巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

カトリック教会内の二つのエキュメニズムーー「帰正のエキュメニズム」vs「第二バチカン公会議の新エキュメニズム」

「枢機卿」ホルヘ・ベルゴリオが、タンゴ「ミサ」を祝福している映像。動画の始まり(24:40時点)に、この「ミサ」を主宰するベルゴリオが映っています。次に、ベルゴリオは「ミサ」を終え、2分後(26:39時点)に、祭壇の前にタンゴを踊りだします。(引用元

 

目次

 

二種類のエキュメニズム

 

聖ピオ十世会のトマス小野田神父が、伝統的カトリック信仰の立場から以下のような記事をお書きになっています。

 

 

この記事を拝読し、第二バチカン公会議以後の「エキュメニズム運動」に対し、私が漠然と抱いていた不安感の源が具体的にどこら辺にあるのか、よりクリアーになった感があります。確かに、同じ「エキュメニズム」という語が使われていても、その内実が異なっている(「帰正のエキュメニズム」vs「第二バチカン公会議の新エキュメニズム」)という神父のご指摘には納得がいきます。

 

また、聖家族修道院のHPには、後者の意味における「エキュメニズム」について以下のような用語説明がなされていました。

 

教会一致主義 ・世界教会主義

(Ecumenism):偽りの宗教を尊敬・尊重して、彼らと結合し、また彼らと共に祈るよう指示する、第二バチカンや第二バチカン後の偽「教皇」たちの教えを示す。第二バチカンセクトが教導・実施している「教会一致主義」は、カトリックの教義や教皇たち、また教会の聖伝によって直接的に非難されている。

教会一致主義は、真なる宗教を偽りの宗教と、また真なる神を偽りの神々と同じ水準にしてしまう。この本では、第二バチカンセクトの教会一致主義はかなり詳細に暴露されている。

「教会一致主義という異端の行為は、狭義では、プロテスタントや分離のセクトと結合することであり、非キリスト教の宗教と同じ行為をする場合は『異宗教間対話』と呼ばれる」と言う人もいる。しかし、この二つの用語は、今日ではほぼ同義である。(引用元

 

交錯する思い

 

そうしますと、私の中で上記のような言明を「信頼したい」という思いと、「いや。どこも結局同じ。ほら、上記の伝統派論調をみてごらん。独立バプテスト(ファンダメンタリスト)教会や、正教アトス山の攘夷派論調とそっくりじゃない?キリスト教界のどこのセクターも所詮、『保守(攘夷派)vs リベラル(開国派)』の対立の堂々巡りってことなのだろうか。どこも結局はどんぐりの背比べであり、真なる可視的教会が存在するというのは机上の空論に過ぎないのだろうか。」という陰鬱な諦め及び相対主義を伴うポストモダン的懐疑主義がめまぐるしく自分の中で交錯しています。

 

祈り 

良い牧者であられるイエス様、さまざまな声が混線しており、あなたのお建てになった真の教会がどこにあるのか分からず、戸惑うばかりです。「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。」(ヨハネ10:16)どうか、迷える羊たちを安全なるあなたの囲いの中に導き入れてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。