巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

合法性と非合法性を判断する基準はどこに?ーープロテスタントの苦悶と叫び

Image result for legitimate

合法的であること。非合法であること。(出典

 

目次

 

リビング・ルームでの即興聖餐式 

 

少し前のことですが、ペンテコステ派の教会に通う友人に招待され、彼女の家を訪問しました。互いに近況を報告し合った後、彼女は眉をひそめ、次のような話をしてきました。

 

 「週に一回、うちの教会の女性たちの何人かと一緒にM姉妹の家に集まって、セル・グループでの祈り会をやってるの。そうしたところが、先週、祈り会の途中で、M姉妹が立ち上がってね、『今、聖霊様が私に、聖餐式を執り行いなさいと促してくださっている』と言って、台所に消えたの。

 

 そしてしばらくすると、お盆の上にパンと葡萄酒をのせてリビング・ルームに戻ってきて、『さあ、聖餐式を始めましょう』と言ったのよ。もうびっくり。正式な牧師の施行による聖餐じゃなきゃ、合法的なものにはならないでしょ?それで失礼かなって思いつつも私は『申し訳ないけれど、ここでは聖餐は受けられない』ってはっきり断ったよ。でも他の婦人たちはM姉妹の言葉に従い、皆、おとなしく聖餐に与っていた。ねぇ、彼女のやった事、おかしいわよね?間違ってるわよね?」

 

そういって私の友人は私に同意を求めてきました。彼女のやった事は、もちろん、おかしいし、間違っている、、

 

でも改めて、「なぜ、どういう理由で彼女の行為は間違っていたのだろう?」と考えてみると、答えはそう簡単に出ないことに気づきました。

 

母教会の立場から見て、このシスマは正当化され得るのだろうか?

 

私の友人は「(自分の教会のD牧師という)正式な牧師の施行による聖餐じゃなきゃ、合法的なものにはならない」と自信を持って言っていました。

 

彼女の教会は、単立教会で、この教会は約20年前に、‟聖霊の導きにより”、母教会である使徒的自由ペンテコステ教会から分裂し、新たに教会をスタートさせました。(真相としては、フェミニズム問題で相補主義の立場を採っている母教会〔使徒的自由ペンテコステ教会〕から、対等主義的信仰を持つ若手牧師を旗手に彼の見解に同意する一群が独立したというのが分裂の要因の一つだったようです。)

 

そうしますと、母教会の立場から見て、このシスマ(教会分裂)は正当化され得るものなのでしょうか。母教会から分派したこのグループは果して、合法的教会なのでしょうか。そして、その新教会を率いている若手リーダーは合法的牧師と見なされ得るのでしょうか。

 

一方、母教会であるこの使徒的自由ペンテコステ教会は、60年代に、米国アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団から分離し、独立教会として誕生しました。さて、この分裂はどうでしょうか。

 

Related image

 

母教団である米国アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの立場から見て、このシスマ(教会分裂)は正当化され得るものなのでしょうか。母教会から分派したこのグループは果して、合法的教会なのでしょうか。そして、そこの指導者たちはいかなる根拠をもって合法的牧師と見なされるのでしょうか。あるいは見なされないのでしょうか。

 

それでは、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団はどうでしょうか。この教団は、メソジスト・ホーリネス教会の流れを汲み、1906年にカリフォルニアのアズサ・ストリートで始まったリバイバルにその起源を持っています*。(リバイバル集会の中心的指導者であったウィリアム・シーモア〔1870-1922〕はホーリネス教会の牧師でした*。)

 

ウィリアム・シーモア(出典

 

そして、このメソジスト・ホーリネス教会は、英国国教会の司祭であったジョン・ウェスレー(1703-1791)が国教会内で始めた敬虔運動であるメソディスト・ソサエティーにその起源を持っています。

 

Image result for methodist society john wesley

1744年6月25日、最初のメソディスト・ソサエティーの会合。右はジョン・ウェスレー(出典

 

当時の記録を読むと、いかに18世紀の英国国教会が霊的に堕落した状態にあったのかが分かります。ウェスレーはこの中に真正なる霊的覚醒の風を吹き込みましたが、彼はこの ‟メソディスト・ソサエティー” を国教会から分離させることを望まず、あくまでも国教会《内部》の刷新運動として存在し続けることを望みました。

 

しかしウェスレーの死後、メソディスト・ソサエティーは、英国国教会から分離し、その後、下の図のように無数の枝に分かれていきました。

 

Related image

ウェスレアン・ホーリネス・ペンテコステ運動から派生した無数の分枝(出典

 

さて、母教会である英国国教会の立場から見て、このシスマ(教会分裂)は正当化され得るものなのでしょうか。母教会から分派したこれら一連のグループは果して、合法的教会なのでしょうか。そして、そこの指導者たちはいかなる根拠をもって合法的牧師と見なされるのでしょうか。あるいは見なされないのでしょうか。

 

それでは英国国教会はどうでしょうか。この教会は、もともとカトリック教会の一部でしたが、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から分離し、独立教会となりました。

 

f:id:Kinuko:20181023162604p:plain

 ヘンリー8世

 

さて、母教会であるカトリック教会の立場から見て、このシスマ(教会分裂)は正当化され得るものなのでしょうか。母教会から分派したこの教会は果して、合法的教会なのでしょうか。そして、そこの指導者たちはいかなる根拠をもって合法的牧師と見なされるのでしょうか。あるいは見なされないのでしょうか。

 

Image result for the church of england priests

英国国教会、2018年2月(出典

 

英国国教会の信徒であったG・K・チェスタートンはこの問題(つまり、合法性の問題)について考え抜きました。そして彼がたどり着いた結論は、「いや、ローマからの分離は正当化され得ず、神の目に合法的なものとされていない」でした。こうして彼はローマ・カトリックに改宗しました。その事に関し彼は次のように書いています。

 

Image result for chesterton conservatives and progressives

G.K. Chesterton (1874-1936)

 

「宗教が〈ローマ〉との紐帯を失うやいなや、それはーーその本質そのものにおいて、そしてそれが造られたところの要素それ自体においてーー即座に、内的に、頭のてっぺんから足の先まで変貌を遂げる。

 

それは本質において変化を遂げる。必ずしも、形態や容貌や外観においてそれは変化していないかもしれない。以前と変わりなく同じ事がらを執り行っているのかもしれない。だが、もはやそれは同じではあり得ない。同じような事を言い続けることは今後もできるだろう。だが、それらを言明していたかつての言明とはもはや同じではなくなっている。

 

ヘンリー8世は、ーー彼がカトリックでないという一点を除きーーその他あらゆる点においてカトリックであった。彼はロザリオからキャンドルに至るまで、微に入り細をうがって全てを遵守した。定義から演繹的に引き出されるあらゆる事がらを彼は受諾した。とどのつまり、彼は全てを受け入れていたのである。ーーローマという一点を除いて。

 

そしてその拒絶の瞬間、彼の宗教は違う宗教に変貌した。異なる種類の宗教、異なる種類の事物へと変化を遂げた。その瞬間、それは変化を始めたのである。そしてその変化は今に至るまで止むことがない。」(引用元

 

「ローマからの分離」の合法性/非合法性の問題に行き着く

 

単立ペンテコステ教会のM姉妹が、自分のリビング・ルームで聖餐式を執り行うことがなぜ、いかなる理由で「非合法」なのか、ということを突き詰めて考えていった先に、16世紀のヘンリー8世の為したローマからの分離行為が「果たして合法的であったのか、それとも非合法であったのか?」という問いがありました。

 

仮にG・K・チェスタートンの言うように、ローマとの紐帯を絶った諸教会が ‟違う宗教に変貌してしまった” のだとするなら、究極的に言って、M姉妹がリビング・ルームで「合法的」手順を踏まず聖餐式を執り行うことが「非合法」である根拠*1と、ヘンリー8世治世下のイングランド教会がローマ教皇庁から分離し「合法的」手順を踏まず聖餐式を執り行うことが「非合法」である根拠は、規模の違いこそあれ、本質的に同一であるということになるのでしょうか。この点について、皆さんはどう思いますか。

 

教会法(canon law)

 

2017年7月にバーク枢機卿は、聖ピオ十世会がシスマ(教会分裂)の状態にある("The Priestly Society of St. Pius X is in schism")と言って次のように述べました。

 

「実際、聖ピオ十世会(SSPX)は、故ルフェーブル大司教が、ローマ教皇の権能無しに4人の司教を叙任して以来、シスマの状態にあります。そして、それゆえに、聖ピオ十世会の指導下にある教会のミサに参列したり、サクラメントを受けたりすることは合法的ではありません(not legitimate)。」引用元

 

私は、この事例に神様からの摂理的教訓と意味を見い出しています。まず第一に気づいたのは、合法性/非合法性の裁定が恣意的/主観的なものではなく、教会内にいる人(あるいはマージン部分にいる人)にとり客観的価値を持つことが可能になるためには、教会法(canon law)が不可欠だということです

 

教会は常に内外の問題を処理しなければなりません。そして教皇庁と聖ピオ十世会の間で継続した対話と交渉がなされ、それが可能なのは、両者の間に、教会法という共通基盤があるからではないだろうかということに気づかされました。

 

ある超教派のミッション・ベースで起こった事

 

話はやや脱線しますが、ある超教派のミッション・ベースで、私は年配の宣教師の方の通訳をしていました。ある日、イスラム教からキリスト教に改宗した人々20名位を前に、北米出身のこの先生は、次のように言われました。

 

「二人、三人、イエス様の御名によって集まるところが‟教会”なのです。そして聖霊はあなたがたを全ての真理に導いてくださいます。ですから、この地からヨーロッパのどこに行っても、あなたがたは二人、三人、イエス様の御名によって集まり、‟教会”をスタートさせることができます。私は、それをイザヤ56:7から『すべての民の祈りの家』と名づけるようビジョンが与えられました。そうです、これからヨーロッパ中にこの『祈りの家』が拡がり、神の国が拡がっていくでしょう。アーメン。」

 

私はラディカルなこの教会論に驚き、ほとんど卒倒しかけましたが、それでも、任務上、青ざめながらこの内容を、初信者の方々に通訳しました。そして心の内で呻きました。

 

〈ああ、こういった教えを受けた初信者たちは、ヨーロッパの各地で、その地域にすでに存在している既存の教会秩序をぶちこわし、(牧会者訓練も何も受けていない)初信者がそれぞれ群れのリーダーを自認した上で、数限りない内ゲバと分裂抗争が繰り広げられていくのだろう。〉

 

しかし自分を最も呻かせたのは、こういったラディカルな(私の感覚では滅茶苦茶な)教会論がなぜ、どういった理由で間違っており、非合法であるのかということを判断する究極的/客観的基準が自分たちにはないという悲しい事実でした

 

それゆえに、幾人かの宣教師たちは私と同様、この年配宣教師の教会論にかなり不安を覚えていましたが、結局、北米の宣教本部の判断を仰ぐしかない(そして宣教本部は彼のリーダーシップを認めている)ということで、為すすべがありませんでした。

 

そしてこの苦悶の時期、私は「主よ、教会とは何でしょうか?私にはもう何が何だか分からなくなりました。」と涙ながらに祈りました。

 

確かにこの年配宣教師の教会論はラディカルなのかもしれない。でも、結局、これは、「教会が本質的に不可視的なものである」というプロテスタントの教会観を極限にまで押し進めていった結果、出来上がった産物なのではないでしょうか。

 

そうなると、右は、厳格な改革長老派の教会論から、左は「二人、三人、イエスの名によって集まればそれが教会」という教会論まで実に多種多様なスペクトルにおける「濃度差」については何かコメントすることができても、実際にどこが中軸で、何が合法ラインなのか、といった事は、普遍的教会法がない限り、私たちには認知不可能であるということにならないでしょうか?

 

主は混乱の神ではなく、秩序の神

 

そしてここから翻って、私は、自分が「M姉妹のリビング・ルーム聖餐式」が果たして合法なのか非合法なのか、そして年配宣教師の教会論が果たして合法ラインに入っているのか否かを究極的/客観的に知ることができないでいる根本理由は、プロテスタンティズムの中にそもそも教会法が存在しないーーつまり、私たちは無法地帯にいるーーことが原因なのではないかと考えるようになりました。

 

そして実にこれが私が20年間、苦しみ続けて来たプロテスタント界アナーキズムおよび混沌の発生源なのではないかと。

 

私たちの神が秩序の神であって、混乱の神ではないのなら、神はご自身の民を助けるべく、教会および教会法を与えてくださっているのではないか。そうであってほしい。ーーそう心から願っています。

 

ー終わりー

 

関連記事

*1:そもそも女性である彼女が「祭司職」を持つことは使徒職の本質に反しており、「存在論的に不可能 ontological impossibility」(R.アラカキ師、東方正教会)であるという点は、本稿のテーマを超えますので、ここではその点には触れません。