巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

神学と詩の出会いーーシリアの「聖霊の竪琴」聖エフレムの祈りと霊性(AD4世紀)

シリアの聖エフレム(Ἐφραίμ ὁ Σῦρος, 306頃-373年)

 

目次

 

シリアの聖エフライムの祈り

 

おおわが人生の主そして主人である神。私の内から、怠惰心、絶望、権力への渇望、そして無益な言葉を取り除いてください。

 

そして純潔な思い、へりくだり、忍耐心、汝のしもべに対する愛を与えてください。

 

おお王である主よ、私が自分自身の咎を見ることができるよう、そして自分の兄弟を裁くことがないよう助けてください。汝はとこしえからとこしえまで祝福されるべき御方です。アーメン。

(私訳)

 

シリアの聖エフレム(ベネディクト十六世)

 

引用元

 

現代の一般の考えによれば、キリスト教はヨーロッパの宗教であり、このヨーロッパの宗教が後にヨーロッパ大陸から他の国々に輸出されたとされます。

 

しかし現実はもっと複雑です。なぜなら、キリスト教の起源は旧約に、それゆえエルサレムとセム語世界に見いだされるからです。キリスト教は常にこの旧約という起源によって養われてきました。

 

また、最初の数世紀のキリスト教の拡大も西方に向けて、すなわちギリシア・ラテン世界に向けて行われました。その後、ギリシア・ラテン世界において、キリスト教はヨーロッパ文化に霊感を与えました。そして、ペルシア、インドに至るまでの東方世界に霊感を与えました。そこからセム語による、独自性をもった独特な文化の成長を促しました。

 

初期キリスト教信仰の初めから見られるこのような文化的多様性を示すために、わたしは先週の水曜日の講話で、このもう一つのキリスト教の代表者でありながら、わたしたちがあまり知らない、ペルシアの賢者アフラハトについてお話ししました。

 

これと同じ流れに沿って、わたしは今日、シリアの聖エフレム(Ephraem Syrus 306頃-373年)についてお話ししたいと思います。聖エフレムは306年頃ニシビスでキリスト教徒の家庭に生まれました。

 

の印がついている所がニシビス(Nisibis)出典

 

エフレムはシリア語によるキリスト教のもっとも重要な代表者です。また彼は独自のしかたで神学者の召命と詩人の召命を調和させることに成功しました。

 

エフレムはニシビスの司教ヤコボス(303-338年)のもとで養成を受け、ヤコボスとともにニシビスに神学校を設立しました。助祭に叙階され、363年まで地域のキリスト教共同体と深く生活をともにしました。363年にニシビスはペルシア人の手に落ちたからです。

 

そこでエフレムはエデッサに移住し、この町で説教者としての活動を続けました。エフレムはペスト患者の看病をしているときにこの病気に感染して、373年にエデッサで没します。

 

エフレムが修道士だったかどうかは定かではありません。しかし、いずれにせよ、エフレムが生涯助祭にとどまり、貞潔と清貧を守ったことは確かです。そして、エフレムの独特の文化的表現を通して、キリスト教の共通かつ根本的な性格が示されます。すなわち、信仰と希望――この希望が、主にあらゆる望みを置きながら清貧と貞潔を生きることを可能にします――と、最後に愛です。エフレムはペスト患者の世話のために自分のいのちをささげたからです。

 

聖エフレムはわたしたちに偉大な神学の遺産を残しました。エフレムの膨大な著作は4つの種類に分類できます。

(一)散文で書かれた著作(異端を論駁する著作や、聖書注解)

(二)韻文で書かれた著作。

(三)韻文による説教。

(四)そして最後に賛歌です。

 

エフレムがもっとも多く著したのはこの賛歌です。エフレムはさまざまな意味で多産かつ興味深い著作家ですが、とりわけこのことは彼の神学的経歴についていえます。

 

エフレムの著作の特徴は、神学と詩の出会いにあります。エフレムは詩の形式で神学を行いました。エフレムの教えに近づきたければ、最初からこのことを強調しなければなりません。詩はエフレムが逆説や比喩を通じて神学を深めることを可能にしました。

 

同時にエフレムの神学は典礼また音楽となりました。実際、エフレムは偉大な作曲家にして音楽家でした。神学において信仰を考察することと、詩をもって神に賛歌と賛美をささげることは同時に行われます。

 

そしてまさにこの典礼的な性格を通じて、エフレムの神学は神の真理をはっきりと示します。神の探究と神学において、エフレムは逆説と象徴の道をたどりました。エフレムは対照的な比喩をたいへん好みました。なぜならこうした比喩は神の神秘を強調するのに役立つからです。(中略)

 

エフレムはキリストの神秘を表すためにさまざまなテーマ、表現、比喩を用います。ある賛歌の中でエフレムは(楽園における)アダムと(聖体のうちにおられる)キリストを生き生きと結びつけます。

 

別の賛歌の中で、聖エフレムは信仰の豊かさと美しさの象徴としての真珠について述べます。

 

「わたしの兄弟たち。わたしは(真珠を)自分の掌に置きます。

よく見ることができるように。

わたしは真珠の表と裏を見ます。

真珠はどちらから見ても同じに見えます。

御子を尋ね求めるのも同じです。御子はきわめがたい方、

彼は光そのものだからです。

その透明さのうちに、わたしは透明さそのものであるかたを見ます。

彼は曇ることができないからです。

その清らかさのうちに

わたしはわたしたちの主のからだの偉大なしるしを見ます。

彼は清い方だからです。

その不可分の姿のうちに、わたしは真理を見ます。

真理は不可分だからです。」*1

 

エフレムの姿はさまざまなキリスト教教会の生活にとっても豊かな現代的意味をもっています。まずわたしたちが見いだすのは神学者としてのエフレムです。

 

エフレムは聖書から出発して、キリストが行う人間のあがないの神秘を詩的に考察します。キリストは受肉した神のことばだからです。エフレムの神学的考察は、自然や日常生活や聖書からとられた比喩や象徴によって表現されます。

 

エフレムは、詩や典礼のための賛歌に、教育とカテケージスの性格を与えました。こうした神学的賛歌は、唱えたり、典礼で歌ったりするのに適していたからです。エフレムはこうした賛歌を祭日の典礼の際に、教会の教えを伝えるために用いました。賛歌は、時代を超えて、キリスト教共同体にとってきわめて有効なカテケージスの手段であることが示されました。

 

創造主である神に関するエフレムの考察は重要です。被造物の中のいかなるものも聖書から切り離すことができません。世界は聖書とともにあります。聖書は神について述べた書だからです。

 

人間は自分の自由を間違った形で用いることによって、宇宙の秩序を覆してしまいます。エフレムは女性の役割を重視しました。彼は常に女性について繊細で敬意に満ちたしかたで語ります。

 

イエスがマリアの胎に宿ったことは、女性の尊厳をきわめて高めました。エフレムにとって、イエスなしにあがないがありえないのと同じように、マリアなしに受肉はありえません。わたしたちのあがないの神秘における神的な要素と人間的な要素が、すでにエフレムのテキストに見いだされます。エフレムは、詩と、聖書に根ざした比喩の形で、5世紀の公会議の偉大なキリスト論の定義の神学的背景と、ある意味ではその用語までも先取りしました。

 

キリスト教の伝統において「聖霊の竪琴」の名でたたえられたエフレムは、生涯、教会の助祭にとどまりました。これは決定的で象徴的な選択でした。エフレムは、典礼の奉仕においても、もっと根本的な意味では、キリストへの愛においても、助祭、すなわち奉仕者でした。

 

彼は比類のないしかたで、また兄弟に対する愛を通して、キリストに賛歌をささげました。エフレムは兄弟に神の啓示に関する知識をこの上なく巧みなしかたで伝えたからです。

 

ーおわりー

 

有益な資料

 

シリア人聖エフライム(シリア正教会のHPより)

↓シリア語での主の祈り

「なぜシリア正教会について学ぶのか?」ノッティンガム大学(*聖エフレムのことも言及されています。)

*1:『賛歌――真珠について』1・2-3