巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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ロシアと普遍教会ーーコンスタンティノープルやエルサレムに《疑似教皇制》を設立しようとする試みについて(by ウラジミール・ソロヴィヨフ)

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ウラジミール・ソロヴィヨフ(Владимир Сергеевич Соловьёв;1853-1900)。ロシア正教が生み出した19世紀最大の神学者、哲学者の一人。その思想はフョードル・ドストエフスキー、ニコライ・ベルジャーエフ、セルゲイ・ブルガーコフ、パーヴェル・フロレンスキー、ニコライ・ロースキー、セムヨン・フランク、アレクサンドル・コジェーヴなどに影響を与え、その文学理論はヴァチェスラフ・イヴァーノフ、ブローク、アンドレイ・ベールイなどのロシア象徴主義の詩人たちに影響を与えた。スイスの神学者ハンス・フォン・バルタサル(1905-1988)は、ソロヴィヨフを「聖トマス・アクィナスに次ぐ存在」と高く評している。

 

Vladimir Soloviev, Russia and the Universal Church, Part 1. The State of Religion in Russia and the Christian East, chap. X. The design to establish a quasi-Papacy at Constantinople or Jerusalem(初版1889年、拙訳)

 

「何が何でも普遍教会の中心地は東方世界に置かれるべきである」という彼の先入的決心が示しているのは、ーーキリスト者の一致を確立するよりは分裂(schisim)を生じさせるような種類のーー局地的エゴイズムおよび人種的憎悪心である。

 

むしろ、そういった偏見を一旦脇に置き、本来の一致が見い出されるべき場所にそれを探そうとするのが筋ではないだろうか。仮にそういった中心をどこにも見い出せなかったとしても、それを勝手にでっち上げようとするのは無論子供じみた行為である。

 

ひとたび、「教会の標準的生活にとって、そういった中心がどうしても必要だ」ということが認識されるのなら、教会の神的かしらであり創立者である神が、われわれの持つこの必要性を見通しておられなかったとか、神はご自身の御働きに不可欠な基礎を、偶発的諸状況や人間の気まぐれのなすがままに放置されたとかいうのは考えられない。

 

仮に、「一致のための国際的中心なしには教会というのは自由に行為し得ない」ということを諸事実が強いてわれわれに認めさせるのであれば、われわれはまた、「東方キリスト教界はここ千年余に渡り、この必須器官をはく奪された状態にあり、それゆえに単独では普遍教会を構成することができない」ということを率直に認めるべきである。

 

もちろん、これだけの長い歳月の間には、普遍教会は己の一致をどこか別の場所において顕現させていたはずである。東方のどこかに普遍教会のための中央統治体を見い出そう、あるいは東方版〈対抗教皇〉を打ち立てようという試みのハイブリッド的観念に実際性が伴っていないことは、その唱道者たちが次の問いに対し、(仮にそれを単なる理論的計画ないしは敬虔なる願望として捉えたにしても)互に同意することができていない事実からも十分に顕示されている。

 

その問いとはこれである。「東方教会のどこ(どの高位職)に、こういった不確かなるタスクが委譲されるべきなのだろうか?」

 

ある人々はコンスタンティノープルの総主教庁を支持し、別の人々はエルサレムの主教座を「あらゆる諸教会の母」として、より好んでいる。

 

こういった感傷的ユートピア構想を公平に評価せんとするなら、彼らがそう主張しているのは、それらの本質的重要性ゆえではなく(それは全く零〔ゼロ〕である。)、ただ単にある種の高名な著述家たちに対する敬意に起因しているのである。これらの著述家たちは、諸教会の再統合という真の理想を、自分たちの想像上の諸観念で置き換えようと必死である。

 

一致の中心が神的主権によっては存在していないのだとするならば、(たとい自分たちのことを‟完全なる有機体”として自認していたにしても)とにかく今日の教会はーー18世紀余にわたる生命の後にーー自らのために、自分の存在それ自体が依って頼むところの一致の中心を造り出さなければならない。

 

この状態は、脳以外の部分はすべて完備している人間の体が、自身のために中枢的器官を製造しなければならないと気負っている様に譬えることができるだろう。しかしながら、われらの反対者たちは、この種のセオリーの荒唐無稽さに気づいていない様なので、われわれは彼らの構想をもう少し掘り下げる必要があるだろう。

 

管轄権の首位性を牧者の一人に授与するに当たり、教会は、①教会的伝統によって裏付けられている宗教史の諸事実によってか、あるいは②純粋に政治的な諸考慮により、その選択をしていくだろう。

 

自らの国家的野心に宗教的是認というお墨付きを与えるべく、ビザンティウムのギリシャ人たちは「われらの教会は使徒アンデレによって建立された」と主張した。そして彼らは使徒アンデレに「最初に呼ばれし者(protokletos ; first-called)」という称号を授けた。

 

この使徒とコンスタンティノープルとの間の伝説的コネクションは、(たといそれが十分なる根拠を持って設立されていたにしても*1.)この帝国都市にいかなる教会的大権をも授与することもできない。なぜなら、聖書も聖伝も、聖アンデレには使徒的集団の中における首位性を何ら帰していないからである。

 

使徒アンデレは彼自身が有していない特権を、彼の教会に委譲することはできなかった。そしてカルケドン公会議(451年)の席で、東方におけるコンスタンティノープル司教座の首位性および、普遍教会において「古いローマ」の主教に次ぐ第二の位置を帰したいと望んでいたギリシャ主教たちは、聖アンデレに訴えることを慎重に避けつつ、自らの提案をひたすら帝国都市の政治的卓越性(βασιλευουσα πόλις)に訴えた

 

究極的にビザンティウムの諸主張における唯一の論拠となったこの議論は、実際、それらの主張を正当化するものにはなり得なかったし、今後もそうである。 *2

 

仮に‟統治都市”の卓越性が、そのまま教会的首位性につながるのだとしたら、もはやその卓越性を享受していないローマという古代都市はとうの昔に、教会のおける自らの指導的位置を放棄していたはずである。

 

しかし、ビザンティン総主教という条件的且つ部分的首位性を賜わってくださるようと、ギリシャ主教たちがへりくだった懇願をしたのは、他ならぬ教皇自身に対してであった。そしてこういったローマの立場に関し、これまで異議を差し挟もうとした者はなかった。

 

今日の状況に関して言うと、仮に、コンスタンティノープルに正教皇帝がおらず、聖ペテルブルグにも総主教がいない状況の中で、正教皇帝の宮廷にて任命されたあの総主教に首位性が帰属しているのだとしたら、一体何がなされるべきなのだろう。

 

あるいは、この困難が仮に克服されたと仮定しよう。そしてコンスタンティノープルは再び正教世界及び(ロシア人であれ、ギリシャ人であれ、グレコ・ロシア人であれとにかく)東方皇帝の宮廷が所在する統治都市になったとしよう。だが、そうであったにしても、教会にとってそれは、ただ単なる第二帝国における皇帝教皇主義(カエサロパピスム)への回帰であるに過ぎない

 

帝国の総主教の首位性はく奪というのは、東方世界における教会の自由及び権威にとって致命的であったというのは事実としてわれわれが知っているところである。カエサロパピスムをコンスタンティノープルに移転させることにより、聖ペテルブルグでの皇帝教皇主義を逃れた(と思っている)人々は、結局、‟小難を逃れ大難に陥った”に過ぎない。

 

一方、旧約聖書における国家的神政政治の中心地であったエルサレムであるが、この都市は、キリストの普遍教会における至高性を何ら主張していない。伝統が伝えるところによれば、聖ヤコブがエルサレムの最初の主教であった。しかし聖ヤコブは(聖アンデレと同様)使徒的教会においていかなる種類の首位性も有しておらず、それゆえ、自らの司教座になんら特別な特権を伝達し得なかった。

 

さらに、長い間、彼には後継者がいなかった。ウェスパシアヌスの軍団が接近する中、クリスチャンたちは責めを負ったこの都市を捨て、避難した。そして次の世紀には、この都市はその名称さえ失ったのである。

 

コンスタンティヌス帝の治世下におけるエルサレム回復作業の時期、聖ヤコブの司教座はパレスティナのカエサレアの首都大司教(府主教)の管轄権に従属していた。(それはちょうど、381年まで、ビザンティウムの主教が、トラキアのヘラクレア首都大司教(府主教)に従属していたのと同じである。)しかしその後においてさえ、エルサレムは長い間、名義上の主教座であったばかりで、ようやく独立した管轄権を取得した際にも、この都市はその他の主教座の中にあって最下位を占めていた。

 

今日、「諸教会の母」であるエルサレム司教座は、ファナリオティス部族主義*に従属しつつ、排他的な国家政策を追求する同人グループと化している。

 

仮にエルサレムが普遍教会におけるヒエラルキーの中心になるのだとしたら、その際には、汎ヘレニスト主義者たちの派閥が解体され、新しい秩序体制が無から造り出されなければならない。しかしそのような達成が可能性の範囲内にあったとしても、それは、ロシアによってのみ成し遂げられ、その際には、ギリシャ人と決定的断絶という代価が伴うはずである。

 

その後、ロシアが提供する出来合い〈独立的権威中心地〉としての普遍教会はどうなるのだろう。そこにはもはやグレコ・ロシア教会は存在しないだろう。そして実質上、新しいエルサレム司教座は、全ロシア人の司教座と化すだろう。

 

もちろん、ブルガリア人やセルビア人は教会の独立をそれ以上推し進めようとはしないだろうし、それゆえ、われわれは、公認指導者が国家の臣下及び僕(しもべ)でしかあり得ないーー、そのようなヒエラルキー制を持つ国民教会へと立ち返るべきなのだろうか。

 

このように、東方世界においては、普遍教会のための一致の中心を見い出したり、あるいは造り出したりすることは明らかに不可能である。そしてこの不可能性は、われわれをして、その中心をどこか別の場所に探すことを否が応にも強いるのである。

 

何よりまず我々は、現実の中で自分たちが一体何であるのかということを直視する必要があり、キリスト教圏という壮大なる御体の中にあって自分たちが有機的一部であると認識することが肝要である。そうした上で、自分たちに欠けている中枢的器官を所有している西洋の兄弟たちとの親密なる連帯(solidarity)を是認することが是非とも必要だ。

 

正義と慈愛におけるこういった倫理的行為は、それ自体において、われわれの側における非常に大きな一歩であり、それ以降のあらゆる前進の必須条件である。

 

ー終わりー

 

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*1:It was the town of Patras which was hallowed by the martyrdom of St. Andrew and had the honor of originally possessing his relics.

*2:We shall have to consider later this first great instance of Byzantine Cæsaropapism; in any case it has nothing to do with the infallible authority of the dogmatic decrees formulated by the Council.