カトリック・カリスマ運動内における賛美礼拝(2016年)
(2017年)
目次
ミサを改悪して以来、カトリック教会の凋落は始まった
(一部抜粋)
ミサはトレント公会議が明確にしたように、人間が天主にかかわることを黙想するように心を挙げるためには何か外的な助けが必要であるという、人間の本性をよく知っています。これまでに確立された多くの習慣は偶然できたことではありませんでした。これらは、出し抜けに、何らの損害を受けずに、変更したり廃止したり出来ないものです。
このミサの改革を取り入れて以来、どれ程多くの信者が、どれ程多くの若い司祭たちが、どれほどの司教達が、信仰を失ってしまったことでしょうか!自然と信仰とに真っ向から反対すればその仕打ちを受けるのは当然です。
ところがまさに、人々は私たちにこう言うのです。現代の人は今から1世紀前の人とはもはや同じではない、現代人のどっぷりと浸かっている技術文明によって人間の本性は変化したのだ、と。何と愚かなことでしょうか!改革者たちは、プロテスタントへ寄り添いたいという自分の望みを、信者たちには隠そうとするのです。彼らは変化という、別の議論をします。ストラスブールの夕べの神学学派に、ある人はこう説明しました。
「私たちは今日、真実の『文化的変動』の時代に生きているということを認めなければならない。主の記念を祝うための、かつてのある一つのやり方は、或る宗教世界(univers religieux)に結ばれていた。しかし、かつての宗教世界は、もはや私たちのものではない。」
つまり、言い替えると、かつての世界は、いまではさっさと簡単に片づけられて、全ては消え失せてしまった、ゼロからスタートしなければならない、ということです。これが、私たちの信仰を変えさせようとして人々が使う詭弁です。では一体、彼らの言う「宗教世界」とは何なのでしょうか?もっと率直になってこう言ったら、もっと良かったでしょう。「しかし、かつての宗教は、もはや私たちのものではない」と。
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蔓延する典礼崩壊
(一部抜粋)
聖なるものの喪失は、涜聖へとつながっています。フランスの西部の新聞によると、1980年バトンガールの全国コンクールがヴァンデ地方で開かれたそうです。その時にミサがありました。そのミサの最中にはバトンガールが踊っていたのです。
そのバトンガールの幾人かはその次ぎに御聖体を授けました。さらに、儀式は演舞で締めくくられました。そして司祭は祭服を着たままその演舞に参加したのです。
私はここで私たちが目にする乱用の一覧表を示すつもりはありません。ただこうしていくつかの例を見せて何故今日のカトリック信者がどこででも困惑し、さらには躓いているかを示したいだけです。別にこれは秘密の話でもありませんでした。
日曜の朝には、テレビが全ての家庭に司教達がキリストの御体に対して公になす許されない無遠慮とぞんざいな態度を放送しているのです。例えば1981年11月22日のテレビ放映されたミサでは、チボリウムの変わりにかごを使って[御聖体を入れ]信者は次から次へとそれを回して最後にはそのかごを聖変化した御聖体のはいったまま床においたのです。
ポワチエでは、同じ年の聖木曜日に共同司式があり、その見物は複数のテーブルに置かれたごちゃ混ぜのパンとぶどう酒のはいったいくつかのピッチャーの聖別でした。そして各自はそのテーブルに来て自分で取って食べたり飲んだりするのです。
関連資料
新しいカトリックの ミサ用音楽
第二バチカン公会議 3-3「典礼について」の草案をめぐって
(一部抜粋)
第二バチカン公会議を機に、カトリック教会の変化と凋落は始まりました。伝統派が敗北し、リベラルが勝利し、事実上、教義が刷新された公会議です。
(解説)第二バチカン公会議
3-3「典礼について」の草案をめぐって
1962年10月22日、第3回総会が開かれ「典礼について」の草案をめぐっての議論が開始した。これによって保守派と進歩派の対立が明らかにされた。
保守派と言われたのは、事務総長のフェリチ枢機卿、ルッフィーニ枢機卿、オッタヴィアーニ枢機卿、シリ枢機卿など教皇庁系のイタリア人枢機卿ら、アイルランドのブラウン枢機卿、スペイン系、北米、南米の教父たちであった。ローマのラテラン大学も同意見であった。
進歩派と言われたのは、ベルギーのスーネンス枢機卿、オランダのアルフリンク枢機卿、フランスのリエナール枢機卿、ドイツのフリンクス枢機卿やデフナー枢機卿、ベア枢機卿などの中央ヨーロッパ系(「ヨーロッパ同盟」と呼ばれていた)や少数の北イタリアの教父たちであった。その他、オランダのスキレベークス神父やフランスのコンガール神父、ドイツのラーナー神父などもいた。ローマのグレゴリオ大学も同意見であった。
3-4「典礼について」をめぐる保守派と進歩派の対立
1962年10月22日 - 11月13日、典礼に関する草案について討論が行われた。進歩派のレジェ、アルフリンク、エルヒンガーなどの教父は、共同司式ミサパンとブドウ酒の両形色の聖体拝領を主張した。
1962年10月30日の総会で、保守派のオッタヴィアーニ枢機卿はそれに反論したが、割り当てられた十分間にまだ話を終えていなかったにもかかわらず、議長であった進歩派のアルフリンク枢機卿は、規定の時間を超えるとオッタヴィアーニ枢機卿のマイクのスイッチを突然切ってしまった。屈辱を受けたオッタヴィアーニ枢機卿は黙って自分の席に戻ったが、多数の教父は嘲笑と拍手で議長を支持した。
3-5「啓示の諸源泉について」の草案における意見の対立
1962年11月14日 - 11月22日、「啓示の諸源泉について」の草案について討論が行われた。
1962年11月14日、「啓示の諸源泉について」という予め作成されていた草案は、カトリックの教義を明確に出し過ぎておりエキュメニカルな観点から望ましくないと非難され、初日からリエナール、フリンクス、レジェ、ケーニッヒ、リッターなどの進歩派の教父が反対した。
11月17日、デフナー枢機卿も加わり、進歩派は準備委員会によって作られた草案全体を却下しその代わりに、既にラーナー神父によって準備されていた草案を支持した。
11月20日、議長であった進歩派のフリンクス枢機卿は「啓示の諸源泉について」の草案討議の中断を公会議の投票に付した。投票の結果、賛成は1386票、不賛成は822票であり、賛成投票は3分の2の多数には及ばなかった。事務総長のフェリチ枢機卿は、討議は続行すると宣言した。しかし、教皇ヨハネ23世は、ベア枢機卿とレジェ枢機卿の要求に屈服し、公会議の規定を無視して、この草案は破棄となった。
3-6「教会について」の草案における意見の対立
1962年12月1日 - 12月7日、「教会について」の草案に関する討論が行われた。
12月1日、「教会について」という予め作成されていた草案は、初日からリエナール(この草案は「キリストの神秘体をローマ教会と同一視している」)、フリンクス(「ギリシア・ラテンの教父思想の発露がない」)、デフナー(「神の民と司教団についての説明がない」)、ド・スメット(「勝利主義的法律的傾向が強い」)、レルカノ(「貧者の教会の思想がほしい」)、モンティーニ(「キリストと教会との関係の説明が不十分」)、マクシモス(「エキュメニカルな配慮が足りない」)などの進歩派の教父が反対した。この草案は、教皇の判断と決定によって、票決されることなく廃案となった。
3-7、その他の議事内容
1962年11月23日 - 11月26日、「マスコミについて」の草案に関する討論が行われた。
1962年11月26日 - 11月30日、「東方教会との一致について」、「聖母マリアについて」、「エキュメニズムについて」の3草案に関する討論が行われた。
関連資料
下の3つのビデオ(コメント欄も含め)から私たちは、第二バチカン公会議がいかにカトリック教会内部で論争になっているのかを伺い知ることができるのではないかと思います。
比叡山宗教サミットについて
(一部抜粋)
比叡山宗教サミット(出典)
私たちは世界の平和を切なく希求します。私たちは、イエズス・キリストの聖名によってのみこれを得ることが出来ると知っています。
「Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, dona nobis pacem!
世の罪を除き給う天主の子羊よ、我らに平和を与え給え!」
なぜイエズス・キリストに求めるかというと、私たちが、私たちの主イエズス・キリスト抜きに、イエズス・キリストを無視して、真の世界平和を得ることは全く無理なことだからです。
私たちは、真理において、真の天主である私たちの主イエズス・キリストにおいて、その愛において全世界が一つとならなければなりません。イエズス・キリストの聖名によって世界の平和を求めなければなりません。
以上のことを考えると、イエズス・キリストを真の天主であると公式に認めない「比叡山宗教サミット」「世界平和祈りの集い」(天台宗国際平和宗教協力協会など主催)は、「天主から出たものではない・・・反キリストの霊である」(1ヨハネ4:3)と言わなければなりません。
ですから、私たちには明らかに言うことが出来ます。「1987年に比叡山で開催した宗教サミットの精神」は、その目指すものは素晴らしいものですが、反キリストの精神であり、真の世界平和を実現させることは出来ない、と。
真の平和は、私たちの主イエズス・キリストの十字架のいけにえによって得られます。真のミサ聖祭によって得られます。それが私たちのカトリック信仰であります。私たちカトリック信者にとっては、「比叡山宗教サミット」は全く関係のないものです。私たちは聖パウロと共にこう言います。「私たちの平和はキリストである。」(エフェゾ2:14)
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2002年灌仏会(花祭り)によせて
(一部抜粋)
灌仏会(=釈迦の誕生を祝う仏教行事。日本では原則として毎年4月8日)出典
聖ピオ10世教皇が今、この世界を見たら・・・
教皇庁諸宗教対話評議会
議長 フランシス・アリンゼ枢機卿
2002年灌仏会(花祭り)によせて
親愛なる仏教徒の皆さん
今年も灌仏会にあたって、教皇庁諸宗教対話評議会を代表し心からのお祝いを申しあげます。世界中の仏教徒の皆さんが喜びに満ちた素晴らしい祝日を迎えることが出来るようお祈りいたしております。
今このお祝いの言葉を述べながらも去年の9月11日に起こったあの衝撃的な出来事を思い出さずにはいられません。あの時以来世界中の人々が未来に関して新たな恐れを抱いています。このような恐れの最中にあって、未来に向けてより平和な世界の実現のため、希望をはぐくみ、そしてこの希望に基づく文化を築き上げるのは、善意あるあらゆる人々と共にキリスト教徒、仏教徒としてのわたしたちの義務ではないでしょうか。
〔中略〕仏教の教えや伝統は、ありとあらゆるもの、たとえ何の意味もないように見えるものをも尊重しています。何の価値もないようにみなされるものに対してもこれほどの配慮を示すのであれば、わたしたちキリスト者が、神ご自身の似姿として創造されたと信じる人間に対してはどれほどの尊敬を抱くことでしょう。
人間の尊厳とその権利は、確かに近年カトリック信者たちが関心を示す最も重要な問題です。生命の権利が、自然死に至るまで完全に保護され、かつ、人間の尊厳に相応しい具体的な生き方が出来るための必要条件が、すべて整えられるような「生命の文化」をカトリック信者と仏教徒は、共に手を携えて築き上げるべきです。これこそ「死の文化」を阻止し打ち破るための方策だと思います。
、、親愛なる仏教徒の皆さん、これが今年皆さんと分かち合いたかった思いです。すべての人々にとってより平和で幸福な世界をもたらすだろうとの希望をもって、共に未来に目を向けましょう。灌仏会おめでとうございます。
2002年4月8日 バチカンにて、
教皇庁諸宗教対話評議会
議長 フランシス・アリンゼ枢機卿
カトリック中央協議会訳
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