巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

神の審判とキリストの御復活ーー古ローマ詠唱詩篇LXX75篇 (Terra tremuit et quievit)再訪

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「なんぢ天より宣告をのりたまへり、、地はおそれて黙(もだ)したり。」LXX詩篇75篇(文語訳)出典

 

 

ラテン語の引用元、日本語は拙訳。

 

Terra tremuit et quievit, Dum resurgeret in judicio Deus, alleluia!

大地は揺れ、やがて静まった。神が審判のため立ち上がられた時。 アレルヤ。 

Notus in Judea Deus in Israel magnum nomen eius, alleluia! Dum resurgeret in iudicio Deus, alleluia!

神はユダにおいて知られ、御名はイスラエルにおいて偉大である。神が審判のため立ち上がられた時。 アレルヤ。

Et factus est in pace locus eius et habitatio eius in Sion, alleluia! Dum resurgeret in iudicio Deus, alleluia!

神の幕屋はサレムにあり、神の宮はシオンにある。アレルヤ。神が審判のため立ち上がられた時。 アレルヤ。

Ibi confregit cornua arcum, scutum, gladium et bellum, iluminans tu mirabiliter a montibus aeternis, alleluia!

かしこで神は弓の火矢を折り、盾とつるぎと戦いの武器をこわされた。あなたは永久の山々にまさって光栄あり、威厳がある。アレルヤ。

Terra tremuit et quievit,Dum resurgeret in judicio Deus, alleluia!

大地は揺れ、やがて静まった。神が審判のため立ち上がられた時。 アレルヤ。

 

以下、ウナ・ヴォーチェ・ジャパン(カトリック・サイト)の方々の解説文を一部引用させていただきます。

 

奉献唱、Terra tremuit

御復活主日の昇階唱とアレルヤ唱の溢れる喜びの後、奉献唱では入祭唱の静かで瞑想的な雰囲気が再び繰り返されます。しかし、歌詞は壮大なものです。その歌詞は〔LXX〕詩編75から引かれていますが、この詩編は、神の業による大勝利の後の感謝の歌です。

 

Terra tremuit et quievit dum resurgeret in judicio Deus. 大地は揺れ、やがて静まった。神が審判のため立ち上がられた時。

 

この詩編で大地というのは、イスラエルの民を隷従させようとした諸国とそこに住む民のことです。これらの民は神の力が働いたとき震えおののき、決定的に打ち負かされて動きを止めてしまったのです。

 

御復活祭の日に関連して、この歌詞の中にはまた聖金曜日の地震や聖土曜日の休息、また審判や地獄の敵の決定的な敗北という結果を伴う御復活への言及も読み取るべきでしょう。

 

最初の2つのフレーズでは、メロディは低音から始まり、動きに満ちたクレッシェンドへと登りつめ、静かに平和に、しかしながら内面的で神秘的な喜びの雰囲気をとどめたまま再び低音へと降りてきます。3つめのフレーズはアレルヤです。

 

先ほど入祭唱のところで指摘したように、この日の聖歌はアレルヤで締めくくられますが、大抵は短いアレルヤです。それに対してこの奉献唱のアレルヤは結構長めです。このアレルヤは柔軟に展開し、大きな間が空くことはありません。それはまるで終わろうとしない脱魂のさなかの見神体験のようです。」出典

 

また、別のカトリック・サイトTradition in Action, "Holy Week Liturgy, Terra Tremuit" の解説には、旧約の「予表」という観点から次のような事が言及されてあります。

 

「この詩篇は私たちの主が息を引き取られた時に起こった地震について予告しており、それはまた最後の審判の予表でもあります。終わりの時ーー悪しき人類が自らを安全だとみなし、神の怒りに対し無頓着でいるその時、私たちの主は再臨されます。その恐るべき日、地の土台そのものが揺り動かされ、キリストが、荘厳なる威厳の内に、人間の邪悪を裁きます。」翻訳引用