巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

Mちゃんとの朝

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出典

 

近くに住む移民家庭の子供(小学校1年生の女の子と幼稚園生の妹)を、朝と昼、学校まで徒歩で送り迎えしています。

 

先週、上の子の学校で一日遠足がありました。貧しい家庭なので、参加費の捻出をどうしようかと親は迷っていましたが、やはりクラスのみんなが行くのに娘だけは行かない(行けない)というのはかわいそうだということで晴れて彼女も行けることになりました。

 

昼、迎えに行って、「どうだった?楽しかった?」と訊くと、「うん。すっごく楽しかった。サルがいた。馬がいた。アイスクリームを食べた。」と興奮して話してくれました。

 

〔その日の晩、寝床で上の子は下の子に自分がどんな風にサルや馬と遊んだのか、クッキー入りのアイスクリームがどんなにおいしかったのかをねんごろに話してきかせたそうです。その事を後で母親から聞きました。〕

 

翌朝、彼女たちの家に行くと、下の子が泣いていました。どうしたの?と訊くと、「小さな学校(=幼稚園)には行きたくない。わたしも、大きな学校(=小学校)に行く。」と言ってききません。

 

「Mちゃんも、来年になったら、大きな学校に行けるよ。でも、今は小さな学校に行かなきゃね。」となだめすかしても、一向に効き目がありません。足をバタバタさせ、全身で抗議の意を表しています。

 

開園時刻が迫ってきたこともあり、かわいそうだとは思いつつも半ば引きずるような感じで彼女の手を引っ張り、歩き始めましたが、この小さなプロテスターはいやだいやだを連呼し、幼稚園とは反対のベクトルに逆に私を引っ張っていこうとします。

 

公園にさしかかりました。すると、彼女は、(「私を小学校に行かせてくれないのなら、いっそのこと公園で遊んでやる!!」といった)別の心理作戦に出て、私の手をふりほどくや、ぱーっと公園に向かって駆け出していきました。

 

一瞬、私はこの駆け引きに負け、「こんなに嫌がっているのだから、しばらく公園で遊ばせ、今日はもうそのまま家に連れて帰ろうか」と迷いました。しかし迷っていたのは私だけではありませんでした。

 

公園のゲートにたどり着いた彼女は、一瞬ちらっと後ろを振り返り、私がついてきているかどうかをやや不安げに確かめようとしていました。目が合いました。向こうには「(幼稚園に)行かないぞ」という一つの意志があり、こちら側には「(幼稚園に)行かせる」という(少々弱々しい)もう一つの意志がありました。ほんの数秒でしたが、二つの意志が互の視線の中で拮抗していました。

 

そしてその瞬間、私はこちら側の意志を貫くことで彼女を助けることにしました。そして心を鬼にしてくるっと体の向きを変えると、幼稚園の方向にすたすた歩いていきました。

 

〈あ~Mちゃん、ついて来るかなあ?〉とちらちら後ろを意識しながら歩いていますと、はたして5m位後ろからとぼとぼついて来る彼女の姿が見えました。尚も前進していますと、5mの距離が、3mに縮まり、3mが1mになり、ついに彼女は私の横に来ました。

 

こうして私たちは再び手をつなぎ、幼稚園まで歩いて行きました。

 

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神様の中で、私は、Mちゃんみたいなのかもしれないなあと思いました。サルや、馬や、アイスクリームの魅力でそれ以外のものが見えなくなる。駄々をこねる。

 

自分の意志や願いが叶わないと悲しくなり、ふさぎこんだり、ミニ駆け引きをしたり、、と神様の意志に対していろいろな心理作戦に出る。でも神様は、私に対する愛ゆえに私の意志に負けてくれない。それでしばらくして結局、とぼとぼと神様の方に向かう。神様はそれを待っていてくださって、また手をつないで一緒に目的地に歩いていくーー。

 

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その日、幼稚園に迎えに行くと、Mちゃんが楽しそうな顔で元気に飛び出してきました。「楽しかった?」と訊くと、彼女は「うん。」と言いかけ、でも朝のひと悶着を思い出したのか、急いで「ううん。楽しくなかった。」と元気に言い直しました(笑)。