巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーレイ・ライランド師の信仰行程

Ray Ryland

Fr. Ray Ryland (1921-2014)

 

目次

 

Fr. Ray Ryland, History and the Necessity of Continuity, Reconstructionism: A Look at Non-Catholic Traditions(抄訳)

 

はじめに

 

元聖公会司祭のジョン・ヘンリー・ニューマンは、「歴史の深みに入っていくことにより、人はもはやプロテスタントではなくなる。」という格言を遺しました。

 

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自分の信仰行程の中で、私はニューマンのこの言葉を実際に体験してきたように思います。私は牧師/司祭として長年に渡り、回復運動(Restorationism;19世紀)及び宗教改革(Reformation;16世紀)に深く関わってきました。

 

キリスト教内のあらゆる運動、あらゆる教団教派は皆それぞれ、自分たちは「歴史の深みにいる」という自己認識を持っています。そしてそれぞれの教団教派は何らかの形で自分たちは「初代教会の教えを回復させた」という認識を持っています。そしてこういった自己認識により、ーー意識的、無意識的な次元でーー教派主義(denominationalism)というあり方が正当化されています。

 

プロテスタンティズム内には「新約聖書の教会 New Testament church」という金言があり、私たちはそれを教会生活における黄金時代、そして後に続く教会が倣うべき模範像であると捉えています。(但しその模範像は各教団教派によって異なる描かれ方をしています。)

 

ディサイプル教会と「回復運動」

 

私はディサイプル教会(Disciples of Christ)の信者でした。この教派の創始者アレクサンダー・キャンベルは、自分たちは真に新約教会を回復したと信じていました。*1

 

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Alexander Campbell (1788 – 1866) 

 

ですからその当時の私は、この考え方に従い、「全てのクリスチャンは新約聖書の教会を回復させるべきである」という信念を持っていました。17歳の時、私は自分が牧会者としての召命を受けていることを感じるようになりました。大学の4年間、その召命から逃れようと試みましたが、ついに卒業後、主に自らを明け渡し、献身しました。

 

大学での私の専攻は歴史でした。教会史を深く掘り下げていく中で、私は、新約聖書時代の教会と、19世紀に誕生した自分の教派の教会との間のギャップに気づくようになりました。その他の教団教派についても調べていきましたが、やはりそれぞれ何かしら新約教会との間に溝があるように思えてなりませんでした。

 

「自分たちの信仰グループはかくかくしかじかの黄金時代を回復した」という〈ユートピア構想〉にはなにか致命的欠陥があるのではないか。ある状況や機関を、その当時の様相そのままに‟回復”させるというのはそもそも不可能ではないだろうかーー、そう考えるようになりました。

 

ハーバード神学校でユニタリアン主義にはまり込む

 

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ハーバード大神学校

 

ハーバード神学校にいる間に、「キリストには神性はなく、彼は私たちの見倣うべき偉大なる倫理的教師である」という見解を受容し、私はユニタリアン主義者になりました。私の教授はラディカルにユニアリアンであり、彼は神の存在自体に関しても懐疑的でした。

 

しかしそんな状況にあっても尚、ミニストリーへの召命は私の中から消えることはありませんでした。しかしユニタリアン主義者となった今、私には伝えるべき福音メッセージがもはやなくなっていました。

 

級友が私に「君、ユニタリアンの信条(Creed)が何か知ってるかい?」と訊いてきました。「ユニタリアニズムに信条なんてあるのかい?それは初耳だな。」私は驚きました。

 

彼はテキサスのファンダメンタリスト教会で育ち、ファンダメンタリストの学部を卒業した後、ハーバード大神学校にやって来て、過去の全ての信仰を棄て、ユニタリアン主義者になっていました。「そうさ。僕たちユニタリアン主義者の信条はね、我々は神の父性(fatherhood)を信ず。人間の兄弟愛(brotherhood)を信ず。そしてボストンの近隣(neighborhood)を信ず。以上、おわり。」

 

ユニタリアン主義者であることと、福音宣教者としての召命人生を送っていくことが両立不可能であることを悟った私は、学長の所に転学を申請に行きました。

 

学長はユニタリアン主義の会衆派神学者でしたが、同情心を持って私の話に耳を傾けてくださり、NYにあるユニオン神学校に転学するよう勧めてくださいました。そして、神の恵みにより、私は、転学先の学校で、救い主としてのイエス・キリストに再び出会うことができました。

 

歴史的連続性を求めて

 

ユニテリアニズムから脱却した私の中で再び、歴史的連続性を探し求める心が灯されました。私が探していたのは、キリスト教史の原初からの確かな連続性を持つ教会でした。こうして私は教父文書を読み始めました。

 

ユニオン神学校で教会史を担当していた教授は聖公会の司祭でもありましたが、彼の講義を通し、私は使徒継承(apostolic succession)について初めて知りました。そして積極的にこの教理を受容しました。「これが鍵なのかもしれない。この継承を通し、使徒たちやイエスご自身との生きた関係性および連続性が可能とされているのかもしれない。」そう思ったのです。

 

またこの聖公会司祭を通し、アングロ・カトリシズムや分肢説(Branch Theory)についても知りました。アングリカン主義の唱える分肢説によれば、公同的教会は現在、三つの枝に分かれていますが(①カトリック教会、②正教会、③聖公会)、それぞれの枝は皆同等であり、同じ重要性を持っています。

 

また私は聖公会神学における解釈にも魅了されました。そこには自分の求めていた歴史的連続性があるように思われたからです。こうして私は聖公会信者になり、翌年には妻も聖公会に入りました。

 

聖公会司祭になる

 

ユニオン神学校卒業後、私はヴァージニア神学校に進み、その後、ワシントンDCにある聖公会会堂にて司祭の按手を受けました。

 

しかしながら、司祭として牧会に従事する歳月の中で、私は次第に、聖公会ワールドの中に存在する相反する諸見解に心を悩ませるようになりました。聖公会の牧会者たちは、こういった多種多様な見解のことを包括性(comprehensiveness)という語で表現していました。これらの人々によると、アングリカン主義のこの包括性こそが強さの源です。

 

聖公会はローマ・カトリシズムとプロテスタンティズムの諸要素を包容し両極端を受け入れつつも、一方だけに偏らない「Via Media(中庸/中道)」の方針を採るということで、初めはその点に魅力を感じていました。

 

ですが中に入ってみて気づいたのは、結局、各牧会者がそれぞれカトリシズムの中で自分の受け入れたい部分をpick and chooseし、プロテスタンティズムの中で自分の受け入れたい部分をpick and chooseしているため、100人いれば100通りのアングロ・カトリシズムが存在するという困惑する現実でした。

 

また、「包括性」の事と並行して、解釈における「権威の所在」に関する問題が私の上に重くのしかかってきていました。「歴史的連続性と権威の所在というこの二つのテーマは、硬貨の裏表のような相関性を持っているのではないだろうか?」私は新たな追究を始めました。

 

東方正教会への転向を検討し始める

 

この部分に対する懸念から私は東方正教会への転向を真剣に検討するようになり、いろいろと調べ始めました。歴史的連続性、全地七公会議、使徒継承等で、東方正教会はこれらすべてをクリアーしているように思われました。

 

しかしながら、ここで私は二つの障壁にぶち当たりました。一つは最終権威の問題です。東方正教は全地七公会議が最終権威であると言っていますが、その後1200年以上現在に至るまで、全地公会議を召集することができないでいる事実に直面しました。

 

またもう一つは民族主義・国家主義の問題です。調べていく中で分かったことは、Eastern Orthodoxy(東方正教)という総称はあっても、それは実体ではないという現実でした。むしろ実体としてそこに存在するのは複数の国民諸教会、民族諸教会であり、残念なことに、そこには少なからぬ国家主義的・民族主義的反目の問題がありました。

 

もう選択肢がない

 

こうしてオールタナティブな選択肢がもはやなくなり、この時初めて自分の前にローマが現れてきました。「あぁ、ローマか、、、。」私は呻きました。正直、本当に気が滅入りました。人間的に言えば、私はできることなら、聖公会内のアングロ・カトリシズムの枠にとどまり続けたいと願っていました。

 

また現在でこそComing Home Networkなど、求道者をサポートするための情報機関やオンライン・コミュニティーがありますが、60年代前半にはそういったものはなく、聖公会司祭として私は一人孤独な探求を続けていました。

 

さまざまな書籍を読みましたが、その中でも次に挙げる二冊の本が助けになりました。一つは、ジョン・ヘンリー・ニューマンの霊的自叙伝であるApologia Pro Vita Sua、そしてもう一冊は、カール・アダムの『カトリシズムの本質The Spirit of Catholicism)』(1924)でした。

 

こうして長い道程を経た後、1963年、私はついにローマ・カトリック教会とのフル・コミュニオンに入りました。

 

〔63年に妻と5人の子供と共にカトリック教会に入ったライランド師は、元聖公会司祭枠の叙階を受け*2、カトリック神父になりました。そしてフランシスコ大学で神学を教える傍ら、Coming Home Network 及びCatholics United for the Faithのチャプレンを長年務めました。2014年召天。*3

 

 

ー終わりー

 

【補足】ローマ・カトリック教会とのフル・コミュニオンに入った聖公会司祭たちの人生の証し

 

①ジェフリー・スティーンソン元聖公会主教(Msgr.)の証し

②テイラー・マーシャル元聖公会司祭の証し

③レイ・ライランド元聖公会司祭の証し

 

④クリストファー・フィリップス元聖公会司祭の証し

⑤ダグラス・ローリッグ元聖公会司祭の証し

⑥フィリップ・ウェブ元聖公会司祭の証し

⑦ジョン・リップスカム元聖公会主教の証し

⑧エリック・ベルグマン元聖公会司祭の証し

⑨リチャード・スミス元聖公会司祭の証し

⑩マイケル・ワード元聖公会司祭の証し

⑪ダグ・グランドン元聖公会司祭の証し

⑫ユルガン・ライアス元聖公会司祭の証し

⑬ウィリアム・オディー元聖公会司祭の証し