巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「今日、単にアカデミックな推論に過ぎないとみなされているものが、明日には、諸国の軍隊を動かし、帝国を投げ倒すようになるのである。(G・メイチェン)」ーーグローバル性革命と新しい全体主義【若い世代のクリスチャンへの激励】

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 ーグレシャム・メイチェン(1881-1937)

 

フェミニスト神学者メアリー・デイリーの「人間として存在することーーそれは自己に命名し、世界に命名し、そして神に命名することである。」という言明を読んだ姉妹が、「こういった人々はすでに正気を失ってしまっているのではないでしょうか?」と感想を寄せられました。

 

それに対し私は、「血に染まった多くの暴力革命は、まさにそういう ‟正気を失ってしまった” 人々によって理論的に準備されてきたのです。」とお答えしました。

 

2007年3月に、ジュネーブの国際連合人権理事会に提出され受諾されたジョグジャカルタ原則〔性的指向およびジェンダー・アイデンティティーに関する国際人権法への願書〕の第29原則には、「性的指向や性自認に関する差別の撤廃を保障するため、法の制定や施行、政治を監視する独立した有効な機関や制度を確立する。」とあり、LGBTアジェンダの全体主義的傾向が表出してきています。

 

つまり、LGBT運動の優遇に向け、社会全体を再組織しコントロールするべく、国民国家レベルの上をいく上部構造が構築されるべきだというのです。

 

昨年、召天されたR・C・スプロール師も、倫理的リベラリズム/相対主義がやがて国家統制主義につながっていくということを予見し、次のように語っておられます。

 

「真理という語がもはやその意味内容を失い、空虚化されています。それが故に、現代人はジレンマに陥っているのです。彼はすでに長期に渡るカオス状態に投げ込まれていますが、人は知的カオスの中で継続して生き続けることはできません。

 

相対主義は究極的には《非寛容》です。そして、この空白を埋めにくるのは、一種の国家統制主義をとる形態でしょう。なぜなら、いずれにせよ何かが一致をもたらさねばならないからです。『国家』の善がいずれ、一致のための最終地点となっていくでしょう。

 

国家は、壁のこちら側に存在しています。ですから、国家というのは、それが絶対化しない限り、私たちの多元(plurality)のために究極的一致を提供することは決してできないのです。

 

相対主義は、満たされたいと絶叫しているその倫理的空白を提供しています。自然が真空状態を忌み嫌っているのと同じ強さで、全体主義国家体制はその真空状態を愛しています。なぜなら、彼らはその空白を埋めるべくそこに駈けつけることができるからです。」(引用元

 

また、フランシス・シェーファーも同様の警告を発しています。

 

「同調、そして迎合。こういった世への迎合精神が近年、いかに増長・拡大していることだろう。この60年の間に、私たちは倫理的大惨事の発生を見てきたが、それに対し、私たちキリスト者は何か処置を施してきただろうか。

 

いや、悲しむべきことに、福音主義の世界もまた、この大惨事の一部分と化してしまっているのだ。さらに言えば、福音主義教会の応答そのものが大惨事であった。今日において争点となっている諸問題に対し、これに確固とした聖書的回答を与える明確な『声』は一体どこにあるのだろうか。

 

涙を持って私たちは言わなければならないが、福音主義の世界の大部分が現在、この世の時代精神にたぶらかされてしまっている状態にあるのだ。さらに、もしこのまま福音主義教界が、生活の全領域における聖書的真理および倫理に対し断固とした姿勢をとらないまま進んでいくのなら、今後、私たちはさらなる大惨事を目の当たりにすることになるだろう。

 

なぜなら、福音主義教会の世俗精神への迎合は、今まさに崩れんとしている文化の崩壊を防いでいる『最後のダム』が取り除かれることーーこれを意味しているに他ならないからだ。そしてこの最後のダムが取り除かれるなら、そこから社会的混沌が生み出されるだろう。そうして後、乱れた社会秩序を回復させるべく、ある種の権威主義体制が勃興してくるだろう。」(引用元

 

そしてシェーファーは、若い世代のクリスチャンに向け、次のような遺言を残しています。これらの言葉を噛みしめたく思います。

 

「現在、『この世への迎合』という問題に関し、私たちが必要としているのは、真理およびキリストのためにあえてラディカルであらんと欲する新しい世代である。愛のうちになされる対決の場にあえて進み出ようと勇み立つ若い世代を、私たちはぜひとも必要としている。

 

、、若者たちよ。愛のうちになされる対決のために、どうか勇み立ち上がってほしい。逃げずに立ち向かってほしい。瞬間瞬間、生けるキリストを見つめ、主から力をいただきつつ、現在、教会、文化、国の中に荒れ狂っているあらゆる誤謬や破壊的なものに対し、愛を持って正面から立ち向かってほしい。」

 

ー終わりー