巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

アンチクリスト(by フルトン・シーン)

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フルトン・J・シーン大司教(Fulton J. Sheen, 1895-1979)

 

Venerable Fulton Sheen Describes the Antichrist (拙訳)

 

彼は ‟アンチクリスト” という名称では呼ばれないだろう。さもなければ、追従者は得られないだろうから。

 

彼はファウストの中に登場する悪魔メフィストフェレスのように赤いタイツを着用したり、硫黄を吹き出したり、三又の槍を抱えたり、矢状の尾を振ったりはしないだろう。実にこの見せ掛けにより、悪魔は自分がさも存在しない者であるかのように人々を信じ込ませることに成功した。

 

Henry Irving (1838â1905), as Mephistopheles, and George Alexander (1858â1918) , as Faust, in 'Faust' by W. G. Wells, Adapted from Goethe

悪魔メフィストフェレス(出典

 

誰も悪魔の存在を信じなくなる時、いよいよ彼の権勢は増し加わる。神は御自身のことを「わたしは在るという者である。 ‘I am Who am,’」と定義し、一方の悪魔は「わたしは無いという者である。 ‘I am who am not.’」と定義している。

 

赤い衣裳を着た道化師としての悪魔という一般に広く信じられている神話を裏付けるものを我々は聖書のどこにも見い出さない。むしろ彼は、天から堕ちた御使いとして、また「この世の君」として描写されており、彼の任務は、「この地上の世界が全てであり、彼岸の世界というのは存在しない」ということを我々に説くことである。

 

彼のロジックは至って単純だ。ーーもしも天国が存在しないのなら、地獄も存在しない。そして地獄が存在しないのなら、罪というものも存在しない。そして罪が存在しないのなら、審判者もいない。そして審判や裁きがないのなら、悪が善であり、善が悪である。

 

しかし、こういった全ての事に加え、我々の主は言っておられる。ーー「この世の君」は絶妙なまでに自身を神に似た者として人々に提示するだろう。そして彼は選民でさえも騙すようになるだろうと。

 

もちろん、絵本の中に描かれている‟悪魔”はこれまで選民を騙すことなどできなかった。それではこの新時代、彼はいかにして自らの宗教に人々を取り込むのだろう。

 

コミュニスト時代以前のロシア信条は、次のようなものであった。すなわち、彼は偉大なる人道主義者を装って到来するだろうと。そこで彼は平和を語り、繁栄や豊満を語るのだ。

 

出典

 

しかし、それらはいずれも我々を神に導くための手段としてではなく、それら自体が目的化されたものとして人々に提示されるのである。

 

キリストに「自分を拝め、そうするならこの世のすべての国々の栄華は汝のものとなる」と言ったサタンの第三の誘惑は、次のような誘惑になるだろう。

 

ーーすなわち、十字架無しの新宗教、やがて来るべき世界無しのリトルジー、宗教を破壊するための宗教、もしくは宗教であるところの政治である。そしてこの新宗教の中で、人々は神のものでさえもカイザルに返すようになっていくだろう。

 

一見したところ彼は慈愛に満ちた風に人類への愛を示し、自由や平等について熱っぽく語っている。だが、その中にあって彼には一つの重大な秘密があり、それをひた隠しにしている。そう、彼は神の存在など信じていないのだ

 

彼の宗教は、神の父権(fatherhood)無しの人類同胞主義(brotherhood)であり、そのため、選民までもが彼に騙されていくようになるだろう。

 

彼は対抗教会(counter-church)を起ち上げ、それは真の教会の模擬(ダミー)となるだろう。なぜなら、悪魔である彼は、神の模擬(ダミー)だからだ。

 

それは真の教会の持つあらゆる特徴を兼ね備えているが、その神的内実は逆転しており、空虚化されている。然り、それは、あらゆる外形においてキリストの神秘的御体に酷似した、アンチクリストの神秘的体なのである

 

ーーフルトン・J・シーン大司教(1895-1979)