デジタル空間と時間(出典)
時の経過と川は同じであり、
どちらも、たゆむことなき流れと共に、旅路を急ぐ。
いかなる財宝もそれを買収することができず、
どんな祈りをもってしてもそれは留まってはくれない。
どちらも一たび過ぎ去ると、もう後には戻ってこない。
そしてついに、茫洋たる大海が両者を飲み込む。
あらゆる部分においてそれらは似通っているが、
一つの違いのことを沈思する心は悟った。
流れは決して無為に流れない。流れが満ちるところでは、
いかに地が喜び、数多くの樹冠と共に笑い声を上げることだろう!
しかし、ーー本来、気高い精神を豊かにすべき
時は、顧みられず、ひとり陰鬱な荒地を後にするのだ。
ーーWilliam Cowper, A Comparison(私訳)
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モモはじっくり考えてみました。
「時間はある、、でも、さわることはできない。つかまえられもしない。においみたいなものかな?でも時間て、ちっともとまってないで、動いていく。すると、どこからかやってくるにちがいない。風みたいなものかしら?いや、ちがう!そうだ、わかった!一種の音楽なのよーーいつでもひびいているから、人間がとりたてて聞きもしない音楽。でもあたしは、ときどき聞いていたような気がする。とってもしずかな音楽よ。」
「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」
ミヒャエル・エンデ作『モモ』
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私たちに、自分の日を正しく数えることを教えてください。
そうして私たちに知恵の心を得させてください。詩篇90:12