巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーアンドリュー・プレスラー師の信仰行程【その4】

その1】【その2】【その3】からの続きです。

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ペテロとパウロ、そして一つの教会。(出典

 

目次

 

Douglas Beaumont, ed., Evangelical Exodus: Evangelical Seminarians and Their Paths to Rome, 2016(抄訳)

 

目の前に立ちはだかるカトリック教会と正教会。さあ、どうするか。

 

キリストがお建てになった普遍教会を探そうとの自分の試みはすぐさま、大きな困難に直面させられました。

 

そうです、私の前に今や、互いに排他的な主張をしている二大教会ーーつまり、カトリック教会と正教会ーーが立ちはだかっていたのです。そして両者共に、自分たちの教会が、

ー生ける古代教会である。

ー1世紀の教会と物質的/実体的連続性を有しつつ、過去2000年以上を通し継続している。

ーキリストによって建てられた唯一の普遍的教会である、

と主張しています。

 

この時期までに私の中で明らかになっていたのは、仮にキリストがお建てになった普遍教会がこの地上に可視的に存在しているのだとしたら、そしてその教会を探し出した上で参入するのだとすれば、私は、ーー1000年来の大シスマ分裂状態にあるーー正教とカトリックの間のどちらかの側についた上で、その教会に参入しなければならない、ということでした。

 

この時点でもう私は自分の属するアングリカン教会で聖餐を受けたり、告解したりすることができなくなっていました。なぜならもはや良心の声がそれを許さなくなっていたからです。

 

でもあゝ、私の良心はそれと同時に、自分が「カトリックになる」もしくは「正教徒になる」という選択をすることにも非常なる困難を覚えていました。なぜならこれら二教会の内の一つに参入するためには信仰告白が要求されるわけですが、私は未だその内容に確信を持つことができないでいたからです。

 

しかし私の魂は、ユーカリストの中でキリストを受け入れることを熱望しており、主の教会の中で罪を告解し、赦罪を受けたいと望んで止みませんでした。

 

私は祈りました。おお主よ、汝の御霊により、キリストがお建てになった教会に私を導き給え。そして汝が教会にお与えになった権威ゆえに私がその教会の教えを信仰によって受け入れることができるよう助け給えーー。

 

伝統を遵守しようとする姿勢、そしてそこから生み出されてくる典礼生活における豊かさ等、正教会はすばらしく、私は崇敬しています。また、この点において、現在、カトリック教会が〔ミサの改悪により〕深刻な病弊を患っていることもよく承知しています*1。にも拘らず、さまざまな要因により、私はカトリシズムの方に引き寄せられました。

 

まず、プロテスタントとしての私の背景が、カトリック教会との和解の必要性を自分に要請していました。なぜなら少なくともそれが歴史的教会からの最も近似的離脱だったからです。

 

さらに、アングロ・カトリック教徒として私は、古代末期の教父たちに加え、中世期の歴史、神学、文学、信心に大いに感謝の念を覚えるようになっていました。自分にとり、中世はキリスト教生活と学術の豊かな宝庫でした。

 

それに、私の典礼造形は伝統的ローマ典書のアングリカン化されたバージョン、ローマ・ミサ式次第、典礼暦を基盤に形成されてきました。ですから、知的にも文化的にも典礼的にも、どちらかといえば西方伝統の方が、自分にとってはアットホームな感じでした。(そしてこの点において、正教会には不慣れなものを感じていました。)

 

私は東方キリスト教世界のイコンを愛しています。そして報道によっても、正教リトルジーの方が、カトリック教会のコンテンポラリー典礼よりも神学的により豊かで、より美しいということも知っています。

 

しかしそういう事があっても尚、私は東方正教会に足を運びませんでした。正教を選ぶという行為は実質上、カトリシズムの一般的拒絶を含意してしまうことになり、その結果、歴史的教会およびキリスト教の諸時代に充ち溢れる豊かなる神学的、知的、文化的遺産を喪失してしまうことを私は憂慮しました。

 

他方、カトリック教会は理論と実践その両方において、正教および東方キリスト教世界に対し心開かれていると思います*2。それゆえ、公同性を欣求する私の傾向がさらに私をカトリシズムの方に近づけていきました。

 

それからーー最初期のクリスチャンたちを含む多くの信者たちと同様*3ーーローマという地域教会それ自体が磁石のように私を引き寄せました。

 

ローマ典礼の新しい形態に失望、落胆。そして挫折。

 

しかしながら理論の上ではカトリシズムを好みつつも、実際にローマ・カトリック教会の教区を訪れ始めた私は、失望を隠せませんでした。

 

それらの教区において私は典礼の精神に入っていくことができず、ローマ典礼の新しい形態に大いに混乱を覚えました。それはリトルジカル礼拝における私の聖書的/神学的展望とも、アングロ・カトリックとしての典礼経験とも異なっており、意気消沈しました。*4

 

私の見る限り、本来のユーカリスト的犠牲および「神聖さの神秘」への強調を含んだ幕屋/神殿の次元における礼拝は、新しいオルド〔=ノヴス・オルド〕の導入により、背後に押しやられ、その結果、典礼的行為と、礼拝における ‟垂直的” 且つ神秘的次元との間の調和と一致が不明瞭にされているように思えました。*5 

 

さらに、カトリック教会の公式的意図としては、「全てのミサは敬拝の精神の内に執り行われなければならない」となってはいるものの、実際にはカトリック信者の多くは、「第二バチカン公会議以後、ローマ典礼の中から意図的に『敬拝』の要素が抜き取られている」と言っていました。*6

 

最悪の事態こそ免れたものの、初期のこの段階において、カトリシズムへの私の旅路は、新しい形態のローマ典礼との遭遇により頓挫してしまいました。*7*8

 

私の発見した「カトリック教会」はもはや過去の遺物と化し、存在しないものなのだろうか?ーー苦悶、求め、葛藤の日々

 

それにもかかわらず、「やはり自分はどうしてもカトリック教会に参入しなければならない」という思いは消え去りませんでした。この確信は、部分的に、使徒ペテロの固有な役割、ローマの教会、普遍教会の生活における教皇制に関する聖書的、神学的、歴史的証拠に基づいていました。(この点で、ウラジミール・ソロヴィヨフ著『ロシアと普遍教会』は助けになりました。*9*10.)

 

それに加え、(ちょっと定義しづらいのですが)、主として文学や神学的研究によって養われてきた個人的、知的、文化的紐帯や親近感とも相まった、何というか一種の「霊的羅針盤」のようなものにも基づいていました。

 

しかしそれと、現在私が目の前でみているローマ教会の現実との間のギャップをどう考えればいいのでしょうか。

 

〈僕が惹かれ引き寄せられたカトリック教会というのは、本当のところ、僕の想像の産物に過ぎないのだろうか。もしくは僕の見い出したその教会はもはや過去の遺物であり、現在もうどこにも存在しない代物なのだろうか?〉

 

いくつかの著作の中で読んだ、カトリック教会の真理を弁証する最も強靭な議論もまた、第二バチカン公会議以後の状況には大部分において当てはまっていないように思われました。

 

それでも、聖トマス・アクィナスを通して、本質的変化と付随的変化の間には違いがあるということをアリストテレスから学んでいましたので、「外観は大いに変貌してしまっているものの第二バチカン公会議およびノヴス・オルド(典礼における新しい形態)発布後も、カトリック教会は本質的には変わっていない」という可能性に対しては私の心は尚開かれていました。

 

過渡期を通し〈心の友〉であり続けたジョン・ヘンリー・ニューマン

 

聖公会信者としてーーとりわけアングロ・カトリック信者としてーー、この過渡期、ジョン・ヘンリー・ニューマンは私の〈心の友〉であり続けました。

 

前述しましたように、私は第二バチカン公会議および、その後、カトリック教会に充満するようになった ‟バチカン II スピリット” のことを深く懸念していました。

 

それ故でしょうか、第一バチカン公会議(1869-1870)を取り巻く当時のイデオロギー風潮に困難を覚えていたニューマンの葛藤と何かしら相通じるものを感じていました。(*第一バチカン公会議と第二バチカン公会議の精神風潮自体はある意味、互いに対極にあったにもかかわらず、です。)

 

(第一バチカン公会議の教義的諸声明に対する彼の完全受容をも含めた)当時の状況に対するニューマンの対応は私にとっての模範となり、そこから私は教会に対する忠誠の姿勢を学びました。

 

またそれと同時に、ニューマンの感化を受け、「なぜ第二バチカン公会議が必要であったのか?そしてそこから何が達成されたのか?」ということを理解するべく、公会議の文脈を視野に入れるようになりました。

 

そして、ニューマンの生きていた時代に教会に蔓延していたクレリカリズム、中央集権主義、権威主義等の不健全にして度を過ぎた極端な傾向を是正していかなければという気運があったことを知りました。

 

第二バチカン公会議公文書を熟読する

 

 

第二バチカン公会議の文脈を理解しようと、私は公会議の諸文書を熟読し始めました。その中のいくつかの箇所はたしかに画一的是認、意図的あいまいさ、(自分自身の無知も関係していると思いますが)理解困難な部分を含んでいるように思われましたが、それでも文書群の大部分は聖書的且つ伝統的であるように思われました。

 

それだけでなく、公会議公文書の教えは恩寵と自然、その両方の次元における神の造りし良きものに対するキリスト者の喜びと感謝の念で満ち溢れているように感じました。そしてこの点に関する公会議の強調に私は大いに感謝しました。

 

そういった意味で、公会議文書の内容のいくつかや、公会議以後のカトリック教会内の変化のいくつかについて葛藤を覚えつつも、第二バチカン公会議によって導入されたいくつか他の強調点や展望(典礼の有機的発達に関するいくつかの提言を含みます)という点に関してはそれなりに励ましを受けました。

 

学術的神学や聖書学、および司牧的実践にかかわるある種の形態において、‟バチカン II スピリット”がーー前世紀よりメインラインのプロテスタント諸教派内で隆盛していたーーキリスト教リベラリズムを正当化し、前進させる誘発剤になったことは疑う余地のないことです。ですが、公会議公文書、そして公会議以後の教導権(Magisterium)の教えそれ自体は、別事項です。

 

そして仮に、公会議文書の中のいくつかの諸声明が、ーー非カトリック的思想を教会にインポートしようとの企みから〈トロイの木馬〉となるべくーー起草に関わったある種の個々人たちによって意図されていたとしても、そうだからといって、そういった私的諸意図が、公的/教会的文脈の中におけるそれらの諸声明の意味を構成することにはなりません。

 

また、「そういった曖昧にして潜在的に問題をはらむ諸声明は解釈されなければならない」という感覚が、教導権のongoingな教えによっても、以前の教理・聖伝によっても確立されるでしょうし、いくつかの場合において、それらは現在進行中です。

 

パウロ六世、ヨハネ・パウロ二世の回勅、それから教理省によって発行された多くの諸文書をも読みましたが、そこで明らかになってきたのは、やはりカトリック教会は今も尚、普遍的且つ古代のキリスト教伝統の、無比にして権威ある伝達者として語っているのではないかということでした。

 

ですから、たとい現在、教会内でいかなる陳腐性や背信的試みがうごめいているとしても、教会が過去との連続性において自らのアイデンティティー意識を保持し続けているということは私の中で明らかになっていきました。

 

第二バチカン公会議後のカトリック教会に対する私のつまずきや躊躇を克服する上で助けになった二点

 

ニューマンの著作や模範、公会議文書、公会議後の教導権の教えに加え、以下に挙げる二点が、公会議後のカトリック教会に対する私の躊躇を克服する上で大いに助けになりました。

 

第一点目

私が発見したのは、正統派カトリック界の中に一つの思想学派が存在しており、彼らはーー第二バチカン公会議の教えや、ローマ典礼の新形態に従って執行されるサクラメントの有効性を決して否定しているわけではないのですがーー、それにも拘らず、依然として彼らは公会議後の(典礼乱用は言うまでもなく)‟典礼改革”に関し極めて批判的です。

 

この思想学派の指導的光の中でもヨーゼフ・ラッツィンガーは卓越しています*11。(彼は後にベネディクト十六世として教皇にまでなったので尚更です。)ラテン教会の中に、草の根から最高位のレベルに至るまで、自らの典礼的遺産に関する包括的にして積極的な認識を維持し続けようとしている人々がいることを知り、私はうれしくなりました。*12

 

第二点目

教皇ベネディクト十六世によって提唱されている「連続性の解釈学 "hermeneutic of continuity"」が、第二バチカン公会議の教理解釈においての最も理に適った方法であるように思えました。ーー特に、カトリック教会がキリストのお建てになった普遍教会であると信じている人々にとって。

 

なぜなら、(公会議のこととは無関係に)私自身も、連続性の解釈学はほとんど当然の結果として生じてくるということを信じるに至っていたからです。

 

つまり、その場合、「公会議の教え」と、「教会教理のその他の諸事項」との間の調和に自分がいかなる困難を覚えようとも、それらはキリストに対する信仰を持って対処されなければならないと同時に、カトリック教会の伝統全体との注意深く恭順にして粘り強い取り組みの結果として生じてくるであろう豊かな神学的収穫への期待をもって受け止められなければならないということです。(聖書の正典の中に明らかな内的不一致や緊張点を見い出した際にも、私は長年、これと同じアプローチを採ってきており、助けになりました。)

 

3年間、カトリック教会を外側から見つめ続ける

 

こうして三年余りの月日が流れていきました。この間、私は絶え間なく研究を続け、その結果、一つの結論に達しました。

 

すなわち、現在と過去の間における、カトリック教会の外見的断絶は、ーーそれ自体で危機として位置づけられ得るだろうけれどもーーそれはアイデンティティーにおける変化ではない、ということです。

 

ここ数十年、カトリック教会の中において、真なるもの、善きもの、美しいものの多くが損なわれ、曇らされてきました。ですが、何一つとして決定的に失われたわけでも、拒絶されたわけでもなく、幾つかの重要な事柄は現在進行形で元の状態に戻されようとしています。

 

自分の経験してきたことに限って言えば、私はやはりどうしても、現代カトリック教会に魅力を感じることができませんでした。かといって、これがキリスト教諸世紀を通して存在し続けてきた同じ教会であるということを正直、否定することもできませんでした。

 

教会はこれまでアリウス異端の危機、偶像破壊論争、10世紀の悪名高き「娼婦政治」、西方教会大分裂(1378-1418)、ルネッサンス教皇たち、その他ありとあらゆる激変やスキャンダルを乗り越え、持ちこたえてきました。

 

そこから鑑みて、おそらく教会は、自然主義的高等批評、ナルシズム的な典礼/神学的試み、1960年代の文化革命からの影響をも乗り越え、持ちこたえていくだろうと思いました。(ただ、やはりこういった諸問題は同時代的なものであるゆえに、私の感覚により重くのしかかってきていました。。)

 

また集合的に「性的虐待スキャンダル」と呼ばれている残酷非道な悪行の数々についても私は調べました。スキャンダルの歴史については、ボストン・グローブの調査員の書いた『Betrayal: The Crisis in the Catholic Church』から始め、類書を読みました。また、米国内だけでなく世界規模で明らかにされつつあるカトリック教会の性犯罪に関するレポートや記事を数多く読みました。

 

「もしも自分がカトリックになるとしたら、、、」と私は考えました。「そしたら、教会の壮大なる歴史を通しこれまで顕されてきた偉大なる真理、善、美という遺産を受け取ると共に、僕は今後、カトリック教徒(特に聖職者たち)によって犯されてきた数々の非道なる悪行に付随するこれら全ての恥辱、不名誉をもシェアすることになるんだ、、」

 

カトリック聖職者たちの中には自らの役職の座を悪用し、子どもや青年たちに性的危害を加える人たちがおり、また正義を追及する代わりにそういった性犯罪を隠蔽しようとする司教たちもいます。

 

ですからその意味で、本来なら、カトリック教会の言明にオープンであり、改宗の可能性を考えている求道者の方々が、これらのスキャンダルゆえに、克服できない壁を感じておられるのもよく理解できます。こういった罪や犯罪には言い訳の余地はありません。

 

私が申し上げられるとすればただ、性的虐待スキャンダルだけでなく、カトリック教会生活の全体(実際、司祭たちの大部分はこの件に関し潔白です。)についても学んでみてくださいと皆さんを励ますことだけです。

 

特に、教会史を通し、キリストの光彩を放った偉大な聖人たちの証に親しんでみてください*13。それが自分の努めて為したことであり、最終的に、私は良心に従い、カトリック教会とのフル・コミュニオンに入ることができると考えるようになりました。

 

ー【その5】に続くー

*1:訳注:「ビザンティン東方典礼」と「新ローマ典礼」の比較ビデオ。但しコメント欄で何人かの方々が指摘しているように、この比較は公平ではないかもしれませんね。本来なら、「ビザンティン東方典礼」と「ラテン語荘厳ミサ」を並列させるのがフェアーな対照の仕方なのかもしれません。ただ、このビデオの中に見られるローマ典礼乱用が、多くの真摯な求道者や他宗派の信者たちのつまずきになっていることだけは確かだと思います。

*2:訳注: 

*3:ローマ1:11-12、15:23-24、"Inscription of Abercius"; Irenaeus, Against Herecius 3, 3, 2.

*4:訳注:

*5:訳注:

*6:訳注:

*7:しかし公正を期するために申し上げますと、改宗者を含めたカトリック信者の中には、ローマ典礼の新しい形態に対しずっと肯定的な評価を下している方も多くおられます。そういった方々の多くは、改革された典礼は信徒にとってより親しみやすいものであり、プロテスタント信者にとっても障壁が少ないと心から是認しておられます。ここで私はこれらの方々と論争する意図は全くなく、実際、いくつかの点において、そして多くの事例において彼らは正しいと思います。ただ、この証の目的上、申し上げたいのは、最初、私が受けた〔マイナス〕印象はやはりこの証の中で述べた通りのものであり、ここでの挫折が私の改宗の時期や様式を決定する上で大きな影響を及ぼしたということです。

*8:訳注:

*9:ロシアと普遍教会ーーロシア民衆の「真の正教」及び、アンチ・カトリック神学者たちによる「疑似正教」について(by ウラジミール・ソロヴィヨフ).

*10:ロシアと普遍教会ーーコンスタンティノープルやエルサレムに《疑似教皇制》を設立しようとする試みについて(by ウラジミール・ソロヴィヨフ).

*11:訳注:

*12:訳注:

*13:訳注:

内容紹介:福音宣教は、イエスとの個人的な関係を土台として行われます。「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」をテーマとしたベネディクト十六世の連続講話集。「使徒たちの経験」を生き生きと描出し、キリストとの個人的な関係を生きることの重要性を平易に説く。

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↑内容紹介:「教会の師父」である「教父」に関するベネディクト十六世の連続講話集。ギリシア教父、ラテン教父各十七名に加え、あまり知られていないシリア教父二名をも取り上げ、その生涯と思想を通し、歴史の中で教会の歩みがどのように始まり、その基盤が築かれたかを浮き彫りにする。

内容紹介:『使徒―教会の起源』『教父』の続編となる、ベネディクト十六世連続講話集。東方教会七名、西方教会二十四名の神学者を取り上げ、その生涯と著作のうちにキリスト者であるとはいかなることかを見いだすことによって、人間の中に生きる教会を知り、その神秘の理解へと招く。

内容紹介:西洋中世を生きた「生活の聖性と豊かな教えにおいて際立った」15名の女性を考察する『女性の神秘家』と、近世から現代に至るまでの8名の教会博士を取り上げる『教会博士』の2編を収録。『使徒―教会の起源』『教父』『中世の神学者』の続編となる列伝体の教会史完結編。