巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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聖職者たちによる恥ずべき性的罪および犯罪行為はもうこれ以上寛容されてはならない。今こそ清めの時。(byドミニック・レジー神父)

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目次

 

 

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ドミニック・レジー師(Dominic Legee, O.P. )ドミニコ会士。ワシントンD・CにあるPontifical Faculty of the Immaculate Conception神学部教授。

 

聖職者の冒涜罪がこびりついた教会を清める(ドミニック・レジー神父)

 

ここ数十年、〈寛容〉が聖職者による性犯罪増殖の温床となっていた

 

今こそ、聖職者と信徒が力を合わせ、教会の清めのために運動を開始する時です。(枢機卿、主教、司教を含む)聖職者たちによる恥ずべき性的罪および犯罪行為はもうこれ以上寛容されてはなりません。まさしくこの〈寛容〉により、数十年に渡って、こうした諸問題が増殖し、今日に至るまで生きながえています。

 

トーマス・バーグ神父が最近述べたように、問題は性的にアクティブな司祭や司教たちの存在です。特に、持続的問題は、同性愛的にアクティブな司祭たちの存在です。ロジャー・ランドリー神父は正当にも次のように言っていますが、女性たちとの不適切な関係を続けようとする司祭たちの大部分は、いずれ祭司職を離れていきますが、男性たちとの不適切な性関係を持っている司祭たちは往々にして二重生活を引き続き送る傾向が強いのです。

 

アクティブな同性愛司祭たちのネットワークと ‟二枚舌”

 

問題のほとんどは、こういった種類の ‟二枚舌” から派生しています。アクティブな同性愛司祭たちのネットワークは発展を続けてきました。彼らは自らを、そして自分たちを寛容してくれる人々を擁護し、昇進させるのです。そして彼らが巧妙に権力の座(神学校、大法官府、教区、修道会、ローマ教皇庁)に入り込む時、問題はまさしく深刻きわまりないものになります。米国ワシントン大司教区の元責任者セオドア・マカリック枢機卿(Theodore McCarrick)のケースがその実例です。

 

▲聖職停止を受けたマカリック枢機卿(2008年1月24日、スイスの「世界経済フォーラム」(ダボス会議)で、ウィキぺディアから)写真

 

ここでの罪は、姦淫や同性愛行為以上により深刻かつ重いものです。なぜなら彼らは聖なるものを冒涜しているからです。適切に言うなら、これは涜聖(神聖冒涜;sacrilege)であり、叙階の倒錯であり、貞操の内に厳粛に公に神に献身した人の汚辱です。

 

そしてこの罪は、主教や神学校教師や司祭が聖職の持つ権威をーー恥ずべき、自己中心的おのれの情欲を満足させるべくーー倒錯したやり方で用いる時さらに深刻なものになります。

 

教会における権力乱用が高じれば高じるほど、神聖冒涜は重大なものになります。こういったものは個々のクリスチャンによる私的罪ではありません。また被害者の方々は、‟私的な個々人”ではなく、司祭たちによって性的虐待を受けているために、その苦しみは倍増しています。こういった犯罪行為は神の栄誉を穢し、神を怒らせるだけでなく、彼らは比類なき方法でキリスト教会を傷つけています。

 

聖なるものに対する冒涜

 

神聖冒涜(涜聖)に焦点を当てるのは重要です。なぜなら、これにより私たちは自分たちが聖なるものーー祭司制の聖さ、主教制の聖さ、教会の聖さーーを取り扱っているのだということがより一層明らかになるからです。私たちは聖潔に対するこういった召しを放棄すべきではありません。

 

主教や司教たちは聖なる者でなければならず、彼らはそれについて祈り、恵みの介添えの中で、それを追及すべきです。(そしてある人々は本当に聖潔の道を歩んでいます。私たちはその部分を見落とすべきではないと思います。)

 

司祭たちが習慣的に上記のような罪を犯す時、彼らは次第に福音への情熱を失っていきます。そして彼らはユーカリスト(聖体拝領)の聖潔さという真理に対して無感覚になり、信仰にかかわる諸教理を骨抜きしていきます。そしてこれはさらに多くの不貞諸行為、および牧会的絶望を招いていきます。

 

解決に向けて

 

それではこの問題を解決すべく何ができるのでしょうか?まず私たちは、どんな改善措置が必要なのか明確に述べることから始めなければなりません。(主教やバチカンがそういった改革案を採用するに至るかは別の問題です。ですがまずはいかなる改革が必要とされているのかを知る必要があります。)以下、5つの改革案を箇条書きにします。

 

改革案1 

 

過去を調査し、為された失敗に関する透明感あり隠し立てのない報告をする必要があります

 

アクティブな同性愛司祭・主教たちのネットワークがあることは周知の事実ですが、いかにしてこういったネットワークは生きながらえてきたのでしょうか。また説明責任に関するいかなる諸構造が欠落しているのでしょうか。この調査は将来を修繕するものではありませんが、現在、どこに最大の問題が位置しているのかを特定する上で助けになります。

  

改革案2

 

すべての教区および修道会は、根の深い同性愛傾向の歴史を持つ聖職志願者ーーそしてもちろん過去に同性愛行為を実践してきた志願者ーーを審査して明らかにすべく、アファーマティブ企画を導入する必要があります。

 

神学校への入学希望者は、彼らが(繰り返し不貞の罪の陥ることなく)習慣的に貞節を保った独身男性としてすでに生活できるようになっていることが確認されるまでは、神学校への申請を許可されるべきではありません。また実際に性的行為をしている神学校の志願者は入学却下されるべきです。こういった政策がホモフォビック(同性愛嫌悪)によるものでないことは言うまでもありません。そうではなく、これは非偽善的な措置です。つまり教会は、教会自らが告白している通りの生き方および実践をしている聖職者を養成すべきなのです。

 

改革案3

 

アメリカの主教たちは、‟特定の法”として、聖職者の性的諸行為同性愛、異性愛、そして相手が未成年者とであれ、成人とであれ)を取り扱っている1917年の教会法典(1983年に改訂された時にこれらは大部分、現在の教会法から除外されていました)からの法典的諸規範を制定すべきです。

 

こういった諸規定は、聖職者による性的行為を法典的犯罪に定めていました。処罰には、「聖職位、威厳、責任のはく奪。より深刻な事例においては、退位処分。*1」等が含まれています。

 

改革案4

 

修道会、教区の法院、神学校、聖職ディレクターの庁、USCCB等あらゆるセクションに対する使徒的巡視の必要性があります

 

そして、各セクションにおいて、アクティブな同性愛司祭たちのネットワークがあるのか、ごまかしや操作の諸構造があるのか、その他の不品行が潜んでいるのかに関する調査がなされなければなりません。

 

改革案5

 

聖職者の性的不品行(‟同意している大人”との不品行関係を含めた)を報告するシステムが設立される必要があります。ーー聖職者による未成年者への性的虐待を報告する現行のシステムと類似したものです。

 

報告はただ単に主教等の聖職者に提出されるだけであってはなりません。それらの報告は、審査委員会や外部にいるその他の信徒の参加をも含めたものでなければなりません。申し立ては、公平にして公正なる手続きを用いつつ調査され、最終的に調査結果が提出されなければなりません。(必要とされる事例においては教会法的告訴をも含めて)。そしてこのプロセスは修道会のためにも各教区のためにも制定される必要があります。

 

今は実行の時

 

こういった処方箋はストレート且つシンプルなものです。教会のヒエラルキーは、信徒の方々や教区、修道会、神学校の外にいる調査員たちの助けを必要としています。それにより、腐敗を光の下に明るみに出し、悪事を働く者たちを解雇していくプロセスを実際に踏み出すためです。

 

心を合わせ、神聖冒涜を一掃しましょう。ーーキリストの教会が再び聖なるものとされるために。

 

何度も手をもんだり、敬虔で陳腐な決まり文句を繰り返したところで問題は解決されません。今は実行の時です。勇気と冷静さを持ちつつ、リアルな問題に対峙する実行の時です。

 

ー終わりー

 

Dominic Legge, O.P.(Dominican priest and a professor of theology at the Pontifical Faculty of the Immaculate Conception in Washington, D.C.)

 


*1:英文:“being deprived of office, benefice, dignity, responsibility, if they have such, whatsoever, and in more serious cases, they are to be deposed.”