巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

神はご自身の民、ユダヤ人を拒まれたのだろうか?(by カリストス・ウェア府主教)

ק×××¥:Rembrandt - Moses with the Ten Commandments - Google Art Project.jpg

モーセと十戒(レンブラント作、1659)出典

 

目次

 

説教(カリストス・ウェア府主教) 

 

Kallistos Ware, Has God Rejected His People, the Jews?(抄訳)

 

〔ローマ9-11章説教の終りの部分〕

 

「聖パウロのこれらの言葉をそれぞれしっかり心に刻み付けましょう。そして教会とシナゴーグの初期の分離により、キリスト教が被ってきた計り知れない喪失を忘れないようにしましょう。

 

パウロがそうしたように、この分離がいつの日か終わることを待望しつつ、やがて全体としてのユダヤの民が、強いられることなく自発的に自由にキリストを救い主として受け入れるというパウロの確かな予測に堅く目を留め続けましょう。

 

そしてそれを待望しつつ、私たちは行ないによっても言葉によっても、イスラエルの人々に対し無礼なふるまいや憎しみを抱いたりすることがありませんように。彼らは今も尚、神に選ばれし民なのです。反セム主義は、そのあらゆる表現において、サタンの業です。

 

ですからみなさんにお願いします。聖パウロの『大きな悲しみ、絶えない痛み』(ローマ9:2)を心に刻みつつ、『こうして、イスラエルはみな救われる』(ローマ11:26)というパウロの究極的希望を堅く持ち続けてください。」

 

ー終わりー

 

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ユダヤ人との和解ーー元イラン革命防衛隊員ハンス兄の証し

 

自ブログ「地の果てまで福音を」より再掲載

 

شهادت زندگی برادر هانس(拙訳)

 

私のクリスチャン・ネームはハンスです。私はイラン北部で生まれました。13歳の時、私はイスラム革命防衛隊の中の民兵部隊バスィージに入隊しました。そしてその中で対イラク戦に関する事、そしてさまざまなイスラム・イデオロギーを学んでいきました。14歳の時、私はイラクへの出兵を志願しました。しかし規定の年齢に満たないという理由で却下されました。

  

革命委員会のメンバーとして

  

1987年、兵役を終えた後、私はイスラム革命委員会(コミテ)のメンバーとして徴用されました。クルディスターンのサナンダージ市では市を統括する役職に就き、そこでの功績が認められ、私はテヘラン中央の部署に栄転となりました。

 

ある日、勤務帰りに街の中央部を歩いていると、ある人が私に近づいてきて、「招待状」と書かれた封筒を渡しました。なんの招待状だろうと思って後で中身を開いてみると、テヘラン市内にあるプロテスタント教会からのものでした。

 

そこで私はその教会に行ってみることにしました。何回か教会に足を運び、また教会の人からも「イエス・キリストに心を開きませんか?」と言われましたが、私は拒絶しました。

 

旧約聖書とユダヤ人

  

私がキリスト教を受け入れることができなかった最大の理由は、旧約聖書にありました。なぜなら旧約に「ユダヤ人は神に選ばれた民である」という内容が書かれていたからです。それも一か所ではなく、多くの箇所にそういう事が書かれてありました。

 

私はイスラム革命防衛隊で徹底的なイデオロギー教育を受けてきましたので、これはどうしても受け入れることのできない内容でした。私にとってユダヤ人を打ちのめすことは非常に重要な意味を持っていました。

 

実際、私は防衛隊の中の自爆テロ隊に志願しよう、そして自分が玉砕することを通して、一人でも多くのユダヤ人を滅ぼすことができるならそれが本望だと思っていました。

 

こうして私はイエス・キリストに心を開くことをしませんでした。みなさんに申し上げますが、これは大きな失敗でした。というのも、私の上にはその時すでに、主の御手が置かれていたのに、私をそれを無情にも振り払ってしまったからです。

 

亡命

  

さてその後、モハンマド・ハタミ政権となり、私はある部署で働いていました。その部署は私以外、全員が反ハタミ派でした。そのため、ハタミ政権が崩壊し、親ハタミ派に対する公職追放が始まった時、私の立場は非常に危ういものになりました。

 

このような状況下、私は身重の妻を連れ、ドイツに亡命しました。2013年、私と妻の間で大きな問題が起こり、私たちは離婚しました。この事は私にとって耐えられないほどの打撃となりました。そして重度のストレスから私はついに脳溢血を起こし、49日間に渡り、脳死状態に置かれたのです。

 

イエス・キリストにまみえる

 

私の体は集中治療室にありましたが、その時、私の霊は肉体を離れ、上の世界に行っていました。私はそこで亡くなった知人や多くの人々に出会いました。興味深かったのが、知人もそうでない人たちも、私と目が合うと、皆、腕をのばし、斜め上の方を指さしながら「イエス・キリストを見なさい」と言っていたことでした。

 

私はこの場所で、この御方がヤシュアとか、ヤホバとか、マスィーとか、さまざまな名で呼ばれているのを聞きました。私はこのイエス・キリストに属する人たちの群れに近づこうとしました。何かとても平安を感じたからです。

 

しかしその時、私は自分の息子の泣き声を聞きました。見ると、息子が私の遺体にすがりついて泣いていました。他の人間の声や姿ははっきりしていなかったにも関わらず、なぜか息子の声だけは人間の声として明瞭に聞こえてきたのが、今思うと不思議です。

 

その時、私はイエス・キリストの御前に移されました。この御方は私に葡萄酒を差し出し、「これを飲みなさい」と言いました。

 

「アルコールは飲みません。」私は辞退しました。

 

するとこの方は下の方を指さし、私は本来、下の世界に行くべき者であることをお明かしになられました。そしてもう一度、「これを飲んで、生きなさい。そして息子の元に帰りなさい。」と言われました。こうして私は葡萄酒を受け取り、それを飲みました。

 

そして次に目を開けると、自分は集中治療室の中にいました。

 

新生

 

意識を取り戻した後、私は「40日を過ぎた当たりから、脳死状態の私の延命治療を今後も続けるか否かで医者と家族との間で話し合いがもたれていた」と家族から聞きました。

 

それを聞いた私は家族に、「その話し合いがもたれている期間、私は上の世界でイエス・キリストと和解をした。そしてイエス様はもう一度私に命を与えてくださった。」と証ししました。

 

また家族から話を聞いて知ったのが、この期間、ある教会の牧師が祈りの要請を受け、生死の境をさまよっていた私のために、教会の皆が一丸となり熱心にとりなしの祈りを捧げていたということでした。私の救いの背後に彼らの祈りがあったことを知りました。

 

二回目の手術が終わり、外出許可が出るや否や、私はその教会に行きました。(車椅子で運んでもらいました。)25年前、私はイエス様の差し出してくださった御手を振り払い拒絶するという大きな過ちを犯していましたので、今度こそその失敗を繰り返したくなかったのです。そしてその日、私は公に自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れました。

 

ユダヤ人への謝罪と和解

 

救われた後、これまでユダヤ人を殺そうとしてきた自分の罪を深く悔いる心が起こされました。そして私はその悔い改めを文書にしました。

 

その後、その悔い改めと証しの文章はヘブライ語にも訳され、イスラエルの新聞に掲載されました。そして感謝なことに、私のその謝罪の心をユダヤ人は受け入れてくれたと聞いたのです!この証しを読んでくださり、ありがとうございました。