巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーダグラス・M・ボウモント師の信仰行程【その1】南部福音神学校の教官として

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出典

 

目次

 

Douglas Beaumont, ed., Evangelical Exodus: Evangelical Seminarians and Their Paths to Rome, 2016 / Douglas Beaumont – Former Evangelical, CH Network, 2016(抄訳) 

 

ある学生の問い

 

神学生だった時分、ある晩、私は(時々同じ講義を聴講していた)一人の学生と、聖書解釈に関する諸問題についてディスカッションしました。彼は、「なぜ真摯なクリスチャンたちが聖書の教えている内容について互いに同意できないのか、僕にはそこが不可解でならない。」と苦悶を打ち明けました。

 

そこで私は彼を激励すべく、「妥当な解釈学と質の良い哲学によって、正しい結論は取得可能だよ」と答えました。すると彼は言いました。「そうなんだろうが、でも、、僕たちはいかにしてどれが妥当な解釈学で質の良い哲学なのかを知ることができるのだろう、、*1

 

その後も私は正確な聖書解釈のためのセーフガードを幾つか提示したのですが、その度に同じ基本問題にぶつかりました。ーー「正しい聖書解釈」と主張している数限りない競合諸主張の中の一体どれが本当に「正しい聖書解釈」なのかを、私たちはいかにして知ることができるのだろうか、と。

 

しかし彼とのこの集中的ディスカッションの日々も下火になり、いつしか消滅してしまいました。ですが、この問いはその後も長い間、私の脳裏のどこかに留まっていました。「神学校を卒業する頃にはなにかより良い回答が得られているはずだ。」そう思いました。*2

 

南部福音神学校(SES)の教官として

  

後に分かったのは、この学生の問いは、私の友人であるエレミヤ・コーワート(南部福音神学校元教授)にも影響を与えていた、ということでした。私はコーワートの後任教官としてSES遠隔教育のディレクターに就任したのですが、しばらくした後、私たち教授陣とスタッフの元に彼から手紙が届き、なんと彼はSESを退職後、カトリックに改宗したとのことでした。

 

驚いた私は彼にメールを出し、そこから数か月に渡る彼とのやり取りが始まりました。(認めなければならないのは、難解な諸問題の取扱いに関し、エレミヤの方が私よりも上手〔うわて〕だったということです。)しかし私たちの対話はまもなく打ち切られました。なぜなら私はこう判断したからです。「ある地点まで自分も彼も理性を用いている。だが、神学的な不同意点にさしかかると、彼は自らの理性を教皇に明け渡してしまっている」と。

 

南部福音神学校(SES)での教授職就任後(および母教会である南部バプテスト教会での按手後)、私は福音主義の世界で邁進していました。しかし、神学校(SES)においても、併設の教会(SEC)においても、その後、個人的レベル/職業的レベルで続け様に試練が訪れました。

 

これらの試練を通し、(恥ずかしながら)自分の中に未だに根強く残っていた英雄崇拝が打ち砕かれただけでなく、福音主義自体の抱えるいくつかの根本的諸問題も浮き彫りにされていきました。

 

神学校の教授陣、神学生、スタッフで始められた南部福音教会(SES)は本来なら理想的教会となるはずでした。しかしそれはほんのわずかの間に跡形もなく崩壊してしまったのです。

 

一連の出来事を目の当たりにし私が認めざるを得なかったのは、福音主義には、信仰および倫理に関し権威的に問題解決する能力が欠如しているという事実でした。実際、問題解決に努めながら私が気付き愕然としたのは、私たちは互いに、誰も何に対する権威も持っていない、ということだったのです。

 

〈もしも(SESの教授、学生、委員会という)かくまで同質の人々が、自分たちの教会を一つに保っていくことができないのなら、それなら、、他のどのグループがそれを成し遂げられるというのだろうか?〉

 

ちょうどその頃、私の同僚教官が大学時代の指導者(現:聖公会司祭)をゲストスピーカーとして彼の担当するクラスに招いており、私もそこに同席することにしました。私はこの司祭の、教会史に対する関心(⇒これはSESの大学院では提供されていない科目でした)および、奉仕に関わる諸問題に対する彼の回答内容に興味を持ちました。

 

そしてその時、初めて思いました。「もしかしたら福音主義の外側にも、何か考慮に値するある種のキリスト教形態が存在するのかもしれない」と。そしてここから、約5年にわたる、信仰の見直しの旅が始まることになったのです。

 

福音主義の根本的諸問題に直面して

 

福音主義からの私の離脱の旅は、長年抱き続けてきた諸信条の「喪失」をもって始まったのではなく、むしろ、それらの諸信条をなんとかよく理解し把握しようとする努力の中から生じていったように思います。

 

SESで教鞭を取りながら同大学の博士課程にも入っていた私は当時、(神学校で受容してきた)より重要な諸教理に関し研究を進めていました。

 

そうする中で、私はますます根本的諸問題ーー「いかにして聖書正典は決定されるに至ったのか?*3」「ある教理がキリスト教の『根幹教理』とされる一方、別の教理がそうではないと判断されるその基準は一体何なのだろうか?」ーーを前に、これまで自分に与えられてきた諸回答に対し欠乏感を覚えていくようになりました。

 

例えば、「教会(Church)は正典を ‟発見した” だけであって、それを ‟決定した” のではない」と教えられてきました。それ自体は良質な神学的区分ですが、問題は、「‟発見” にまつわるその過程がいかなるものであったのか」、「なぜ正典の中に、信頼に値する不可謬なる目次が作成されるに至ったのか」という問いに対する答えが見当たらないという事でした。*4

 

私たちが教わってきた「逆行分析的」正典化過程は、非歴史的な推測に重く依拠し、余りにも物事を単純化しているように思えてなりませんでした。

 

現実の歴史はもっとずっとゴタゴタ煩雑としており、諸書が正典候補に上がったり外されたりしながら、何世紀もかかってやっと解決に至ったのでした。事実、現在私たちが使用している新約聖書27巻と適合する初めての正典目録は、ーーAD367年に、(非権威的)書簡の中で、アタナシオスにより提出されたーー、ということを知り私は驚きました。

 

そういった正典目録を初めて作成した教会会議は、紀元382年にローマで開催された会議であり、実に、ーートリエント公会議(1545-1563)が開催される16世紀に至るまでーー決定的に正典問題に決着をつけた全地公会議は開かれていなかったのです。

 

また「正統性」の問題に取り組んでいく中で明らかになっていったのは、私が教わってきた‟論理的”で‟解釈学的”メソッドは耐久できないということでした。*5

  

同じメソッドを用いていてさえこんなにも多くの点で互いに同意できていない私たち福音主義者はいかにして互いに一致を保てていると主張できるでしょうか。さまざまな倫理問題や神学が(プロテスタントの根幹教理である「信仰のみによる救い」の教義でさえ)福音主義者の間で熱く議論されていますが、どの陣営も一様に「聖書が自分たちの源泉である」ということを主張しています。*6

 

実際、私たちの間には不一致/不同意事項が余りにも多すぎるため、もはや「福音主義」という語を定義することさえ実際的に不可能な状態になっていると言っていいほどではないかと思います。

 

私が長年抱き続けてきた諸前提は、バート・アーマンやサム・ハリスといった懐疑論者たちからだけでなく、D・H・ウィリアムズ、クレッグ・アラート、マーク・ノール、オス・ギネス等の福音主義学者たちからも挑戦を受けました。*7

 

神学校において私たちは歴史的キリスト教信仰を定義しそれを擁護することを目標としていました。しかし研究を進めていく中で気づかされたのは、SESの特定教理の多くは歴史的教理とはみなされ得ないということでした。

 

私たち教授陣および学生たちが奉じていたSESの教義声明は、「宗教改革神学」、「アナバプテスト諸教理」、「19世紀後半の諸信条」の混合体でした。*8

 

虚実の別はともかく、こういった諸教理は合法的に歴史的キリスト教信仰を構成しているようには思えませんでした。この問題に本当に直面したのは、ガイスラーの『組織神学*9』執筆プロジェクトの補佐を務めていた時でした。

 

私の仕事は各項目ごとの見解をバックアップする引用文(古代、中世、宗教改革期の著述家たち)を引いてくることでした。『組織神学』第二巻目は「神の属性」に関するものでしたのでバックアップ引用文は容易に見つけることができましたが、「教会論」および「終末論」を扱っている第四巻目は非常に難航しました。そして資料を調べながら、自分たちの信奉している神学が歴代教会が採ってきた立場の大半とどれほど異なっているかを痛感せざるを得ませんでした。

 

また、ある時、同僚の教官とニケア信条について話し合っていたのですが、彼は「バプテスト教徒もニケア信条の『罪のゆるしのためのバプテスマ』を是認することができる。なぜなら、ここでいうバプテスマとは、霊のバプテスマのことを指しているのだから。それから、『唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会』というのが意味しているのは、使徒たちが教えた内容を教えていた一つの普遍的な不可視的教会が存在していたということだ」と言っていました。*10

  

私はこの見解になにかしら納得できないものを感じました。実際、ニカイア公会議期に書かれた神学者たちの文書を読むと、彼らが意味していたのは〔私の同僚の解釈するような〕ものではなかったということが明らかに分かります。*11 

 

また私が痛感したのは、「聖書のみ」のアプローチは自分の想像する以上に、私たちの間に分裂と不一致を生み出しているということでした。

 

自分の福音主義経験の中ではほとんど懸念事項ではなかったけれども、聖書によれば、キリスト者の分裂や不一致というのは元来罪深いものです*12。いわゆる ‟妥当な” 分裂に関する聖書の事例や諸原則が数えるほどしかないのに対し、多くの箇所において聖書記者たちは「一致を保ちなさい」と信者たちに勧告しています。*13

 

分裂の問題はイエスにとって心痛む問題であったために、主は最後の祈りの中で一致のために祈られました。(後にキリストに信仰を持つようになる人々をも含めイエスは祈られました。)使徒パウロもまた分裂を憎み、一番長い書簡の一つ(コリント書簡)を分裂問題に当てそれに対し闘っています。*14

 

仮に正典問題が解決したところで、正典の教えている事ほとんど全てに対し私たちが合法的に不同意できるのだとするならその時、聖書の教理内容に対する同意は私たちの間でほとんど得られないことでしょう。*15

 

また、福音主義の中で明らかな文化的諸問題は偶発的なものではなく、福音主義の機能のあり方から生み出されてくる自然な結果ではないかと考えるようになりました。

 

多くの福音主義クリスチャンは教会やミニストリーや指導者たちの不穏な動きに動揺していますが、しかし福音主義の現場には原則に則った権威的応答や回答が欠落しています。私は思ったのです。「皆がそれぞれ自分の目に正しいと思うことを行なうことができる運動内にあって、人はいかにして権威的方法で異議を唱えることができるのだろうか」と。*16

 

結局、私が発見したのは、福音主義の中で影響力/発言力を持つために、人はいわゆる ‟人気者” にならなければならないということでした。自己宣布を軸にしたリーダーシップおよび、大衆の集合的意見をベースにしたその人自身の権威を盾に、福音主義者はファン層(フォロワー層)を獲得し、それを保持することによってのみ影響力を持つことができます。

 

そして世俗世界と同様、多くの場合、これも、(フォロワーの心をつなぎとめるための)妥協、もしくは(自分のファンではない人々を締め出すための)論争を要求し、そのような仕方で得た名声は、世俗世界のそれと同様の諸問題を生じさせます。リーダーシップのための客観的、権威的基準が欠乏した状態にあっては、ナルシズムは実質上の必要条件となりーー、専制が多くの場合、ノームとなります。

 

福音主義者の多くは歴史に無知であるとの非難をしばし受けますが、かくいう自分もその例外ではなかったと思います。教会史を学んでいく中、私は聖書正典が基本的に初代教会によって受け入れられていたことを確認しました。ーーしかし、、なぜそうなのでしょうか?

 

この問いに関し、懐疑論者たちは言います。「聖書正典というのはただ単に、歴史の中の勝者側が作った書に過ぎない("books that won out")」と。またR・C・スプロールを始めとする福音主義者たちは、聖書というのは単に「不可謬の諸書によって成り立つ、誤りを免れない選集(“Scripture is a fallible collection of infallible documents”)」に過ぎないと言っています*17。(それゆえに、私たちプロテスタントがなぜ旧約聖書外典を排除し、またルターが新約聖書の中のいくつかの書を低評価していたのかについても納得がゆきます。)

 

こうして私は、自分がそれまで当然のものとして受容してきたプロテスタント正典に対し一体いかなる根拠で信頼を置いていったらいいのか自問し始めました*18。実際、多くの現代プロテスタント神学者たちは、このパラダイムを受け入れ、「正典というのは流動的であり、権威的なものではない」という思想を受容するに至っています。*19

 

正統性に関する問題

 

それから、正統性に関する問題についてですが、一般にプロテスタント教団教派は、そのグループが形成された時に書かれた公的信仰告白を通し聖書を理解しています。

 

しかしながら、結局のところ、そういった教団信仰告白も、ーー福音主義 ‟教義声明” が実質、拘束力をもった権威でないのと同様ーー、拘束力をもつ権威とはなっていないのが現状です。*20

 

それに考えてみますと、人が公的声明文のどれかに信頼を置こうとしているのなら、「なぜこういった遅参者たちの文書を権威的なものとして受け入れなければならないのだろう?」と疑問に思うのもある意味当然といえば当然の話です。現に、宗教改革の最重要教理(ソラ・フィデ)でさえ、500年経って後にも尚、意見の不一致があるのですから!*21

 

最大の悩みーー「教派選び」

 

それから自分にとっての最大の悩みが、「教派選び」でした。他のプロテスタントの方々は「どの教団教派が自分自身の聖書解釈ともっとも良く調和しているか」を基準に教派を選んでおられるようでした。つまり、聖書を読む。⇒無数のプロテスタント教義不一致/バラエティーの中でどれが聖書的なのかを自分なりに判断する。⇒それらの問題を ‟正しく解釈している” 教団教派を探す。ーーという手順です。

 

「しかしそうなると、、」と私は思いました。「真の権威というのは『聖書』というよりはむしろ、それぞれ『個人の聖書解釈』である、ということになってしまわないだろうか?」*22

 

そして仮にあるプロテスタント信者が、自分の牧師や教会が深刻な誤謬に陥りつつあると感じた際、彼は所属教団に査定を申請することができるでしょうが、その教団自体がすでに誤謬に陥ってしまっていると判断した際には、その信者はその教会(教団)を去ってどこか他の教会(教団)に移るか、あるいは自分で新しい教会をスタートさせるかもしれません。

 

そしてこれがまさにプロテスタント教団教派の歴史だと私は思いました。つまり、分裂というのは、これまでもプロテスタント教団教派の因果的要因であったし、今もそうであるということです。

 

〈ああ、自分はもはやこれらの港のどこにも錨を下ろすことができない。イエスがお建てになった教会というのは権威的であると同時に、また客観的に特定可能(identifiable)なものでなければならないはずだ。〉

 

つまり、その教会は、一つにまとまっており、普遍的で、また可視的なものである、ということです*23。ーーそして仮にこの教会が私的諸解釈という主観的比較によって特定できないのであれば、それは歴史的諸事項を基盤に発見されなければならない、と。

 

教会は権威的な使徒の教えーー成文、口頭その両方ーーの上に建てられていると明確に説かれています*24。また、この教会はうち破られることがあり得ないと記されています*25。(ですからカルト諸派や多くのキリスト教グループの ‟背教ナラティブ*26は功を奏さないということです!)

 

それゆえ、正統性を正確に決定する上でこの教会が神によって導かれた*27ーー、さもなくば(=仮に教会がこの能力を喪失してしまったとするなら)、聖書正典でさえも疑問視されるようになるでしょう。

 

プロテスタント諸グループはこういった重要な点のいくつか、あるいは全てを否定してきました。それゆえ、私は、堅い地盤を探すべくどこか別の場所に当たらなければならないと考えるようになりました。

 

使徒的教会というのが決定的な歴史的要因でしたが、当時の私は、プロテスタンティズムのある種の形態にその答えがあるはずだと信じていました。そして実際、そのように主張している教会を見い出しました。しかしそこに行くには自分の住み慣れた‟大陸”を後にする必要がありました。

 

ー【その2】に続くー

*1:訳注:

*2:この会話の後しばらくして、この学生はカトリックになり、現在、カトリック大学で教鞭を取っています。

*3:訳注:

*4:Norman L. Geisler and William E. Nix, A General Introduction to the Bible, rev. ed. (Chicago: Moody Press, 1996), 133.

*5:「正統性」の問題についての以下の記事を参照。

*6:James K. Beilby, Justification: Five Views (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, 2011)を参照。

*7:実際、上記のような諸問題を私の前に突き出したのは大部分、福音主義神学者たちでした。例えば、Craig D. Allert, A High View of Scripture? : The Authority of the Bible and the Formation of the New Testament Canon (Grand Rapids: Baker Academic, 2007); Os Guiness, Fit Bodies, Fat Minds: Why Evangelicals Don't Think and What to Do about It (Grand Rapids: Baker, 1994). Mark Noll, The Scandal of the Evangelical Mind (Grand Rapids: Erdmans, 1994); D.H. Williams, Evangelicals and Tradition: The Formative Influence of the Early Church (Grand Rapids: Baker Academic, 2005)等.

*8:教義声明⇒全的堕落、ソラ・フィデ、ソラ・スクリプトゥーラ、プロテスタント聖書正典、聖徒の耐久堅持、フリー・グレース神学、前千年王国+イエスの切迫再臨、記念としてのみのバプテスマと聖餐。"Doctrinal Statement", Southern Evangelical Seminary websiteを参照。

*9:特にNorman L. Geisler, Systematic Theology, vols.2 and 4 (Minneapolis: Bethany House Publishers, 2003 and 2005).

*10:訳注:「可視的教会」と「不可視的教会」について。

「可視的な教会」と「不可視的な教会」

教会の可視性と不可視性に関するプロテスタントの見方

ホッジの一番目の区分ーー「外なる教会」と「内なる教会」

*11:参)Thomas C. Oden, ed., Ancient Christian Doctrine, vol.5, We Believe in One Holy Catholic and Apostolic Church (Downers Grove, Ill.: InterVarsity Press, 2009).

*12:訳注:「あらゆる分裂を回避しなさい。なぜならそれが悪の始まりだからです。」イグナティオスによるスミルナ人への手紙第8章(紀元2世紀)

*13:例:ルカ11:17、ヨハネ17:20-23、ローマ15:6、16:17-18、エペソ4:3-7、ピリピ2:2、コロ3:14、1ペテロ3:8、テトス3:10-11

*14:例:ローマ15:6、エペソ4:3-7、ピリピ2:2、コロ3:14、テトス3:10-11、それからルカ11:17、ヨハネ17:20-23、1ペテロ3:8も参照。

*15:現在も進行中の福音主義・プロテスタントキリスト教内における神学的論争内容の一例。〔abc順〕。中絶、アダムの歴史性、アルコール消費、弁証学の方法論、聖書慣習の適用性、バプテスマの意味と手順、聖書の作者、起源、聖書高等批評、聖書の無誤性、キリストの贖罪、キリスト教教育、キリスト教霊性、教会の定義、教会政治、教会成長、聖餐(ユーカリスト・主の晩餐)、避妊、契約神学、創造論、教会諸信条、公会議の意味と権威、未伝道の人々の永遠の行き先、ディスペンセーション主義、神の予知、東方正教の福音主義との和合性、神の選び、予定説、エンターテイメント(例:音楽鑑賞、TV、映画鑑賞)、信仰に関わる根幹教理、聖徒の永久堅持、福音主義の性質、進化論、信仰の定義、信仰と理性の関係、家族ミニストリー、フリー・グレースによる救済、自由意志、神の意志、神と時間、神の摂理、神の属性、福音の諸条件、地獄、解釈学、ユダヤ教とキリスト教、義認論、律法と福音の関係、結婚、離婚、再婚、千年王国、魂と肉体の問題、奇蹟、奇蹟を行なう賜物、自然法、新約聖書の旧約使用、旧約聖書の中の虐殺、旧約正典、パウロの救済論、ローマ7章におけるパウロの立場、ペテロの役割と重要性、繁栄の神学、心理学、煉獄、携挙のタイミング、黙示録の解釈、安息日のッ遵守、救済論的多元主義、聖化、科学と宗教の関係、社会活動(デート、ダンス、ゲーム、祭日等)、霊的賜物、霊の戦い、什一献金、戦争、ヘブライ人の手紙の中の警告聖句、ミニストリーにおける女性の役割、最後の審判における人間の行ないの役割、礼拝スタイル、ユース・ミニストリー。

*16:訳注:「権威」の問題について

*17:R.C. Sproul, Grace Unknown: The Heart of Reformed Theology (Grand Rapids: Baker Books, 1997), 58.

*18:参:Douglas Beaumont, "Defending the Deuterocanonicals", Douglas Beaumont, September 11, 2014.

*19:例えば、Michael J. Kruger, Canon Revisited: Establishing the Origins and Authority of the New Testament Books (Wheaton, Ill.: Crossway, 2012), pt.1.

*20:訳注:

*21:皮肉なことに、宗教改革期、ルターは以下のように書いています。「それゆえ、あなたがた、ならびに全てのソフィストたちよ、来たまえ。そして聖書の中で未だに難解なる神秘が一つでもあるのならそれを提示したまえ。仮に多くの事柄が今もって多数の人々にとり難解であるからといって、それは聖書の不明瞭性から生じているのではない。それはひとえに彼ら自身の盲目さや理解不足であり、彼らは真理のまったき明瞭性を見ようとしていないのである。Martin Luther, Bondage of the Will IV.

*22:訳注:

*23:マタイ16:18-19、エペソ2:20、1コリ12:30、ヨハネ17:20-21

*24:2テサ2:25、2テサ3:6、2テモテ2:2

*25:マタイ16:18

*26:訳注:「大いなる背教」という歴史観

ホッジの二番目の区分ーー「部分的背教」と「完全背教」

*27:使15章、1テモテ3:15