巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

遺物、聖人、そしてマリアの被昇天について(by デイビッド・アンダーズ)

“The Assumption of the Most Holy Mother of God”(Pietro Cavallini作)

 

目次

 

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デイビッド・アンダーズ。長老派信者の家庭に生まれる。ホイートン大学(B.A.)、トリニティー神学校(M.Div.)、アイオワ大学(Ph.D. 歴史神学、宗教改革史)。2003年11月、カトリックに改宗。(私の辿ってきた道ーーデイビッド・アンダーズ師の信仰道程 

 

David Anders, Relics, Saints, and the Assumption of Mary, 2012

 

遺物、聖人、マリア崇敬に対するマイナス感情

 

カトリック信仰への私の改宗は一夜にして起こったのではなく、徐々に時間をかけ進行していきました。そしてその道中、数多くの驚きがありました。

 

その中でも最大の驚きは、遺物、聖人、そして乙女マリアに関する自分の考えに変化が起されたことでした。善良な長老派信者として、当然のことながら私はそういった類の事に、強い嫌悪感を抱いていました。カルヴァンが『 Treatist on Relics』の中で表現している愚弄は、私自身の心情そのものでした。

 

それでは死者を崇敬するという「忌々しい」慣習がいかにして自分にとり深遠にして有益なる影響を及ぼすようになったのでしょうか。大学院での私の専攻は中世キリスト教史でした。それゆえに、私はカルヴァン神学だけでなく、彼が攻撃していた当時の神学や慣習の調査・研究に相当の時間を費やすことになりました。

 

神学生として自分は、キリスト教古代史における聖人崇敬という慣習について一応、表面的には知っていました。アウグスティヌスの『告白』の中にもそういった慣習に対する肯定的言述が出てきていましたし、教会における殉教者たちへの崇敬の慣習のことも少し知っていました。

 

しかし、私は、そういった事を、キリスト教の ‟真髄” ーー恵みと義認ーーの周辺部分に位置する末梢的なものとして退けていました。また私は、遺物に対するアウグスティヌスの信心に対しても、ーー彼のネオ・プラトニズムを堪忍してあげているのと同様ーー極力、慈悲深く寛容であろうとしました。そういった事は、彼の異教的背景の不幸なる名残りなのだから大目にみてあげようと。

 

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Antonio Rodríguez - Saint Augustine(出典

 

最初のパンチ

 

しかしそういう自分の解釈に対する最初のパンチは、ピーター・ブラウンの『聖人崇敬ーーラテンキリスト教におけるその興隆と機能(The Cult of Saints: Its Rise and Function in Latin Christianity)』という本を読んだ時にやってきました。

 

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ブラウンは、「教会における聖人や遺物の位置は単なる異教主義からの名残りに過ぎず、これらの慣習は真のキリスト教の周縁的要素に過ぎない」という私の見解に挑戦を与えてきました。

 

彼は、遺物というのが古代キリスト教にとって不可欠なものであったのに対し、異教主義にとってはその逆に不快をもよおさせるものであったことを例証していました。異教主義からの名残りとはうって変わり、教会における遺物の位置はむしろ、非常にユダヤ的、ヘブライ的、そして旧約聖書との連続性を帯びたものでした。*1

 

背教者ユリアヌスのような異教徒たちは、この慣習を忌み嫌い、禁令を出しました。(儀礼的清めの観念を持つ異教主義は、神的礼拝の領域を厳格に定め、それを死体や死人の領域からしっかり区切っていました。)ピーター・ブラウンは次のように述べています。

 

「この点において、異教世界におけるキリスト教の興隆は根深い宗教的憎悪に直面しました。私たちは、キリスト教会の興隆の過程を、殉教者への崇敬に対する異教人の反応の声に耳を傾けることにより比例的に知ることができます。こういった崇敬慣習の前進は、異教人たちにとり、古代の障壁の、緩慢にして恐ろしい崩壊を意味していました。」*2

 

一筋縄ではいかない

 

この問題について考えれば考えるほど、私はこれは一筋縄ではいかない問題提起であることに気づくようになりました。古代教会信仰における末梢的要素として片づけることはできますが、仮にそれが古代キリスト教信心や礼拝に遍在し、また中心的なものであったのなら、どうなるのでしょう。

 

G・J・C・スノックは『遺物からユーカリストへの中世の敬虔ーー相互作用のプロセス(Medieval Piety from Relics to the Eucharist: A Process of Mutual Interaction)』の中でまさにその点を指摘しています。

 

スノックは著書の中で、キリスト教典礼自体がいかに古代の遺物崇敬によって影響を受けていたかを示しています。私は思いました。「聖人たちや遺物を退けることは、つまり、公会議、アウグスティヌスの恩寵と義認、聖書のカノンを私たちに与えたその教会を退けるということになるのだろうか?」そこでさらにこの問題を掘り下げていくことにしました。

 

聖人や遺物は実は聖書的だということに気づく

 

この難問に取り掛かる中で最初に私が気付いたのは、この慣習は実はかなり聖書的であるということでした。遺物への崇敬、それらの奇跡的力や、この世を去った聖人や御使いたちの執り成しに対する信心というのは深遠にヘブライ的でありユダヤ的であることに気づいたのです。

 

2列王記13:20-21、2マカバイ記15:12-16、トビト記12:12-15のような箇所にーー特に黙示録5:8との比較においてーー、私たちはそれへの証言を見い出します。(この時点では、マカバイ記やトビト記が正典テキストとみなすべきなのか否かについては私にとって特に重要なことではありませんでした。ただこれらの書が上記に挙げた観念において歴史的ユダヤ的信仰を表現しているということだけで十分でした。*3.)

 

例えば、2列王記13:20-21をみてください。

 

「こうしてエリシャは死んで葬られた。さてモアブの略奪隊は年が改まるごとに、国にはいって来るのを常とした。時に、ひとりの人を葬ろうとする者があったが、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に投げ入れて去った。その人はエリシャの骨に触れるとすぐ生きかえって立ちあがった。」

 

考古学的証拠は、この「死者に対する崇敬」の慣習が古代ヘブライ宗教の中に深く植えられ、浸透していたということを確証しています。エリザベス・ブロッホスミスは『ユダ族の埋葬習慣と死者に関する信仰(Judahite Burial Practices and Beliefs about the Dead)』の中で次のように述べています。

 

 

「考古学的研究が示すのは、鉄器時代を通し、浸透し繁栄していた死者への崇敬の慣習は、(国のその他の地域と同様)エルサレムにおいても実践されていました。『死者への崇敬』というのが意味しているのは、死者は力を宿しており、人々のその信心に従い働くのだとユダ族の人々が信じていたということです。」*4

 

ブラウンやその他の人々は、ユダヤ教において、こういった諸習慣が新約聖書時代、そしてミドラーシュおよびタルムード時代にも続いていたということを指摘しています。

 

この領域において特に重要な文献は、J・エレミヤスの『イエスの聖墓*5』です。エレミヤスは、この慣習が、ユダヤ人にとって非常に重要であり、且つ、初期キリスト教における遺物崇敬の発展において相当の重要性を持っていたことを指摘しています。

 

それと同様、ジョセフ・W・メリは著書『中世シリアにおけるイスラム教徒およびユダヤ教徒の聖人崇敬(The Cult of Saints among Muslims and Jews in Medieval Syria)』の中で、ユダヤのこの慣習は、バビロン、シリア、北アフリカ等に住むユダヤ人たちの間で存続し続け、それには、聖書中の人物の墓巡礼だけでなく、マイモニデスのようなより現代の‟聖人たち”の墓への巡礼も含んでいました。

 

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先祖たちの墓場への崇敬的訪問は、今日に至るまでイスラエルにおいて存続しています。

 

なぜユダヤ人たちはこのような事を信じ実践していたのだろう?

 

なぜユダヤ人たちはこのような事を信じ、また実践していたのでしょうか。そしてなぜクリスチャンたちはそれを従順に受け入れたのでしょうか。この点を理解する上で二つの重要なヘブライ的そして聖書的観念があります。①ツァディキーム(Zaddiqim;聖人)、②ゼクート・アヴォット(zekhut avot ; 先祖たちの功徳)です。

 

①ツァディキーム

 

ユダヤ教においては、ツァディキームとは「古の聖人」であり、神との親密な関係を持っていた彼らには特別な力が与えられていました。シェキーナの栄光で輝いていたモーセや、数々の奇蹟をなしたエリヤのことを考えてみてください。

 

2列王記の聖句で見た通り、こういった力は死後も耐久し続けるものであると理解されていました。そして、肉体に関するヘブライ人の見方(その神聖さ、威厳、そして復活への付随的信仰)を鑑みた時、こういった力が肉体の中にでさえ内在していると信じられていたのも不思議ではありません。

  

さらに、エリザベツ・ブロッホスミスは次のように述べています。

 

「死後においても、これらの個人は特別な力を持ち、生前と同様、ヤーウェとの親しき関係を保持していると考えられていました。死者の持つとされるこういった力ゆえ、嘆願者たちにとり、(死者に嘆願すべく)埋葬の場所を知ることが重要でした。」*6

 

ツァディキームにおけるこうした信仰に対し、聖ヤコブは新約聖書の証言を与えています。

 

「義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。」(ヤコブ5:16-18)

 

またこういった力は肉体に固着しているだけでなく、物理的な物体にも転移し得るのです。2列王記4章をみますと、エリシャは死者を生き返らせるに当たり、死んだ人の肉体の上に杖を置くように命じています。新約聖書においては、ペテロの癒しの力は、彼の影や手ぬぐいにまで延長されていました(使徒5章、使徒19章)。そう考えますと、アウグスティヌスが当時の(遺物による)奇跡的癒しの言述を受け入れていた事実にも納得がいきませんか?

 

②ゼクート・アヴォット

 

ゼクート・アヴォットの教理は、「先祖たちの功徳(merit)」に関する教理です。メリは、この教理および、ツァディキームとの関係性について次のように言っています。

 

「ゼクート・アヴォットの教理(もしくは「先祖たちの功徳」の教理)は何かというと、イスラエルの民は、自分たち自身の功徳ゆえではなく、彼らの先祖ーー特に聖書の中の英雄、族長、その他の宗教的先祖たちーーゆえに寵愛されているという信条のことを指します。先祖たちの功徳や善行は、魂の救済のために要求されています。ユダヤ人たちは、ツァディキームが、仕える御使いたちに勝る地位にあり(Sanh 93a)、彼らは自らの意志で行使する神的力を持っていると信じていました(Sanh.65b)。」*7

 

前述しましたように、これは非常に聖書的な教理です。旧約聖書全体を通し、「神は少数の者の義の行為ないしは不従順によって、多くの者に対し報酬や懲罰を与える」という思想を見い出します。いくつかの例を挙げ、ご一緒に考えてみましょう。

 

出エジプト記20:5b-6

あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

 

責任や懲罰を共有する

ヨシュア7:1-24

イスラエルはアカンの罪のために罰せられた。

2サムエル12:10

ダビデの罪のために、「剣は決して彼の家から去らないであろう。」

哀歌5:7

「われわれの先祖は罪を犯して、すでに世になく、われわれはその不義の責めを負っている。」

 

報酬/祝福/慈悲の共有

創世記18:32b

「わたしはその10人のために滅ぼさないであろう。」

出エジプト記32:13

「あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い、『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、長くこれを所有させるであろう』と彼らに仰せられたことを覚えてください。」

 

一人の内における公同的アイデンティティーという概念

2サムエル20:1

「われわれはダビデのうちに分がない。」

ガラテヤ3:27

バプテスマを受けた者は「キリストを着ている(clothed in Christ)」

ローマ8:1

キリストにある者は罪に定められることがない。

2コリント5:17a

「だれでもキリストにあるなばら、その人は新しく造られた者である。」

 

キリストのうちにあるということ

 

公同的・契約的責任やアイデンティティーに関するこういった思想は、ーー「キリストのうちにあること」「贖罪」「罪のための賠償」「聖めのための恩寵」といった新約聖書の諸教理のためのーー、不可欠な神学的背景です。

 

旧約聖書は、共有された責任や功徳(merit)という思想を明確に説いていますが、旧約聖書の聖人たちの誰も、私たちのために至福直観(beatific vision)を得ることはできませんでした。

 

神ご自身のいのちにある分を受け取るには、私たちには、神の独り子だけが提供することのできる功徳の最大豊満性が必要です。そして私たちはキリストの内にあることによって、それを受け取ります。公同的にこのかしらにつながることにより、私たちはキリストの功徳や恩恵にあずかります。それゆえに、中世の敬虔信仰にあっては、聖なるユーカリスト(聖餐)こそが、すべてに勝る最善最高の遺物なのです。

 

聖人に関する新約聖書の教理への鍵は、それ以前の「共有された功徳や責任」に関するヘブライ的教理を打ち倒すことにあるのではなく、それをさらにすぐれた場所へと引き上げ高揚させることにあります。キリストを通し、そしてキリストの無限大の功徳ゆえに、聖人たちの有限なる功徳は今や永遠なる重要性を持つようになります。

 

それゆえに、聖人たちの執り成しに関するキリスト教信仰は、私たちの焦点をキリストから脇に逸らすようなことはありません*。それどころかむしろ逆に、それはキリストの無限にして十全たる執り成しという教理を強め、満たし、完成させるのです。

 

コロサイ1:24を思い出してください。「今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。」キリストのみからだの一員として、聖人たちは今、主の神的いのちの内にあずかり、主の執り成しのわざに参入しています。

 

新約聖書の視点からみると、キリストの恵みがこのような形で、教会を通し、分かち合われ共有されるのはふさわしいことです。なぜなら、キリストの内にあって私たちが所有している贖いの核心は、人間疎外という問題ーー神からの疎外、そして互いに対する疎外ーーを克服することにあるからです。

 

だからこそ聖パウロは、エペソにある教会に関し、あのような賞賛に満ちた言葉で語ることができたのです。ーーすべてを和解させる神の奥義に関する啓示として、そしてキリストのみからだとして。それゆえ、ニュッサのグレゴリオスは言いました。「教会を見る者はキリストを見るのである。“He who beholds the Church beholds Christ.”

 

このような理解の中で、聖人たちや遺物に関する聖書教理は、「贖われた者が真にキリストの一部であり、それゆえに私たちを結び合わせている」という私たちの確信を表現するものとなっているのです。神は私たちが疎外された形ではなく彼らと共に救いにあずかることを望んでおられます。

 

マリアと被昇天

 

これら一連のことがマリアおよび被昇天(Assumption)の教理とどのように関わっているのでしょうか。ある次元でみれば、聖人たちについての私の発見は、マリアに関する教理理解への必要不可欠な前提条件でした。

 

ひとたび教会における聖人たちの位置を受容するに至るや、そういった聖人たちの一人としてのマリアの役割を理解することは以前よりもずっと容易になりました。仮に聖人たちに対する信心(devotion)一般が容認可能なものであるのなら、テオトコスに対する信心は尚一層のこと許容可能だということになるでしょう。

 

しかし当然のことながら、カトリックのマリア論では単なるデヴォーション以上のものが起っています。ここには聖トマス・アクィナスの言う超デヴォーション(hyper dulia)という要素があるのです。そしてここにおいて、ジョン・ヘンリー・ニューマンは大いに私を助けてくれました。

 

ニューマンは、マリアに関する有名なエッセーの中で、「マリアに関する根本的教父教理は、彼女が第二のエバであったということである*8」と指摘しています。

 

みなさんがこの事実を好ましく思おうが忌々しく思おうが、とにかくこれがユスティノス、テルトゥリアヌス、エフレム、エイレナイオス、キリル、エピファニウス、エイレナイオス等の教えであることをあなたは否定することができません。

 

しかしなぜマリアが第二のエバなのでしょう?教父たちにとり、ーー特に公同的責任や聖書の英雄たちに関する高揚された役割という聖書的思想の観点においてーー贖罪のわざにおける、エバに対応する人物がいなければならないことは明らかでした。第二のアダムの次に、第二のエバがいなければならないと。それゆえに、エバの「否!」は、マリアの「Fiat mihi(おことばどおりになりますように)」によって取り消されたのです。

 

もしもあなたがソラ・スクリプトゥーラ(「聖書のみ」)の教理にコミットしていらっしゃるのでしたら、上記の事柄はあなたにとって説得力を持つものではないかもしれません。しかし、仮にあなたが歴史の証言、教会の信仰、そして「常に、遍在的に、そして万人によってsemper, ubique, et ab omnibus」信じられてきた事がらについて、心開かれているのだとしたら、マリアに関する教父学的教義は非常に納得のゆくものであり、且つ、ヘブライ宗教の軌道全体と見事に適合していることに気づかれると思います。

 

さらに、第二のエバに関する教理から、その他のマリア論的諸教理が流れ出てきます。ーー原罪からの守り*9 、処女性、被昇天。マリアは教会の原型(prototype)であり、「太陽を着た*10」女性であり、教会全体の贖いの豊満性を早期的に享受・予表しています。

 

おわりに

 

マリアの被昇天祭に際し、私は遺物および聖人の教えと、乙女マリアの生涯からの一つの鍵となる事実を結び合わせることで本稿を締めくくりたく思います。

 

カルヴァンやその他のプロテスタント反駁者が指摘していたように、中世カトリックのヨーロッパには偽造の遺物で溢れかえっていました。「バプテスマのヨハネの頭」の遺物が多数存在し、遺物市場に出回っていました。ある人々はこれらを余興としておもしろがり、また別の人々は全くもってうんざりしていました。しかしキリスト教全史を通し、乙女マリアの(推定される)第一級の遺物を見つけたという人は現れませんでした。その理由は明瞭です。

 

ダマスコの聖ヨハネ(676年頃- 749)はそれに関し、次のような事を語っています。

 

「エルサレムの主教である聖ユヴェナル(Juvenal)は、カルケドン公会議(451)の席で、(神の母のからだを所持したいと望んでいた)皇帝マルキアヌスとプルチェリアに告げました。ーーマリアは使徒たち全員の見守る中で死にましたが、聖トマスの指示で彼女の墓が開示された時、そこは空でした。そこから使徒たちは、彼女のからだが天に引き上げられたと結論を出しました。」*11

 

翻訳ミニ後記

 

この記事を翻訳しながら、C・S・ルイスの『廃棄された宇宙像ーー中世・ルネッサンスへのプロレゴーメナ』の事がなぜか強く思い出されました。

 

 

うまく表現できないのですが、ここには自分の知っているプロテスタント的世界観とは違う、もう一つ別の世界ーー宇宙像ーーがあって、今私は、その淵に立ち、向こうに拡がる未知なる領域を展望しているような気がします。

 

ーおわりー

 

*1:訳者注: 

*2:Brown, Cult of Saints, 6.

*3:訳者注

*4:Sheffield, 1992, 23.

*5:Heiligengräber in Jesu Umwelt, Göttingen, 1958

*6:op. cit., >111.

*7:Oxford, 2002, 63.

*8:「第二のエバ」に関する聖エイレナイオス(2世紀)の言及について。エイレナイオス『異端論駁』Lib. 5, 19, 1; 20, 2; 21,1: SC 153, 248-250. 260-264

*9:訳者注:この点に関する東方正教会の見解。

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原罪の結果に対するアウグスティヌスの考え方に同意しない正教会においては、無原罪懐胎の教理は、「誤り」であるというよりも、むしろ「不要」なものであると評されているそうです。(出典:府主教カリストス・ウェア著、司祭ダヴィド水口優明・司祭ゲオルギイ松島雄一訳『カリストス・ウェア主教論集1 私たちはどのように救われるのか』17頁 - 18頁、日本ハリストス正教会 西日本主教区)参照

*10: 

*11:http://www.newadvent.org/cathen/02006b.htm.