巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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私たちクリスチャンは旧約聖書をどういう風に捉えればいいのだろう?(by バルナバ・アスプレイ、ケンブリッジ大 解釈学)【悩める学生の皆さんへの応援記事】

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あ~もうお手上げ、、かも。

 

目次

 

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Barnabas Aspray

執筆者 Barnabas Aspray師。ケンブリッジ大(キリスト教神学、解釈学、形而上学)。ポール・リクールの解釈学研究。Barnabas Aspray — Faculty of Divinity

 

はじめにーーみんなが頭を悩ませてきた問題!

 

キリスト教の歴史の中でも最も長きに渡って問題となってきたのが「私たちは旧約聖書をどのように理解し、どのように用いるべきなのだろう?」という問いです。

 

ある人はこう考えます。「旧約聖書というのは、かつていかにして神がご自身の民と関わったのかに関する、興味深く、でも今日性は持たない出来事の記述にすぎません。」また次のように考える人もいます。「旧約聖書というのは非常に霊感されているため、新約聖書というのは、旧約のメッセージに対しほとんど重要性を持っていません。」

 

それでは私たちはこれら二つの極端の間にあっていかにして「中道 ‘middle ground’」を見つけていくことができるのでしょうか。いや、それ以前に、中道というのはそもそも私たちが望んでいるものなのでしょうか?

 

What to do with the Old Testament

左側の極:ラディカルな非連続性 「旧約はもはや今日性を持たない。」

右側の極:ラディカルな連続性 「イエスは特にこれといって抜本的な違いをもたらしたわけではない。」

 

私たちが探求しているのは、ーーイエス以前に来たものを曲げたり、あるいはそれらを今日性のないものとしたりすることなくーーイエスの生涯、死、復活がクリスチャンになにか新しいものをもたらしたという点を捉える道です。

 

3つのアプローチをみてみよう。

 

そしてこれを掴むのはそうそう容易なことではありません。これまでの歴史の中で、旧約と新約の間の関係をうまく説明しようと多くのモデルが提示されてきました。この記事の中で私はその中のいくつか主要なものを分析してみたいと思います。

 

モデル1.「旧約は律法についての書であり、新約は恵みについての書です。」

 

このモデルによると、ヘブライ聖書の持つ唯一の目的は、行ないによる救いというのが不可能であるということを私たちに示すことです。そしてその際、律法の下で何百年もの間労苦した哀れなイスラエルが例として用いられています。

 

*どうして旧約を読むの?

 

神の恵みの中で自由に主に信頼する代わりに律法によって義とされようと努力することの不毛さを私たちに教訓として教えるため。

 

*このモデルのどこに問題点があるかな?

 

旧約聖書には神の満ち溢れる恵みを示す実例がぎっしり詰まっています。そしておそらくその中でも最も大きなものは、ーーイスラエルの民がなんらそれを受けるに値することを為す前にーー神が彼らをエジプトの奴隷状態から解放してくださったことでしょう。

 

またこのアプローチは新約と旧約の間にみられる神の御性質の異なる側面を示しつつ、神をやや「統合失調症的」に描き出してしまう傾向があります。その結果、旧約の側面に対する関心の欠如、もしくは旧約の側面の持つ今日性を見い出す能力の欠如が表出してきます。

 

モデル2.「旧約は文化的に特定のものであり、新約は時代を超越した真理です。」

 

このモデルによると、神は歴史の中における特定の時間と場所にふさわしい形でイスラエルに掟を与えられました(例えば、ロブスターを食べてはいけない等)。しかしそれらは今日の私たちには適合していません。新約のより豊満な啓示の中で、あらゆる時代あらゆる場所に等しく適用される掟が私たちに与えられています。

 

*どうして旧約を読むの?

 

主要な旧約の人物たちが自らに与えられた神の掟に照らしどのように行動したかという点をみることによって、私たちはいくつかの価値ある断片から学ぶことができます。しかしそれらの掟のどれ一つとして今日の私たちに適用されるものはありません。

 

*このモデルのどこに問題点があるかな? 

 

新約はあらゆる点で旧約と同様、文化的に位置づけられています。新約に書いてある全ての掟をことごとく遵守しているクリスチャンは今日誰一人いません。みんな「どの掟が文化的に適合しているのか」と自分なりに判断した上で、遵守すべき掟/遵守しなくてもいい掟を取捨選択しつつ、えり好みしています。

 

しかし新約を‟時代を超越した真理 timeless truth”とみるこのモデルの真の惨事の一つは、「旧約から権威ある真理をいかにして得ることができるのか」についての理解に失敗している点です。たしかにこのモデルの中でも、旧約は依然として理論上、霊感はされてはいます。しかし実際には〔彼らにとり〕クリスチャン・ディベートの中で、旧約は使用に適さないものとなっています。

 

モデル3.「新約はあらゆる点で旧約と同様、ユダヤ的です。」

 

このモデルによると、新約聖書の唯一適切な読み方は、旧約のレンズを通してそれを読むことです。イエスのユダヤ人性が極度に強調され、キリスト教神学の中に「ギリシャ的思考」の兆候が少しでもみえようものならそれは混合主義的(syncretistic)だと追放されます。

 

*どうして旧約を読むの?

なぜなら、これだけが唯一、新約を理解するための道だからです。

 

*このモデルのどこに問題点があるかな?

 

このモデルは、新約のいくつかの部分の理解を増し加える上で多少、有益な洞察を提供してはいるものの、このアプローチは「ユダヤ的思考」と「ギリシャ的思考」の間に非現実的な二分法(dichotomies)を作り出してしまっており、この種の教えは、「ユダヤ的思考パターンはイエスによって変更されずそのまま保持された」というような印象を人々に与えています。

 

またこれは、文化的背景にかかわらず、福音がすべての人々に伝達可能になったというインパクトを過小評価しています。さらにこのモデルは、私たちをある種の「知的ユダヤ主義 ‘intellectual Judaizing’」に密接につないでおり、このユダヤ主義化は、ガラテヤ書のあの悪者たちの「文化的ユダヤ主義 ‘cultural Judaizing’」とパラレル関係にあります。

 

それではどうすればいいのだろう? 

 

それでは私たちはどうすればいいのでしょうか。以下に少し提言をしたいと思います(ですがこれは私が作り出した新案ではありませんよ。)旧約聖書、新約聖書、そして教会史は、永い連続した物語のエピソードであり、今日も尚、現在進行形で開示し続けています。

 

神はーーこれまでもずっと変わらずそうであったようにーー今も同じであり、神の民もーーこれまでもずっとそうであったようにーー今も同じです。つまり、神と契約関係で結ばれているのです。神の民であるという事の意味、そして神がどのようにしてご自身の民を取り扱っておられるのかという事を理解したいのなら、新旧約聖書全体の読みが不可欠です。

 

しかしながら、イエス(そして新契約)と共に、ハリウッド映画のような、ある重大な「どんでん返し“plot twist”」がありました。(その良例として映画「第六感」のことが頭に浮かびました。)

 

ストーリーの中のあらゆる最終どんでん返しと同様、私たちはこの新しい出来事に照らされ、突如として、それまでに起こった全ての事を違った目で見るようになります。ストーリーの持つ意味全体が違ってくるのです。

 

しかしそのひねりが起った箇所からしか読まないのなら、なぜそのどんでん返しがこれほど重要なのか到底理解することはできないでしょう。新約は、その背景となるストーリー(backstory)なしには意味が分かりません。つまり、私たちが旧約を知らないのなら、私たちは無知ゆえに、新約の読みの中に、異様にしてありそうもない意味を勝手に作り出してしまわないとも限りません。

 

そして確かにイエスがクライマックスですが、ストーリーは新約聖書で終わっているわけではありません。神は今も引き続きご自身の民の間で働いておられます。それがゆえに、キリスト教会の歴史もまた、非常に、非常に大切なのです。

 

ー終わりー

 

文献案内

Goldingay, John. Old Testament Theology: Israel’s Gospel: 1. Downers Grove, Ill: Varsity Press,U.S., 2003.

Goldingay, John. Theological Diversity and the Authority of the Old Testament. New edition edition. Carlisle: Paternoster Press, 1995.

Ochs, Peter. Another Reformation: Postliberal Christianity and the Jews. Baker Academic, 2011.

Provan, Iain. Seriously Dangerous Religion. Waco, Tex: Baylor University Press, 2014.

Wright, Christopher J. H. Old Testament Ethics for the People of God, Nottingham: IVP, 2010.

 

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