巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

真理とは何か?ーーマークス・グローダイ師の探求と苦悩、そして人生の道程【その1】

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目次

 

Marcus Grodi, What Is Truth?(抄訳)

 

牧会職に就いて

 

ゴードン・コーンウェル神学校を卒業し、牧師職に就いて以来、私はこの務めを真剣に受け取り、正しく、忠実なやり方でそれらを敢行したいと願っていました。そして人生の終りに神の前に立つ時、「よくやった。良い忠実なしもべよ」(マタイ25:21)というお言葉を聞くことができたらと願いました。プロテスタント教会の牧師となり私は自分自身とも、神とも平和を保ち、幸せでした。ーーずっとずっと求めてきたものについにたどり着くことができた!そう思いました。

 

しかし現実はそう甘くありませんでした。

 

牧会に就いてまもなく、私はさまざまな種類の混乱した神学的、運営的諸問題に直面することになりました。それらは「いかにして困難な諸聖句を正しく解釈するか」をめぐっての釈義的ジレンマであり、それと同時に、会衆を容易に分裂に陥れかねない「礼拝形態における諸決定」にも関わる種類の問題でした。神学校での学びだけでは、こういった選択肢の泥沼を前に、実際にいかに対処すべきか分からず、迷いました。

 

私は心から良い牧者でありたいと願っていました。しかし牧師仲間に自分の抱えている問いを投げかけても、首尾一貫した回答を得ることができませんでした。書棚にあるハウツー本の類も、そして私の属している長老派教団の指導者たちにも助けを求めましたが、やはり一貫した回答を得ることができませんでした。

 

「必要となれば一からやり直そう」というメンタリティーは、プロテスタンティズム牧師精神の中枢にありますが、これが深く私の心を悩ませました。「なぜ私は一からやり直すべきだとされているのだろう?」苦悶の内に私は自問しました。「過去の世紀に生きた牧師たちは、同じような問題に直面した時どうしていたのだろうか?」

 

神学校では「ローマ主義」に対する宗教改革側の「勝利」という歴史観を教わりました。そして何世紀にも渡り、キリスト教徒たちを「拘束 “shackled”」してきたローマの「人造」の掟やドグマや慣習からのプロテスタンティズムによる解放という点を教わりました。しかし、次第に、その「解放」が、自分の目に、純粋な自由というよりはむしろ、アナーキー(無政府状態、混乱、無秩序)のように映るようになっていきました。

 

わが要塞の破れ

 

カトリック教会の諸主張にも耳を傾けてみようと思い始めたきっかけは、自分の魂の軸にあった改革派プロテスタント神学という城壁に破れ口が生じてしまったことに起因しています。

 

40年近く、私はこの城壁を構築しようと努力してきました。労苦しながら石を一つ一つ積み上げ、プロテスタントとしての自分の確信を防衛しようと最善を尽くしてきました。

 

こういった石は自分の個人的諸経験、神学校での教育、さまざまな人間関係、牧会奉仕の中での成功や失敗といったものから形成されていました。また石に固定されていた追撃砲は、自分のプロテスタント信仰であり哲学でした。わが城壁は高く、分厚く、それは難攻不落のように思われました。

 

しかし追撃砲が崩れ、石ががたがた動き滑落し始めるにつれ、私の不安は増し加わっていきました。最初のうち、兆候はわずかなものでしたが、その内、驚くほどの速度でそれらは崩れていきました。「なぜ自分はプロテスタンティズムの諸教理に対し、どんどん自信を失いつつあるのだろう?今自分の中で何が起こっているのだろう?」私は必死に理由を探ろうとしました。

 

自分のカルヴァン主義信仰に置き換わるものは何かあるのだろうか。でも何を求めていいものやらよく分かりませんでした。しかし一つだけ分かったのは、自分の神学は揺るぎないものではないという事実でした。それでとにかく崩れつつある城壁を修復しようと私はさらに多くの文献に当たり、さまざまな神学者たちに相談しました。しかしそれでも前進できませんでした。

 

私はよく箴言3:5-6の御言葉を思い出しました。「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言のこの勧告は、プロテスタンティズムの教理的混乱と手続き上のカオスに直面する中で、自分を悩ませ、それと同時に、慰めをも与えてくれました。

 

宗教改革者たちは、個々人による聖書の私的解釈という観念を擁護しました。しかし「箴言3:5-6の御言葉に照らしてこの立場を考えた場合、、うーん、これは本当に大丈夫なのだろうか?」心が落ち着きませんでした。

 

聖書を神の言葉と信じるプロテスタントは、「主の指針を求める中で私はこの聖句の教えに実際に従っている」と信じています。しかしここで問題となるのは、教理に関する何千という異なった道筋に自分たちを導いていると私たちが感じていることにあるのではないでしょうか。そしてこういった諸教理は、それぞれの教団教派によって互いにかなり違っています。

 

いかにして知ることができるのだろう?

 

私はいくつかの点で葛藤していました。ーー自分の人生にとって、そして自分の牧会する教会の信徒たちにとって、何が神の御心であるのかということを私はいかにして知ることができるのだろう。自分の説教内容が正しいということにいかにして私は確信を持つことができるのだろう。何が真理であるのかということを私はいかにして知ることができるのだろう、と。

 

プロテスタンティズム内に存在する教理的騒乱に関してですが、ーーそれぞれの教団教派は、そのグループを創設した創立者個人の諸解釈を基盤にした教理を確保しつつ、「私は聖書が言っていることだけを信じています」と言っています。

 

私もまた真理を吟味する上で「聖書のみ」の教理を信奉していましたが、自分がジャン・カルヴァン、ジョン・ノックス、清教徒たちから受け継いだ改革派諸教理は、多くの点で、私の友人たち(ルーテル派、バプテスト派、聖公会)の奉じているそれと対立していました。

 

自分の牧する群れにイエス・キリストの真理を教えることが私の切なる願いであり聖務でしたので、尚一層のこと、「何が真理で、何がそうでないのかを私はいかにして知ることができるのだろう?」という懸念は大きくなるばかりでした。

 

毎週日曜日、私は講壇に立ち、群れの信徒たちのために聖書を解き明かしましたが、心の片隅で、「うちの教会の半径25キロ以内には、他のプロテスタント諸教会の牧師がたくさんいて、今頃、皆それぞれの教会の講壇で説教しているんだろう」と考えていました。

 

彼らは皆、自分と同じように、聖書のみが、教理と実践における唯一の権威であることを認め、信じていました。しかしそれにも拘らず、それぞれの牧師が、自分が教えている事とは違う何かを教えていました。

 

僕の解釈ははたして正しいのだろうか。

  

〈僕の聖書解釈は果して正しいのだろうか?それとも間違っているのだろうか?もしかしたら、たくさんいる他の牧師たちの内の誰か一人の解釈が正しくて、、そしてもしそうなら、僕は、自分のことを慕い信頼してくれている信徒の方々を誤導している、、、のだろうか?

 

いつの日か僕は死に、永遠なる審判者である主イエス・キリストの前に立つ。その時、牧するようにと主が私に任せてくださった人々を実際自分がどのように導いたのかについて主に申し開きしなければならないだろう。〉

 

「私は真理を説いているのでしょうか、それとも誤教理を説いているのでしょうか?」私は主に何度も尋ねました。「自分の解釈は正しいと、一応そういう風には考えているんです。しかし主よ、それが確実に正しいということを私はどのようにして知ることができるのでしょうか。」

 

礼拝の形式や内容について

 

主日礼拝(liturgy)の形式や内容に関してですが、それぞれの教会が、いかに事が為されるべきなのかに関する独自の見解を持っており、その中で、各牧師それぞれが理に適うと判断し希望することをかなり自由に執り行っていました。

 

自分を舵取りをする義務的な教団指針というものはなかったので、私はその他すべての牧師たちと同様のことをしていました。つまり即興での司式です。賛美のセレクション、説教、聖句の選択、会衆の参加、バプテスマ、結婚式、聖餐式など、「こうすればいいかな。ああすればいいかな?」と思案しながらいろいろ試していきました。

 

ある日曜の聖餐式で、私は青年礼拝をどうにかもっと活き活きと「今日性を持ったもの」とさせようと思案した結果、炭酸清涼飲料のボトルと、ポテトチップスのボールを掲げた上で、「これはわたしのからだです。わたしの血です。わたしを覚えてこれを行ないなさい」と聖餐の祈りをしたことさえありました。

 

「主人は天国に行くのでしょうか?」ーーカルヴァン主義と予定説

 

しかし一番悩んだのがやはり神学的な問いに関することでした。ある時、私は臨終の男性のベッドに脇に立っていました。取り乱した彼の妻が、すがるような目で私に問いかけました。「主人は天国に行くのでしょうか。

 

自分の教団解釈(長老派)による回答をすべきかせざるべきか一瞬迷いました。そして相手の所属する教派ーーそれが、メソディスト、バプテスト、ルーテル派、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド、ナザレン派、クリスチャン・サイエンティスト、フォースクエアー・ゴスペル派、エホバの証人であれ何であれとにかくーー相手次第で、いろいろ多様な答えが可能であることを考慮しつつ、頭の中で忙しく、「ああ、彼女になんと答えたらいいだろう?」と思いました。

 

そしてその時、私にできたことは、(彼女の夫の救いに関し)「私たちは主に信頼しなければなりません」という、敬虔に聞こえつつも一種あいまいさを残すような表現で彼女に応答することでした。

 

彼女は私の言葉で慰めを受けたかもしれません。しかし涙を一杯ためた彼女の嘆願はその後も私を悩ませ続けました。結局のところ、改革派の牧師として私は、予定説および聖徒の堅持というカルヴァン主義の諸教理を信じていました。

 

それゆえ、亡くなったあの男性は生前、キリストに人生を明け渡した。⇒そして彼は新生し、彼自身は自分が神の選民(elect)の一人だと堅く信じていました。しかし、、実際はどうだったのでしょう。

 

というのも、彼自身がたといどんなに真摯なる思いで「自分は天国へと予定されている」と思っていたとしても、そしてたといどんなに周囲の人が「そう、彼は選民です」と真摯なる思いで信じていたとしても、彼は天国に行っていないかもしれません。(しかし興味深いことに、予定説の教義を説く人々のほぼ全員が、『私自身は選民の一人である』ということを堅く信じています。)

 

そして亡くなったあの男性が、心臓発作に襲われたその時ちょうど、ひそかに深刻な罪に「バックスライド」してしまっており、神に対する反逆の状態にあったとしたら、どうなのでしょうか。

 

改革派神学は言います。「その場合、哀れなその男性は、『自分は新生し天国行きを予定されている』と思い込んでいただけであって、実際には誤った救いの安心感により惑わされていたのである。彼は新生しておらず、地獄への道を行く途上にある」と。

 

そしてカルヴァンは、「主の選民は恩寵と選びの中で堅持されるであろうし、ーー必ずーー堅持されなければならない。ある人が神に対する反逆状態の中で死んだのなら、そもそも彼は決して選民の一人ではなかった」ということを説いていました。「しかし、そういうような‟救い”では、それは絶対的救いの保証と言えるのだろうか?」

 

「主人は天国に行くのでしょうか?」というような問いに対し、信徒の方々に明確な答えを提供するのにますます困難を覚えていくようになりました。自分の知るプロテスタントの牧師は皆それぞれ、救いに‟不可欠なもの”として異なる基準を持っていました。

 

カルヴァン主義者として自分は、「人が公にイエスを主とし救い主として受け入れたら、彼は信仰を通して恵みによって救われる」と考えていました。しかし他の方々をこういった言葉で励まし慰めながらも、自分自身は内心、この世的で時には甚だしく罪深い生活を送っていた上で最近亡くなった教会員たちの生前の生き方に困惑していました。

 

こうして牧会に就いて数年後、私は自分がこのまま牧師としての働きを続けるべきか否か真剣に検討し始めました。

 

【その2】につづきます。