巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

福音主義が直面している三重の脅威(by ロバート・アラカキ、東方正教会)

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出典

 

執筆者:Robert K. Arakaki, ハワイ生まれ。ゴードン・コーンウェル神学大(M.Div.)、バークレーGraduate Theological Union(Ph.D.)。教役者として所属教団United Church of Christの急速なリベラル化傾斜に必死に抗す。激しい苦悶の末、新教内部での改革の可能性の限界および土台的破綻を悟り、1999年、東方正教会に転向。カルヴァン主義神学者が正教に改宗するまでの険しい道のりを自伝How an Icon Brought a Calvinist to Orthodoxyに記している。正教サイトOrthodox Reformed Bridgeにて、主として改革派カルヴァン主義を背景とする人々に対し活発に論戦を繰り広げている。

 

目次

 

Robert K. Arakaki, Contra Sola Scriptura (Part 4 of 4)(一部翻訳)

 

迫りくる福音主義の危機

 

福音主義は現在、①多元主義、②相対主義、そして③主観主義という三重の脅威に直面しています。

 

多元主義

 

多元主義は、「ポスト教派主義的キリスト教」の出現の内に見い出されます。ポスト教派主義は、信条主義的アイデンティティーの不鮮明化、カフェ・スタイルのキリスト教、信者たちの教会めぐりと頻繁なる移動、という現象をもたらしています。しかしながら皮肉なことに、ポスト教派主義は元々、ファンダメンタリズムにその源を発しているのです。*1*2

 

ファンダメンタリストたちが主流諸教派から駆逐された結果、彼らは競合する諸教派やパラチャーチ団体を形成することでそれに応答しました。

 

多くの福音主義者はリベラル教団を出ることを余儀なくされ、もしくは複数のパラチャーチ宣教団体に参加することを通し、その結果、次第に組織的多元主義に順応していくようになりました。

 

実際、パラチャーチ宣教団体の活力は相当なものであり、それに比べると、地域教会は活気がなく非効率的であるようにみえ、その結果、地域教会に対する忠誠心が弱体化されつつあります。*3

 

相対主義

 

相対主義は、福音主義の増し加わる多元主義が意図せずして生み出した落とし子です。対抗諸教派やパラチャーチ団体の急増により、教派主義的忠誠が弱体化され、その結果、多くの人々にとって教派的区分がほとんど意味をもたなくなるほどの地点にまで達しつつあります。

 

タスク志向であり且つ超教派的なスタンスをとるパラチャーチ諸機構は、自らの諸教理を広範に設置する傾向を持っています。これにより、根幹諸教理に対するミニマリスト的アプローチが生じ、教派間の相違点の不鮮明化ならびに教会論に関する議論の回避(サクラメント、典礼、諸信条、政策など)がなされるようになりました。*4

 

デイビッド・ウェルズは著書『真理のための場所がどこにもない(No Place for Truth)』の中で、福音主義内で(彼が呼ぶところの)「神学の消失」を嘆き、次のように書いています。

 

「現在エヴァンジェリカル界を覆っている反神学的ムードにより、福音主義の内的形態、その効率性、そして過去との関係性が変わりつつあります。」*5

 

ここでいう「反神学的ムード」というのがどのようなものであるのかは次の逸話から知ることができます。

 

「ある牧師が近隣の教会の牧師を訪問したのですが、会話の中で、彼はキリスト教界の恥ずべき諸分裂を嘆きました。近隣教会の牧師は、『たしかに昔はこれほどまでひどくなかったと思うんですがねえ』と答えました、、、

 

 そして彼は『どうでしょうか。この地域の牧師たちが一同に会し、我々を分裂させている重要な諸問題について話し合ってみるというのは?』『いや、それはいけません!』訪問者の牧師は言いました。「皆で教理のことを話し合うというのはやめた方がいいと思います。ほら、教理が分裂の元なんですから!だから私たちは論争から遠ざかり、その代りに祈りを通しお互いをより良く知っていくべきだと思います。」*6

 

多くの福音主義者は、神学的相対主義という批判は自分たちには当てはまらないと抗弁するかもしれませんが、実際のところ、彼らの多くは、キリスト教に不可欠なる根幹諸教理や宗教改革について明確に述べることに困難を覚えています。

 

主観主義

 

主観主義は福音主義が現在直面している第三番目の脅威です。相対主義および主観主義への福音主義の漂流は、信条主義的諸基準の大規模な放棄により拍車がかかっています。

 

あるいは、社会学者ピーター・バーガーの言うように、敬虔主義の衝撃の下、プロテスタンティズムはその教義的諸構造の溶解を被っています。*7

 

ここで重要とされるのは、あなたが何を信じているかというよりは、あなたに果たして「ボーン・アゲイン(新生)」体験があるかないかということです。

 

またこれは、「自分の霊的成長に何が助けになるのだろう?」「神が導かれるとあなたが感じる所に行きなさい。」「この問題については心に平安があります。」等のフレーズの中に見い出される霊的プラグマティズムによっても教唆されています。

 

また、カリスマ派の説教者たちの口からよく聞くフレーズには次のようなものがあります。「主が私に~~と語ってくださいました。」「聖霊様が私の心に〔~~のメッセージを〕置いてくださいました。」等。こうして信仰が、教理から主観的体験へとシフトしていっています。

 

福音主義破断化の断層線

 

ジョン・アームストロングは著書『迫りくる福音主義の危機(The Coming Evangelical Crisis)』(1996)の中で、1990年における福音主義破断化の断層線を次のように描写しています。

 

【教理】聖書の無誤性、プロセス神学、霊魂消滅説(annihlationism)等。

【方法論】認識論の分野における「認知に対するポスト近代的アプローチ」

【礼拝】求道者にやさしい礼拝(seeker friendly services)

【終末論】漸進的ディスペンセーション主義

【倫理】同性愛、中絶、離婚

【ミニストリー】女性への按手/女性牧師問題

 

上記の諸事項は、80年代にジェームズ・デイビッドソン・ハンターが『福音主義ーー来る世代(Evangelicalism: The Coming Generation)』で与えていた警告内容を確証しています。

 

ハンターの調査研究は80代の時点ですでに福音主義の次世代の間で進行しつつある著しい見解のシフトを示していました。そしてハンターは、福音主義者たちの間の「互いを結びつける言説の喪失*8」のことを述べていますが、これは福音主義の切迫した苦境を非常に的確に捉えた表現だと思います。

 

以上の事をまとめますと、福音主義の三重の危機である多元主義、相対主義、主観主義は、不幸なる歴史の偶発的出来事によるなにかではなく、プロテスタンティズムそれ自体に深く根を下ろした問題であることが分かります。

 

近年の福音主義の危機から見えてくるのは、ポスト近代性という強力なる文化的勢力が、プロテスタントの遺伝子コードという福音主義らせん構造(ストランド)を、あらゆる方向に引っ張っており、それにより福音主義を神学的に支離滅裂な状態にしています。

 

「聖書のみ」の危機

 

「聖書のみ」の教理は成り立ち得ません。なぜならそれは機能不全だからです。そしてそれが機能不全である理由は、聖書というものが元来、それ自体で理解されるべきものとしては決して意図されておらず、聖書は聖伝という文脈の中で理解されるべく意図されているからです。

 

さらに、「聖書のみ」が機能不全なのは、それが非聖書的だからです。聖書のどこにも「聖書のみ」の教理を教えている箇所はありません。*9

 

さらに、「聖書のみ」が実際にうまく機能してこなかった事実を教会史が示しています。「聖書のみ」という教理の歴史的帰結は、何千何万というプロテスタント諸教派の存在に明示されています。

 

また、もう一つ別の歴史的帰結として、およそいかなる主題に関しても唖然とするほど多種多様な諸教理が陳列している事実にもみることができます。

 

またプロテスタンティズムの解釈学的カオスは、この体系を神学的にちぐはぐな状態にしています。そしてこの自己内矛盾は、プロテスタンティズムをして、世界に対する一致した証言提示を不可能にせしめています。

 

それゆえ、「聖書のみ」の教理は、プロテスタンティズムの土台であるというよりはむしろ、致命的な遺伝的欠陥であり、その結果、無数の教理的/教会論的〈突然変異形〉が噴出しています。

 

近年、「聖書のみ」の教理は、プロテスタント信者にとっての主要なる神学的危機の源となってきています。アリスター・マクグラスは、「聖書のみ」に内蔵されている解決困難な問題について次のように見事に表現しています。

 

「もしも宗教改革の知的起源が、キリスト教神学のソース源としての聖書回帰という観点で説明されるのだとしたら、解釈の問題を巡るプロテスタント運動内の著しい多様性は、このアプローチの実行可能性(viability)に関する深刻なる問いを投げかけるものとなっています。」*10

 

マクグラスは現在も尚、プロテスタントにとどまっていますが、多くの人々は「聖書のみ」に取り組んだ結果、衝撃的な帰結を迎えています。

 

ゴードン・コーンウェル神学校を卒業し、長老派神学校で教鞭を取っていたスコット・ハンは、学生の一人から「先生、『聖書のみ』が私たちの唯一の権威であるということを教えている聖書箇所はどこですか?」と訊かれ唖然としました。そしてこの問いが最終的に、スコット・ハンをローマ・カトリシズムに導くものとなりました。*11

 

最近になってようやく福音主義界はこの危機について直接言及するようになっています。ケイス・マティソン著『聖書のみの形(The Shape of Sola Scriptura)』(2001)は、プロテスタント自身によるこの問題の真剣なる検証の著作です。*12*13 

 

プロテスタンティズムの無歴史主義(ahistoricism)

 

プロテスタンティズムの解釈学的カオスという悲劇は、無歴史主義(ahistoricism)への広範的傾向によりさらに悪化の途を辿っています。

 

進歩に対するモダニズムの信奉により、一種の「編年的傲慢さ(chronological arrogance)」と言えるようなものが表出しています。つまり、「現在は、原始的で後進的な過去よりも優っている」という態度のことです。

 

そのため、ーー福音主義、リベラルの別を問わずーー、プロテスタント信者の間には、教父や各種公会議に対する敬意が、事実上、ほとんど見当たりません。

 

教会史への無関心は福音主義者、リベラル主義者その双方の上に甚大なる影響を及ぼしており、その結果、彼らは自分たちが歴史的キリスト教信仰からどれほど逸脱しているのかという事実に盲目になっています。

 

プロテスタント信者の間における歴史的記憶の喪失は、ちょうどアルツハイマーや多動性障害を患っている人になぞらえることができるでしょう。

 

この喪失により、諸グループ、あるいはある教団全体が、異様な諸教理を受容したり、最新の流行教理に無批判に飛びつくといった現象を招き、それによって、彼らは自らの神学的統合性に悲惨な結果をもたらしています。

 

ー終わりー

*1:Carpenter, Joel A.  1997.  Revive Us Again: The Reawakening of American Fundamentalism.  New York: Oxford University Press, pp. 240.

*2:訳注:関連記事

*3:Stephen Board’s article “The Great Evangelical Power Shift: How has the mushrooming of parachurch organizations changed the church?” (1979)を参照。

*4:この現象は、プロテスタント信者の間で広範囲に行なわれている「オープン聖餐」に見ることができます。しかしながら、オープン聖餐ーー他の諸教派のクリスチャンが聖餐に与ることを許可する聖餐のあり方ーーというのは1960年代になって初めて登場してきた極めて最近の慣習です。参照:Wuthnow, Robert.  1988.  The Restructuring of American Religion: Society and Faith Since World War II.  Princeton, N.J.: Princeton University Press, p.92.

*5:Wells, David F.  1993.  No Place for Truth or Whatever Happened to Evangelical Theology?,  Grand Rapids, Michigan: William B. Eerdmans Publishing Company, p.96

*6:Hardenbrook, Weldon (with Terry Somerville).  1996.  Missing From Action.  Ben Lomond, California: Conciliar Press.

*7:Berger, Peter L.  1967.  The Sacred Canopy: Elements of a Sociological Theory of Religion.  New York: Anchor Books, p.157.

*8:Hunter, James Davidson.  1987.  Evangelicalism: The Coming Generation.  Chicago: The University of Chicago Press, p.210 ff.

*9:

*10:McGrath, Alister.  1987.  The Intellectual Origins of the European Reformation.  Oxford, England and Cambridge, Massachusetts: Blackwell Publishers, Ltd, p.172.

*11:Hahn, Scott and Kimberly Hahn.  1993.  Rome Sweet Home: Our Journey to Catholicism.  San Francisco: Ignatius Press, p.51.Conversion of Scott Hahn - First Mass Experience in 1984 - YouTube

*12:マティソンの著作に関する私の書評はhere

*13:訳注: