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Marcus Grodi, What Is Truth?(抄訳)
牧会を離れ、大学院へ戻る
教理的なこと、それから母教会内での諸問題に直面し、進むべき道が分からなくなった私はしばらく牧会職から身を引くことにしました。さて、今後どうしようかーー。こういった一連の事から少し距離を置き、心の小休止を取るには、大学院に戻って元々の専門分野の研究を再開するのがとりあえず一番容易であるように思われました。
そこで私はケース・ウェスタン研究大学での分子生物学の博士課程に進むことにしました。そしてできれば将来的に、自然科学と神学の学びを統合する形で生命倫理(bioethics)の分野でなにか貢献することができたらと思いました。
遺伝子工学と人間
こうして私は大学院での遺伝子工学研究プロジェクトに深く没入していきました。私たちが取り組んでいたのは、均質化された腎臓から取り出した人間のDNAの除去および再生産でした。このプロジェクトには困難が伴いましたが、とてもやりがいを感じていました。
ただこれは自分を魅了すると同時に恐怖心をも抱かせるものでした。というのも、たしかに科学的研究には知的刺激と発見の喜びがあるのですが、実験室がいかに非人間的な環境になり得るのかということをも私は目の当たりにしたからです。
遺伝細胞組織は、クリーブランド病院にて亡くなった患者の死体から採取された上で、DNA研究をする私たちの実験室に送られてきていました。
私は、目の前に置かれているこの細胞組織が元々は「人」から来ているという事実に深く心を動かされました。ーーこれらの細胞は、母であり、父であり、子供であり、祖父母でした。そして彼らはかつてこの地上で生き、働き、笑い、そして愛していたのです。
しかし、実験室内で番号付けされ整然と並べられた小瓶は単なる「モノ」であり、実験用の「物質」であり、それらは、それがかつて属していたところの〔人格をもった〕一人の人間からは完全に解離していました。
新聞広告
ある金曜日の朝、クリーブランド地方への長いドライブの後、キャンパスに着き、私はもぐもぐ朝食を食べながら授業前の時間をつぶしていました。普通私は予習するのですが、どういうわけかこの朝、私はいつもしないことをしました。コインを入れ、販売機で日刊紙プレイン・ディーラーを買ったのです。
椅子にこしかけ、ぱらぱらとページをめくっていきました。と突然、小さな広告欄が目に飛び込んできました。「カトリック神学者スコット・ハーン氏が今週の主日午後、地元のカトリック教区で講話をされます。」
あやうくコーヒーでむせるところでした。「カトリック神学者スコット・ハーンだって?!!おいおい、まさかこの ‟スコット・ハーン” があのスコットであるわけないよな。そんな事あるはずない。ほら、僕らのスコットなら80年代、ゴードン・コーンウェル神学校で一緒に勉強してたじゃないか。」
マサチューセッツ州にあるゴードン・コーンウェル神学校(出典)
スコット・ハーン(Scott Hahn)
スコット・ハーンーー。彼はうちの神学校でも筋金入りのカルヴィニスト、アンチ・カトリックの牙城のような男として有名でした。その徹底ぶりはキャンパスでも随一でした!
私は当時スコットが会長をしていたカルヴァン主義聖書研究会の幽霊部員でした。(スコットや他のメンバーが何時間もの間、あらゆる神学的含意のあらゆる角度を明示すべく、聖書研究に勤しんでいる間、私はバスケットボールをして遊んでいました。)
1982年に卒業して以来、スコットには一度も会っていませんでした。でも一度、どこからか風の便りで彼がカトリックに転向したらしいという暗い噂を耳にしたことがありました。でも真面目には受け取りませんでした。この手の噂は根も葉もない場合がほとんどであり、おそらくはスコットの強靭なる信仰の確信につまずいた(or 嫉妬した)誰かがデマを流したのだろうと思いました。もしそうでないのなら、彼はなんらかの形で道を誤ったに違いありません。
広告に載っていたカトリック教区までは一時間半以上の距離がありましたが、私は事の真相を確かめるため、そこに実際行ってみることにしました。
「スコット。博学があなたの気を狂わせている。」
こうしてその週の日曜日私は生まれて初めてカトリック教会の中に入ってみました。席に座ってしばらくすると、スコットが(紛れもないあのスコットが!)講壇に現れ、祈りと共に講話を始めました。
彼がカトリック教徒のように指で十字を切る仕草をする様子を見た私は、彼が本当に離脱したことを知りました。「あぁ、なんてことだ、、。」心が沈みました。
〈哀れなスコット。〉私は心の内で呻きました。〈彼はカトリック教徒の巧みな議論に飲まれてしまったに違いない。〉
彼は「四番目の杯」と題し、最後の晩餐のことを語っていました。彼は各段階で聖書を用いながら、ミサおよびユーカリストに関するカトリック教義を擁護していましたが、私は驚きました。スコットは自分が想像もしなかった方法でカトリシズムを説明していたのです。そうです、彼はそれをなんと聖書から説明していたのです!彼の説明を聞くと、なぜかミサもユーカリストもそれほど不快な教義でなく、自分にとって無縁の教義でもないように感じられました。
講話の終りに、スコットは会衆に向かい、キリストに対する抜本的な向き直りを熱烈に呼びかけていました。それで私は思ったのです。〈もしかしたら彼は改宗したフリをした上でカトリック内部に潜入し、それによって、霊的に死んでいるカトリック教徒たちの刷新および新生を計ろうと試みているのではないだろうか?〉
講話が終わりました。大勢の人々が質問をしようと彼を取り囲み、スコットは持ち前の魅力と確信をもって答えていましたが、ふと私の方向に視線がいくと、「おっ、マークスじゃないか!」と顔を輝かせ、静かににっこり笑いかけました。「スコット。噂に聞いていたことはじゃあ、本当だったんだな。それにしても、一体何が契機で君はカトリックに改宗したのか?」
スコットはカトリック改宗に至った自らの苦悩の道について手短に話してくれました。周りにいた人たちも、彼のミニ改宗ストーリーに熱心に耳を傾けていました。スコットは私に、教会玄関に自分の改宗の証を収めたテープが置いてあるから、もしよかったらそれを聞いてみてくれと言いました。
私たちは電話番号を交換し、互いに握手を交わし、別れました。帰りがけに、先ほどスコットが言っていたテープと、同じくゴードン・コーンウェル神学校の卒業生でカトリシズムに改宗したスティーブ・ウッドの証のテープ、それからスコットの推奨していた、カール・キーティング著『カトリシズムとファンダメンタリズム』を購入しました。
なぜ自分はここに来たのだろう?神よ、助けたまえ。
教会を後にする前、私は一瞬立ち止まり、なぜ自分はここに来たのだろう(神が私をここに呼んだのか?)と考えました。そして冷たい夜風の中を外に出ました。いろいろな思索が入り乱れ頭がクラクラしており、心は混乱した感情で洪水のようになっていました。
ファースト・フード店に立ち寄り、ドライブ・スルーでハンバーガーを買うと、私はスコットの証テープをプレーヤーに入れました。これを聞けば彼がどこで道を誤ったのかすぐに分かるだろうと思いました。しかし車を走らせて半時間後、私は精神的に余りにも圧倒され、高速道路の脇に車を止めなければならなくなりました。どうにか心を落ち着かせようとしました。
スコットの霊的道程と私のそれは異なっていました。しかし彼と私が取り組んでいた諸問題は本質的に同一のものでした。ーーそして彼が見つけ、彼の人生を劇的に変えた諸回答は、非常に説得力のあるものでした。
彼の証を聞き、私は、プロテスタンティズムに対しここ数年生じてきていた自分の中でのさまざまな疑問が、やはり無視することのできない種類のものであることを確信しました。
でも、、彼は言うのです。「あなたの抱いている問いの答えは、カトリック教会の中にある」と。ああ!この考えは私の存在を根本から揺さぶり、突き刺しました。
神は自分をカトリック教会に呼んでおられるのだろうか?ーーこの問いは私を恐怖のどん底に陥れ、それと同時に鼓舞もしました。私はハンドルの上にじっと頭を横たえ、祈りました。