巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーージョン・キンケード師の信仰行程

John Kincaid

目次

 

John Kincaid, Contours of my Conversion, 2009.

 

大学時代、再びキリスト教信仰に戻る

 

幼少時代や青年期における人格・信仰形成は軽視することができませんが、紙幅の関係上、私は自分の霊的旅路のストーリーを、19歳の時のキリスト教信仰回帰の部分から始めたいと思います。

 

大学1年と2年の間の夏季休暇中に、回心が起され、その後、私の人生に劇的変化が起りました。その時も私はデラウェア大学の野球選手として活動していましたが、今や人生に新しい情熱が与えられ、私は主イエス・キリストを知る知識と愛の内に成長していくことを望むようになりました。

 

プロテスタント家庭で育ちましたので、キリスト教信仰に回帰した後、自分がプロテスタントの教会的文脈の中でクリスチャン人生を追及していくようになったのは自然な流れでした。

 

しかしながら、私が生育した環境は、だだっ広い福音主義であり、特定の教派的信奉はありませんでしたので、プロテスタント信者としての自分の教義的、そして教会論的アイデンティティーというのは当時、未解決の問題でした。ダラウェア大学で福音主義キリスト教団体Inter-Varsity Christian Fellowshipのメンバーになったことは、その後長く続く、神学的真理探究の出発点となりました。

 

改革派的信仰を受容

 

ティーンの時期、さまざまな福音主義教会論的文脈を経験したこともあって、私の中には、「どのプロテスタント信仰が、神学的探求に関する最も堅固なる伝統を提供しているのだろう?それを探したい」という強い願いがありました。

 

その後一年以上に渡り、私はさまざまなプロテスタント神学伝統を参照し、その中に問いの答えを求めていきました。その結果、大学2年生の中盤地点で、私はジャン・カルヴァンの改革派長老派主義を受容するに至りました。それと同時に、自分は今後、野球選手としての人生を後にし、神学者としての召命を受けていることが自分の中でますます明確になっていきました。

 

ジュネーブ大へ転学

 

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米国ペンシルベニア州にあるジュネーブ・カレッジ(出典

 

神学者としての召命から、私はジュネーブ・カレッジへ転学することを決意し、そこでカルヴァン主義伝統に基づいた正式な神学研究を開始することにしました。ジュネーブ大での期間、私は多くの事を学んでいきましたが、その中でも次に挙げる二つのことが自分の信仰行程に重要な影響を及ぼしました。

 

まず第一に、ジュネーブ大での学びを通し、教義における聖書の至高重要性が自分の内に永続的に刻み込まれました。

 

また二番目に、神学研究における釈義の大切さを完全に是認しつつも、ジュネーブ大での学びを通し、私はそこにからむ諸問題にも目が開かれるようになりました。特に、ある一つの釈義的/教義的神学の学派が、〔洗礼を受けた〕他の信仰者たちとの教会コミュニオンの是非を決める基盤となる時、その問題が顕在化してきます。

 

つまり、なんらかの可視的教会的一致が可能となるためには、キリストの御名を呼び求める者すべてが、教会の公的教義として、ただ一つの釈義学派および教義学に自らを従わせる必要があり、この場合ですと、それはカルヴァン主義伝統でした。

 

そうしますと、信奉され得ることと、信奉しなければならないことの間に混乱が生じ、聖書および聖伝によって要求されている全き教会的一致が不可能なものとなってしまいます。

 

上述したようなことをきちんとした言葉で表現できるようになるまでには何年もかかりましたが、未だあやふやだった当時においてでさえ、「神学の多声的性質や教会の超国家的性質というのがただ単にカルヴァン主義神学という一潮流に還元されるというのはやはりあり得ないのではないだろうか」と感じていました。

 

しかし自分の目に、この問題がより鋭利に顕在化してくるまでにはさらに5年もの歳月と、二つの神学校における修士レベルでの神学研究の時を要しました。まず私の大学院での学びは、カベナント神学校でスタートしました。

 

カベナント神学校にて

 

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ミズーリ州セント・ルイスにあるカベナント神学校(出典

 

ジュネーブ大学での修学の時以上に、カベナント神学校で受けた神学教育に私は深く感謝しています。

 

御言葉の至高性に対するカベナントの徹底した教育、キリストとの合一を通じた恩寵、キリストの十字架を中軸とした講解説教、そして今日の世界における魅力ある福音宣教等、、、カベナント神学校でのこういった学びは、ローマ・カトリック教会との将来的フル・コミュニオンへのプロセスにおいて決定的に重要なものになりました。

 

カベナントの神学的ビジョンのさまざまな支流を結び合わせる統合要素は、教会生活の中において表現されているものとしての契約的生活および神の国の使命です。

 

しかし、長老派ではなく広範でだだっ広い福音主義の環境で育ってきた自分のような者にとっては、この要素は不可避的に、相関する次の二つの問いを生じさせました。

①その「神の国」とはどこに位置しているのか?そして、

②その教会はどこにあるのか?です。

ニケア信条の明白な宣言ーー「聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会」に関し、教父たちは聖書に照らした上で、これを可視的にして不可崩壊的(indefectible)なものであると理解していましたが、カベナントおよびジュネーブ大での修学を通し、「その教会を僕は探したい」という強い願望が自分の魂の中で育っていきました。

 

カベナントで学んだ、こういう栄光に富んだ事柄すべてをもってしても、カルヴァン主義伝統はこういった諸問題に対する問いに、ーー聖書からも伝統からもーー説得力を持った回答を与えることができていないように感じられてなりませんでした。

 

そこから私は、さらに(過去・現在を通した)広範囲にしてより包括的な神学的教育を求め始めました。このプロセスはカベナントにいた時点ですでに始まっており、私はヨゼフ・ラツィンガー、セルベ・ピンカールス(Servais Pinckaers)、ハンス・ウルス・フォン・バルタサル等の著書も読み始めていました。こうして私はデューク大神学部で二つ目の修士課程を始めました。

 

デューク大学院へ

 

デュークで数多くのすばらしい薫陶を受けましたが、その中にあって、私の信仰行程に最も重要な影響を及ぼしたのは、レインハルド・フッター(Reinhard Hutter)教授でした。

 

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Dr. Reinhard Hutter(出典

 

フッター教授の助手として、私はカトリック神学におけるトマス的伝統の真髄に触れる恩恵にあずかり、その過程で、積年の自分の中でのさまざまな問いに対する回答が与えられました。そして神の恵みにより、私はローマ・カトリック教会とのフル・コミュニオンに受け入れられました。

 

10年余りに渡る神学的真理の豊満性に対する飽くなき探求の過程で気づいたのは、自分がこれまでずっと探し続けてきたのは主の教会だったということでした。

 

フッター教授、聖トマス・アクィナス、その他数々の教会博士や聖人たちの教導の下、神の恵みにより私は、自分がカベナント神学校で学んできた神の国に関するすばらしい諸側面が、ローマ・カトリック教会の中にその豊満性を持って開花していることを知りました。

 

ローマ・カトリック教会の神的大権は一つのみの神学伝統に制限されていません。そればかりでなく、使徒たちの後継者を通し、聖書が権威的に解釈されてきたのもこの教会においてです。

 

そうするとこのプロセスにより、正統派神学諸派が多元的に繁栄し、教会の包括的健全性に貢献することが可能になり、それと同時にまた、オードドクシー/オーソプラクシー双方に不可欠なものとして聖書で規定されている一致を保持し続けることも可能になります

 

さらに、この一致は、教会のサクラメント秩序を通し実現化され、その中でイエス・キリストによって成し遂げられた私たちの贖いが適用されます。ここにおいて私の精神的行程がそのクライマックスを迎えました。なぜなら、サクラメント中のサクラメントであるユーカリストの中で、私たちの贖いが適用され、イエス・キリストの御国がもっとも豊満な形で現存していることを知ったからです。

 

最大の発見ーーユーカリスト

 

ジュネーブ大でもカベナント神学校でも、世界の救いの基盤としてのキリストの十字架に対する宣布というのが、両校の生命であり使命であることはきわめて明確でした。

 

しかしながら、福音宣布におけるそういったあらゆるすばらしい力点があったにもかからわず、自分の中に「ここには何かが欠けているーー何か非常に重要なものが。福音宣布とリアリティーの溝に橋渡しをするような何かが欠けている。。」という感覚が常にあり、それは決して消えることがありませんでした。

 

たしかに聖礼典秩序(sacramental order)全体がこのギャップを埋めているわけですが、私の信仰旅路における最大にして最も造形的発見は、いかに典礼における聖体拝領(聖体礼儀)がーーイエス・キリストによって勝ち取られた贖罪ーーを現存させ、それがいかにサクラメント的に教会に適用されているのかという気づきにありました。

 

もちろん、そうだからといって、口頭による福音宣布の重要性を軽んじているわけでは毛頭ありません。ですが、ユーカリストは言語を遥かに絶するものです。それは私たちの只中において、十字架に磔にされたキリストのリアリティーであり、そこから主はご自身との合一を成し遂げるべくご自身の民を引き寄せてくださるのです。

 

なぜなら、ーー新契約の杯であり、神の国の食卓である(ルカ22:14-30)ーーこのユーカリストにおいて、イエスは、神の終末論的契約の民を、ご自身の神秘体となしてくださるからです(1コリ10:16-17)。*1

 

イエスの御体と知識を拝領する行為により、私たちは十字架につけられた御方の中に参与します。そしてアウグスティヌスが教示しているように、私たちは自らの食するものに成り(we become what we eat)、磔にされた主の、磔にされたメンバーとなるべく恵みをいただきますが、これは私たちの最終的義認のための必須条件です。(マタイ10:38-39、16:24-27、ローマ8:17、ピリピ3:9-15、2テモテ2:8-13)。

 

こういった相互に連結する根拠(聖書、そして聖伝の根幹を形成している教会の信仰に関する教父学およびスコラ哲学的コンセンサス)を通し、私は次のことを知るに至りました。ーーつまり、神の国が現前し、且つ、ダビデ王朝のメシアの統治される約束された終末論的・万国的「新しいイスラエル」としての神の国が世界中に前進していくのは、教会(Church)のいのちの中であり、教会のいのちを通してである、ということです。(イザヤ11:10、ローマ15:12)。

 

さらに、終末論的ダビデ王国の可視的例示として、教会は、ローマの主教によって導かれており、彼は聖ペテロの後継者として、ダビデ王国の首相に属する御国の鍵を保持しています(マタイ16:13-25、イザヤ22:15-22)。そして聖エイレナイオスが述べているように、この教会の優勢的起源ゆえに、すべての個々の諸教会はこの教会に同意しなければなりません。*2

 

おわりに

 

ジュネーブ大、カベナント神学校時代を通し、自分がずっと探し求めていたのはこの教会ーーつまり、ローマ・カトリック教会だったということを私は知るに至りました。そして私は自分の人生をこの教会での奉仕に捧げたいと思っています。

 

ジュネーブやカベナントで学んだ数多くの栄光に満ちた事柄、そしてプロテスタントの教会コミュニティーで部分的に経験するようになっていたことーー。カトリック教会に入り、私は、自分が切望してやまなかったそれらのリアリティーに出会いました。

 

また、改宗以前、私は、競合するさまざまな釈義的・教義的諸伝統の解釈に直面し、絶え間なくそれらに対峙しつつ、個人的判決を下さなければなりませんでした。しかし教会に参入した今、私は豊満性の内に真理を宣布している信仰内容を、贈り物として教会から受け取っています。

 

それゆえに、「真理の柱であり土台である」(1テモテ3:15)教会を発見した者として、神学者としての私の召命は、今後も常に、教会の信仰の奉仕という枠組みの中における教会論的なものになっていくことでしょう。

 

そして、ーーあらゆる国民を聖なるユーカリストに導き入れることにより、造られた全ての被造界にイエス・キリストの王国を前進させていく教会のいのち、及び使命における私の召命は、世のいのちのために、教会のこころを持ち、教会と共に思弁していくことにあると考えています。

 

ー終わりー

Podcast Episode 5 - John Kincaid 's Interview

 

*1:訳注:関連文献。

*2:Against Heresies, 3:3:2