巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ソラ・スクリプトゥーラ、ソラ・フィデの教理に関する個人的告白

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出典

 

ソラ・スクリプトゥーラ(「聖書のみ」)及びソラ・フィデ(「信仰のみ」)の教理についてですが、これまで20年近くに渡り、私はプロテスタントのこの土台教理を信じてきました。カトリックとのエキュメニズムの動きにあれほど強固に反対していた理由も、まさにこれらの土台教理が聖書の真理であると信じてきたが故でした。

 

しかし昨年より、本格的に、これらの教理の検証を始め、東方正教会およびカトリック教会側の論駁理由に注意深く耳を傾け、考察をつづけた結果、私はこれらの教理が歴史的キリスト教に基づかず、神学的/歴史的/哲学的吟味に耐え得ない16世紀生まれの特殊教理であるとの結論に達しました。

 

私が悲しんでいる理由は二つあります。一つ目は正統でないものをこれまで自分はずっと正統だと信じ続けてきたのかという大いなる失望と落胆。

 

しかしそれ以上に悲しいのは、特殊教理を福音の根幹的真理だと信じその周りに有刺鉄線を張り巡らせていた(リベラルになり、主を悲しませたくないとの思いがありました)その善なる熱心が、実は、他のクリスチャンたちとの真の一致を妨げ、「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです(ヨハネ17:21)」と祈られたイエス様の御心をむしろ害していたのではないかという恐ろしい気づきでした。この部分が私をうちのめしました。

 

私は主のために守るべき真理がそこにあると信じていたからこそ何があっても立ち続けよう、妥協はしないと強い姿勢で臨んでいたのですが、悲しいことに今私は「主のために守るべきもの」を取り違っていたのではないかと茫然自失になっています。主よ、私を赦し、憐れんでください。