巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

教理的シフトゆえに牧師廃業に追い込まれた ‟落伍者” に注がれている主の憐れみーージェイソン・スティールマンの霊的旅路

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目次

 

はじめに

 

トリニティー神学校のケヴィン・ヴァンフーザーは次のように書いています。「神の御言葉には誤りがありませんが、人間の諸解釈はそうではありません。神は天におられ、私たちは地上にいます。天と地のはざまに位置する私たちには、御使いのような知識に欠けています。そうなりますと、私たちにはどんなオプションが残されているのでしょうか。

解釈学的相対主義:あなたの内にいる解釈者を受け入れ、士師記の時代のイスラエルの民が「めいめい自分の目に正しいと見えることを行なっていた」ごとく、自分もそのように生きる。(もちろん、他の人を傷つけない限りにおいて、ですよ!)

ローマへの街道を進みゆき、数における安全性を得る。

どこかの独立教会に加わる。そこでは正しい読み方というのは、その人の地元の解釈的共同体の機能です。

 しかしながら上の3つの選択肢のどれも私たちに確信を与えません。それで私は四番目の可能性を提示したいと思います。本稿で示したように、私たちは巡礼者のように出立します。そして理に適う道に従う介助を与えてくれる解釈学的ツールを駆使します。そして御霊の照明を祈りつつ、自分の間違いや踏み誤りを素直に認めることのできる謙遜さが与えられるよう祈ります。そして自分たちの先を進んでいる他の巡礼者たちに相談し、今日世界の他の場所にいるクリスチャンたちの見解をも参照します。*1

 ヴァンフーザーの選択肢は、ソロ・スクリプトゥーラに関する説明です。選択肢はカトリシズム。選択肢は、ソラ・スクリプトゥーラに関する説明であり、ここでの ‟独立教会” は教団教派と置き換えることができます。選択肢は、第4番目の理論的オプションではなく、現行の解釈学的めちゃめちゃ状態からの脱出を求めての一つの提案です。 もちろん、私たちはが誤りであることに同意しており、その理由を本記事において詳説しています。そしてヴァンフーザーの選択肢は不可避的に選択肢につながると私たちは考えています。*2

 

私たちの霊的人生行路における選択肢が、上に提示されているようなきっちりした四択であったらどんなに楽だったことでしょう!しかしながら、血と肉をもった生身の人間一人一人の具体的歩みに耳を傾けますと、そこには整然とした理論や公理やデータ結果からだけでは計ることのできない煩雑さがあり、難解で厄介でミステリアスな人間ドラマがあり、七転八倒劇があることに気づかされます。

 

今日ご紹介しますジェイソン・スティールマン氏および彼の人生行路を辿る時、人間知における私の地平は挑戦を受け、また謙遜にさせられます。

 

カルバリーチャペルの宣教師として

 

ジェイソン・スティールマンはカリフォルニア州のオレンジ・カウンティーに生まれ、コスタメサにあるカルバリー・チャペルの宣教師としてウガンダ(1991-92)およびハンガリー(1994-2000)で精力的に宣教活動をします。

 

しかしハンガリーにいる間に、彼は、A・W・ピンクやR・C・スプロール、ジョン・パイパーなどの著作を通し、次第に改革派神学およびカルヴァン主義的な恵み、救い、選び、予定、神の主権および福音に対する理解を受け入れるようになっていきました。その結果、彼はカルバリー・チャペルの教職を解雇され、ハンガリーから米国に引揚げることになりました。

 

カルバリーからウェストミンスターへ

 

「カルバリーを解雇された。さて僕はどこに行って何をすればいいんだろう?」いろいろ思案する中で彼は、「これが真に聖書的な福音理解だ」と彼が確信するに至った改革派の中にダイブインし、そこで徹底的に神の御心および福音の奥義を探求することに決意し、カリフォルニア州にあるウェストミンスター神学校に入学します。

 

2004年に卒業した後(M.Div.)、彼はPCA(Presbyterian Church in America)のパシフィック・ノースウェスト長老会から按手を受け、シアトル地方で教会開拓を始めました。

 

またピーター・ライトハート牧師異端審理において彼は検察官を務めました。この審理について彼は次のように語っています。

 

「私は当時自分の属する長老会の中で、同僚の牧師〔ライトハート〕に対する教理裁判における検察官を務めていました。私および多くの同僚牧師たちはライトハートの信奉する諸見解が危険すぎるほどカトリック教義に近づいていると考えていました。私は‟人間の行ない”を、改革派の信仰告白がここだと位置づけている場所以外のどこにも置きたくありませんでした。ーーそう、その場所は『聖化』のカテゴリーの中であって、決して『義認』の中であってはならなかったのです。」 *3

 

いまいましい論文に出くわすーー「聖書のみ」の教理に対する挑戦を受けて

 

この頃、牧師会からの連絡メールのリンクを通し、彼はある論文を読みました。著者はカトリック教徒で、しかもこの人はかつて自分たちと同じPCAの人物でした(カベナント神学校卒)。そうした上でこの人は自分たち改革派の教職者に向け、「聖書のみ」の教理の前提を問い直すよう挑戦する文章を書いていたのです。その時の衝撃を彼は次のように回想しています。

 

「私は自分のことを改革派且つ、低教会的な意味でのエヴァンジェリカルではないと考えていました。そしてソラ・スクリプトゥーラに関しても自分は、〔「‟私と私の聖書” 的な低教会エヴァンジェリカルとは違って〕ソロ・スクリプトゥーラとソラ・スクリプトゥーラの区別を重視していると思っていました。

 

 結局のところ、アナバプティズムの子孫は〔低教会的〕エヴァンジェリカルなのであって、改革派キリスト者はそれとは一線を画しているのではないでしょうか。『信条は要らない。僕たちに必要なのはイエス様だけ。』的なことを信奉しているのは低教会的エヴァンジェリカルなのであって、改革派キリスト者ではない。そして歴史や伝統から孤立したところで聖書を解釈しているのも低教会的エヴァンジェリカルなのであって、改革派キリスト者ではないーーそう考えていました。

 

 それで、みなさん想像がつくと思いますが、ソロとソラの区別それ自体に疑問を差し挟んでくるカトリック側の主張に直面した時、それは自分にとって全く予期せぬパンチであり不意打ちでした。言うまでもなく私や私の同僚たちは、自分たちの霊的古都であり由緒あるジュネーブが、サドルバックなんかと混同されるなどまっぴら御免でした。

 

 しかし研究し、格闘すればするほど、ジュネーブがサドルバックと‟混同”されているのではないということが見えてきました。いや、‟混同されている/いない”ではなく、そもそも両者の関係は同じ硬貨の裏表という違いに過ぎないのではないかという疑惑が生じてきたのです。(このメタファーをもっと的確に表現するなら、両者は、同じプロテスタント州の中にある姉妹都市、という感じになるかもしれません。)

 

 また哲学的に言っても、ソラ・スクリプトゥーラは、正統と異端の間の必要な区別に関し、意味ある言説をする方法を提供できていないのが自分の中でより確かになっていきました。またこの教理をもってしては、27巻の新約聖書正典を正当化することができず、新約正典が要求している一致を生み出すこともできず、また正典が糾弾している分裂を避ける手段も提供できていないことが明らかになっていきました。」*4

 

ソラ・フィデ(「信仰のみ」)ーーここだけは何としてでも死守したかった、、だが、、、、

 

続けてジェイソンは言います。

 

「ソラ・フィデ(「信仰のみ」)に関してですが、挑戦を受けた自分はこの問題を歴史的観点、そして聖書的観点その両方から取り組む必要性を感じました。そして最終的にこれがプロテスタントとしての自分にとってのとどめの一撃となりました。」

 

「カトリシズムというのがとにかく福音を深刻なまでに歪めていると信じている限りにおいて、自分にとっては、解釈的権威に関する問題は忌々しいものであってもそれ以上に深刻ななにかではありませんした。(ほら、靴の中に入り込んできた小石の不快感。あんな感じですよ。小石の感触に確かにイライラするけれどもいずれ慣れますよね。それに最悪、福音主義が教会的権威の問題で非合法だったとします。でもたといそうであったとしても、福音に関する義認論で‟非合法的に”正しい方が、〔カトリックのように〕権威的には‟合法的”であっても福音の根幹である義認論で間違っているよりはましではないでしょうか?)

 

 しかしこの問題をさらに深く掘り下げていけばいくほど、そしてローマの言い分をローマ側の言葉で直接理解しようとし始めるにつれ、私はいわゆる「パラダイムの危機」と言われるものを経験し始めました。ーーそれもひどく深刻な種類のものを。

 

 プロテスタントの牧師として私はいつも福音に関する最も完全なる取扱いーー中でも義認論に関してーーは使徒パウロから来ているのであり、その他の新約聖書での関連言及箇所はパウロを通して濾過されなければならないという前提を持っていました。

 

 しかしこれに関しても調査を進めていくにつれ、自分の中ではもうとっくに解決済の問題だと思っていたものが、実は解釈学的アプローチとしてはかなり問題を含んでいるということに気づいたのです。もしも信仰のみによる義認が、改革派神学が言うように「教会が立ちもし倒れもする教理上の条項」であるとするなら、それならば、それはイエスご自身によって教示されていたと考えるのが自然ではないでしょうか。そしてヨハネや、ペテロ、ヤコブによっても教示されていたと考えるのが自然ではないでしょうか。それにパウロ自身も、13ある書簡の2書簡以外の場所でも、義の転嫁(imputation)という教理を教えていたはずではないでしょうか。

 

 結局、自分はローマ書およびガラテヤ書の中での二、三の聖句(しかも解釈学的に議論のある諸聖句)をフィルターとして用いた上で、救いに関し新約聖書が述べていることを理解してきたのだということに気づくようになりました。こうして私は、こういったアプローチは恣意的であるばかりでなく信頼できない種類のものなのではないかという考えに至りました。」*5

 

ウェストミンスターを去り、しぶしぶローマへ向かう

 

こうして3年余に渡り、彼は主任牧師として長老派教会で牧会しながらも、一人悶々と教理的諸問題に頭を悩ませていました。「長老たちにも誰にも相談できませんでした。全く一人で悩んでいました。」*6

 

「でもたいがいの改革派信者は、私みたいな人ーーつまり、ジュネーブを離れ、ローマという ‟より青々とした牧場?!” に向かおうとしている人たちーーを目撃し、警告してきます。『そういった ‟非合法な宗教的確かさへの探求” はどうせ失望に終わるよ』と。でも現実はどうかと言いますと、もしも誰かが個人的、心理学的安定感および確実性を求めてローマに向かうのなら、カトリシズムは間違いなくあなたを失望させるだろうということです。

 

 皮肉なことかもしれませんが、求道者にとっては、カトリシズムよりもむしろプロテスタンティズムの方が確かさや確信を提供してくれると思います。なぜかというと、プロテスタンティズムの主張の真実性における究極的基盤は、自分自身および自分の聖書解釈との合意にあるからです。

 

 カトリック教会が魅力的ですと?いや、とんでもない。こぎれいに片付き手なずけられている?全くもって「否」!というのも、いちど見い出されるや、それは、他の何にも増し探求者にこれまで自信を提供し続けてきた一つのものーーつまり彼自身の自律性ーーを放棄するよう要求してくるのですから。実際、自分自身をカトリック教会の権威に従わせることは人間の経験し得る最も悲惨な経験だと思います。それゆえに、『ジュネーブからローマへの改宗者たちは、ただ単に現実離れしたおとぎ話のようなロマンスを求め、黄色いれんがの道をルンルンとスキップしながら天国に向かおうとしているだけだ』という批判は、物事の全体像を完全に矮小化していると思います。」*7

 

「早い話が、私は教会と戦い、そして教会が勝ったのです。」*8

 

ローマの ‟飲んだくれ不良カトリック”

 

こうして彼は2012年9月23日、本人の言葉を引用するなら、‟惹き寄せられてではなく、無理やり駆り立てられるようにして” ローマ・カトリック教会とのフル・コミュニオンに受け入れられ、‟しぶしぶ” ローマに転向しました。

 

ここまで彼の歩みを追ってきましたが、私にとって一番印象的かつ痛ましかったのが、その後、彼が通らされた喪失、試練、信仰の揺れ等、一連の出来事でした。まず彼は、自分が開拓した教会から教会堂入所禁止を言い渡され、またジェームズ・ホワイト氏やダグ・ウィルソン氏等の著名な改革派弁証家でありジェイソンの先輩牧師だった人々からも厳しい批評が相次ぎました。

 

以下はジェームズ・ホワイト氏の批評文です。

 

「(改宗直後のジェイソンの手記より)『自分の開拓した教会への出入りを禁止された。(私の家族は今も日曜日に礼拝に集っている。)カルヴァン主義の友人たちの大部分にとって、僕は福音の真理に対する裏切り者とみなされているのだろう。』

 

 福音の真理に対する裏切り者ーーもちろんそうだ。それ以外に何であり得るだろう?背教にはおぞましい結果が伴う。ジェイソン、君は誓願を破棄し、恵みの福音を否み、教皇制を受け入れ、それを著述やスピーチによって広めている。いや、君が一言も言葉を発しなくとも、君の存在それ自体が不和を生じさせるものであり、問題だ。そう、君は福音の真理に対する裏切り者だよ、ジェイソン。覚えているだろうか。僕のオフィスで君に警告した内容を。はっきり言ったよね?覚えているだろう?」 *9

 

「〔改宗後2年目のジェイソンの手記より〕カトリシズムは正しい。ーー自分はそれを好きではないが。カトリシズムは正しい。ーーたといそれを受け入れることによって本人が被るのは容赦なき災難の連続ではあっても。」*10

 

それで災難つづきではあっても、転向先のカトリック教会で「確実なる」信仰生活をすることが賜物として与えられていたのなら、それはそれで一応ハッピーエンドになると思います。しかしジェイソンに限ってはそれは当てはまらないのです。

 

カトリック改宗後3年目に、彼は「僕は不可知論者。I Am an Agnostic」と題する告白文を掲載しました。また、キリスト教信仰を失い不可知論者になった旧友と共に、「飲んだくれの元牧師たち(Drunk Ex-Pastors)」というPodcastを始めています。お酒に、入れ墨に、不可知論に、下品な言葉、、とジェイソンはストリート・ギャング系の雰囲気を強めています。

 

懸命な探求をする中で、意図せずして、「確信」⇒「確信が間違いだと気づく」⇒「転向」⇒「確信」⇒「確信が間違いだと気づく」⇒「転向」、、のサイクルが繰り返された結果、彼の中でなにか大きな内的崩壊があり、それが現在の彼を形作っているのかもしれません。

 

そんな中にあって私が「ジェイソンはえらい」と思うのは、彼が自分が今牧師(司祭)でなく、カトリック教会の正統教理を代弁している者でもないということを事あるごとに明確にしている点です。最近では、世間の人々に親しみを感じてもらいたいとの願いからだと思いますが、「牧師だって○○するんです」とことさらに牧師の‟人間性”や‟俗性”(そして時にはあからさまな罪性)をアピールして、教会の敷居を高く感じさせないようにしようとする風潮があるように思います。でもそれは逆効果だと思います。

 

世俗の時代だからこそ、人々はかえって自分とはなにか違うーー超越性の窓の開示を感じさせるようなーー「聖」の空間を探し求めているのではないかと思います。理由あってジェイソンさんが今、牧会職を離れているのは、彼の中に聖職に対するそういった高い見方があるが故だと思います。

 

インタビュー記事の中で、彼は次のように率直に語っています。

 

〔カルバリー・チャペルの牧師時代/長老派教会の牧師時代と比べて神観に変化があったかという質問を受けて〕当時の自分の神観はたしかに的が外れた部分があったと思います。私は神のことを、父というよりはむしろ、立法者とか裁判官のように見ていたかもしれません。でも今だって自分の考え方の中には無数の穴や落ち度があると思います。今牧師をしていないことの良い点は、『全ての事に関し真理を究明しなければならない。答えを見い出さなければならない』という重圧を感じなくてもいいことかなって思います。今のこの状態であっても、、最善を尽くして、、、その結果がどうであったにしてもそれでも神様はそんな自分のことを受け入れてくださっているという思いの中に休むことができて、、それでいいかなって。」*11

 

ここの箇所を読んだ時、なぜだか分からないけれど、涙が出てきました。アフリカで東欧で宣教師として活躍していたジェイソン。ジュネーブの黒ガウンを着て講壇に立っていたジェイソン。そして今の ‟飲んだくれ不良カトリック” の入れ墨ジェイソン。

 

その各地点において主の慈しみの目は変わることなく彼に注がれており、そして試練の中で壊れてしまった彼のこころの傷口から流れてくるなにかを通し、人はそこに主イエスの恵みと赦しをみるのかもしれません。

 

おわりに

 

ポスト福音主義者の行き先や信仰のあり方はさまざまです。このブログ内でこれまで多くの信仰者たちの霊的旅路をご紹介してきましたが、ジェイソン・スティルマンの道のりは、その中でもひときわ不器用さと正直さにおいて突出しているのではないかと思います。

 

さまざまな現象の分析や概説は有益ですが、人間一人ひとりの旅路そして信仰の証しから、私たちはそれと同様、いやそれにまさる多くの尊い学びをすることができると思います。

 

また目の前にいる一人の人間を本気で理解しようとする時、私たちの地平は拡大します。そして気づきます。ーー主の恵みは往々にして、人間の計りを超えたところ、低いところ、壊れ、貧しくうちひしがれたところに見い出されるのだということを。

 

ー終わりー