巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーージョセフ・ジョンソン師の信仰行程

Joseph Johnson

目次

 

Joseph Johnson, No Longer Adrift: A Presbyterian Pastor Discovers the Catholic Church, 2016, Journey Home - 2016-05-16 - Dr. Joseph Johnson(拙訳)

 

バプテスト信者の家庭に生まれる

 

私は5人兄弟の末っ子として南カリフォルニアの南部バプテスト信者の家庭に生まれました。母はバプテスト派伝統の中で育ち、父はペンテコステ・ホーリネス教会の信者でした。父は1973年、私が2歳の時に回心し、そのため、私が生まれ育った環境は非常に敬虔でした。

 

8歳の時、バプテスト教会でリバイバル集会があり、そこで私は回心し、13歳の時に池で洗礼を受けました。私たち家族は忠実な教会メンバーであり続けました。

 

カリスマ派の教会へ移る

 

しかし12歳の時、母教会が二つに分裂してしまい、その結果、私たちの家族は小さな無教派の教会に移りました。そこの牧師は元アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの教職者であり、彼の神学的諸見解は彼の説教を通して私たちに伝達されました。

 

私たちは一応バプテスト教徒ということになっていましたが、両親はカリスマ運動の只中にいましたので、無教派的な教会への移動はそう難しくはありませんでした。カリスマ派の人々は、聖霊の臨在するミニストリー、異言の顕現、癒し、奇跡などに対する強調によって一致しています。

 

一般のプロテスタント諸教会では、義認論、聖化論、教会政治、洗礼、典礼などの諸見解を巡って分裂が起こりがちですが、カリスマ派ではそういった点はあまり問題の焦点にはならず、それらは大概 ‟人間の伝統” と一括して片付けられている感がありました。

 

牧師の個人的聖書解釈がしばし、会衆の信条を決定している(影響を与えている)のだという事実にはその当時全く考えが及んでいませんでした。そして多くの場合、私たち会衆は、自分たちの教会は ‟御言葉をそのままストレートに説いている”と確信しています。

 

両親はいつも私に、イエス・キリストとの個人的関係ーー主を知り、主に従うことーーの大切さを強調していました。生育していく過程で、いくつかの教会に属しましたが、両親は、「イエス様が導いておられると信じる場所に行くように」と私に語っていました。

 

そこで当然のことながら、私は、イエス様を通した神との個人的関係が天国に行くために必要な全てであり、具体的にどの教会に属するかはそれほど重要ではないのだと考えていました。教会というのは、建物とか教団教派ではなく、人々ーー。ずっとそう考えてきたと思います。

 

またカトリック教徒はクリスチャンではないとは一度も考えたことがありませんでした。確かに彼らの教理にはおかしいところがある。でも彼らもまた自分の参入していたクリスチャン・ストーリーの立派な一員でした。

 

深みに漕ぎ出すーーユダヤ的キリスト教との出会い

 

1989年、私は工学専攻でランダー大学に入学しましたが、在学中、初期キリスト教史及びそのユダヤ教との関係に関心を持つようになりました。

 

米国長老派教会(PCA)の教授との話し合いの結果、私は1991年の秋学期にインマヌエル大学に転学することにしました。そこで教会史及びユダヤ教を学ぶ過程で、ジョージア州ロズウェルにある大きなユダヤ人キリスト者コミュニティーを発見しました。この共同体はユダヤ人でないクリスチャンも歓迎していました。

 

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Congregation Beth Hallel

 

多くの人々は、こういった共同体の人々のことを「神学的に混乱している」と様々に批判していましたが、自分にはなにかしら共感を覚えるところがありました。考えてみれば、イエスも弟子たちもユダヤ人でありユダヤ教を実践していたわけです。

 

シナゴーグに集う非ユダヤ人礼拝者たちは(強制では全くなく)ユダヤ教の諸慣習を採用したいのならしてもいいと奨励されていました。そこで私は、できる限り、イエスを信じた宗教的ユダヤ人のように生きようと試みました。

 

魂の暗夜ーーブルトマン、ティリッヒ、バルトへ

 

しかしこういった学びは十字架の聖ヨハネが「魂の暗夜」と表現しているものによって中断させられました。大学在学中、私は自分自身の信仰を吟味し始めました。大学の中で、私の信仰は挑戦を受けました。聖書の無謬性、歴史的および宗教改革神学、そして実存主義の問題と私は格闘していました。

 

また(担当教授の助言に反し)私は「現代神学精神のパイオニア」である、シュライエルマッハ、ブルトマン、ティリッヒ、ボンへッファー、ハイデッガー、ニーチェ、ニーバー、ブルンナー、バルト、モルトマン、パネンベルグ等を独自に読み始めました。

 

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ルドルフ・カール・ブルトマン(Rudolf Karl Bultmann, 1884-1976 

 

そして次第に、「聖書というのは歴史的に不正確にして信憑性に欠ける書である」との確信が深まっていきました。私は原罪を否定し、三位一体論に関する様態的見解やカント的懐疑主義を受容するようになりました。

 

自分の神学的、哲学的諸見解が実存主義的、新正統主義的方向に向かっていくにつれ、自分のファンダメンタリスト的道徳姿勢が緩んできました。飲酒、喫煙が始まり、不敬で口汚い表現も使うようになりました。人間の善性、無垢、責任感を信じつつ(←しかし自分自身は全くそういう人間ではありませんでした)、私は社会的、倫理的放蕩者に成っていきました。

 

しかし、そんな不信仰の泥沼に陥っていた私を助けてくれたのがC・S・ルイスでした。〔無神論から有神論キリスト教に回心した〕ルイスと同様、私の内でも再び神信仰が息をふき返しました。(ですがこの時点で私は自分のことをもはやエヴァンジェリカルとはみなさなくなっており、実生活の面では依然として、マイルドなレベルでのユダヤ的儀式生活を遵守していました。)

 

再び深みへ漕ぎ出すーー宗教改革そして改革派信仰へ

 

1995年秋に、私はアールスカイン神学校で修士課程を始めたのですが、そこから変化が徐々に起されていきました。96年の春まで神は私の神学的傲慢さを忍耐し続けてくださり、その年、新しい神学教授との出会いを与えてくださいました。

  

その教授と私は友情の絆を深め、彼の講義を通し、私のリベラル主義的諸見解は挑戦を受けました。そしてここから改革派信仰への私の旅路がスタートしたのです。

 

神学的ルーツを探求していた私は、改革派の教授たちの言明に熱心に耳を傾けました。そして2000年、妻と私は共同改革長老教会(Associate Reformed Presbyterian Church)のメンバーになりました。同じ年に娘が洗礼を受け、また私は翌年、神学生として第二長老会の会員になりました。(当時、二つ目の神学修士課程にありました。)

 

キリスト教学校の教師として

 

97年、妻と私は地元にあるキリスト教学校の専任教師およびカリキュラム作成員として採用されました。その学校にはさまざまな教派背景の子弟(80以上の諸教会)が集まっており、非キリスト者の家庭の学生たちもいました。

 

もちろん、無教派的キリスト教教育に対する情熱の源泉は、C・S・ルイスの『キリスト教の真髄(“Mere Christianity”)』にありました。キリスト教をルイスは、たくさんの部屋がある一つの邸宅に譬えていました。ーー各人は、自分の頭の中で、自分がどの部屋に入るべきか確信を持たなければなりません。そうした上で、〔それぞれの部屋にいる〕私たちは邸宅の中にいない人々、そして廊下にとどまったままの状態にある人々のために祈らなければなりません。

 

その後私は宗教科の主任教官となり、10年余りに渡り、その職務に従事しました。

 

長老教会の牧師になる

 

2007年、私はついに牧会職への召命に応答し、近郊の長老教会の牧師になりました。手続き上の困難さゆえに、私は第二長老会を退会し、長老たちからの按手を受けました。(当時それは独立していました。)2008年、私たちの教会は投票により、福音主義長老教会(Evangelical Presbyterian Church)に加入し、そこで私は正式に長老派伝統の中で按手礼を受けました。

 

頭から離れない問い

 

長老教会の牧師として奉仕している期間に、自分の信仰に関するいくつかの側面に関し、複数の問いが湧き起ってきました。博士課程に在籍しながら、研究を進める中で、リトルジーやサクラメントについて神学的課題にぶつかるようになりました。

 

また「どのようにして真に主をお喜ばせる礼拝を捧げることができるのだろうか」という探求から、私はピューリタンの「礼拝における規制原理(Regulative Principle of Worship)」を牧会方針として採用するようになり、それを教会礼拝において実践していこうと努めました。*1

 

ジャン・カルヴァンの学徒として、自分はこの先、彼の忠実なる神学的後継者として牧会に専念していくことになるだろうと思っていました。しかし、週ごとにリトルジー(典礼)の備えをしていく中で、やはりどうしてもいくつかの問いが頭から離れませんでした。

 

何の権威によって、宗教改革者たちはミサを ‟改革” したのだろうか?

ー自分の教会の礼拝が真に神をお喜ばせしているのか否かを私はどのようにして知ることができるのだろう

 

また調べていく中で、カルヴァンは実は、サクラメントに関し(単なる象徴ではない有効的なものとしての)‟高い見方*2” を持っていたこと(『キリスト教綱要』)、また(ルター、ブツァー、ツヴィングリと共に)カルヴァンも、聖母マリアの永続的処女性を信じていたことを知るに至りました。*3

 

また当時、米国福音主義界ーー特に長老派の伝統内でーー自分の心を動揺させ、はたと立ち止まらせるようなさまざまな出来事が起こっていました。自分の尊敬する何人かの改革派教職者や神学者たちがメディアの泥の中を引きずり回された挙句、自称 ‟神学裁判官” たちによって公然と異端者判決が下されていました。

 

ブログ界隈はゴシップや非難中傷の地雷の場と化していました。こうした非難の嵐は、否が応にも、聖書解釈および聖書の十全性に関する問題性を私に痛感させました。ある人にとっての異端者が、別の人にとっては聖人なのです。私はこういった状況に苛立ちを覚え、またどうしたらよいのかと困惑しました。

 

政治風潮も自分の魂の停泊地にはなってくれませんでした。結局、自分自身の改革派伝統の中では、保守派とリベラル派が激しく対立し、抗争していたのです。長老派ワールドでは、論争に次ぐ論争が改革派界を難破させ始めるにつれ、ますます分裂が頻発していくようになりました。

 

イエスは「ハデスの門も教会には打ち勝てない」(マタイ16:18)と約束してくださいましたが、私の目に、主は打ち負かされているように見えました。

 

福音主義神学会(ETS)会長の改宗に衝撃を受ける

 

またここで事態をさらに複雑化させる出来事が起こりました。福音主義神学会(ETS)の会長であったフランク・ベックウィズ博士がETSを辞任し*4ローマ・カトリックに改宗した*5という知らせを受けたのです。

 

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ETS President Frank Beckwith Resigns | The Evangelical Theological Society

 

真理の御霊が来ると私たちをすべての真理に導き入れるとイエスは約束されました(ヨハネ16:13)。それなのに、どうしてキリスト教界ではこのような分裂が絶え間なく起こり、35000以上ともいわれる天文学的数の分派に細裂しているのだろう。‟教会”がどこに見い出されるのか私はいかにして知ることができるのだろう。

 

2012年に自分の所属していた長老会を辞任した時点で、私たちの間には48にも及ぶ分裂があり、それぞれの陣営がカルヴァンを自らの創設者と主張していました。

 

ある著述家が、改革派クリスチャンを仲たがいさせている22の事項について解説していました。有神論的進化論、同性婚、女性牧師、カリスマ的賜物、礼拝での(排他的or非排他的)詩篇歌斉唱、音楽スタイル等、、がさらに問題を増大させ、且つ、私たちは皆同じ聖書を用いていました。

 

このギャップをどうすればいいのかーー模索の日々

 

私は教会史の研究に戻り、草創期から本格的に取り組み始めることにしました。つまり使徒教父および教父文書の研究です。私は東方、西方両方の教父文書を読み、聖書正典の発達史を調べていきました。

 

私はアンティオケのイグナティオスの手紙*6を読みショックを受けました。20年前にも読んだことがありましたが、今度は改革派の立場から読み始め、やはり、どう読んでも使徒教父文書の中には長老派的な響きをもったものがないことを認めざるを得ませんでした。*7

 

AD95年、なぜローマのクレメンス(AD 35-99)はコリント教会での戒規に関する事柄を解決すべく使徒ヨハネの権威をバイパスしつつ、ローマの権威が神の権威であると主張していたのでしょうか。

 

研究を深めていけばいくほど「これが正しい?そんなはずはない」と困惑する一方でした。そのため友人やメンターの方々に助言を仰ぎ、改革派神学と教父神学の間のギャップをどう捉えたらいいのだろうかと相談しました。

 

こうしてさまざまな洞察や助言をいただいたのですが、ここでまた問題が生じてきました。結局、私は何の権威によって彼らの見解や諸解釈を正しいと受け入れるべきなのだろう、と。

 

2010年、娘と私はある友人の堅信式に参列しました。ミサの中でどれだけ大量に聖書の御言葉が用いられているのかに驚くと共に、礼拝リトルジーの研究者として私は、自分の教会の改革派リトルジーとミサの類似性に驚きました。*8

 

2011年の半ばに私は、ジョン・ヘンリー・ニューマンの『教理の発達』および、G・K・チェスタートンの改宗に関する作品を読みました。両者共に聖公会からカトリシズムに転向した改宗者であり、私は彼らがなぜ改宗するに至ったのかの精神的経緯を知りたかったのです。(それを読む過程で、C・S・ルイスのマリア崇敬、煉獄に対する信仰、ロザリオの祈りの習慣について知りました。しかし彼はカトリックにはなりませんでした。)

 

長老会の研修を受けている時、もはや ‟自分たちの回答” に満足できなくなっている自分を見い出しました。また、教父文書の中に、自分の信奉していた宗教改革教理「5つのソラ」をどこにも見いだすことができませんでした。

 

こういった行き詰り状況からの脱出の道を模索していたこの時期に、私は“Called to Communion”というウェブサイトを発見し、改革派神学校の卒業生たちがいかにしてカトリックになったのかの一連の経緯に圧倒されました。

 

またこの時期、ブログ仲間のデヴィン・ローズが、出版予定の著作『もしもプロテスタンティズムが真であるのなら(If Protestantism is True)』*9の原稿をチェックしてくれるよう頼んできました。私は批判的な目で彼の原稿に目を通しましたが、内心思ったのです。「私はプロテスタンティズムの問題をここまで徹底的に突き詰めて考えたことはなかった」と。

 

プロテスタンティズムにおける権威の問題、聖書解釈、正典、そして教皇制、、、ソラ・フィデ(「信仰のみ」)が自分の中で融解していきました。*10

 

「本当にこれがあなたなのですか?」

 

ある日、地元のカトリック教会の聖堂の中に入りました。すると視界に幕屋の灯(Tabernacle Lamp*11.)が飛び込んできました。

 

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私はその場にじっと立ち、幕屋を見つめ、そして声を上げ主に訊ねました。「本当にこれがあなたなのですか?」

 

その瞬間、すべてが一変しました。涙が後から後から頬を流れゆき、自分の知性が理解できなかったことを今ついに心が捉えたことを知ったのでした。*12

 

ホームへの道

 

スコット・ハーン師の助言を受け、私たち夫婦は2012年秋からRCIA*13の講座を受け始め、具体的にカトリック教会が何を信じ、何を教えているのかを実際に見聞きする機会を得ました。(またRCIAでは本人がそう望むのなら、講座の途中でいつでも退会できます。)

 

私は両親に、もしも自分たちがカトリックになったらどう思うかと尋ねてみました。すると両親は、いくばくかの不安を感じながらも、「もしもそれがあなたたちに対する聖霊の導きであるなら、それに従いなさい」と言ってくれました。しかし妻の実家の方は、私たちが ‟カルトの罠から救い出されるように” 祈っていました。

 

RCIA講座を受講し始めて数週間もしないうちに、私の心にホームへの望郷の念が湧き上がってきました。私は、真理の守護者である教会の教導権(ローマとコミュニオンにある司教たち)の存在にやすらぎを覚え始めました。

 

それらは、公会議の中で聖霊によって導かれ、「唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会」のアイデンティティーおよび一致を保持するために備えられた教皇制の内に可視化されています。2013年の復活祭に、私たちはカトリック教会のラテン典礼の中に受け入れられ、現在、私は教区司祭のPastoral Associateとして仕えています。

 

これまでの信仰人生において私は〔C・S・ルイスの言うところの〕いわゆるmere Christianityを経験してきたように思います。しかしカトリック教会の懐に帰郷した今、ドワイト・ロングネッカー博士がおっしゃっているように、more Christianityを味わっているように思います。

 

そこにはこれまで以上に親しいキリストとの歩みがあり、聖なるコミュニオンの中で主と交わり、愛と真理によって異教ローマ帝国を征服した信仰の豊かな遺産、聖人たちの証しがあります。そしてそれらのものに突き動かされ、私の心は全てを後にし、後ろを振り返らず、前に前進していきたいという思いに満たされています。

 

ー終わりー

*1:訳注:関連記事

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*3:訳注:関連記事

*4:ETS President Frank Beckwith Resigns | The Evangelical Theological Society.

*5:Q&A ソラ・スクリプトゥーラ(「聖書のみ」)by フランク・ベックウィズ博士 

ベックウィズ博士の信仰の歩み

*6:訳注:

*7:訳注:関連記事

*8:訳注:関連記事

*9:現タイトル:The Protestant's Dilemma: How the Reformation's Shocking Consequences Point to the Truth of Catholicism, 2014.

*10:訳注:ソラ・フィデに関する関連記事

*11:

*12:訳注:関連記事

*13:Rite of Christian Initiation of Adults*