巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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「周縁化」される神と、人間の「義」による恐怖政治ーーファシスト霊性の現代復興

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恐怖政治(la Terreur;18世紀フランス)出典

 

正教会ワールドで現在、「ベール駆逐論*1」を説いているキャサリーン・ケライディス女史は、同じ情熱を持って「専業主婦無用論」をも説いています。

 

 

ケライディス女史によれば、家庭にとどまり母親として子育てをしたいと望む傾向の強いミレニアル世代の女性たちは、「共同体や国家という、より広大な関心よりも、自分の家族という狭隘なる関心を選び取っています。」ゆえに、若い女性たちがstay-at-home-Momになりたいと望むことは、女史によると、"self-interested choice"(利己的で自己本位な選択)です。

 

また、彼女の調べた‟統計”によると、家にいる専業主婦の母親たちは、(彼女たちが家にいることにより)むしろ子供たちにとって有害です。

 

この論考の中でケライディス女史は、個々人が神に従い、神の御計画が着実に成し遂げられることよりも、国家政府の計画が着実に運行するべく‟共同体”のニーズをより優先させることが重要であるという観点から、「専業主婦」というカテゴリーに入る女性たちは、社会善に貢献しない無益な存在であると結論づけています。それゆえに、タイトルに明記されているように、「主婦たちは社会の益のために仕事に戻るべき」なのです。

 

この部分を読んだ時、私はエドワード・ヴェイス氏の『現代ファシズム』の中で詳述されているナチス・ドイツの国家統制主義/全体主義が貫徹していくプロセスのことを思い出さずにはいられませんでした。

 

「実に、人は二人の主人に同時に仕えることはできない。そして、一つの宗教の建設もしくは破壊は、一国家の建設もしくは破壊よりもはるかに重大であると私は考えている。」

アドルフ・ヒットラー『わが闘争』1921年*2

 

「ナチスの究極的目標は、ユダヤ人だけでなくユダヤ・キリスト教的伝統をーーその超越的神や超越的諸倫理と共に撲滅させることにありました。彼らはそれを異教化されたキリスト教もしくは古代神話的意識の復興によって置き換えようとしました。」*3

 

「エルンスト・ノールトはファシズムを『超越性に対する、実際的にして暴力的な抵抗』と定義しています。ユダヤ・キリスト教的伝統が超越的神および超越的倫理法に焦点を置いているのに対し、ファシストの霊性は触知的なものに焦点を置いています。

 そこにおいては、『自然』と『共同体』というのが、(古代神話的諸宗教の中で信奉されてきた)神秘主義的役割を帯びています。宗教的熱意は、『超越』から『内在』に置き換わっています。ーー土地、国民、血統、意志に。ファシストは、自然、共同体、自己に関する、有機的にしてネオ神話的合一を求めています。そうした上で、自然を超越した神や、社会を超越した倫理法などの諸概念は拒絶されます。」*4

 

超越神としての「神の義」を ‟人権と平等”という名において蹂躙する「人の義」の熱心は、やがて神ご自身を「周縁化」させ、キリスト教会から追放していきます。

 

さらに超越の拒絶は、人を不健全な「内向き霊性」に陥れ、それからありとあらゆる種類のネオ・パガニズム、ニュー・エイジ・スピリチュアリティー、瞑想ヨガなどが量産されていきます。自然、共同体、自己に関する、有機的にしてネオ神話的合一、、、まさにファシスト霊性の現代復興ではないかと思います。

 

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ローズマリー・リューサー著『ガイアと神――地の癒しについてのエコフェミニスト神学』(1992年)*5

 

ですから、ある教派/教団内にフェミニズムが浸透していく度合に比例して、その同じ教派/教団内に、異教や秘儀、ヨガ、オカルトの類が繁殖してくるのは、決して偶発的現象ではないと思います。

 

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カナダ、バンクーバーにあるヨガ・チャペル(Yoga Chapel : Home

 

それゆえに、社会学者のガブリエラ・クビー女史は著書「グローバル性革命ーー自由という名における自由の破壊 *6」の中で、フェミニスト・アジェンダがいかにして価値造成諸機関に知的浸透を成し遂げ、それらを征服していったかの経緯を詳述しつつ、キリスト教および個々の信者たちが公共圏において孤立化させられていっている近年の状況を解説しています。

 

その上で、クビー女史は、汎セクシュアリズムという新興の強力なるイデオロギーだけでなく、全体主義の陰湿なる回帰insidious return of totalitarianism)を警戒するよう読者に呼びかけています。新しいこの全体主義は、羊の衣を着たオオカミのように、そして「自由の擁護者」というマスクを被った独裁者としてやって来ます。

 

この状態を、故R・C・スプロール師は「多元主義と相対主義」の中で次のように予見しています。

 

「現代文化の中では、これまでの歴史上例を見ないほど、すべてが全くの混乱状態にあります。過去の時代、こういった空虚感が生じた際には、何か別のものがその空白を満たしにきていたものでした。

 

 相対主義は究極的には〈非寛容〉です。そして、この空白を埋めにくるのは、一種の国家統制主義をとる形態でしょう。なぜなら、いずれにせよ何かが一致をもたらさねばならないからです。『国家』の善がいずれ、一致のための最終地点となっていくでしょう。・・こうして国家が人生の目安になっていきます。そして私たちの生きる理由が国家になっていきます。国家が統一を成し遂げ、超越し、絶対化し、そして《永遠なるもの》になります。

 

 ・・私たちは「仕切り壁」のこちら側だけで生きていくことはできません。私たちは、壁の向こう側におられる神との関係を持つか、もしくは、神のおられるべきその場所を、「国家」で代用するか、そのどちらかです。・・国家は、壁のこちら側に存在しています。ですから、国家というのは、それが絶対化しない限り、私たちの多元(plurality)のために究極的一致を提供することは決してできないのです。

 

 相対主義は、満たされたいと絶叫しているその倫理的空白を提供しています。自然が真空状態を忌み嫌っているのと同じ強さで、全体主義国家体制はその真空状態を愛しています。なぜなら、彼らはその空白を埋めるべくそこに駈けつけることができるからです。」 *7

 

キャサリーン・ケライディス女史のような考えの持ち主の論考が ‟クリスチャン” サイトに掲載されているというのは何を意味しているのでしょうか。

 

本当の脅威は、外ではなく内に在ります。攻撃ではなく、切り崩しなのです。

*1: 

*2:Adolf Hitler, Mein Kampf, tr. Ralph Manheim (Boston: Houghton Mifflin, 1943), p.114.私訳

*3:Gene Edward Veith, Jr., Modern Fascism: The Threat to the Judeo-Christian Worldview, chapter 4. "Two Masters" Fascism vs. Confessionalism

*4:Gene Edward Veith, Jr., Modern Fascism: The Threat to the Judeo-Christian Worldview, chapter 1. "A Disease of the Times" Introduction

*5:

*6:

The Global Sexual Revolution: Destruction of Freedom in the Name of Freedom

*7:引用元