虚偽によっててこ入れされてきた。そしてその罪および犯罪性を、単なる個人崇拝に帰すことはできないと。*7

 

ソルジェニーツィンはソビエト連邦内における、政治犯に対する恐るべき虐待、腐敗した法体系、大量虐殺行為の実態を記録し、克明なる綿密さをもって、そういった諸行為が倒錯や例外的異常の類ではなく、内在するコミュニスト哲学の直接的表現であることを証左しました。『収容所群島』が世に出版されるや、もはや誰もコミュニズムを擁護できなくなりました。ーーコミュニストたち自身でさえも。*8

 

「消えた」のではなく「形を変え」生き続けるマルクシズム

 

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ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)出典

 

1960年代後半までに、コミュニズムが壊滅的失敗であるということが圧倒的に証左されていたために、フランス知識人であるジャン・ポール・サルトルでさえも、スターリン政権、毛沢東政権およびその他のあらゆる異形・類型は破局的破綻であったことを認めざるを得ませんでした。

 

その後、ポストモダン主義者たちが表舞台に登場してきます。彼らは基本的にマルキストでしたが、勿論、表立って自分がマルクス主義者であることを公言することは当時すでにはばかれました。そこで彼らは手品ゲームをし、「プロレタリアート」vs「ブルジョワジー」という従来の対立構造を、「非抑圧者」vs「抑圧者」という具合に品替えしたのです。

 

「ブルジョワジー」vs「プロレタリアート」

    ↓

「抑圧者」vs「非抑圧者」

 

こうしてさまざまな諸集団を「抑圧者 vs 被抑圧者」と特定化した上で、マルクス主義時代と同じナラティブを別の名称を用いることによって続行していきました。そしてその特定化作業はもはや経済の分野だけにとどまりませんでした。ーーそう、それは「権力」です。ポストモダン主義者にとっては「権力」がすべての鍵概念です。

 

こういった言語的ごまかしにより、西洋の知的小尖塔に今もなお住処している悔悛なきマルクス主義者たちが自らの世界観を保持する手段がゲットされました。社会はもはや「富者」による「貧者」への抑圧ではなく、今や、「権力者」による「万人に対する抑圧」となったのです。

 

ここに彼らの思想の危険性が潜んでいます。仮にあなたがある人と話し合いをしようとしていると仮定してみてください。議論相手の頭の中は、徹頭徹尾、「権力」概念で埋め尽くされています。

 

そうすると彼らを駆り立てるのは、「権力」を自分の方向に獲得することです。それ以外、何が存在するというのでしょう。ロジックも研究もなく、交渉も対話もディスカッションもなければ、精神の出会い、コンセンサスといったものもありません。そこにあるのはただ「権力」それのみです。*9

 

それゆえ、1970年代以降、ポストモダニズムという名を借りつつ、私たちは、大学教育機関におけるアイデンティティ・ポリティクスの急速な拡大を目の当たりにしてきました。

 

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移民権を巡る問題に抗議運動をしているニューヨーク大学の学生たち。学生たちはその他の抗議内容を表すシンボルをも掲げています。今日、学生たちは「セーフ・スペース*10」を声高に求め、アイデンティティ・ポリティクスに関与しています。私たちはいかにしてこの地点に至ったのでしょうか。ウェークリー・スタンダード誌、M・エバーシュタット記者(The Primal Scream of Identity Politics

 

実に、アイデンティティ・ポリティクスは現在、人文系諸学科を事実上支配しており、社会科学系もかなりの割合でその支配下に置かれています。そして諸大学は、西洋文明の根本的基礎構造を断固として破壊しようとしている、非常にラディカルなポストモダン左翼思想家たちに対し公に資金提供しています。それらは偏執性妄想の類ではなく、自ら認めている彼ら自身の確固たる目標です。

 

ジャック・デリダ

 

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ジャック・デリダ (Jacques Derrida,1930 –2004)

 

こういった一連の潮流を作り出しているプレーヤーの一人がフランス哲学者ジャック・デリダでしょう。デリダは自身の思想を、マルクシズムのラディカル化された形態として描写しました。

 

彼の哲学は、ラディカルな左翼思想家たちによって熱心に探求されているアンチ西洋哲学を一時的に形成してきましたが、彼らの思想およびそれが現代文化に浸透している度合の深刻性について私たちは見過ごすことができないと思います。

 

こういったラディカルなポスト近代共同体主義のドグマ信奉者たちは、人種アイデンティティ、性アイデンティティ、ジェンダー・アイデンティティ等の「集団アイデンティティ」を最高位に押し上げた上で、低次から中次レベルにおける官僚諸機構を事実上支配するに至っています。

 

そしてそういった諸機構は、大学のアクティビスト教授たちによって訓練されています。その証拠が欲しいですか?それなら、女性学グループのウェブサイトなどに行って、彼らが実際に何を言っているのかご自分で確かめてみてください。*11

 

デリダは「ロゴス中心主義*12」という概念を提示し、これが西洋の中心的な公理立場であると論じています。(ここで言う「西洋」とは、啓蒙主義西洋だけでなく、啓蒙期以前のユダヤ・キリスト教西洋も含みます。)彼は、ユダヤ・キリスト教ーモダニズムールネッサンスー啓蒙主義を流れる伝統の後を追いつつ、それらを批判しています。デリダは、「文化は初めに男性支配的であった」という前提を持っていますが、この前提は、歴史的ストーリーに関するラディカルな単純化です。

 

実際、1895年以前、平均的な民は今日の単位でいう一日一ドルのラインで生活していました。ですからいわゆる「抑圧されている」という状態は、当時遍在的なものであり、単なる社会的文化的体系によるものだけではなかったということがこういった比較的最近の歴史をみるだけでも分かります。

 

デリダは西洋が「男性支配的」かつ「ロゴス中心的」であると主張しました。ここで言う「logos」というのはロジックという意味もありますが、より深いレベルではロゴスを含意しています。なぜならロゴス(λόγος)というのはキリスト教における三位一体神の第二格でもあり、デリダはそれをよく知っていました。

 

デリダによれば、ヒエラルキー諸構造というものは(その特定構造の受益者を)‟包含”し、(それ以外の全ての人々、つまり抑圧されている人々を)‟排除”するためだけに出現します。

 

しかしその主張だけでは十分にラディカルではありませんでした。デリダは、分裂性および抑圧は言語の中に組み込まれているーー実際的に簡約化し、世界と交渉すべく私たちが用いているところの『カテゴリー』そのものの中に組み込まれているーーと主張しました。

 

「女性 “women”」というカテゴリーが存在するのは、女性たちを排除することにより男性たちが益を受けるからに過ぎない。「男と女 “males and females”」というカテゴリーが存在するのは、生物学的セクシュアリティーが不定形であるところのマイノリティーを排除することにより、より異種的集団に属するメンバーたちが益を受けるからに過ぎない。科学は科学者たちだけに利益をもたらす。政治は政治家たちだけに利益をもたらすーー。

 

デリダの見解によれば、ヒエラルキー制が存在するのは、そこから除外されている人々を抑圧することにより、彼ら〔=ヒエラルキー制に与する者たちが〕が益を受けるからなのです。そして彼らをして繁栄せしめるのは、不正手段によって得たそういう利益に他なりません。

 

デリダは「テクストの外部には何もない(“Il n’y a pas de hors-texte,” "there is nothing outside the text")」と述べたことで有名です。(ですが彼はこの言明を後に否定しました。)

 

デリダの支持者たちは、"there is nothing outside the text"という英訳は誤訳であり、本来ならそれは “there is no outside-text”(外部テクストは何もない)と訳されるべきだと言っています。しかし、結局どちらにしても、「全ては解釈である」という読み以外でこの言明を捉えることは難しいでしょう。そして実際、デリダの作品は一般的にそういう風に解釈されてきました。

 

この哲学のニヒリスト的で破壊的な性質を買いかぶることはほぼ不可能でしょう。この哲学はカテゴリー化という行為そのものを懐疑の中に落とし入れています。そしてそれは、「事象間における区別化は、むき出しの権力以外の理由によっても為され得る」という考えを無効にしています。

 

男女間の生物学的区別?ーー性差は生物学的諸要素から強力に影響されていることを示す圧倒的にして学際的な科学的証拠が存在しているにも拘らず、デリダや彼のポストモダン・マルキスト追随者たちにとっては、科学もまた権力ゲームに過ぎないのです。

 

彼らによれば、科学がそういった諸主張をするのは、科学の世界で頂点にいる人々に利益をもたらすために他なりません。諸事実というのは何も存在しません。技能や力量の結果としての階層的立場や評価?技能や力量に関するあらゆる諸定義もまた、デリダや追随者たちにとっては、ーー他者を排除し、個人的に利己的に利益をゲットすべく、そこから恩恵を被っている人々によって作り出されたものーーに過ぎません。

 

もっとも、ある部分におけるそれらの陰湿な性質という点において、デリダの諸主張には十全たる真理が含まれていることも事実です。権力というのは根本的動機因の一つではあります。人々はトップにのし上がろうと競い合い、支配的階層の中にあって彼らは現状維持に努めます。しかし(とここで、一人前の男と、隠喩的ボクちゃんを分け隔てる哲学的分岐線があります)、人間の動機において権力の果たす役割が存在するという事実があるからといって、それだけが唯一の役割であるわけでなく、主要な役割であるわけでもありません。

 

同様に、「私たちは決して全てを知ることはできない」という事実により、私たちの為す全ての観察・見解・言明が、ーーあるものを考慮に入れ、他のあるものを外すーーという行為に依拠しているというのは確かにそうです。しかしそうだからといって、それは「全てが解釈である」という主張を正当化しているわけではなく、「カテゴリー化は単なる排除行為である」という主張を正当化しているわけでもありません。

 

単一因による諸解釈を警戒してください。そしてそれらを啓蒙・普及しようとしている人々を警戒してください。

 

ー終わりー

 

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*1:訳注:

*2:訳注:

1861年の農奴解放令によっていっさいの旧価値が崩壊し、動揺と混乱を深める過渡期ロシア。青年たちは、無政府主義や無神論に走り秘密結社を組織してロシア社会の転覆を企てる。聖書に、悪霊に憑かれた豚の群れが湖に飛び込んで溺死するという記述があるが、本書は、無神論的革命思想を悪霊に見たて、それに憑かれた人々とその破滅を、実在の事件をもとに描いたものである。ロシア語での初版、1871年。無神論的革命思想が20世紀ロシアにもたらした流血の大惨事を見通していたかのような預言的作品。

*3:訳注:クメール・ルージュ共産政権により、約200万の自国民虐殺。2007年にカンボジア特別法廷により「戦争犯罪」および「人道に対する罪」で訴追。2013年10月21日、検察は最高刑にあたる終身刑を求刑。2016年11月23日、第2審において「人道に対する罪」でキュー・サムファンとヌオン・チアは共に終身刑が確定。

特別法廷でのキュー・サムファン(2009年7月3日撮影)出典

*4:クメール・ルージュによって殺戮された人々の数が、さまざまな立場で検討されている。ヘン・サムリン政権は330万人が死んだと主張した(これはのちに下方修正された)。CIAは5万から10万人がクメール・ルージュによって殺害されたと推測したが、これには飢餓による死者数を含まない。アメリカ国務省、アムネスティ・インターナショナル、イェール大学・カンボジア人大量虐殺プロジェクトの3者は、それぞれ120万人、140万人および170万人と推計している。これらの機関は内戦時代の爆撃や戦闘による死者数については数字を出していない。 フィンランド政府の調査団は、ポル・ポト以前の死者(戦闘・爆撃による)を60万人、ポル・ポト以後の死者を100万人としている。カンボジアでは1962年を最後に国勢調査が行われておらず、内戦時代には大量の死者および国内難民が発生しており1975年までの正確な人口動態がつかめていないために、こうした諸推計にも大きく開きが出ている。参照

*5:『収容所群島』(しゅうようじょぐんとう、Архипелаг ГУЛАГ、ラテン文字表記:Arkhipelag GULAG)は、ソ連の作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの記録文学。旧ソ連における、反革命分子とみなされた人々に対しての強制収容所「グラグ(グラーグ)」への投獄、凄惨な拷問、強制労働、処刑の実態を告発する文学的ルポルタージュである。統制の厳しい本国では出版できず、1973年から1975年にフランスで発売。各国語訳が進められた結果、人権上由々しき問題として大反響を巻き起こした。当然ながらソ連では禁書扱いされた。ソルジェニーツィン自身は、続刊が出版されている最中である1974年に市民権を剥奪されて西ドイツへ国外追放されている。タイトルの「収容所群島」とは、広大なソ連領内の各地に点在する収容所の分布のありようを、大海中に点在する島々になぞらえた表現である。出典

*6:訳注:同著者による別の著作。『イワン・デニソビッチの一日』

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「朝の五時。いつものように起床の合図が鳴った」で始まり、「一日が過ぎ去った。どこといって陰気なところのない、ほとんど幸せな一日が。」という驚くべき言葉で終わる、強制収容所(ラーゲリ)の一日の物語。だがそこには濃密な「人間の日々の暮らし」が息づいていた。発表と同時にセンセーションと広範な論議を呼び起こしたソルジェニツィン44歳のときの処女作であり、ロシア文学の名作中の名作。(アマゾン内容紹介より).

*7:訳注:関連作品

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飲んだくれの農場主を追い出して理想の共和国を築いた動物たちだが、豚の独裁者に篭絡され、やがては恐怖政治に取り込まれていく。自らもスペイン内戦に参加し、ファシズムと共産主義にヨーロッパが席巻されるさまを身近に見聞した経験をもとに、全体主義を生み出す人間の病理を鋭く描き出した寓話小説の傑作。(アマゾン内容紹介より).

*8:しかしそうだからといって、知識層ーー特にフランス知識層ーーの間でのマルクス主義思想への思い入れが消滅したわけではありませんでした。それは「消えた」のではなく「形を変えた」のです。ある人々はあからさまに実態を知ることを拒否しました。サルトルはソルジェニーツィンを「危険分子」として糾弾しました。デリダはもう少し微妙に、金銭に関する思想を、権力に関する思想に置き換えた上で、尚もその道を続行していきました。

*9:訳注:

*10:訳注:

文化マルクス主義がアメリカを破壊しつつある。

*11:ある個人や、ある集団の人々の‟ケアをする”というのは非常に複雑な事柄です。「配慮する、ケアする」というのは、必ずしも常に相手のことを可哀想に思い、同情することを意味していません。なぜなら、「あの人々は抑圧されているからです」という理由だけでは十分でない場合が多々あるからです。実際、長期的スパンにおいて人々を助け援助するための諸機構は、短期的にみた時、その働きはむしろ手厳しい場合が多いのです。例えば、赤ん坊が泣いている場合、あなたには即座の同情心と行動が要求されるでしょう。赤ん坊の抱えている問題(お腹がすいた等)は今すぐに解決されなければならず、あなたには即座の解決策があります。しかし例えば、貧困といった体系的諸問題を取り扱う際、私たちには即座の同情以上のものが必要とされます。ですから共感や感情移入のみによって駆り立てられている共同体は不条理な命題です。彼らは両者を混同しているというよりはむしろ、異なる二つの概念を区別することができないでいる、と言った方がよいでしょう。人々が長期的スパンで個人的にそして社会的に繁栄することができるよう助けるための機能的構造を打ちたてるのは非常に困難な業です。ただ「あの人たちが可哀想だから」と感情移入しているだけでは何ら解決はもたらされません。

*12:訳注: