巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

それでもやはり、第二ヴァチカン公会議後のカトリックの方向性に非常に不安を感じる。

Big Red Nose Clown Mass(出典

 

カトリック汎進化論の心 - ✟ キリストの心とキリスト教 ✟ The Mind of Christ and of Christianity ✟

 

上記のような堅実なカトリックの方々による内部批判は何を意味しているのでしょうか。どんなに肯定的/好意的に捉えようとしても、現代カトリックの方向性に不安を覚えざるを得ません。正教修道士の、「第二ヴァチカン公会議のことをよくよく熟考するように」との警告のことばがいよいよ真実味を帯び私の心に迫ってきます。

 

「ハデスの門も打ち勝てない」とイエス様がいわれた「教会」は、やはりプロテスタント風に、ほどよく‟霊化” ‟不可視化” ‟仮現化” した解釈を施さないと、もはやどこにも希望がないように思われます。ですから、教会問題で完全に絶望したくないのなら、プロテスタンティズムはーーその正誤は別としてもーーそんな私やあなたにとっての、一種の精神的避難所になってくれるのかもしれません。

 

可視的教会(Church)が、ハデスの門に打ち負かされているということを認める時、私たちのキリスト教信仰自体が崩壊してしまう。そしてキリストおよび聖書の真実性が形骸化してしまう。だから、私たちは、信仰を保ち続けるためにも、キリスト教世界観が自己崩壊してしまわないためにも、現実を捉える健全なるパラダイム及び支柱を必要としていると思います。

 

希望がどこかにあるのだとしたら、私はそれを知りたい。そして絶望の沼から、私や教会問題で苦しんでいる世界中の兄弟姉妹を引き上げてほしいと切に主に祈ります。