巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーフレッド・ノールティー師の信仰行程

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ノールティー一家(出典

 

目次

 

Fred Noltie, The Accidental Catholic, 2011(拙訳)

 

ブライアン氏の記事に対し、マークという方が次のようなコメントを書いておられました。

 

「これまで何年にも渡り、さまざまな神学的諸問題を解明しようと努める中で、私は、信仰の諸真理に関する多数のーーそしてしばし互いに矛盾・相反するーー見解に遭遇してきました。しかもこういった諸見解はそれぞれ、神学にも聖書理解にも熟練し、高い教育を受けた人々によって出されているのです。そして見解こそ異なれ、多くの場合、こういった教師たちは、キリストに対する愛や御霊の実においても顕著でした。

 

 しかし聖霊は人々を互いに相反・矛盾した立場に導くようなことは勿論されません。ですから明白なる真理を提供するための神の手段が聖書、御霊、伝統であるのなら、ある人が真理を知ることができないでいる唯一の理由は、彼が十分に教育を受けていないからか、もしくは、彼に御霊が欠如しているということになると思います。(私はあえて真理を運ぶ手段としての「教会」をここで省きました。なぜなら、もしも教会というのが真理を教える機関として特徴づけられているのだとしたら、人はその教会を特定すべく、まず真理を知る必要があるからです。)

 

 しかし、論争中のキース・マティソンやフランシス・パイパーなどの教師をみても、二人共、教育が欠如しているわけでも、御霊が欠如しているわけでもないと思わざるを得ません。ですから尚更、バプテスマを巡っての彼らの意見の不一致が自分には不可解に思われてならないのです。」

 

マークのコメントに私は共感しました。というのも、まさにこの点における葛藤により、私はついにプロテスタンティズムを離脱せざるを得なくなったからです。この問題が巨大な塊となって自分を打撃した時、その瞬間私は、自分がもうこれ以上、プロテスタント教徒としてとどまり続けることが不可能であることを悟りました。(そしてその時私は同時に、自分がカトリックになることもあり得ないと呻きました。)

 

生い立ち

 

私は元々ルーテル教会で洗礼を受けましたが、幼少期、家族で教会に行くことは稀でした。しかし10代前半に、母が一種の霊的覚醒のようなものを経験し、自由メソディスト教会の忠実な会員になり、それからは毎週、私と兄を礼拝に連れていきました。(その当時は、母親に‟引きずられて”教会に行かされていたという感じが正直ありました。)

 

しかしそれから数年後、母の祈りがきかれ、私もまたキリスト教信仰を心に受け入れました。その後、引っ越しを機に、友人の勧めもあり、私たちは米国長老教会(PCA)に導かれ、私はPCAの教理を霊的真理として喜んで受け入れました。

 

カベナント大学、そしてウェストミンスター神学校へ

 

次第に私の心の中に牧会への思いが湧いて来、自分の教会の牧師の勧めもあり、カベナント大学に進学することにしました。在学中、牧会に対する情熱自体は衰えてしまったのですが、私は聖書学の学位で卒業しました。カベナント大での学びを通し、私は、聖書諸言語、契約神学、前提主義に基づく弁証学に深い関心を抱くようになり、その結果、私はフィラデルフィアにあるウェストミンスター神学校に入学しました。

 

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ウェストミンスター神学校(出典

 

入学して1年後、私は結婚しました。友人たちは神学校を卒業するよう応援してくれたのですが、自分の召しはどこか別の場所にあるように思えました。将来的に大学教師になるべきかと思案しましたが、確かなことは自分は一介の忠実な夫そして父親としての召しを受けているということでした。それゆえ、私は教会で、成人を対象にした聖書講座を受け持つ傍ら、自学自習を続けました。

 

自分がそれに値するかどうかは分かりませんが、周りにいる人々は私のことを聖書のことに通じた信徒だと評価するようになりました。私は誠心誠意、自分が学んでいる事と、聖書が教えている内容だと自分が信じているものを統合させるよう努めました。

 

ただ単に自分の信じている内容を知っているだけでは満足できませんでした。私はできる限り最善を尽くし、それを理解し、その真理を他の方々に説明することができるよう願いました。

 

自分の中に在る「非聖書的な諸前提」を根絶したい

 

前提主義者である自分は、一つの目標を持っていました。ーー自分の持っている非聖書的な諸前提を見つけ出し、それらを根絶することです。もちろん、一日や、一週間、一か月で為そうと思っていたわけではなく、(+仕事や家庭、それになかなか内省する時間をとろうとしない自分自身の弱さもあり)これは長い年月をかけたプロジェクトとなりました。

 

その当時知る由もなかったのですが、聖書的に考えようーーキリスト教的に考えようーーとするこの切実なる願いが、カトリック教会につながるわが道程の最初のステップになったのです。

 

快適ゾーンから一歩外へ

 

第二のステップは、引っ越しにより、PCA教団を離れ、改革派米国聖公会に通うことになった事を契機に起こりました。振り返ってみますと、これは私たちにとって重要なステップでした。

 

というのもこれは自分の慣れ親しんできた長老派という快適ゾーンから一歩外に踏み出すことを意味していたからです。もちろん改革派神学を破棄する意志は全くありませんでしたが、それでも、これまでずっと自分が愛し親しんできた(鎖国状態的)長老派コミュニティーよりもだだっ広い世界に移された感じがしました。

 

そしてここで私は保守的聖公会神学を紹介され、教父たちの文書を読むようになりました。その中で特に自分は、教会生活と構造における司教の中心性に関する聖イグナティオスの言述に衝撃を受けました*1。そして「イグナティオスの見解は、自分がこれまでずっと信じてきた内容とどれほど違うことだろう」と内心ショックを受けました。

 

教会にとっての最終権威は何(or 誰)なのだろう?

 

そして最も重要な出来事が2004年春に起りました。うちの近郊でトーマス・ハワード(エリザベス・エリオット女史の御兄弟)*2が講演をするということを友人が知らせてくれたのです。

 

私は当時、トーマス・ハワードなる人物を全く知らなかったのでインターネットで調べてみました。すると、フランク・シェーファー(当時東方正教会の信徒)がハワードにインタビューしている記事をみつけました。この記事に啓発され私は友人たちに以下の所感を送りました。

 

「教会にとっての最終権威は何(or 誰)でしょうか。これまでの私の一貫した見解は、『聖書こそが最終の権威である。なぜならそれは神の御言葉であるから』でした。

 

もし聖書が最終的権威だと言うのなら、それなら聖書はそれに関し何と言っているのでしょう。聖書が何と言っているか私たちはどのようにして知ることができるのでしょう。聖書が何と言っているのか誰が私に言明するのでしょうか。それに対する私の見解(and/or プロテスタント見解)とカトリック見解は違っています。

 

プロテスタントは基本的に聖書が何と言っているのか自分自身で判断し決定します。しかしこれはきわめて粗い言い方だったかもしれません。一プロテスタント信者は、他の人々から教示された内容を受け入れているかもしれませんし、彼は独りよがりな解釈をしようなどとはまず考えていません。

 

また彼は(神学校で教えられているように)荘重なる敬意を持ちつつ、2000年に渡るキリスト教理史や神学によって提示されてきた諸見解を参照するかもしれません。さらに、聖書が何と言っているかを理解すべく最良の解釈学ツールを駆使し、聖霊の御指示に従いつつ聖書を読もうとしていることでしょう。

 

しかしこういった全ての要素があったにしてもそれでも尚、彼はやはり自分自身で決定しています。そして『これが世界に蔓延する天文学的数のプロテスタント教団教派乱立の主要因である』という指摘は、自分よりも優れた多くの人々によってこれまで為されてきました。

 

プロテスタンティズムに対するこういった批判の妥当性は確かに認めなければいけない気がします。というのも『何が真理であるのか』を決定する主体としての〈個人〉の高揚化によって、かくまで不面目な有様で私たちはバラバラに裂かれているという現実があるからです。

 

それではプロテスタント信者として私はこの批判に関しどう考えているのでしょうか。おそらくですが、私はこの論争に負けつつあるのかもしれません。

 

『ウェストミンスター信仰告白』(確かにこれはプロテスタント神学の最高峰に相当すると思いますが)でさえも、この問題の影響力から完全に逃れられていないように思います。『信仰告白』の1章10項は次のように言っています。

 

『それによってすべての宗教論争が決裁され、すべての会議・古代の著者たちの意見・人々の教義・個人の精神が検討されなければならないところの、またその宣告にわたしたちがいこわなければならないところの至高の審判者は、聖書の中に語っておられる聖霊以外の何者でもありえない。』*3

 

確かに妥当なことを言っているように聞こえます。しかし神が語っておられる事を私たちはいかにして知ることができるのでしょうか。同じ章の他の場所(6項)には次のように書かれています。『それにもかかわらず、わたしたちは、み言葉の中に啓示されているような事柄の救拯(きゅうじょう)的理解のためには、神のみたまの内的照明が必要である、、』 *4

 

この言明も至極まっとうです。では敬虔な人々がてんで意見を違わせているという事実を私たちはどのように説明すればいいのでしょうか。

 

同僚のジミーと私は、サクラメントに関し少なくとも一つの点で意見の不一致があります。(もちろんアディアフォラとして取り扱われていない種類の事柄においてです。)そうなりますと、ジミーか私かのどちらか一方が、『神のみたまの内的照明』の恩恵に与っていないということになるのでしょうか。さて彼か私のどちらでしょうか。

 

これに関しある人が、ジミーは明らかに神のみたまの内的証明の恩恵に与れていない、もしくは私の方こそその恩恵に与れていない、あるいはジミーも私も両方共、その恩恵に与れていないと判断したとします。それはそれで結構です。

 

しかしそうなると私たちは、同じ種類の問いを、例えば、ルター vs カルヴァン、オーウェン vs ウェスレー、スポルジョン vs ホッジ等にも投げかけなければならないことになります。

 

もしもウェストミンスター信仰告白が言っている『神のみたまの内的照明』が正しいのなら、なぜ申し分なく敬虔な神の人々が、サクラメントといった根本的事柄について聖書が何と言っているかに関しそれぞれ異なった結論にたどり着き得るのでしょう。『神のみたまは、万人に同じ仕方、同じ度合では内的照明を与えない』というのが回答になるのでしょうか。

 

しかしそうであるなら、今度は『信仰告白』が言っていること自体がかなり解体されてしまうことになり、私たちは再び同じ問いに引き戻されることになります。『Xという論争点に関し、誰が、より一層神のみたまの内的照明を受けているのでしょうか。というのも、これが分からないことには、誰が正しいのか私たちは知ることができませんから。』」

 

今自分が置かれている条件下では解明不能

 

ですから、冒頭のマークが問いかけている同じ内容を2004年に私も問いかけていたのです。そしてこの所感を書いた後、私はこの問題が解明不能なものであるということを悟ったのでした。

 

つまり、プロテスタントの条件下において、そして、(アディアフォラではない根本的な教理事項について)プロテスタント同士が互いに意見を違わせているのだとしたらーー、そしたら、どんな種類の聖書の教えに関してであっても、私が確実性をもってそれを保持する道は全くないということになってしまいます。

 

なぜでしょうか。聖書が教えている内容に関し私たちプロテスタントが自らの言明を正当化すべく用いている二つ(もしくは三つ)の訴えを取り上げてみましょう。

 

①釈義に訴える

 

これは(少なくともカリスマ派ではないプロテスタント信者たちの間では)最も広範に信頼されている頼みの綱です。しかし釈義がすべての諸問題を解決するものではないことは言うまでもありません。

 

実際的にありとあらゆる論争テーマに関する両サイドに、抜群に有能な学者たちがいます。ユーカリスト(聖餐)に関してですが、カルヴァンとルターの内、どちらが正しいのでしょうか。スポルジョンは洗礼に関し間違っているのでしょうか。「いや、でもプロテスタント間のさまざまな相違点は根幹教義にまでは及んでいない」と仮に私たちが合理的に言うことができるならそれはそれで幸いです。しかしそんな事は勿論言えないということを私たちは知っています。

 

「‟向こう側の陣営の人たち” が解釈を間違っているのは彼らが低レベルな学者たちだから」と言うのは不公正であるだけでなくアド・ホックな言い分のように思われます。なぜなら、その ‟向こう側の陣営の人たち” だってあなたがたに対し、同じセリフを言う事ができませんか?勿論できます。そして実際彼らはあなたがたに対しそう言っています。

 

その結果、不可避的結論として言えるのは、単なる釈義だけではプロテスタントによって置かれている圧力の重さに耐えることができないということです。釈義だけでは重要な(もしくは必須な)諸教理に関するすべての問いに答えることができません。

 

またここでもう一つの関連問題にも触れたいと思います。釈義に対する訴えは最終的に、《アカデミック政府》を生み出し、それにより、教会は、啓示された真理に関する知識に関し、学者たちに依存するようになります

 

しかしこういった事を正当化するような歴史的、聖書的根拠はどこにもないように思われます。もちろんそうだからといって釈義が重要ではないということではありません。ですが、学者たちが啓示真理にかんする調停者/裁定人であるというのは根拠無き、不当なる現象だと思われます。

 

②聖霊に訴える 

 

「聖霊が〇〇という聖書解釈に私を導いてくださった」という発言をプロテスタント信者の口から聞くことは稀なことではありません。(少なくとも教義における必須事項に関して。)

 

しかしこういった訴えも、先ほどの「釈義への訴え」と同様の問題に出くわしてしまいます。というのも、バプテスト信者、長老派信者、ルーテル派信者、皆が皆、同じ訴えをしているからです。しかしながら神は偽ることのできない方であり、混乱の神ではありません。

 

それゆえに、聖霊が、信仰による洗礼支持者と幼児洗礼支持者をそれぞれ同時に照明し、あるいは、聖餐に関するルーテル派の見解と長老派の見解をそれぞれ同時に照明するということは考えられません。

 

この不一致を解決する一策として、「聖霊は、‟相手側の陣営の人たち” を真なる見解には導いていない」と主張する手があります。しかしながら、‟相手側の陣営の人たち” もまた当然、同じセリフを言うことができるわけです。こうして私たちは膠着状態に陥ります。

 

ゆえに、釈義への訴えと同様、聖霊の照明への訴えもまた、重要ないしは必須教義にかかわる全ての諸問題に答えることができません。

 

③伝統に訴える 

 

プロテスタント信者の中には時折、自らの諸見解の裏付け作業の一環として、ある種の伝統の権威に訴える人々もいます。改革派陣営内にいる人々の間ですと、これはしばし、『ウェストミンスター信仰基準』に訴えるという形をとっています。しかし結局、こういったむき出しの訴えは、「聖書が何を教えているかということをわれわれはいかにして知ることができるのか?」に関連する諸問題を解決に至らしめていません。

 

まず第一に、ソラ・スクリプトゥーラ(「聖書のみ」)という教理の中核は何かといいますと、ある伝統に同意していないプロテスタント教徒はそれを受容する義務感を自らに何ら感じていないということです。同意できない人はただ単に、「その信仰告白は、聖書に相反する人間の伝統に過ぎません」と言ってしまえばそれでいいのです。

 

二番目に、プロテスタントの間にも、多種多様な神学的諸伝統があるということが挙げられます。ですから、自分が改革派版の伝統を受け入れるべきなのか、それとも、ルーテル派伝統を受け入れるべきなのか、あるいはバプテスト派伝統を受け入れるべきなのかーー、いかにして知ることができるのでしょう。

 

よって、「釈義への訴え」「聖霊への訴え」とも合わせ、プロテスタントの条件下においては、「これがまさに真正なる伝統だ」ということを特定する原則立った方法が何もないということが言えるのではないかと思います。

 

信仰に関する確実性を提供し得ない

 

上記の理由により、プロテスタンティズムは、信仰に関する確かさを提供し得ないものであるように私には思われました。この枠組みの中でせいぜい望める最善は、「‟あれ” ではなく ‟これ” が聖書の中で教えられている」といった、内輪でのある種の合議的同意といったところではないかと思います。

 

しかし勿論、ここでまた問題が持ち上がってきます。「さて、どの合議を受け入れるか?」です。バプテストの合議か、長老派ールーテル派ー聖公会の合議か?それともFederal Visionの合議か、もしくは、米国長老教会(PCA)一般総会の合議か?そしていかなる原則に立った基盤の上に私たちはそれを選択すべきなのでしょうか。

 

その時、私は悟ったのです。ああ、プロテスタンティズムの条件下では、原則に立ったいかなる基盤も不可能であると。

 

一つのオールタナティブとして、個人の良心の首位性に訴えるというやり方があります。しかしながら、(「我ここに立つ」という有名な格言を残した)あのルターでさえ、結局は自らの主張に対し一貫性を持ち続けることができませんでした。

 

「ルターは、『もしも私たちがあらゆる言語的、批評的ツールという介助物と共に聖書を学ぶなら、御言葉の意味は全く明白になり、実直かつ有能なる探求者ならば誰しもがその意味をみのがすはずがない。なぜなら、聖霊が彼を真の意味に導くからである』ということを信じていました。そして仮に相違する諸解釈が存在する場合、一人が間違っているはずであり、その誤りに陥っている人の場合、彼には御霊が欠けているのです。」*5

 

それではどちら側の人に御霊が欠けているのでしょうか。これに関し、自分の神学的論敵側に御霊が欠けていると発言することは、彼らがおそらくクリスチャンではないかもしれないと言っているのも同然です。というのも、御霊の導きに欠けているのは未信者以外の誰なのでしょう。

 

ゆえに時折、私たちはこの路線上での思考により、「‟向こう側の陣営の人”の釈義が間違っているのは要するに彼が無知で知的レベルの低い人だから*6」とか、「彼が私たちと同じ解釈に到れていないことから察するに、彼には御霊の導きが欠けており、ゆえに、ちゃんとしたまともなクリスチャンではあり得ない。」とかいった人々の言い分を耳にするのです。

 

「ルターは、使徒信条やニケア信条だけでなく、アウグスブルグ信仰告白さえも聖霊のゆえだと感じるようになっていました。そして仮にルターに反対する人が彼自身の良心に〔その反対理由を〕訴えると、ルターは、そのような種類の良心には何ら説得力がなく、説得力を持つのは唯一、正しい良心であり、、、それゆえ、唯一正しい良心だけが敬意を受けるべきだと回答しました。」*7

 

しかしそうなると、一体誰が ‟正しい良心” を持っていることになるのでしょうか。ベイントンの省察は、歴史家H・ダニエル・ロップスの次の言明とも一致しています。

 

「3世紀に渡り、プロテスタンティズムは次のジレンマを回避することができずにいました。つまり、①人々をアナーキーに導く ‟御霊の自由”、もしくは、②本質的に宗教改革の精神と相反している ‟オーソドクシーの受容” です。」*8

 

個人の良心の首位性に訴えることは確かに宗教改革の優先事項ですが、しかしそれは客観的信仰の規則に到達しようとする試みと調和していません。

 

そして啓示真理の内容に関する確実性がこういった条件下で可能だというのは不合理であると言わざるを得なくなりました。なぜなら、それは不可避的に主観主義に還元されてしまうからです。そしてこれに気づいた時、私は、プロテスタントとしての自分の信仰人生に終止符が打たれたことを悟りました。

 

それでは冒頭で書いたいくつかの段階がこの結論とどう関連しているのでしょうか。こういったステップは枠組みを構成しており、その中において私は最終的にこの結論に到達したと言えると思います。

 

私は自分の改革派信仰に疑問を差し挟もうと意図したことはありませんでしたし、それに不満足だったわけでもありません。私はひたすら真理を探究していました。そうしたところ、いつしか真理がかつて自分が予想していたものとは異なる様で顕れてきました。*9

 

私は、自分の思考から非聖書的な諸前提を根絶しようと決心していました。そしてそれを遂行していこうとする過程で、次のような考えに到りました。

 

「個人の良心の首位性に対する強調とも相まり、プロテスタンティズムはある意味において、ルネッサンス・ヒューマニズムの洗礼に相当しているのかもしれない。つまり、人間が自ら聖書の裁定人となり、その結果、聖書の真理は彼自身がその中で理解できるだけのものに還元されてしまったのだと。」この事に関連し、ブライアン・クロス氏は、次のように述べていました。

 

「プロテスタンティズムはルネッサンス・ヒューマニズムの娘であり、啓蒙主義哲学の助産婦です。その時期特に、人は自らの理性を、教会の神的権威よりも上位に置くようになっていきました。」 *10

 

私の目標は「聖書的に考えること」でしたが*11、まさか、この「聖書的に考えること」というこの考え自体を、非聖書的な前提として削除しなければならないということを発見しようとは夢にも思っていませんでした。

 

おわりに

 

プロテスタンティズムからの私の離脱の道のりは、次の一つの問いに還元され得るかもしれません。ーーもしも私が、教理Aに関しXと信じており、教会がそれに関しYと教えており、且つ、XとYが互いに排他的な関係にある場合、どちらが正しいのか、という問いです。

 

そしてこの問いが私に、まず前提的問い(「私は本当に、聖書の真理が何かを自分自身で裁断する地位にいるのか?」)および、歴史的問い(「教会が2世紀初頭までにすでに‟腐敗”してしまっていたと考えるのは本当に信憑性のあることなのか?」)、そして権威の所在に関する問いを要求してきました。

 

もしも私が正しいのなら、いかにして教会が誤り得たかについて私は自問しなければなりません。そしてもしも教会が間違っているのなら、その時私たちは、教会的理神論と共に取り残されることになります。つまり、神は教会を誤りから守っておられないということを結論せざるを得なくなります。

 

しかしもしもそれが真なら、私自身が誤りから守られているということを前提する理由は何もないということになります。ゆえに、自分が教会よりも正しいと前提する原則上の理由は何もないということになります。

 

しかし仮にそうだとしたら、神が啓示しておられることを私が知っているとする、いかなる方法も存在しておらず、「いかにしてわれわれは啓示真理を知るのか」についてのプロテスタンティズムの諸主張は功を奏さなくなります。よって、それらは誤です。

 

ー終わりー

 

〔ノールティー氏はその後、2005年イースターの日に、家族と共にカトリック教会に移りました。〕

*1:この記事を参照ください。

*2: 

*3:引用元.

*4:引用元.

*5:Bainton, The Reformation of the Sixteenth Century, p. 215.

*6:関連記事

*7:同上。

*8:Our Brothers in Christ, p. 188.

*9:ブライアン氏のこのコメントを参照。

*10:引用元.

*11:関連記事