巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーケヴィン・ウェイン氏の信仰行程

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目次

 

Kevin Wynn, A Seventh-day Adventist’s Long Way Home, 2014, Julie & Kevin Wynn: Former Seventh-day Adventists, 2015(拙訳)

 

セブンスデー・アドベンチストの家庭に生まれる

 

私はセブンスデー・アドベンチスト教会(SDA)で生育しました。父方の家系は皆アドベンチスト信者であり、母方は皆、南部バプテスト信者でした。母は結婚時に父のために改宗し、その後、父以上にSDAに忠実なアドベンチスト信者になりました。こうして姉と私はアドベンチスト教会で大きくなったのです。

 

幼い時の思い出ですが、アドベンチスト教会に行く途中、茶レンガ造りのゴシック調の教会をいつも通り過ぎていました。ある日、父に、「あの教会の中を見てみてもいい?」と訊きました。すると父は、「あそこの人たちはね、私たちとは本当に違う信仰を持っていてね、彼らはもう、‟ほとんどカトリック”と言ってもいい位だよ。」と答えました。それで小さい時から、理由はよく分かりませんでしたが、カトリックというのは悪いものを意味するなにかなのだと考えていました。

 

そして成長していく過程で、「アドベンチストの預言者によると、カトリック教会のかしらである教皇はアンチクリストである」ということを教えられていきました。

 

両親の離婚

 

12歳の時、両親が離婚しました。アドベンチストも(結婚の尊厳に関するカトリック理解と非常に類似する形で)離婚というあり方を信じていません。しかも、結婚破綻にかんする惨めで卑しむべき詳細が未だ噴出しているただ中にあって、なんと父はそそくさと再婚したのです。(ということは以前から相手の女性は舞台そでで父との結婚の機会をひそかに待っていたわけです。)

 

少年だった私の心は打ちのめされました。そしてそれ以後、父が語るどんなことも真剣に受け取ることができなくなりました。そして自分がこれまで‟真理”だと教わってきたことは本当に‟真理”だったのだろうかと疑い始めました。

 

この困難な時期に母が信仰を失わずにいてくれたことに私は感謝しています。この状況に直面しても尚、神に向かおうとしていた母の姿を見ることがなかったのなら、私はおそらく永遠に教会から立ち去っていたことでしょう。その後、父は44歳という若さで突然、心臓発作で亡くなりました。その当時は父の死に余り涙しませんでした。(でもその後父を想い多くの涙を流しました。)

 

しかし私たちのアドベンチスト信仰の中で慰めを見い出すことは困難でした。というのも、SDAの教えによれば、母を離縁し、その後再婚することにより信仰を破棄した父の行き先はおおよそ地獄だとされていたからです。どういうことかと言いますと、あなたが一たびアドベンチスト信仰の「真理」を知った上で、あえてそれに背を向けるのなら、あなたは滅びるのです。一方仮に、あなたが(あなた自身の咎によるものではなく)別の信仰の中で生育し、アドベンチスト信仰という「真理」を一度も聞く機会に恵まれなかったとします。その場合、あなたには依然として救済のチャンスが与えられています。

 

SDAの人々は言います。「カトリック教徒でさえも、彼らに示されている分量の光に従って真実に生きようとしているのなら、救われる可能性があります」と。ですが、あなたが本当の「真理」を知ったのなら、その際には、言い訳は成り立ちません。つまり、あなたがあえてアドベンチスト教会の教えを無視し続けるという選択をするのなら、その時、あなたは確実に滅びの状態にあるのです。(おそらくこの教えが原因で、アドベンチスト教会からの改宗者が起されにくいのかもしれません。)

 

ですが、アドベント信仰のもう一つの教理ゆえに、私は自分の父親が(まだ)刑罰の苦しみに遭っていないことに確信を持っていました。アドベンチストは "soul sleep”(→死んだ際、あなたは復活の時まで不存在になる〔=you cease to be〕)と教えているからです。

 

黙示録セミナー

 

もしあなたがプロテスタントの方でしたら、「リバイバル」という言葉にきっとなじんでおられることでしょう。一方、アドベンチスト教会はどうかと言いますと、「リバイバル集会」的なものは催さず、その代りに、「黙示録セミナー*1」というのが開催されます。懐疑心が侵入して来ようものなら、すぐさま「黙示録セミナー」に赴き、そこで私たちはアドベンチズムの効能促進剤を得ることができます!

 

ウェスト・コヴィナヒルズ・セブンスデー・アドベンチスト教会の聖書預言セミナー(出典

 

高校生の時に母教会が地元の学校を借りて開催したセミナーのことを思い出します。「黙示録セミナー」というのは大部分においてヨハネの黙示録をベースにしており、大抵、一週間ほど続きます。そして毎晩、私たちは体系的にアドベンチストの「啓示真理」の深みに導き入れられていき、このセミナーが終わる頃までには、あなたは、①この人たちは徹頭徹尾間違ったことを言っている、もしくは、②彼らの言っていることは正しい。そして教皇は本当にアンチクリストである、のどちらかを確信するに至るでしょう。

 

この黙示録セミナー終了後、私は、自分たちの教会こそが天国に到る唯一の道であることを確信しました。そしてこの「真理」を知らずにいる人々にぜひ伝道したいという思いが与えられました。そこで私は、「他の人々をあなたの真理に導くことができますよう、どうかセミナーで学んだ内容を聖書によって示してください」と神に祈りました。

 

そしてセミナーの内容と照らし合わせながらヨハネの黙示録を読んでいきました。しかし読み進める中で「あれっ?どうしてだろう?」と怪訝に思う場面が何度かありました。というのも、講義の中で語られていた箇所は確かにヨハネの黙示録の中にあったのですが、私の目に、それらの箇所はどうも文脈を無視した形で引用されているように思えてならなかったのです。

 

黙示録の基本的読解でいくなら、アドベンチストの提示する出来事年表には何かしら間違いがあるように思えました。しかしそれと同時に「でもまあ、何はともあれ、自分がアドベンチストとして生まれてこれてよかった。だって、こういった事全てを自分だけで解明せよっていわれてもできっこないはずだから。。。」そう自分に言い聞かせました。

 

なぜ牧師の家の冷蔵庫にワインがあるのだろう。

 

私たちの教会にはすばらしい説教師がいました。そして彼の説教を通し、聖書は自分にとって本当に生きたものとなっていきました。彼には私と同い年の息子がいて、私たちは親友になりました。それで時々、礼拝の後、彼の家に遊びに行きました。

 

ある日、飲み物を台所から持ってこようと私は彼の家の冷蔵庫を開けました。するとそこにワインのボトルがありました。アドベンチスト信者の間ではアルコールは飲まないことになっています。「なぜ、僕の牧師の家にワインがあるのだろう?」

 

それで友に直接そのことを訊いてみました。すると彼は答えました。「イエス様もワイン飲んだよ。」私は自分の耳を疑いました。「えー、でもさぁ、個人飲酒を許すプロテスタント教会の人たちでさえ、聖餐式の時にはグレープ・ジュースを使ってるじゃないか。」と私は反発しました。

 

すると友は、イエスの時代に彼らが飲んでいた葡萄酒が発酵されたものであることを明確に示す聖句をいくつか私に示しました。「ってことは聖書が間違ってるってこと?」その後時を置かずして、この説教師は教会を去り、かなり多くの教会員を引き連れ、自分自身の教会を独自にスタートさせました。このような事は、アドベンチスト教会では前代未聞のことだったのではないかと思います。

 

「レビ記の食物規定律法」と、「1テモテ4章」をどう考えればいいのだろう。

 

その後、私たちの教会に新しい説教師がやって来られました。彼は神学校出たての若い牧会者でしたが、良い説教をなし、アドベンチスト教理を忠実に厳守していました。彼はまた私たちの安息日学校(土曜学校)の新しい講師でもありました。

 

前述したように私の中でアドベンチスト教会の教えに対する猜疑心が芽生えてきていましたので、当然のことながら、クラスの中で私と講師は衝突することになりました。私としては、なぜ私たちが〇〇という教理を信じているのか、それを正確に聖書から示してほしいと必死の思いでいたのです。

 

セブンスデー・アドベンチストはレビ記の食物規定に関する律法を遵守しています。ですが、1テモテ4章を読んでいて、4節、5節のところで私ははっと立ち止まりました。*2

 

「というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。」

 

そして6節はこう言っています。「これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。」

 

私は心底、他の人々に対しキリストを証する良い証し人になりたいと望んでいました。そこで、矛盾しているように思われるこれらの聖句をクラスの中で提示することにしました。「先生、ここの聖句が言っているように、僕たちが神様の祝福を求め、それに感謝するなら、何でも食べていいんじゃないでしょうか?」講師は何と答えていいか分からず動揺しているようでした。そして翌週このディスカッションを再開しましょうということになりました。

 

次のクラスに臨む前に私は、その他の聖句箇所をすでに用意していました。(例えば、1コリント10章25節、それから、親友が指摘していたイエスの飲んでいた葡萄酒に関する箇所など)。そしていざクラスの中でそのトピックを再び取り上げようとした私に、講師は「このテーマに関してはもう十分話し合ったと思いますよ」と言い、新しいトピックに移っていきました。その後もう二度と私は彼のクラスに戻りませんでした。

 

「終末における主のまことなる教会」

 

その後、私は伝道用にと、聖書の裏表紙の空いたスペースに、アドベンチストの各信条、およびそれをバックアップする聖句箇所を次々と書き出していきました。しかしその過程で私はまたも、アドベンチスト教理とそのバックアップ聖句が必ずしも調和していないことに気づき始めました。

 

そうは言っても、やはりアドベンチスト教会は大部分において正しいと考えていました。なんといっても、聖書的な週の第7日(土曜日)を安息日として遵守しているのは、私たちの教会だけではないでしょうか?ですから、アドベンチスト教会以外の他のどの教会に行けというのでしょう?

 

事実、アドベンチスト著述には、「土曜日を安息日として遵守することが、終りの時代における主のまことなる教会を見分ける神の印である」と記されてあります。またアドベンチストは日曜日を安息日として遵守することを、「獣の刻印」を受けることと同一視しています。*3*4

 

ここ150年余り、アドベンチスト信者たちは、自分たちがこの地上の歴史における最後の日々を生きているということに確信を持ってきました。そしてこの信条はそれを信じる信者たちのプシュケー(魂)の上に深刻な影響を及ぼし得ます。

 

例えば、SDAの教師たちは子供だった私たちに、「あなたたちにはおそらく、成長して、大人になって、自分たちの家族を築く時間がもう残されていないかもしれません」と語っていました。その結果、私は長い間、自分が結婚するということに現実的になれないでいました。

 

イエス様が今日にでも再臨されるかもしれないのです。それなのに悠長に結婚プランなど立ててもよいものでしょうか。また大患難期に突入した際、幼い子どもたちを持っていたくないと思っていました。(彼らが可哀想だから。)

 

アドベンチストは、ラプチャー(携挙)教理*5は信じていませんので、大患難期にもしもあなたがこの地上に生きているのなら、あなたは迫害を逃れるべく丘の方に急ぎ身を隠さなければなりません。

 

しかし25歳の誕生日の朝、私は目を覚まし、「やっぱり自分も結婚することや家族を養い育てることを考えなくてはいけないかもしれない」と思いました。

 

ジュリーとの出会い

 

アドベンチスト独身者パーティーに誘われ、私は将来妻となる女性ジュリーに出会いました。私にとっても妻にとってもアドベンチスト信仰の中で結婚することは非常に大きな意味を持っていました。

 

ジュリーは敬虔なアドベンチスト信者でした。彼女は生後一日目にして(祝福の祈りのため)教会に運ばれてきました。彼女の母は長年教会オルガニストを務めており、ジュリーは七人兄弟の末っ子でした。そして毎週、彼女の大家族は教会の一番前の席に座っていました。

 

ジュリーと私は彼女が育った教会に通い始めました。昔の教会に戻ることができ無邪気に喜んでいる彼女を前に、私は自分の中に巣食っているアドベンチスト教理に対する懐疑を持ちだす気になれませんでした。彼女は美しい声を持っており、それゆえ、幼い時から教会の特別音楽のために彼女は歌っていました。

 

しかししばらくして、音楽プログラムに関し非常に異なった考えを持つ新しい音楽ディレクターが赴任してきました。彼にとっては従来の特別音楽は過去の産物でした。この教会でジュリーは育ち、結婚式も挙げたわけですが、こういった変化は彼女にとって打撃であり、それ以後、彼女はもはや教会の中に自分の居場所を見い出すことができなくなりました。こうして次第に私たちは教会から足が遠ざかるようになっていきました。

 

合理的に擁護可能な信条

 

ある日、アドベンチストのウェブサイトを見ていたら、そこにカトリシズムに対する論駁記事が掲載されているのに遭遇しました。そしてそのページの終わりには、「カトリック反証」というリンク元と共に、「このリンクはあなたを実際にカトリックのウェブサイトにつなぎます」との免責事項が記載されてありました。

 

「これは面白そうだ。」私は思いました。というのも、これだけの強靭な論駁に対し、カトリック教徒たちが一体どんな言葉で応戦しているのか、まったく見当がつかなかったからです。そこでリンクをクリックして、そのカトリック・サイトに入ってみたのですが、予想に反し、カトリック側はアドベンチストの諸主張に対しなかなかいい応答をしており驚きました。

 

非難の言説に非難の言説をもって応酬するという論戦の仕方ではなく、彼らは合理的な様式で淡々と自らの信じている信条を提示し、それらを解説していたのです。彼ら自身が提示しているカトリック教会像は、私がこれまでずっとアドベンチスト教会内で聞かされてきたカトリック教会像*6とは異なっているように思われました。そこで私はSDA教会の歴史について自分で一度徹底検証してみようと思い立ちました。

 

アドベンチスト伝統の起り

 

調べてみるとアドベンチスト伝統の発祥は次のようなものでした。ウィリアム・ミラーという名の説教者がいて、彼は自分がダニエル書およびヨハネの黙示録を解読できたと人々に説いて回っていました。(黙示録セミナーの始り)。

 

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ウィリアム・ミラー(1782-1849)

 

ミラーは1844年10月に世界の終末が来ると主張していました*7。しかしその預言は外れ(「大いなる失望」*)、その結果、ミラーの追従者のほとんどは自分たちが元来所属していた諸集会に戻っていきました。

 

ミラーの示したキリスト再臨までのチャート表(出典

 

ミラー自身も自分が誤っていたことを認め、その後、元々所属していた教会に信徒メンバーとして戻っていきました。しかし100人ほどの信者たちは尚も、ミラーが誤っていたということを認めることができませんでした。

 

そして彼らは「やはり1844年に何かが起ったに違いない」と信じていました。「地上においては目に見える現象は何も起こらなかったのだから、天において何事かが起ったに違いない。」これがアドベンチスト信仰の基盤です。その後時を置かずして、そのグループの中の一人が「自分は預言者である」と主張し始めました。

 

この時点で私は自問しました。もしも僕がミラーたちの時代に生きていたとしたら、果たして自分はどのグループに属することを望むだろうか?

 

マタイ24章36節の御言葉が脳裏に思い浮かびました。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。」

 

終わりがいつ来るのか神だけしかご存知ないのだとしたら、私はなぜ「終末がいつ来るのか解明できた」と自認している誰かの言う事に耳を傾けなければならないのでしょう。私はむしろ彼らが元々所属していた一般教会のメンバーになることを選んでいたかもしれません。そしてミラーの終末預言をまともに信じ教会を出ていってしまった友人たちが自分たちの誤りに気づき、再び教会に戻ってくることを待ち望んでいたかもしれません。

 

それはそうと「彼らが元々所属していた教会」とは一体どの教会だったのでしょう。私の霊的系譜はどこにあるのでしょうか。どこを辿ればいいのでしょうか。私はその部分を探求していくことにしました。

 

私たちの霊的祖先はどこに?

 

探求を進めていく中で分かったのは、後に「アドベンチスト教会」となった最初期の小さな群れのメンバーの大半は、メソジスト伝統からやって来た人々であったということでした*8。それで私は「それでは、メソジストというのが私の霊的祖先なのかもしれない」と思い、メソジスト教会について調べ始めました。

 

そうすると、メソジストというのは元々、英国国教会内で興った運動から始まったということを発見しました。それで、私はその英国国教会がどこから来たのかを知ろうとさらに調べていきました。すると英国宗教改革に行き着きました。

 

プロテスタント諸教派の系統概略。オレンジ色の線がメソジストです。そして紫色の線が聖公会(英国国教会)です。(出典

 

しかし「王が離婚を望んでいるので」という理由は新しい教会を始めるに当たっての妥当なる理由ではないように思われましたので、今度は大陸系の宗教改革から生まれてきたその他の諸教会に当たっていくことにしました。

 

ですがルターは改革における徹底性がいまいちという感じがし、実際、彼は独自の教会をスタートさせようともしていませんでした。それで、ジャン・カルヴァンがおそらく改革者として一番優れていたのではないかという結論に達しました。そこで私は彼の神学をベースに構築されている教会を探し始めました。

 

長老教会へ

 

すると近郊に長老教会があることが分かりました。行ってみると、教会堂は美しく趣のある建物であり、ーー幼き日に父が中に入ることを拒んだーーあの荘厳な教会堂を髣髴させました。私はその教会の牧師の所に相談に行き、カルヴァンの諸教理についての質問等をさせていただきました。

 

カルヴァンの教えには「五教理(5 ポイント)*9」あるということを学んだのですが、未だ全部の内容を消化しきれていない状態にありました。私は牧師に打ち明けました。

 

「宗教改革期、確かに教会は改革を必要としていたと思います。ですが、そうかといって、誰もが皆、自己流に聖書を解釈した上で、独自の教会を始めてもよい、ということにはならないのではないでしょうか。」

 

すると牧師は、私が今言った内容はかなり長老派精神に近いものであり、それゆえ、現段階でカルヴァン主義5ポイント全てに同意できないと感じているとしても長老教会に通い始めることができる、とおっしゃってくださいました。私は長老教会の典礼を愛するようになりました。また教会の聖所は、自分の生まれ育ったアドベンチスト教会を大いに思い起こさせるものでした。

 

妻は初めの内、長老教会には来たがりませんでしたが、私が通う分には全く問題がありませんでした。というのもその当時、私たちはどの教会にも通っていなかったからです。

 

おそらく妻にしてもアドベンチストの友人たちにしても、彼らは私のこの言動を余り深刻には受け取っていなかったのだろうと思います。「まあこれは一時的な現象だろう」と。しかし続けて通う中で長老教会の友人たちも出来始め、そうすると次第に妻も通うようになりました。ですが、彼女の心はその時も尚、自分の生まれ育った教会と共にありましたので、その事を配慮し私は長老教会に移籍はしませんでした。

 

誰が安息日を「土曜」から「日曜」に移行させる権威を持っていたのだろう。

 

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エレン・G・ホワイト(1827-1915)*10*11

 

学びの中で私は、アドベンチストの女預言者であるエレン・G・ホワイトについて多くの事を知り、それを妻にも分かち合いました。妻も私もその時点ですでにエレン・ホワイトが真の預言者ではなかったという結論に達していましたが、土曜安息というこの一点だけは彼女は尚、それが真であると信じていました。

 

ですが調べてみて分かったのが、教会史全体を通し、キリスト者の安息日は日曜であったということでした。それに考えてみてください。仮に日曜遵守が1800年以上に渡るキリスト者の恒常的あり方でなかったとしたら、そもそもアドベンチスト教会は誰からも「分離」する必要などなかったわけです!

 

妻のためにも私は、土曜安息のこの問題に関しさらに探求を進めていこうと思っていました。そうすれば私たち夫婦は一致できるからです。安息日を巡るこの問題の解決に関しては、教会における決定的権威が必要とされているように思われましたが、この点において、長老教会はその決定的権威を有していないように思われました。

 

そしてその時ふとある考えが頭をよぎりました。「もしもカトリック教会が安息日の典礼執行を『土曜』から『日曜』に移したのなら、それは具体的にいつ起こったのだろう?そして教会は一体何の権威によってそうすることができる権利を主張していたのだろう?」こうして初期教父たちの文書を調べていくうちに、私は初代教会が実はカトリック教会であったことに気づいたのです。

 

カトリック教会はその権威を使徒たちから受け取り、使徒たちはキリストご自身からその権威を受け取っていました。主の日(Lord's Day)を敬うという慣習は少なくとも紀元1世紀の中盤にまで溯ることができます。(使徒たちのほとんどはこの時期まだ生きていました。)*12

 

1世紀中盤というのは、「カトリック教徒たちが安息日を変えた」というアドベンチスト教会の主張内容よりもずっと早い段階です!もしも使徒たちが安息日を土曜から日曜に変更したのなら、それは間違いなく彼らに授与された権威の範囲内においてなされたものであるはずです(マタイ16:18-19)。

 

カトリック信仰探求、妻の葛藤

 

そこで私はカトリック教会について知ろうと新たな探求を始めました。そして地元のケーブル・ネットワークで放映されていたEWTNプログラムを発見しました。私は早起きをして出勤前にそれらのプログラムを観、勉強しました。

 

EWTNの中には「ジャーニー・ホーム」という証しの番組があり、非常に感銘を受けました。この番組は、さまざまな教団教派で生まれ育った人々が御霊に導かれ、使徒たちの土台の上にイエスがお建てになった教会へと導かれ帰郷するに至る生きた証しで満載なのです。*13

 

またスコット・ハーン師のメッセージからも多くを学びました。当時私はまだカトリックではありませんでしたが、次第にカトリック以外のあり方で生きていくことは自分にとって不可能であるのではないかと思われてきました。しかしこれらの事を妻には打ち明けていませんでした。

 

時々ジュリーは、私が居間のテレビをEWTNに合わせたままでいることに苛立ちを覚えていました。彼女がテレビのスイッチを押すと、アドベンチストの信仰感覚をつまずかせるような画像ーー例えばマザー・アンジェリカがロザリオの祈りをしている画面などが出てきたりするわけです。

 

彼女は言いました。「なんでこんなナンセンスなもの観てるのよ?仕事に行く前にこのチャンネルを観たいのなら、少なくとも観終わった後に局を変えておいて。お願いだから。」でもある日彼女は言いました。「あの怒りっぽい老シスター、気に入った。今日、彼女の番組を一つ観たよ。」御霊が彼女の心の中にも働いているのが分かりました。

 

2013年、ジュリーが重病に陥り、集中治療室で5日間を過ごしました。この時期までに私はカトリック教会に参入することが自分のやるべき正しい事であるとの確信に到っていました。そしてもうこれ以上その決意を引き延ばしにすることはできないように思われました。「ジュリーにもしもの事があったら」と考えました。「そしたら私は自分の優柔不断さを後々まで後悔することになるだろう。」

 

EWTNの番組を通し、カトリック教会に参入するためには、求道者はRCIA(入門講座)を受けなければならないということを知っていました。そこでついに私は妻にその決意を打ち明けました。

 

ジュリーは悲しみましたが、彼女のバプテストの友だちが「ご主人はそうしなければならないと感じておられるのだから、そっとしておいてあげた方がいいと思うの」と妻を慰めました。

 

そしてその友だちは妻に言いました。「カトリックの人たちもきっと真摯なクリスチャンなんじゃないかって私は思うの。ただあの人たちは本当の意味で恵みが何かってことを理解できていないんだと思う。」(実際、ユーカリストの中で主に出会うまで私は恵みが何かということを理解していなかったと思います。)

 

地元のカトリック教会に問い合わせると、次のRCIA講座はその月の内に始まります、とのことでした。(それで妻はこの期間になんとか心を落ち着かせる時間を持つことができました。)私たちは聖フランシスコ教会のミサに一緒に通い始めました。最初のうちこそぎこちない感じでしたが、ミサは美しいものでした。しかしその時点においても尚、私には一つの懸念がありました。それは和解(ゆるし)の秘跡に関することです。

 

司祭がイエスの御名によって罪を赦すことができる(ヨハネ20:23)ということに関しては全く問題がなかったのですが、果たして自分は他の人に自分の罪を告白することができるのだろうかということに自信を持てずにいたのです。

 

「キリストの模範に生きることができない時、その都度、私は誰か他の人に自分の罪の内容をシェアすることができるのだろうか?」しかし、初めてのミサで、私はユーカリストの中に現存されるキリストの臨在に触れ、その瞬間、告解に行くことに関する圧倒的な平安を得たのでした。

 

パウロに語られたキリストの御言葉が思い起こされました。「わたしの恵みはあなたに十分である。」プロテスタントだった時、私はいつも、「コイノニア/交わり(communion)*14」というのは同胞クリスチャンたちとの交わりのことを指しているのだと思っていました。

 

しかしユーカリストにおける主の現存の中で私は突如として理解したのです。ーーそれは私たちの主とのCommunionである、ということを。そうすると今までとは全く違った形で「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」というキリストの御言葉が心に開示されました。そうです、本当に主は決して私たちを離れず、お見捨てにならないのです!

 

ジュリーは私と一緒にRCIA入門講座に行くことに同意してくれました。しかし実は彼女には隠れた別の動機があったのです(後に彼女はそれを語ってくれました)。彼女は講座の途中で私がカトリックの誤りを悟るようになり、彼女はそんな私に寄り添い、問題修復に努めつつ、最終的に私をアドベンチスト教会に連れ戻すことを心に願っていたのでした。

 

しかし講座が始まって一か月かそこらした後、妻はその願いが叶わないということを悟り始めました。そして突如としてこの状況のリアリティーが彼女に打撃を与えたのでした。ーー自分の夫がほんとうにカトリックになってしまう、と。

 

こうして彼女はミサに行くことに抵抗し始めました。時折、ミサの途中、彼女は起ち上がり黙って教会を出ていきました。そうすると私もまた彼女の後を追って教会を出、車の所まで行き、こうして私たちは家に帰りました。

 

私は一生懸命彼女のために祈り、主の助けと導きを請い求めました。それ以外にどうすることもできなかったからです。

 

しかし彼女がまた教会から出て行こうとした時、私は彼女に「僕は残りたい」とついに言いました。すると彼女は車のキーをちょうだいと言い、出ていきました。私は残り、心の中で呻くように祈りました。そうすると数分して彼女が戻ってきて、車のキーを私の隣の席に落とすとこう言いました。「まっ、あなたが私を地獄に連れていってくれてるんだもの、どうせなら地獄行のドライブを一緒に楽しもうかなって。」

妻にこのような思いをさせたくはなかったのです。

 

妻の目から鱗が落ちる

 

数週間後、RCIAのクラスで私たちは神の契約について話し合っていました。そしてその時ついに、ジュリーにとっての「なるほど、そうだったのか!」の決定的瞬間が訪れたのです。アドベンチスト教会は常に私たちを旧契約の下に位置づけようとしてきたのですが、その時、クラスの中の誰かがこう言ったのです。「旧契約には始りがあり終わりがあった」と。

 

はっとして彼女は耳を澄ませました。そう、旧契約は、新契約に道を譲るべく終わりに到らなければならなかったのです!そしてこの日を境に、彼女の理解はぐんぐん進んでいきました。

 

しかしまだ彼女を躊躇させている何かがあるように思われました。そして後に分かったのが、私の母が妻に、「ケヴィンをアドベンチスト教会に引き戻すよう」かなりのプレッシャーをかけていたということでした。

 

姑との関係でいろいろと悩み、私の母から認めてもらおうと必死であったジュリーにとり、これはかなりの重荷でした。その後、詳細は省きますがクリスマスの時期に家族内である出来事が起こり、ついに妻は踏ん切りをつけることができました。そして私と共にカトリック教会に参入することを自ら決意しました。

 

2014年4月19日、復活の徹夜祭に私と妻は教会に受け入れられました。教会は私たちの結婚を合法的なものと認証していましたが、私たちは会衆の前で再度、結婚の誓いを述べました。徹夜祭は疲れるものでしたが、なぜかしら懐かしさを感じました。そして初聖体をいただいた後、教会をみわたし、私は思ったのです。「ああ、ついに家に辿り着いた」と。神に感謝します。

 

ー完ー

 

*1:訳注:黙示録セミナーの講義内容(アドベンチストホープのサイトより)

1.永遠へのカウントダウン(ダニエル書2章)Youtube

2.混乱の世界(終末の兆候)Youtube

3.心の平和を見出す方法(救い)Youtube

4.人生を変える秘訣(イエス・キリスト)Youtube

5.人間社会の安全基準(十戒)Youtube

6.神の永遠の印(安息日)Youtube

7.死の謎の解決(死後の状態)Youtube

8.過去にとらわれない生き方(バプテスマ)Youtube

9.2つの教会(残りの教会)Youtube

10.神の輝かしい明日(千年期)Youtube.

*2:訳注:マシュー・ギャラティン氏のセブンスデー・アドベンティスト時代

*3:エレン・ホワイトの預言(参照ココ

①黙示録の十四万四千人は安息日(土曜礼拝)を守る者であり、日曜礼拝者は「獣の刻印」を受けている。

ヨハネの黙示録7:4に記されている「十四万四千人」「神の印」に関して、ホワイトは著作『教会への証8巻』(p117)において『神のしるし、または神の印は第七日の安息日、すなわち創造主の記念日の遵守に表わされている。……獣の刻印はこの反対である。それは週の第一日の遵守である。』と記し[Ellen G. White:Testimonies for the Church, vol. 8 p. 117.]、さらには『教会への証6巻』(p350)においては『十のすべての戒めの中で第四条の戒めだけが偉大なる律法制定者、すなわち天と地の創造主の印を含んでいる。』と言及[Ellen G. White:Testimonies for the Church, vol. 6 p. 350.]。黙示録の十四万四千人は『安息日(土曜)礼拝を守る者である』と断定し、日曜礼拝者をヨハネの黙示録13:16-17にて言及されている『獣の刻印(The mark of the beast)を受けた者』と断定している。

②日曜礼拝者を「神に仕えない者」「人が作った制度を受け入れた(神に)不忠実な者」としている。

著作『原稿27』(1899年)において『神の印を額に受ける人々は、神の第4条の戒めである安息日を守らなければならない。これは、真の安息日の代わりに人が作った制度を受け入れた不忠実な者から彼らを区別するものである。神の休みの日の遵守は、神に仕えない者と仕える者とを区別する印である。』と言及し、安息日(現在の土曜日)礼拝者をヨハネの黙示録7:4に記されている「神の印」を受けた者とし、日曜礼拝者を「神に仕えない者」「人が作った制度を受け入れた(神に)不忠実な者」としている(Ellen G. White:Manuscript 27, 1899) Seventh-day Adventist Bible Commentary, vol. 7, p. 970.]

*4:訳注:土曜安息日遵守に関する関連記事

*5:訳注:19世紀に興ったディスペンセーション主義の中で奉じられている終末論教理。携挙の教えを説く教派の多くは患難前携挙説の立場をとっており、小説『レフトビハインド』もこの神学に則り書かれています。

*6:訳注:アドベンチスト教会の見地からみたカトリック教会像

「聖書の教え VS カトリックの教え」〜本当 の福音とは〜 SDA教会、河原久師

*7:訳注:Dick, Everett N. (1994). William Miller and the Advent Crisis. Berrien Springs: Andrews University Press.

*8:訳注:エレン・ホワイト自身も、1827年メーン州ゴラムで、敬虔なメソジストの両親の元に生まれました。参照

*9:訳注:①人間の全的堕落(Total Depravity)、②無条件的選び(Unconditional Election)、③限定的贖罪(Limited Atonement)、④不可抗的恩恵(Irresistible Grace)、⑤聖徒の堅忍(Perseverance of the Saints)

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*10:エレン・グールド・ホワイト(Ellen Gould White、1827-1915 )は、アメリカ合衆国のセブンスデー・アドベンチスト教会の創立において指導者として活躍し、「預言者」と呼ばれていた人です。生涯で見た幻の内容は文書として残され、セブンスデー・アドベンチスト教会にとって聖書に次いで重要な文章と受け止められています。(参照).

*11:訳注:エレン・ホワイト、‟背教ナラティブ”、キリスト教歴史観、教会的理神論、そしてBOBO理論

A.初代教会は~~を喪失した。 ↓

B.しかし現在、○○という新運動が起され、これまでキリスト教会がずっと喪失してきたものが回復されようとしている。

ABの二本立てで構成されるこういったストーリーラインのことを、フラー神学校の宣教学者であった故ラルフ・D・ウィンター氏(1924-2009)はBOBO理論と呼び、次のように説明しています。

「BOBO理論というのはつまり、キリスト教信仰の光はどうしたものか使徒たちの後、すぐさま消滅し(“Blinked Out”)、その後、自分たちの時代もしくはーールターであれ、カルヴァンであれ、ウェスレーであれ、ジョセフ・スミスであれ、エレン・ホワイトであれ、ジョン・ウィンバーであれーーとにかく自分たちの時代の現代‟預言者たち”が現れる際にはいつでも再び点灯(“Blinked On”)するという歴史観のことを指します。そしてこの種のBOBOアプローチから生み出されるのは、『‟初期”の聖徒たちと‟後の日”の聖徒たちは存在しても、その中間には聖徒が存在しない』という史観です。」(出典

さらにこういった歴史観から、「教会的理神論 ecclesial deism」という、いびつな神観および教会観が形成されていくと、ブライアン・クロス教授は指摘しています。

なぜなら、「これまでキリスト教会が喪失してきたものを今、私たちが回復させようとしている」という考え方の底辺にあるのは、「神は2000年前、ご自身の教会を建てはしたけれど、その後は、その教会が主要真理から逸脱するのを食い止めず(もしくは食い止める力がなく)、教会が主要な真理のルーツから離脱するがままに放置しておかれた」という、一種の理神論的神観がそこに在るからです。

しかし聖書は、主の教会が「真理の柱また土台」であり(1テモテ3:15b)、「ハデスの門もそれには打ち勝てない」(マタイ16:18b)と宣言しています。出典

*12:訳注:ディダケー(紀元70年)

“But every Lord’s day . . . gather yourselves together and break bread, and give thanksgiving after having confessed your transgressions, that your sacrifice may be pure. But let no one that is at variance with his fellow come together with you, until they be reconciled, that your sacrifice may not be profaned” (Didache 14 [A.D. 70]).

バルナバの手紙(紀元74年)

“We keep the eighth day [Sunday] with joyfulness, the day also on which Jesus rose again from the dead” (Letter of Barnabas 15:6–8 [A.D. 74]). ​​​​​​​

アンティオケのイグナティオス(紀元110年) 

“[T]hose who were brought up in the ancient order of things [i.e. Jews] have come to the possession of a new hope, no longer observing the Sabbath, but living in the observance of the Lord’s day, on which also our life has sprung up again by him and by his death” (Letter to the Magnesians 8 [A.D. 110]).

殉教者ユスティノス(紀元155年)

“[W]e too would observe the fleshly circumcision, and the Sabbaths, and in short all the feasts, if we did not know for what reason they were enjoined [on] you—namely, on account of your transgressions and the hardness of your heart. . . . [H]ow is it, Trypho, that we would not observe those rites which do not harm us—I speak of fleshly circumcision and Sabbaths and feasts? . . . God enjoined you to keep the Sabbath, and imposed on you other precepts for a sign, as I have already said, on account of your unrighteousness and that of your fathers . . .” (Dialogue with Trypho the Jew 18, 21 [A.D. 155]).

殉教者ユスティノス(紀元155年)

“But Sunday is the day on which we all hold our common assembly, because it is the first day on which God, having wrought a change in the darkness and matter, made the world; and Jesus Christ our Savior on the same day rose from the dead” (First Apology 67 [A.D. 155]). 

テルトゥリアヌス(紀元203年)

“[L]et him who contends that the Sabbath is still to be observed as a balm of salvation, and circumcision on the eighth day . . . teach us that, for the time past, righteous men kept the Sabbath or practiced circumcision, and were thus rendered ‘friends of God.’ For if circumcision purges a man, since God made Adam uncircumcised, why did he not circumcise him, even after his sinning, if circumcision purges? . . . Therefore, since God originated Adam uncircumcised and unobservant of the Sabbath, consequently his offspring also, Abel, offering him sacrifices, uncircumcised and unobservant of the Sabbath, was by him [God] commended [Gen. 4:1–7, Heb. 11:4]. . . . Noah also, uncircumcised—yes, and unobservant of the Sabbath—God freed from the deluge. For Enoch too, most righteous man, uncircumcised and unobservant of the Sabbath, he translated from this world, who did not first taste death in order that, being a candidate for eternal life, he might show us that we also may, without the burden of the law of Moses, please God” (An Answer to the Jews 2 [A.D. 203]).

ディダスカリア(紀元225年) 

“The apostles further appointed: On the first day of the week let there be service, and the reading of the holy scriptures, and the oblation [sacrifice of the Mass], because on the first day of the week [i.e., Sunday] our Lord rose from the place of the dead, and on the first day of the week he arose upon the world, and on the first day of the week he ascended up to heaven, and on the first day of the week he will appear at last with the angels of heaven” (Didascalia 2 [A.D. 225]).

オリゲネス(紀元229年) 

“Hence it is not possible that the [day of] rest after the Sabbath should have come into existence from the seventh [day] of our God. On the contrary, it is our Savior who, after the pattern of his own rest, caused us to be made in the likeness of his death, and hence also of his resurrection” (Commentary on John 2:28 [A.D. 229]).

ヴィクトリヌス(紀元300年)

“The sixth day [Friday] is called parasceve, that is to say, the preparation of the kingdom. . . . On this day also, on account of the passion of the Lord Jesus Christ, we make either a station to God or a fast. On the seventh day he rested from all his works, and blessed it, and sanctified it. On the former day we are accustomed to fast rigorously, that on the Lord’s day we may go forth to our bread with giving of thanks. And let the parasceve become a rigorous fast, lest we should appear to observe any Sabbath with the Jews . . . which Sabbath he [Christ] in his body abolished” (The Creation of the World [A.D. 300]).

カエサリアのエウセビオス(紀元312年) 

“They [the early saints of the Old Testament] did not care about circumcision of the body, neither do we [Christians]. They did not care about observing Sabbaths, nor do we. They did not avoid certain kinds of food, neither did they regard the other distinctions which Moses first delivered to their posterity to be observed as symbols; nor do Christians of the present day do such things” (Church History 1:4:8 [A.D. 312]).

カエサリアのエウセビオス(紀元319年) 

“[T]he day of his [Christ’s] light . . . was the day of his resurrection from the dead, which they say, as being the one and only truly holy day and the Lord’s day, is better than any number of days as we ordinarily understand them, and better than the days set apart by the Mosaic law for feasts, new moons, and Sabbaths, which the apostle [Paul] teaches are the shadow of days and not days in reality” (Proof of the Gospel 4:16:186 [A.D. 319]) 

アタナシオス(紀元345年)

“The Sabbath was the end of the first creation, the Lord’s day was the beginning of the second, in which he renewed and restored the old in the same way as he prescribed that they should formerly observe the Sabbath as a memorial of the end of the first things, so we honor the Lord’s day as being the memorial of the new creation” (On Sabbath and Circumcision 3 [A.D. 345]).

エルサレムのキュリロス(紀元350年)  

“Fall not away either into the sect of the Samaritans or into Judaism, for Jesus Christ has henceforth ransomed you. Stand aloof from all observance of Sabbaths and from calling any indifferent meats common or unclean” (Catechetical Lectures 4:37 [A.D. 350]).

ラオディキア公会議(紀元360年)

“Christians should not Judaize and should not be idle on the Sabbath, but should work on that day; they should, however, particularly reverence the Lord’s day and, if possible, not work on it, because they were Christians” (Canon 29 [A.D. 360]).

ヨハネス・クリュソストムス(紀元387年) 

“[W]hen he [God] said, ‘You shall not kill’ . . . he did not add, ‘because murder is a wicked thing.’ The reason was that conscience had taught this beforehand, and he speaks thus, as to those who know and understand the point. Wherefore when he speaks to us of another commandment, not known to us by the dictate of conscience, he not only prohibits, but adds the reason. When, for instance, he gave commandment concerning the Sabbath— ‘On the seventh day you shall do no work’—he subjoined also the reason for this cessation. What was this? ‘Because on the seventh day God rested from all his works which he had begun to make’ [Ex. 20:10-11]. . . . For what purpose then, I ask, did he add a reason respecting the Sabbath, but did no such thing in regard to murder? Because this commandment was not one of the leading ones. It was not one of those which were accurately defined of our conscience, but a kind of partial and temporary one, and for this reason it was abolished afterward. But those which are necessary and uphold our life are the following: ‘You shall not kill. . . . You shall not commit adultery. . . . You shall not steal.’ On this account he adds no reason in this case, nor enters into any instruction on the matter, but is content with the bare prohibition” (Homilies on the Statutes 12:9 [A.D. 387]).

ヨハネス・クリュソストムス(紀元395年)  

“You have put on Christ, you have become a member of the Lord and been enrolled in the heavenly city, and you still grovel in the law [of Moses]? How is it possible for you to obtain the kingdom? Listen to Paul’s words, that the observance of the law overthrows the gospel, and learn, if you will, how this comes to pass, and tremble, and shun this pitfall. Why do you keep the Sabbath and fast with the Jews?” (Homilies on Galatians 2:17 [A.D. 395]) 

ヨハネス・クリュソストムス(紀元402年) 

“The rite of circumcision was venerable in the Jews’ account, forasmuch as the law itself gave way thereto, and the Sabbath was less esteemed than circumcision. For that circumcision might be performed, the Sabbath was broken; but that the Sabbath might be kept, circumcision was never broken; and mark, I pray, the dispensation of God. This is found to be even more solemn than the Sabbath, as not being omitted at certain times. When then it is done away, much more is the Sabbath” (Homilies on Philippians 10 [A.D. 402]).

使徒憲章(紀元400年) 

“And on the day of our Lord’s resurrection, which is the Lord’s day, meet more diligently, sending praise to God that made the universe by Jesus, and sent him to us, and condescended to let him suffer, and raised him from the dead. Otherwise what apology will he make to God who does not assemble on that day . . . in which is performed the reading of the prophets, the preaching of the gospel, the oblation of the sacrifice, the gift of the holy food” (Apostolic Constitutions 2:7:60 [A.D. 400]).

アウグスティヌス(紀元412年)

“Well, now, I should like to be told what there is in these ten commandments, except the observance of the Sabbath, which ought not to be kept by a Christian. . . .” (The Spirit and the Letter 24 [A.D. 412]).

教皇グレゴリオ一世(紀元597年)

“It has come to my ears that certain men of perverse spirit have sown among you some things that are wrong and opposed to the holy faith, so as to forbid any work being done on the Sabbath day. What else can I call these [men] but preachers of Antichrist, who when he comes will cause the Sabbath day as well as the Lord’s day to be kept free from all work. For because he [the Antichrist] pretends to die and rise again, he wishes the Lord’s day to be held in reverence; and because he compels the people to Judaize that he may bring back the outward rite of the law, and subject the perfidy of the Jews to himself, he wishes the Sabbath to be observed. For this which is said by the prophet, ‘You shall bring in no burden through your gates on the Sabbath day’ [Jer. 17:24] could be held to as long as it was lawful for the law to be observed according to the letter. But after that the grace of almighty God, our Lord Jesus Christ, has appeared, the commandments of the law which were spoken figuratively cannot be kept according to the letter. For if anyone says that this about the Sabbath is to be kept, he must needs say that carnal sacrifices are to be offered. He must say too that the commandment about the circumcision of the body is still to be retained. But let him hear the apostle Paul saying in opposition to him: ‘If you be circumcised, Christ will profit you nothing’ [Gal. 5:2]” (Letters 13:1 [A.D. 597]).

*そして今ここであなたが「これらの教父たちは皆、誤りに陥っていた。」という‟初代教会背教ナラティブ”を持ちだすならその時、あなたは、上述したような①教会的理神論、②教会的グノーシス主義という二重のジレンマに陥ることでしょう。そしてあなたの背教ナラティブに基づく教会史観の危機は、さらに、聖書正典の問題(1,2)、「聖書のみ」の教理自体の自己矛盾へと拡大していくことでしょう。

*13:訳注:↓元セブンスデー・アドベンチスト、テレサ・ビーム姉のカトリック改宗の証

↓元セブンスデー・アドベンチスト、ビバリー・ウィールトン博士のカトリック改宗の証

*14:訳注:関連記事